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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第7部 静かな宇宙は悲しみでいっぱい
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未来への約束

 五の章


 銀河中で、様々な状況・現象が収集され、科学者達が夜を徹して研究し、政治家達が連日のように会議を開き続ける中で、情勢は一見、小休止を与えられたかのように平穏な日々が訪れていた。



 ガルドの朱と赤紫と青色の絶妙なコントラストに染まった空の下を、ミーナ・ブルーが軽快な足取りで歩いていた。四十を越え円熟味が加わってさらに美しさに磨きがかかった彼女は、黒い髪の長身の男と腕を組んでいた。


 二人は科学技術省の大きな建物の中に入って行く。勝手知った足取りで、とある部屋の前に立った。ドアは、廊下の壁より一足奥まってついており、ミーナはドアの横の壁の光感センサーに手をかざした。ドアが音もなく滑らかに開かれ、足を中に踏み入れる。

 数人の研究者達が振り向く中で、栗色の髪の青年は気づかぬままに仕事に没頭している。ミーナはその肩へ優しく手を置いた。


 それで、初めて彼は訪問者に気づき顔を上げた。


「久し振りね。ライル」


 黄金の豊かな髪を持つ彼女は、十年の歳月にも係わらず今もって若々しく美しい。ミーナは十年経っても依然青年のままのライルににっこり微笑みかけて、隣にいる鳶色の目の男を紹介した。


「私の夫、エドモンド・ハーレイよ。彼はブルーコンツェルンのガルド支社長なの」


 ライルは目をしばたいた。彼女が結婚したということを、誰も彼に教えてくれなかったのだ。


「そう……。いつ、結婚したんだい?」

「もう、四年になるわ」


 答えるミーナにちらりと寂しげな色が現れて消えた。彼女は六年待ったのだ。そして、ついに諦めたのである。彼女はバリヌール人のように、青年時代を何百年も続ける事はできないのだ。


「そうか。おめでとう。幸せなんだね。良かったよ」

「ええ。ありがとう」


 本来なら恋人になるべきで、ついに為り得なかった二人は、ほんのちょっぴり苦味を加えた微笑を交し合った。

 それを振り払うように、ミーナは華やかに笑って続けた。


「今日は、貴方をここから引っ張り出しに来たのよ。そんなに根を詰めて仕事に掛かりっきりになっていたら、病気になってしまうわ」


 母性的慈愛溢れる微笑をライルに投げかける。彼は困ったように溜め息をついた。彼女と知り合った時から、彼はその微笑には苦手で逆らえなかった。


「君は人の奥さんになっても、まだ、僕の仕事の邪魔をしないではいられないんだね」

「貴方が自分の身体をちっとも顧みないうちは、いつまででも邪魔してあげるわ」

「レジャードームを一つ、借り切ったのです。地球用に調整してあります。きっと、お寛ぎいただけますよ」


 エドモンドも熱心に勧めた。ミーナを熱愛している彼にとって、大科学者、大リザヌールのライル・フォンベルトは雲の上の存在だった。

 ミーナのライルに寄せる変わりなき愛を知っていても、嫉妬する気にはなれなかった。神や太陽に等しい者を敬愛しているからといって、それを咎めることなどどうしてできよう。




 エドモンドの運転で、たちまち彼が借り切ったというドーム型の施設に着いた。レジャードームはガルド第六惑星の呼び物の一つで、観光客なら一度は訪れる場所である。


 第六惑星に全部で七つあるこの施設は、本来ガルドの環境に不適応を示す異星人用として設けられた。完璧な環境調整機能がついており、全館、もしくは一部の部屋を、望みの環境に調えることができるのである。

 長期滞在者はそこで暫しの休息をとることができた。一方、ガルドの若者や観光客達には、ガルドに居ながらにして様々な天体を経験できるレジャー施設として利用されている。



 三重の扉を抜けると、そこは地球だった。地球そのものがここへ移転してきたかのようであった。

 重力、気圧、大気は言うに及ばず、踏みしめた土には緑の草がそよぎ、本物の地球のブナやナラの落葉樹が立ち並んでいた。

 明るい林の細い曲がりくねった道の先には、青い空を映した湖まである。晴れた空には、午後の太陽が暖かい光を振りまき、白い雲の切れ端がのんびりと浮かんでいた。


 全部が全部、本物ではないのだろうが、本当に地球上にいるような錯覚を与えた。エドモンドがドームを丸ごと全て、ライルのために骨身を惜しまず調えてくれたことが解る。


 

 ライルはゆっくりと踏みしめるように小道へ入った。ミーナとエドモンドは彼の邪魔をしないように入口の側に佇む。

 気持ちのよいそよ風が、土や草の香りを運んできた。風に吹かれて葉がさざめき、湖がゆるりと波打っている穏やかな水の音が聞こえてくる。


 十年振りだった。


 ライルははっきりと感じた。

 地球が彼の故郷なのだ。懐かしい彼の故郷なのだ。


 目を閉じて立つと、太陽の日差しが彼を暖かく包み込む。木々や草の気配のなんと優しいことだろう。

 今、彼は地球の中にいる。

 胸の中から熱いものがゆっくりと込み上げてきて、全身に拡がっていった。

 木立ちの間から小鳥がさえずり、湖の上を風が渡っていく。


 十年間、宇宙を一人旅していて、これほど心の奥まで幸福な温みで満たしてくれた世界はなかった。

 どれほど美しく、どれほど素晴らしく、どれほど豊かな世界でも。

 それらは彼の故郷ではないのだ。


 ふと、懐かしい人影が浮かんだ。


「シャフトナー博士……」


 かつて、彼を小惑星地帯から拾い出し、地球で暮らすための基礎を授けてくれ、火星で病死した――いわば、彼の父親のような人だった。


「シャルル。君か?」


 ライルはこんな時でも冷静である。直ぐに誰の仕業か見破った。


「やはり、ばれたか」


 シャルルが湖のほとりに立った。長身のシャルルはいっそう頼もしく落ち着いていたが、秋の空のような青い目は悪戯っぽくにやにやしていた。


「パラ領域の波長で僕に同調させたな。なぜ、博士を僕に見せたのだ?」

「君が会いたがるんじゃないかと思ったんだ。違うかい?」

「……。懐かしいとは思った。でも、僕はそこまで、地球人にはなっていないようだ。それにしても、君とここで逢えるとはな。君は、まだ、宇宙の何処かを飛び回っていると思っていたよ」


 ライルが握手しようと手を差し出して近づくと、シャルルは首を横に振った。


「僕は八千光年離れたリゲルにいる。これは、言わば僕の幻なんだよ。でも、僕の意識は君の側に居る」


 ライルは驚いて立ち止まった。


「君はそこまで到達したのか? それでも、君に会えて嬉しいよ」


 以前、ライルが工夫したパラ領域伝達手段をシャルルなりの形で開発したのだ。実体が遠く離れていても、あたかもその場に居合わせているかのように、自らの意識を運ぶのだ。

 パラ波長を同調させれば、今ライルと話しているように、ほとんど実体であるかのように会話もできる。

 もっとも、これは誰にでもできるものと言うわけではなく、シャルルのように超感覚レベルの発達した者でなくてはこなせなかった。


「ミーナが結婚したのは聞いただろう?」


 ライルが頷くと、ちょっと照れ臭そうに続けた。


「僕も六年になる。本当は、もう親父になっているわけなんだ。勇だってさ。あいつも、本当は二人の子の親父だったんだ」


 二人はしばし、沈黙した。彼らとて、あの災厄に例外ではなかったのだ。

 シャルルは重い気持ちを振り払うように、おどけた声を出した。


「結婚していないのは、チャーリィだけだ。ずっと、女遊びにうつつを抜かしてきたのさ」


 それから、真面目な口調になった。


「あいつは、ずっと待っていた。解るだろ? だから、帰ってきたんだろ? 幸せになってくれ。結婚式をするんだったら、絶対呼んでくれよ」


 ライルはにっこり頷いた。彼らの友情はなんて素晴らしいのだろう。

 シャルルが腕のTELを確認し、名残惜しげに顔を上げた。


「僕はもう戻らなくては。今度逢うときは実体で逢おう。その時には、君が旅してきた色々な世界の話をしてくれよ。楽しみにしているから」

「わかった。さよなら、シャルル」


 シャルルの虚像が消えた。この時、両者ともこれが今生の別れになるような予感を覚えた。

 ライルは戸惑って、湖のほとりに立っていた。


 最後の戦いが迫っていることを感じる。これは、その前に与えられた一時いっときの安らぎの時間なのかもしれない。



 背後に枯れ枝を踏む音を耳にして、振り返る。チャーリィが側に来ていた。ミーナとエドモンドはいつの間にか姿を消している。


「今、シャルルに逢ったよ。元気そうだった」

「そうか。残念だったな。もう少し、早く来れば良かった」


 二人は湖に沿って肩を並べて歩いた。この一瞬一瞬の時間がもっとゆっくり進んでくれればいいのに、とチャーリィは思っていた。


「君も忙しいだろうに、良く出てこれたね」


 ライルがチャーリィに言う。

 チャーリィが答えて言う。


「お前に逢えるチャンスがあれば、天地が引っ繰り返る時でも、飛んでくるさ」


 ライルがふと立ち止まりチャーリィの顔をじっと見つめた。紫色の瞳の凝視に出会って、チャーリィは戸惑った。


「君はいつも僕の側にいてくれたね。辛くてたまらない時も、苦しい時も、君は僕の側にいて、力づけてくれた。僕は、でも、それに気づく事ができなかった。気づいた時は、遅かった」


 チャーリィは半分照れながらも、熱心に伝えた。


「そんなことはないさ。これからでも、十分埋め合わせはできる。それに……俺は……、お前の側にいるだけで、充分だったんだから」


 ライルは視線を外し、湖の向こうの薄もやに煙る木立ちを眺めた。その瞳は時を超えた彼方を見ている、とチャーリィは感じた。


「そうだね」


 ぽつりと、ライルは言葉を重ねた。


「何もかもすっかり終わったら、そうしたら、結婚しよう」


 ちょうど煙草に火をつけようとしていたチャーリィは、何度も失敗した。古いタイプのライターみたいに。

 やっと成功して、ふうっと煙を一息吐く。


「シャルルが何か焚き付けたんだろう。あいつは妙に感が良くて、お節介なんだから。無理しなくていいよ。別に、お前と結婚しなくたって、その、かまわないんだ」


 要は形じゃない。一緒に過ごせる時が持てればいい。でも、ライルがそんなことを言ってきたというだけで、チャーリィは感激していた。


「結婚して……」


 ライルはこだわった。


「僕と君で子供を作ろう」

「ブハッ! ゴホッ!」


 チャーリィは煙草の煙にむせ返った。声を出そうとしてもなかなか出ずに、目に滲みて涙が出た。苦しい咳を続けた後、ようやっと声が出る。


「誰が産むんだ! 男同士で、できるわけないだろっ!」


 ライルはチャーリィを見て、くすりと笑った。久々に見る無邪気な笑いである。


「できるよ。僕は女ではないけれど、男でもないんだよ。忘れないでくれ。バリヌール人は単性なんだ。遺伝子情報さえあれば、子供はいつでも何処ででも作れる。試験管の中でも、人工子宮の中でも。そうだ。僕の体内で育ててみよう。地球人の女みたいに。バリヌール人の体調整能力なら、体内に新しい器官を一時的に作り出すことぐらいならできる。子供が育つ間、それを維持すればいい。不可能じゃない」


 チャーリィは目をぱちくりした。彼の言葉を消化し切れない。

 彼が、彼――ではなく、彼女に? ライルが女性になるのか?――今も半分、女性と言えなくもないが、それはあくまで、チャーリィ限定の女性だ。


 ――きっと凄い美女になるだろう――いや、とんでもない! そんな事になってたまるか!


「お前はそのままでいいよ。ライル。女になることはない。宇宙中がめんくらっちまうよ。それにこれ以上、ライバルを増やしたくもない。でも、嬉しいよ。お前がその気になってくれるなんて。お前が欲しいのなら、子供はガラスの中で育てればいいさ。きっと、素晴らしい子供ができるだろう」


 ――その子は紫の瞳を持つだろう。そして、二人のパパを持つ。


 ライルは知識の面の教育者になるだろうし、俺は人生の様々な事を教えてやれるだろう。

 ミーナが母親代わりを買って出るだろうし、俺達が住む家には、優しい叔父さん顔の勇やシャルルが、年中訪ねて来るに違いない。

 それは、なんて幸せな未来図だろう。


 感激して視線を遠くへ飛ばしているチャーリィを見つめながら、ライルが小さな声で呟いた。


「チャーリィ、約束したよ。全てが終わったら、きっと、僕は君と一緒になる」




 ガルドの世界に群青色の夜が訪れ、地球環境ドームにも夜の帳が下りてきた。二人はブナ林を抜けて、白い木造りの平屋根コテージの前に立った。彼らの為に用意されたものだった。


 ライルが身体をチャーリィの肩に寄せてきた。チャーリィが腕を回すと、甘くしなだれかかる。

 二人が中に入って行くのを見ていたのは、人工の夜空に張り付いた月と星々の輝きだけだった。

ささやかな幸せの時……

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