ライルの治療
不思議ライル君の生態 パート2
『シルビアン』は、ガルドへ最大スピードで向かった。亜空間に入ると、ミーナはライルの側に行く。
彼にはできる限りの応急処置を施したが、彼らに出来ることは多くはなかった。
チャーリィが酸素マスクのチェックをし、点滴の容器を取り替えていた。ライルの有機セラミックはまだ、解除されていない。体組織を一時的に凍結しているわけで、これで辛うじて命を保っている。
ミーナはライルのベッドの横に座った。
はじめ、ミーナの言葉を、勇もチャーリィも信じなかった。ショックで気がおかしくなったと思ったのだ。
それも無理なかった。彼の損傷は致命的だったし、呼吸不能の薄い大気にじかに晒されていた。何処にも怪我がなくとも、生きていることは不可能な状況だった。
ミーナの根気強い説明で、やっと彼らもライルがまだ生きていることを信じる気になった。同時に、バリヌール人という種族の適応性に感心を通り越して恐れ入ってしまった。
バリヌール人は、一時的なら、呼吸をせずに過ごすことができるのである。体調整レベルはそこまで達しているのだ。
彼らは、宇宙を思う存分探査できるように自らを長い年月をかけてバイオ改造していったに違いない。それを、進化と呼ぶか、人為化と呼ぶかは主観の相違である。
彼らは、だから、単独で何処までも調査に出かけることができた。よっぽどのことや、自ら望まぬ限り、彼らは滅多に命を落とすことがないのである。
彼らの人口がいつも少数であったにも関わらず、彼らが自らの安全やひいては命にさえ無頓着なのは、このあたりにも理由がありそうだった。
ライルはガルドの医療機関に運ばれ、銀河中の名医達が召喚された。そして、最新最善の処置を最高の熱意を以って施された。
蘇生手当てと、修復手術は、長時間にわたって続けられた。彼は長い間極めて危険な状態にあり、友人たちの神経をすり減らし続けた。
しかし、ついに、危篤状態を脱し、回復の見通しが立つ時がきた。あとは、彼の全快を待つだけでよかった。
意識が回復して三人が彼に会えた時、彼の身体は固定被覆と保護フォリオでがんじがらめになっていた。もちろん身動きは一ミリとて許されない。数十箇所あまりにも及ぶ大手術だったのである。
左目と肺盤、右心臓は完全に破損し、右手首右足は押し潰されて砕け散っており、整形外科による修復が不可能であったので、クローン再生手術を受けた。
しかし今、彼の顔色は血の色を取り戻し、無事だった右目が元の輝きにきらめいて、部屋に入ってきた彼らを迎えてくれた。
ミーナは込み上げてくる嬉しさが我慢できず、チャーリィ達や看護人がいるのも構わずに彼の側に駆け寄ると、ありったけの想いを込めてキスをした。ライルもおとなしくそれを受け、なおかつ、そっとキスを返した。
ミーナがやっと離れて愛しい顔を覗き込むと、その眼が優しく微笑んでいた。ミーナはその笑顔以外、何も要らないと思った。
その様子を見て、チャーリィは勇をつついて外に出る。
勇がいいのか? と、目で訊いた。チャーリィは返事の代わりに頷いてみせる。
本当はミーナ以上に彼を抱き締めたくてたまらない。きっとキスだけでは収まらなくなるだろう。
だから、これでいいのだ。彼の元気そうな様子を見て、喜びが胸を切ないほどに染み渡っていくにまかせるだけでいい。
ミーナは半ば強引に、ライルの看護を引き受けてしまった。医学も専攻していて良かったとしみじみ思う。
もっとも、ライルは手の掛からない患者であった。彼は自分の状態を良く知っているので、辛抱強く身動き一つせず我慢していた。
それにしばらくは食事もできない。体内に直接送り込まれる栄養素の点滴のチェックと、汗をかいてびっしょりになるシーツの交換やフォリオの交換の手伝いをするぐらいだった。
一日中眠り込む彼の側に座って、夜を過ごすのは二度目だ。
一度目は、卑劣なプリトー人の傀儡と化した男の凶弾に倒れた時。あの時は自力で回復することができた。しかし、今回はもっと時間がかかるだろう。
ミーナは今でさえも、ケグルの月の事を思い出すと胸が震えてくる。
チャーリィの判断が間違って彼の発見が遅れたら、確実に彼の命は失われていたのだ。彼が助かったのはいくらバリヌール人とはいえど奇跡的なのだと、何度も担当した医者達に言われている。
ライルは度々熱を出し、そんな時は苦しそうにうなされることもあった。たまに漏らす言葉の端々から、バリヌールの最後やケグルの月の事故のことを夢見ているのだと解る。
『至上者』を倒した時のことも深い嫌悪感とともに夢にみる。
これは彼にとって危険だった。嫌悪が昂じると自己否定に移行するからだ。そういう時はためらわず、彼を夢から解放してやることにしている。
辛い夢から覚めた直後のライルは、すがりつきたそうな切ないほどに濡れた目をしている。
ミーナはだから、そっと優しく彼にキスをする。すると、彼はほっと安心したように、また、眠りに入るのだ。そんな時、彼女は母親のような気持ちになった。
そう、ライルは、彼女の母性本能をいたく刺激するのだ。彼が彼女より年下であることも、地球人のほうが彼の種族より早く成長してしまうことも、多分、関係するのかもしれない。
ミーナ達はライルが回復するまで地球に戻る気はなかった。すでに冬の休暇は終わっていたが、亜空間通信でアカデミーには一時休学の届けを出してある。
すると、アカデミーのほうから、各自に課題を出してきて、これを修めることで出席扱いをしてくれることになった。
定期的な中間報告を提出してきたミーナは、ライルの病室前で足を止めた。そっとドアを薄く開ける。
チャーリィがライルの横に座っていた。彼女に遠慮しているのか、彼はライルを見舞っても長居をしようとしなかった。いつも顔を眺め、それだけで出ていく。
ライルはまだ眠っているようだった。彼を起こさないようそっとキスをし、切なげな目でじっと見つめている。
ミーナは気づかれないようにドアを閉じた。ドアに背を持たせてため息をつく。
チャーリィの想いが痛いほどに伝わってくる。彼がどれほどライルを愛しているか、同じ思いを抱える彼女にはわかる。
断じて許してやりたくはないが、それでも半分は認めてしまっている自分がいた。
ライル自身は気づいていないが、チャーリィに精神的依存度を高めてきている。
何か辛いことがあると、無意識にチャーリィに救いを求めるのだ。
チャーリィがライルを得たのではない。ライルがチャーリィを得たのだ。
でも、それをチャーリィに教えて嬉しがらせてやる気は、ミーナには毛頭なかった。
――だって、悔しいじゃない。私のほうが先に、彼を見つけたのに!
まだまだチャーリィに渡すものかと、ミーナは人知れず闘志を燃やした。
食事ができるようになっても、彼はやはり手の掛からない患者だった。彼は辛抱強かった。食事の世話もたいして手間がかからない。
彼は栄養素や必須無機質の詰まった錠剤や、食べ物とは思えないどろりとした液体の栄養価を満たしているだけとしか言いようの無い代物しか口にしないのだ。
彼に言わせると、ミーナが食べさせたがる『栄養があって力がつく』スープや粥のほうが、はるかに身体に負担を掛けるので受け付けることができないらしい。
彼は排泄さえしなかった。腸がないので当たり前なのではあるが、不要なものはどうするのだろうと不思議がっていたミーナに、彼は、ある日、口から直径1センチほどの宝石のような玉を出してみせた。
そういえば、枕もとのガラス器に色とりどりの玉が増えていく。
口から取り入れた食べ物は体内の消化器官で分解されるが、吸収されずに残った余分は圧縮され、小さな玉にして口から排出するのだという。
バリヌール人の体内は完全無菌状態なので、消化酵素や分解酵素等の酵素と反応液とのいろいろな化学反応で吸収し利用できる形にまで分解させるということだった。
利用できずに残ったものはわずかであったし、分子レベルまで分解されているので、まとめて玉にするという。
その気になれば、オパールや琥珀が作れそうな便利な生物だった。
ガルドの人に聞くと、この玉は『賢者の玉』と呼ばれて、高値で取引される貴重なものとのこと。
地球では絶対秘密にしたほうがいい特性だわ、と、ミーナは思う。それだけで、彼を拉致監禁する立派な理由になってしまう。
***
薄紙を剥がすように、日ごとに彼を覆う固定被覆や保護フォリオが取れていく。
調整能力が機能し始めると、回復力は格段に増加した。ライルも一日中眠り続けることはなくなり、体調整能力で自ら治療を続ける時間が増えていく。
チャーリィが病室を訪れた時、ライルは治療を行っていた。
勇はトゥール・ランと遠征にでかけ、当分帰ってこない。勇のまっすぐな目がちょっと煙たいチャーリィは安心してライルを見舞った。
病室内をあまねく染めるばかりに、紫の光輝が放たれていた。ライルが治療を行っている時は、ミーナも集中を妨げないように席を外す。彼は一人だった。
チャーリィは音を立てないようにドアを閉め、さらにそっとロックした。
彼の邪魔をしないようにそばに行く。
紫の輝きの中で目を閉じるライルは、胸が震えるほどに異質だった。有機セラミック化している肌の硬さを、チャーリィは知っている。
異質だが、もう違和感は感じない。ふわりと柔らかい上掛けの上に組まれている手に触れる。右手首にはフォリオテープが巻かれてあった。
今日の彼の手はセラミック化していても温かく、チャーリィは安堵する。
ライルが気づいてチャーリィを見上げて来た。ふっとセラミック化を解いてにっこり笑う。
人形から生きている人間に変わる。
ライルの微笑みは、いつもチャーリィの心をダイレクトに射止めた。抵抗できない。
キスをしに行くと、彼は目を閉じてうっとりと迎えた。
左の瞼にキスをする。今は損傷した痕跡もない。
頬にキスし、彼の美しい顔に傷が残らなかったことにほっとする。
頭部にはまだフォリオが巻き付いていたが、その面積も減っている。栗色の髪を指ですき、彼が生きていてくれたことに感謝する。
唇にキスを落とすと、たまらなくなって熱く求めた。ライルの手がゆっくりとぎごちなく持ち上がって、チャーリィの背に回された。胸にはまだフォリオやテープが何重にも巻かれている。肺盤が大きく損傷を受けていた。
息が苦しくなったらしく、彼が唇を離す。両手がぱたりと力尽きたように上掛けの上に落ちた。
チャーリィはライルの比較的無事だった左手をとると、その指一つ一つに丹念にキスをする。
それだけでも彼が『気持ちいい』を感じているのがわかった。きっとチャーリィのキスの感触を味わおうと皮膚の感覚網を開いているのだ。器用な、ほっそりとした美しい指。
ライルはもうそれだけで満足しているようだったが、チャーリィは熾火のように疼く欲望を耐えていた。それはいつでも烈火に燃え上がりそうな気配を見せて、彼の理性を揺さぶり続けた。
突然、ノックの音がする。
はっと顔を上げたチャーリィはドアのロックを外しに行く。果たして、ドアの外ではミーナがきつい顔で睨んでいた。
***
病室の壁にはパノラマスクリーンが備えられている。それは、様々な天体の景観を、まるでそこに居るかのように映し出してくれた。望めば、音や匂い、風のような触感まで再現する。
今、スクリーンは、青々と何処までも拡がる海が再現されていた。遠く澄み切った空に、一つ二つ柔らかな薄雲が浮かび、燃えるような緋色の奇岩が天を指していくつも伸びていた。
あの岩は、生物の群生で、少しずつ成長し続けている。暖かい微風が、怠惰げに吹きすぎ、ゆっくりとうねり盛り上がった波は、そのままライル達のほうへざざっと崩れ落ちて来そうだった。
しかし、ミーナにその雄大さは伝わらない。彼女はぷりぷりしていた。
チャーリィの忍ぶような真似にも、ロックまでするその性根にも腹を立てている。
留守を狙って会いにくるなんて、まるで泥棒猫だわ、と情け容赦なくチャーリィをこき下ろした。
そのうえ、ついさっき彼が寝言で、チャーリィの名を呟いたのだ。それがミーナにはいかにもうっとりと呼んだように思われ、悔しくてたまらない。
もちろんミーナが彼にそれを話すわけがないから、ライルにはどうして彼女の機嫌が悪いのか解らない。
ミーナは面白くなさそうに、でたらめにスイッチを切り替えた。
豊かな、そして整然とした景色が拡がっていた。管理された紫がかった緑の中に幾何学模様の美しさで道が延び、数学的調和の取れた建物がゆったりとした均整美で緑の中に見え隠れしている。
申し分のない曲線を描く湖の向こう遠く薄紫の光の彼方に高い塔がそびえ、その周りを銀の糸がきらめきながら伸びている。それは、絵に描いたような静かで落ち着いた美しい世界だった。
ライルがはっとして見つめたので、ミーナも興味をそそられて眺める。完成された美というものは、人の心を幸福に満たすらしい。いつしか彼女は腹を立てていたことを忘れていた。
「美しい所ね」
溜息まじりに言う。
「消してくれ」
ライルが言った。彼女が見惚れてぐずぐずしていると、彼は重ねて言った。
「消してしまってくれ。早く」
彼には珍しく強い口調だったので、ミーナは呆気に取られ、間違えて全部消してしまい、壁は元の乳白色に戻った。
「どうしたの? 素敵な所だったじゃない」
まぶたの中に神の庭のユートピアがまだ残っている。
「……、もう、存在しない世界だ」
彼の声はいつも通りの感情のこもらないものだったが、ミーナには寂しげに聞こえた。
「今の……バリヌールだったの? 貴方の故郷ね」
ライルは返事をしないが、ミーナは確信した。あれがバリヌール……。地球からすごく高性能の天体望遠鏡で覗いたなら、今でもその姿を見ることができるはずの、既に失われた世界。その悲劇的な最後を見るまでには、さらに二万年後を待たなくてはならない。
彼はいつもどんな思いで星空を眺めていたのだろう、と、ミーナは思った。
***
その同じ頃、ガルド星第七惑星の医療研究地区の一画で、秘密の作業が進められていた。
ライルのクローン再生手術は、定評のあるヒポクラス人医師団が一手に引き受けて行った。摂取した細胞から、損傷した器官、部品を媒体栄養溶液中で、短期間のうちに再生させる。
再生された各部分は、遺伝子的にも生体的にも生理的にも、全く同質であるから、生体移植に付きものの遺物反射や不適合反応の心配がない。
ヒポクラス人医師団はその移植技術を芸術的なまでに高めていた。文字通り、神経の一本一本まで忠実に再現し、それを元の生体に繋いでいくのである。彼らは名誉の為にも、これを完璧にやり遂げた。
そこまではいい。ところが、彼らはその手術とは別に、ライル自身のクローンを造りだしていたのだ。
銀河のどの種族にとっても、バリヌール人ライルの存在は大きな魅惑であり、それはヒポクラス人にとっても同様だった。
彼らは、自分達のために働いてくれるバリヌール人を得るという誘惑に勝てなかったのだ。
そして、欲に目が眩んだ彼らは、クローン技術にも長けていたバリヌール人が何故、自分達のクローンを決して作ろうとしなかったのか、という事に思い至ることができなかった。
※保護フォリオ:薬剤付きの大きな平たい張りもの。材質は布や紙、フィルムなど様々。殺菌成分と組織再生酵素などが塗布されている。医療フォリオとも呼ばれる。ほかに、医療フィルム、医療テープなども同様に組織再生酵素や薬剤が塗布されている。何れも伸縮性があり、固定にも使われる。フォリオは葉の意味から。




