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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第1部 母なる大地はポリマーでいっぱい
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母なる大地は『生命』に溢れて(第1部・完)

 暴徒がギアソン邸に押しかけた時、ライル達は辛うじて裏から逃れ出たところだった。

 屋敷の中で混乱が生じている隙に、裏からガレージに回ってモリスのテスラに乗り込むと、群がっている人々を蹴散らすようにして走り出す。


「何処へ行くおつもりですか?」


 ミーナが訊いてきた。


「どこかって? 私にわかるものかね」


 モリスは答えると、モジュケーターテレビにスイッチを入れた。アナウンサーが目をぎらぎらさせながら、ライルのことをセンセーショナルに報道している。


『先ほど、侵略者の隠れ家が突き止められたという情報が入ってまいりました。恐るべき宇宙人は、まもなく捕らえられることでしょう。速やかに地球の脅威が除かれることを、市民の一人として切に希望するものです。』


 モリスの指が軽く触れ、チャンネルを変えた。


『……まことに信じられないことですが、これは事実であったのです。異星人が何食わぬ顔をして、地球人の中に紛れ込み、恐ろしい死の病を撒き散らしていたのです。そのインベーダーをアメリカの軍当局が隠蔽していたという事実も、我々に衝撃を与えるものです。しかし、この陰謀を知った今、我々は軍を糾弾し、憎むべき異星人の脅威を除かねばなりません。アメリカ市民が一丸となって、異星人を追い詰め、抹殺すべきです。祖国を侵略者に渡してはなりません。異星人は地球人と全く同じ姿をしているということです。あなたの隣にも潜んでいるかも……』


「馬鹿げたことだ」


 切迫した顔で喋り続けるテレビを切りながら、モリスは苦々しげに言った。


「わざとパニックを煽っているとしか考えられん」

「ライルを、なんて……。ひどいわ」


 ミーナが青い顔に唇を震わせて呟いた。


「差し迫った問題として、我々の行く場所を決めねばならんが。これでは、どこへ行っても手配が回っているだろうな」


 モリスは車を町から遠ざけた。人家の少ない森林に入ろうかと、道路地図を呼び出して検討する。


「僕と別れてください。一緒にいると、あなた方まで巻き添えになります。危険です」


 それまで黙っていたライルが、落ち着いた口調で言った。


「それで、君はどうするというのかね? この不案内の所で?」


 モリスが訊いた。


「僕はみんなの前に出て行きましょう」

「殺されるわよっ!」


 ミーナがヒステリックな声を上げた。


「しかし、それで暴動も、人心の不安も終わります。あなた方にも危険がなくなる。一番の解決法だと思います」


 それを淡々と言ってのけるのだ。諦めでもなく、気負いも無く。他人事のように。

 モリスはブレーキを踏んで車を止めた。道は天を突くような鬱蒼とした深い森に入っている。

 ミーナは、まだ、唖然として声も出ない。


「驚いたな。それが君の種族の思考傾向というのかね? だが、君を担当した医者として、それを許すことはできん。私は最後まで、君を守るぞ」

「それは、論理的ではありません」


 むしろ、彼は当惑して言った。それに対し、モリスが断言する。


「確かに。だが、私は、君の提案を受け入れるわけにはいかん。みすみす死ぬと分かって、どうして許すことができるかね? それは、ならん」

「そうよ。もう、そんな馬鹿げたことを考えちゃ、駄目よ!」


 ***


「報告が遅い!」


 苛々と叫ぶ参謀長官を、ペンタゴンの司令部の要員はぞっとした目で眺める。


「五分で最終秒読みに入る!」


 彼が言い切った時、ギアソン国防長官が駆け込んできた。


「彼の指令は無効だ! たった今、遂行不能の判断を出す。彼を逮捕し戦闘体制を直ちに解除しろ! ペンタゴンは降伏する」


 参謀長官はギアソンを指差すと命じた。


「国防長官は錯乱している。不適能者だ。敵前逃亡として捕らえろ!」

 

 総立ちになった要員達は、混乱してどちらの命令に従ったらよいのか判らない。時間は刻々と過ぎていく。


「秒読み開始!」


 参謀長官が命じた。

 要員は、しかし、立ち尽くしたままだった。


「貴様達、反乱とみなすぞ!」


 参謀長官が喚いた。


「全員射殺する!」


 と、銃を構える。

 あっと皆が棒立ちになったところを、彼は酷薄な笑いを浮かべて、ゆっくり狙うように銃口を動かしていく。


「今からペンタゴンは私が掌握する。逆らう者は容赦なく撃つぞ。さあ、ミサイルの発射の指令を出すんだ!」


 バン! 参謀長官の銃が弾き飛ばされた。


 ギアソンが飛びかかる。警備員が駆けつけ、参謀長官を捕らえた。

 ドアの所で、チャーリィが銃を構えたまま、にやっと笑った。


 ギアソンは参謀長官の胸ポケットから黄色いネズミを見つけ、ぎゅっと握り締める。ネズミはあっけなく気絶した。



 ***


 ミーナは絶望的な視線を背後に向けた。森林地帯を抜けて、山岳地帯に入っている。しのつく雨は森林地帯を出たあたりで止み、今は乾いた風が吹いていた。


 まだ無事でいるのは、侵食された岩山が迷路のように林立して、追っ手の追及を迷わせているから。

 テスラはガス欠で捨ててきた。ガソリンスタンドに立ち寄るわけにはいかなかった。三人の写真がアメリカ中に出回っていた。過密な情報網を、これほど恨んだことはない。



 三人は食事もできず、さっき通ってきた泉で喉を潤しただけ。

 モリス博士は発見された時、住民に左腕を撃たれた。ライルがナイフを使って弾をだしたが、熱をだしている。

 そのライルもひどく弱ってきている。


 ――逃げ切れない。


 ミーナは唇を噛んだ。暴徒に取り囲まれるのは時間の問題だった。アメリカ中が一丸となって彼らを狩りたてているのだ。

 彼女は自分の無力が悔しかった。


 ヘリコプターが彼らを捜し回っているのが、聞こえる。遠くで複数の犬が吠えている。だんだん近づいてくるようだった。



 この洞窟も安全ではないらしい。ミーナはモリス達をこの隠れ家から出すべく促そうとして、ぎょっとした。

 医者の顔が土気色になっていた。消毒もできず、手当ても充分にできない傷口から感染したのだ。このままでは、モリス博士の命が危ない。


「ミーナ、僕が……」


 ライルが言いかけたのを、


「駄目よ!」と、即座に否定した。


 殺されるために出て行こうと、彼が提案するのは、これで何度目になるものか。


 だが、どうしたらよいのだろう。もう、本当にこれで終わりかもしれない。

 気丈な彼女の頬に、涙がぽろりと零れた。


 ライルは何も悪くないのに。何もかも、ひどい誤解だというのに。どうして、こうなってしまったのだろう。

 ミーナは顔を両手で覆う。


 傍らでライルがゆらりと立ち上がる気配に、はっと顔を上げた。ふらふらする身体を引き摺って、外へと歩き出す。

  ミーナは飛び上がって、彼の前に立ち塞がった。


「どこへ行く気っ?」


 声が尖る。


「ここが限界だ。まだモリスが助かるうちに行かなくては。僕が捕まれば、君達にまで危害は加えないだろう」


 そういうライルの声も掠れ、息も苦しそうだった。

 そこへ、犬の吠える声が近づいてきて、


「ここだぞ」


 と、人々の叫ぶ声がした。空には、バラバラとヘリコプターの音が響いている。


 絶望に両手で口を押さえたミーナの横をすり抜けて、ライルが外へと歩き出す。

 モリスが荒い息を継ぎながら、それでも立ち上がろうともがいた。




 洞窟の前には、人々が銃や鎌、鋤、棍棒など手に手に武器を構えて押し寄せていた。獰猛な狩猟犬が五匹、牙を剥き出して唸っている。

 やっと追い詰めた異星人の侵略者を前に、人々は憎悪と恐れにおののいていた。衆を頼んで、誰も先に飛び込んでいくことができず、頭に思い描く怪物の恐怖に、尻込みする。


「出てくるぞっ」


 洞窟を覗き込んでいた男が叫んだ。


 ざわざわと、人々の輪が、入り口から離れるように距離を置いて拡がった。

 彼が洞窟の入り口に姿を現すと、群がる人々に動揺のざわめきが起こる。



 眩しい日差しに照らされた異星人は、息を飲むほどに美しかったのだ。

 栗色の髪に紫の瞳。ほっそりとした姿は、夢のように美麗であった。完璧な均整で配置された端整な顔には恐怖の色もなく、どこまでも静謐であった。


 彼は群がる人々も見ず、晴れた青い空を眺めた。枯れた断崖や岩山を吹き渡ってくる埃っぽい風は、砂を巻き上げ乾ききっていた。いじけた草やサボテンが赤茶色の岩にしがみついている。


 ――素晴らしい世界だ。


 ライルは幸福そうに微笑んだ。

 こんなに乾いた風の中にさえ、生命がこれほどに溢れているのだから。この世界が、死に至らずにすんで、良かった。


 彼はうっとりと目を閉じ、群衆の前に無防備なままに立った。


 我知らず恍惚と見蕩れていた人々は、飲み込んだ息を吐き出すと、手に手にもった銃や棒を構え直した。

 騙されてはいけない。こいつは宇宙人なのだ! 大勢の命を奪った恐ろしい悪魔の病気をばら撒いた侵略者なのだ!


 群衆にざらついた殺気がみなぎり、狂暴な空気が吹き上がった。



 ミーナが駆けて来て、ライルの前に盾のように立ちはだかる。

 群衆がぞろりと、動き出す。


 その時、頭上にヘリコプターが下りて来て、スピーカーで叫んだ。


「動くな! 誰も動いてはならない!」


 今しも行動を起こそうとしていた人々は動きを止めて、頭上を振り仰いだ。

 軍用ヘリコプターは、その上を旋回しながら繰り返し命令した。


「事態は当局が収拾する。一般市民は速やかに解散しなさい。従わない時は暴徒として逮捕する。解散しなさい」


 

 軍が相手では、群衆も手が出せない。不満げな顔も露わにぶつぶつ呟きながら人々はしぶしぶ離れて行った。



 ミーナ達が立っている洞窟の前の平らな場所に、ヘリコプターが着地する。

 扉が開いて中から出てきたのは、アメリカ宙軍近藤司令官だった。勇の父である。


 あっと眼を開いたミーナの前に、続いてチャーリィと勇が現れた。


「安心しろ。もう、ライルが追われることはない。本当の侵略者が捕まったんだ。解決したんだよ」


 チャーリィのバリトンの声を聞きながら、ミーナは、安堵のあまり気が遠くなっていくのを感じていた。

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