ゾウリムシ分裂型単性種族
バリヌール人の生態のお話しです
第5部(予定)の内容に合わせて、一部変更しました
ギアソンが帰った後、ライルは担当医であるモリス院長に連絡を入れずに目を閉じた。
息を整え、神経を身体の隅々までコントロールしようと集中する。死の一歩手前まで行っていたダメージで、まだ体力がひどく落ちている。何回かコントロールを外し、額にうっすらと汗が吹き出した。
やがて、彼の身体は淡い紫色に輝きだした。表皮細胞が有機セラミック化し始めたのだ。損傷部分に意識を集中する。
左心臓の大部分が破壊されている。組織を組み立て、再構成させねばならない。損傷部分が大きいので大仕事だった。
彼は神経を集中させていたので、人が入って来た事に気づかなかった。
ミーナははっと足を止めた。ライルの身体が紫の光に包まれている。それはまるで呼吸しているかのように、微かに明減していた。
そこにいるものは、胸が震えるほどに異質なものだった。
硬質を帯びた輝くもの。
――あれは、何?
でも、その輝きはなんと温かいのだろう。限りない優しさ。慈しみに満ちた静謐。
これがライルなの……?
いつしか、ミーナは歩みを進め彼の側まで来ていた。我知らず手を伸ばし、その光に触れようとした。
突然、輝きがふっと消える。
ミーナはあっと手を引っ込めた。ライルの紫の眼が彼女を見つめていた。
「あ……、わたし……、ごめんなさい。邪魔するつもりじゃなかったのよ」
急いで謝る彼女に、紫の瞳が温かく微笑んだ。
「ありがとう。ミーナ。ずっと看病してくれて。……君は、僕が気味悪くないのか? 今、見ただろう。僕は、君達に化け物と言われても仕方ないんだ」
「化け物だなんて……。あなたにとって、わたし達のほうが怪物かもしれない。あなたはきっと、とても進化した高貴な存在なんじゃないかしら。どうして地球に来たの?」
「高貴な生物などありはしない。全ての命は生きている故に尊いんだ。僕は君達が好きだ。君達は精一杯生きている。その活動力は眩しいほどだよ」
ライルの瞳が遥か彼方を凝視めた。
「でも、僕の話に戻ろう。第一次有人宇宙探査船のことは知っていると思う」
「ええ、悲劇的な失敗に終わったのよ。今から四十二年も前の事件だわ」
木星軌道付近で動力炉の暴走を起こし、制御を失った船は前代未聞の加速を続けたまま、太陽系を飛び出し、深宇宙の彼方へと去ってしまったのである。
そして昨年、なぜか奇跡的に太陽系へ戻ってきたところを発見され、話題になった。今も太陽へ向かっているが、何とか回収するための検討が行われている最中だった。
これに反対する声もあり、そのまま太陽へ帰らせて欲しいと、特に遺族達から要望がでており、賛否の論が盛んである。
「その船をバリヌール人が発見した。それが、巨大恒星の引力圏に真っ直ぐ飛び込んで行ったので、牽引し、同調させて接舷した」
船内は酸鼻を極めていた。乗員は原形すら留めぬ肉の塊と化していた。その中で、加圧シートに倒れこんだおかげで比較的損傷の少ない遺体を標本として保存処理し、持ち帰った。
「それが、レオンハルト・フォンベルトだったんだ」
「えっ! じゃ……あなた……」
「幸い、その船の空調システム装置は、圧力が掛かると同じくして駄目になったので、損傷の主な要因は、高重力と気圧の激変に留まっていた。肉体は潰れて破裂していたけれど、骨格は比較的無事で、ヘルメットに守られていた脳も、まだ読み取り可能だった。生物学者達は、脳に記憶されていた情報を出来る限り再構成し、細胞から遺伝子を抽出し保存した」
「ほう。どうして見知らぬ生物に対して、そこまでの手間を取るのです?」
いきなり院長の声がして、ミーナは飛び上がった。院長、R・モリス医学博士が、後ろ手に身を屈めて熱心に聞き入っていたのだ。
「あらゆる生物のデータを集めていたのです。宇宙は様々な形態の生命に溢れているのです。我々は、多くの知識を得ることが喜びでした。もともと紫外線の強いバリヌールの世界が、生物相に乏しいこともあって、宇宙中の生物のモデルを再構成して保存する作業は熱心に行われてきたのです」
「モデルの再構成といいますと?」
モリス博士は涎を垂らさんばかりに、目を輝かせて訊いた。
「可能ならば、遺伝子を元に生物体として復元します。あるいは半有機状態で。無理がある時は電子パターン化してシミュレーションします。地球人のモデルは原型の損傷が甚だしく、完全なデータが得られなかったので、シミュレーションモデルとして、処理されました」
「素晴らしい! 夢のようですな。そのモデルや蒐集したデータが手に入るものなら、私の魂など幾らでも悪魔にくれてやるんだが」
モリス博士は、夢見るような目付きで、揉み手した。
「彼のシミュレーションモデルを研究していくうちに、地球人という種族の若々しい活動力と可能性に惹かれたのです。バリヌールは非常に古い種族でした。活動力が停滞してから長く経っていました。自分達の限界を悟っていたのです。それで、リザヌールの分裂素基を和合生成する際に、その地球人の遺伝子も加えたのです」
「それは、君の種族の生殖方法だね? 分裂素基? 君の体の外観は作り物だ。内臓と一致しない。実に良くできてはいるがね。乳首も、臍もペ……」
彼は傍らの妙齢のご婦人を見遣って言い直した。
「その性器もしかり。ただの付け足した付属品にすぎない。君達はどんな生殖法なのかな。やはり、雌雄の両性かね?」
「いいえ、僕達は単性です。性別はないのです。分裂型生殖です。地球の生物で言えば、ゾウリムシあたりが、かなり近いかもしれません」
「ゾウリムシ! なんて高度なゾウリムシだ!」
モリスは揶揄でなく、純粋に感嘆して叫んだ。
この時、両者の認識は一致していた。
ゾウリムシとバリヌール人とでは、規模の違いがあるだけなのだ。
単純に分裂して身を分けるパターンと、2個の個体が遺伝子(核)を交換しあってから分裂する2種類の増殖パターンを持つ微小生物であった。
「遺伝子を次代に伝える時期は、自分で選びます。大抵、老齢になってからが多い。バリヌール人はこれまで得た知識や経験を、遺伝子に記憶させることができるので、死期が近づいてから合成したほうが、より効率的なのです。和合生成には、分裂素基の提供者を何人でも選べます。二十人の分裂素基に依って生成されたこともありますし、一人の分裂素基で生成することもあります。五百年の生涯でも完成しない研究を手がけている場合、多にしてそうする傾向があります。十代掛けて、或る天体を観測し続けた例もありました」
「ほほう……。五百年。長命ですな」
「そのくらいになると、身体の調整能力が著しく落ちてくるのです。それで、我々は次代に後を引き継ぐのです。バリヌール人の寿命がどれほどまで在るのか、はっきりしたデータはありません。自然死するまで、誰も待たないので……」
「それで、君は何人の分裂素基で、えー、生成されたのかね?」
「一番多くを提供したのは、リザヌールでした。他に二人。そして、地球人です」
「リザヌールって?」
ミーナがやっと、口を挟んだ。
「う……ん。強いて言えば、調整官だろうか? 多岐にわたる全バリヌールの知識を統括調整すると言ったらいいだろうか? うまく表現できる言葉がみつからない」
「それで、地球なのね? あなたの中に、地球人の……レオンハルト・フォンベルトの血が流れているから。それで、地球に帰ってきたのね」
「シャフトナー博士もそう言っていた」
ライルの目が細まった。
「体型に地球人の男を選んだのは?」
モリスは、質問を重ねる。
「別に深い意味はないのです。モデルが男性だったから。それにまだ、成長期であったので、雄性のほうが形成が楽だったのです。雌性は体内器官を含め、分泌腺まで形成する必要がありますから。時間が余りにもなかったのです」
それから、モリスに気になっていた事を、臨床医の顔で確認する。
「形状はどうでしょう? 担当医は原型が破損消失しているので、確証が得られず、保証は不可能だと言っていました」
それに対し、モリスは真面目に評価を述べる。
「いやいや、状況を考えたら、よくできていますよ。ただ、表皮と同じように全て単純化しすぎてますね」
ふんふんと頷きながら、
「もっとも、表皮もただ体表を覆っているフォルムに過ぎないようだがね。その下の組織も神経束もまったく異質の組成だ。その皮膚はもう少し皺とかあったほうがよかったね。汗腺の穴も表に無いし、体毛も忘れている」
「ああ、それは、僕も地球に来て気づきました。全く念頭になかったようです」
ミーナはため息をついて席を立った。
「あなた方科学者って、処置なしね。どうぞ、心行くまでお話しなすって下さいな。わたしは帰るわ。ライル、また、明日来るわね。あなたの意識が戻って、とても嬉しいのよ」
ミーナはライルの唇にキスをすると、院長に挨拶し、手を振りながら出て行った。
モリス博士は信じられないように首を振ってみせた。
「驚いたね。彼女にとっては、君が宇宙人だろうとなかろうと、関係ないようだ。あんな美人に愛されて、君は幸せ者だ。わたしも、もう少し若かったら、君と張り合ってみるんだがね」
「愛? 愛って、何でしょう?」
「…………」
モリスはどう説明したらいいだろうと悩んだ。性のない種族に、微妙な男女の愛が理解できるだろうか?
ライル君はゾウリムシだったのですね




