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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第1部 母なる大地はポリマーでいっぱい
11/109

分裂ポリマー分解酵素

 診療ベッドで運び去られるライルを、ブライアン達は茫然と見送った。所長のギフォード博士が気遣わしげに付き添っていく。

 ざわざわと動揺が広がっていく中で、ミシガン博士が声を張り上げた。


「彼の健闘を無駄にしないためにも、早く完成させましょう!」

「そうだ。ぐずぐずしている暇はないんだ!」


 ブライアンも自分に言い聞かせるように怒鳴ると、培養器の方に屈みこんだ。他のメンバーもばらばらと自分の仕事に戻っていく。誰も無駄話もせず、黙々と作業を急いだ。




 抽出された酵素はすぐに培養器に移され、増殖作業に掛かった。ライルが倒れた今、手に入る酵素はこれだけと言えるので、担当の者は過度なほど慎重に作業する。


 この酵素が確実に安全なものなのかどうか、彼らには調べようがなかった。この組み換え作業は、ひょっとすると新たな恐ろしい危険を生産することになるのかもしれない。



 しかし、彼らはまだ十八歳の青年を信じた。信じるしかなかったのである。彼が何者かを知っているのは所長のギフォードだけ。研究室のスタッフ達は稀に見る天才だと思っていた。

 もし、彼の正体が皆に知られたら、彼らはどう反応するのだろう。手当てを受けるライルを見ながら、ギフォードは胸の中で呟いた。


 治療を施しているのは、アカデミー付属病院院長のモリス博士。ライルがインターンをしている病院の上司でもある。事件の連絡を受けたアレックスは、直ぐに彼をネバダに招聘した。


 世界的に屈指の医学博士モリスは、始め丸くした目を直ぐにぎらぎらと輝かせた。異質の組織に夢中になる。

 正直、ギフォードには生理的な嫌悪感のほうが強い。そして、世間はモリスのような人間よりも、自分のように感じる者のほうが圧倒的に多いはずだった。


 吐き気を押し隠し、ギフォードは首を振りながら医務局を出た。応急手当が済めば、モリスの付属病院へと移されることになっている。


 ライルの秘密は当分極秘扱いされねばならない。秘密を知るものは、少ないほうがよいのである。スタッフが始終出入りできるここの医務局よりも、アカデミー付属の特別隔離病棟のほうがその危険が少ない。



 ギフォードが研究室に顔を見せると、スタッフ達がライルの容態を訊ねてきた。


「何とか一命は取り留めそうだが、まだ、楽観はできない」


 答えながら、無菌室に目を配る。ミシガンは出て来ない。作業に集中している。組み換えの一番難しい所にきていた。



 

 ポリマーから酵素を抽出したところで、一つの山場を越したといえる。

 酵素の組み換えは、ライルが示した地図もあるので、ミシガン達にも残りの作業をこなすことは不可能ではない。

 まして、ミシガンは酵素組み換えに関しては権威である。ここはどうしても、ライルの助けなしで完成させたい意地もあった。



 既に準備のできた媒体を使って、この酵素に修飾していく。共役結合した有機物質を触媒促進剤として、媒体には加水分解触媒を用い、ヌクレオシターゼを酵素に修飾していく。



 21:10。

 酵素ができあがった。走査分析にかけ、現れる数字を固唾を呑んで見守る。走査が打ち出し、描いて見せた構造式は、ライルが示したそれと一致した。


「できたっ」


 喜ぶスタッフをミシガンは制する。まだ早い。これが果たして、期待通りの効果を示すかどうか確かめるまでは、完成とはいえないのだ。


 重合抑制分解酵素。酵素の名前である。これをポリマーの培養液に入れた。一分、二分……。人々が見守る中で、時間が時を刻んだ。だが、分裂ポリマーの数は減らず、分解する兆しもない。



 22:15。

 一時間が経過して、誰かが呻くように声を出した。


「失敗だ」


 ミシガンはじっと電子顕微鏡を見つめる。ライルが示した地図は、結局役にたたないのか? 地球を救う手立てはないと言うのか?


 ギフォードがもう一度地図を出してみろと、怒鳴っていた。

 気落ちしたスタッフがどうミスしたのか、地図が裏返しに現れた。

 苛々している所長が雷を落としているのを、ぼんやりと聞いていたミシガンが、はっと顔を上げた。


「さっきの酵素体の構造式を地図に表してみろ」


 ブライアンが走査器を操作して、さきほど作った酵素の構造式を地図に直す。


「あっ……」


 ブライアンも悟って、口を開けた。

 構造式は同じなのだが、分子の配列の図式が違う。できあがった酵素は、ライルが示したものと左右が逆転していたのである。

 異性体だった。


「これか……」


 ミシガン達は唸った。



 22:30。

 ミシガン達の試行錯誤が始まった。


 刻々と時が過ぎる。

 次の日に日付を変えても、誰も部屋に戻らない。この瞬間にも、世界中至るところで大勢の人々が死んでいくのだと思うと、ライルでなくとも寝てなどいられなかった。


 酸素濃度を変え、気圧を変え、反応速度を変え、考えられる限りのあらゆる条件を変えてみた。

 だが、出来上がってくる酵素は、左右逆転した異性体だった。


 今こそ助言の欲しいライルは意識不明で、生死の境を彷徨っている。ミシガン達は途方にくれ、頭を抱えてしまった。

 疲労に色濃く染まったスタッフ達にミスが目立ってくる。



 7:00。

 ギフォードはついに、仕事の切り上げを告げ、全員八時間の睡眠を取れと命じた。



 11:30。

 ギフォードは顔に深く皺を刻んで、研究室のドアを開けた。皆に八時間の睡眠をと命じたのだが、彼はろくろく眠れず、結局四時間半休んだだけで出てきてしまったのだ。

 だが、眠れなかったのは彼だけではなかったらしい。罰の悪そうな笑いを浮かべて、スタッフのほとんどが振り向いた。

 何か言おうとするブライアンに、片手を上げて制し、


「もう少しの踏ん張りだ。みんな、頑張ってくれ」


 と、告げる。


 助手と頭を寄せあって話し込んでいるミシガンのところへ行き、


「どうだね? 何か打開策でも浮かんだかね?」と、訊く。


「打開策となるかどうか。まだ、試していない方法を、ちょっと思いついたもので」

「どんな方法なのだ?」


 ギフォードが訊くと、ミシガンは薄くなった頭をぽりぽりと掻いた。


「なに、基本的なことです。触媒を変えてみようかと……」


 そして、あっけにとられているギフォードを残して、無菌室へと行ってしまった。


 触媒を変えて、もう一度同じ手順を繰り返した。



 14:25。

 スタッフ達は走査器の前に集まった。


 構造式は宜しい。

 皆、疲労と寝不足で真っ赤に充血した眼を無理やりこじ開けるようにして、画面を見つめた。

 地図が描かれた。


「できたぞ! 逆転していない!」


 誰かが叫んだ。ミシガンが頷く。

 ギフォードが急き立てた。


「直ぐに、ポリマーに試してみよう」


 数分が経過した。


 電子顕微鏡の映像の中で、分裂ポリマーがみるみる分解し、小さくなっていく。それはポリマーに襲い掛かり、小気味よいほどに画期的な速度で効果を発揮していた。


 組み替えた酵素体は培養基中の分裂ポリマーを、一掃したのである。

 ポリマーから、構造分子を剥奪したうえで、それはさらに体外に排出可能の物質に変換した。即ち、ポリマーは二酸化炭素、水、尿素に分解されたのだ。



 14:38。

「やった! ついにやった!」


 研究室の中は、これまでの疲れも忘れたように沸き立った。


 続けて、生体への影響を調べに掛かる。抽出した組織で調べ、殆ど同時進行で動物で試し、双方に確信ができた時点で、臨床に踏み切った。


 酵素の性質を考えれば、当然といえば当然なのであるが、この酵素は、分裂ポリマーにのみ反応することが、それで明らかになった。ほかの構造物に対しては、全く反応を示さない。

 ポリマー自身の構造を一部に保有していることが、その理由なのかもしれない。さらに、K-培養基でも、着実に増えている。



 19:00。

 ここで、ギフォードは酵素を発表することを決断した。

 

 あらゆる機関、医療機関、研究所と、研究室の全ての通信手段を最大限に酷使して、全員が手分けして、情報を世界中に送り出したのである。


 培養された酵素は、培養基とともに、これも即座に送り出される。同時に製造法、培養のノウハウの処方書きをファックスとネットで送り続ける。



 

 それから二十四時間、ネバダの研究室は眠りを許されなかった。


 翌日の午前五時になると、送信係りは交替制になったが、ベッドにやっと潜り込めた研究員達も、なかなか眠れなかった。極度の精神の疲労と興奮が、眠りを妨げるのである。


 しかし、疲労困憊していた彼らは、やがてぐっすり眠り込む。

 だが、恵みの眠りは短く、目を真っ赤に腫らしふらふらした仲間に叩き起こされて、TELやファックス機やPCに向かわなくてはならなかった。



 やがて、酵素は一定期間が経つと、自然に分解され、体外に排出されることが確認された。

 また、一度、体内に取り込まれると、人体に免疫ができ、二度の接種は不要となった。ライルが示した酵素とは、そこまで考えられていたのである。


 ミシガン達が、やっと充分な休息の眠りを許された頃、世界中の医療機関は、不眠不休の活動に入っていた。



 ***


 小惑星帯に相対的に停止している調査船にシャフトナーが戻った時、船長が何か怒鳴りまくり、副船長がやれやれとわざとらしい溜め息をついていた。が、彼は全く気にしていなかった。


 すぐに、船室に引っ込んで、異星の宇宙船の中の少年と今後の打ち合わせを始める。

 あれほど楽しみにしていたはずの小惑星帯の調査も、もはや、彼にとってどうでもよいことになっていた。




 調査隊の日程が終了して、数日経ったある日、ルクセンブルク市からだいぶ離れた山の中に、無灯の宇宙船がそっと降り立った。

 船はまったく異質の推力で動くらしく、静かに無音で着地した。

 中から出てきた少年が車に乗りこむと、その船は再び静かに夜の空の中に消えていった。


 それを車の中から見送ったシャフトナーは、助手席に座った栗色の髪の少年に微笑んだ。


「おかえり、フォンベルト。そして、地球にようこそ、ライル」

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