ライル凶弾に倒れる
ついに、ライルは敵の凶弾に(ブラスターですが)!
酵素体の完成は?
異星の船で眠っていた少年の年齢は13歳だった。だが、もっと幼く見えた。その種族の特徴なのだろう。少し話しただけで、シャフトナーはこの少年がとんでもない知識と頭脳をもっていることにすぐに気づいた。
もっとゆっくり話していたかったが、腕のTELを見てだいぶ時間が経っていることに気づく。あんまり遅いと調査船の連中が心配して、捜索隊を出すかもしれない。
この少年のことを、彼らには秘密にしたほうがいいと、判断する。レオンハルト・フォンベルトの子供を――シャフトナーは、そうだと決めて疑いもしなかった――奴らの手に渡して、めちゃくちゃにさせてはいけない。
シャフトナーは腕のTELを少年に示した。賢い彼はすぐに理解したらしい。船に向かって、幾つか指令を出すと、彼の腕のTELに通話回線が開いた。そこから、無機質な声が出る。
『この周波数を記録するように。地球上では使われていない周波数です。これで、いつでも通話可能です』
「きっと、うまくいくさ」
彼はこちらを見上げてくる人形のような少年に、ウインクして船を後にした。
***
第二会議室では、スタッフ達の熱心な討論をライルは辛抱して聞いていた。彼としては、早く酵素の作成に取り掛かりたくてたまらない。こんな事は時間の無駄だと思っていた。
だが、一方では今までの遣り方ではうまくいかないことも承知していた。試行錯誤を繰り返していけば、そのうちできるだろう。だが、その頃には地球は死に絶えてしまう。どうしたらいい?
「酵素を全く一から作り出すということに、無理があると思うんです。完全な酵素の合成は、まだ成功していないのです」
研究者の一人の発言に、ライルははっとして顔を上げた。
――そうなのか?
バイオ技術を専門としているミシガン博士が意見を述べた。銀髪を短く刈った五十台前半の男で、いかにも研究者という堅物だった。
「既に存在している酵素を使って、組み変えるなどの加工をして作り出せないだろうか。例えば、ヌクレオシターゼのような加水分解酵素は?」
「それだ!」
ライルが突然立ち上がって声を上げたので、皆びっくりして見た。
しかし、ライルは夢中だった。
「どうして気がつかなかったんだろう。ミシガン博士、あなたの言う通りだ。生物体から酵素を抽出すればいい」
ライルは席を回って、ミシガンに握手を求める。感謝や敬意を表す時は、そうするものだと教えられていたのだ。博士はどぎまぎと握手を返す。
ふと、ミーナが嬉しいときはキスしていいのよ、と言っていた事を思い出した。今もその時だろうか?
「あの……。キスしましょうか?」
ミシガンは真っ赤になった。慌てたあまりに、椅子ごとひっくり返る。
「いや、その、気持ちは嬉しいが、わ、わたしは、遠慮しとくよ」
ライルは彼の取り乱した様子に不思議そうに訊いた。
「どうしたのです? 僕は間違った事を言ったのでしょうか?」
「いや、そ、そういうわけじゃないが……」
言いよどむミシガンの代わりに、ギフォードが答えてやった。
「ライル博士、男同士がキスする習慣は、余りポピュラーじゃないのでね。まして、君のようにたいへん美しい青年から言われると、その、誰でも慌ててしまうのだよ」
ライルはまだ納得していなかった。さっきもチャーリィがキスしてきたじゃないか。
首を傾げている美青年に、ギフォードがいささか性急な調子で言った。
「それより、何か解ったようですね。それについて話してください」
ライルは頷くと、今の件はまるでなかったかのように説明し始めた。
彼は当然ながら、酵素の完全な合成しか考えていなかった。だから、他の手段によって酵素を求めるなど、考えてもみなかったのである。
「なるほど、言われてみれば確かにそうですな」
ミシガン博士が盛んに頷く。
「その分裂ポリマーは、蛋白質のペプチド結合を分解して縮合重合しているわけですからな。それを逆手に使う。面白い」
「しかし、ポリマーから酵素を分離するのは、容易ではありませんよ。時間がかかるでしょう」
スタッフの一人から、もっともな意見が出た。
「僕がやります。二時間で取り出します。その酵素に、重合抑制分解酵素の働きができるように修飾するのは、皆さん、手伝ってください。酵素の働きと構造のモデルは、既にPCにデータ化されています。修飾の方法や媒体は、ミシガン博士を中心に進めることができるでしょう。無血清培地の用意も必要です。さあ、始めましょう。今日中に、解決するのです」
ライルの確信に満ちた言葉に、誰も疲れを忘れ、新たな熱意をもって立ち上がった。
時刻は午後五時だった。研究室は活気に溢れて活動を始めた。希望が見えてきたのだ。今度こそ、やれる。
ライルは無菌室に閉じこもり、酵素の分離に掛かった。
それは事実、分裂ポリマー本体の一部であった。ある意味では、ポリマーは酵素体そのものといっても過言ではないのである。
まず、抽出したポリマーに慎重に調合した分離活性剤を与え、結合を弱めてから、遠心分離器にかける。その作業を何度か繰り返すのだが、分解しすぎて酵素自体まで壊してはまずいので、非常に慎重な作業となる。
ライルにしてみれば、それほど難しい作業ではないのだが、切迫した時間が失敗の余裕を許さず、機材の不備が作業の能率を妨げた。
しかし、やがて、小さな抽出器の底に、分解酵素の堆積が静かにもやるまでになった。これから、その塊を電子顕微鏡下で操作しながら、必要な酵素を選り分け取り出さなければならない。
技術と神経の集中がもっとも必要とされるのは、これからなのである。
分離器の作動が終わった頃、研究室では出来上がった培養液をしばらく寝かせて熟成させるところへきていた。
スタッフ達はその間に小休止を取るために席を外す。無菌室を覗いたミシガンは、作業に集中している彼の邪魔をしないように、そっと引っ込んだ。
それで、この時、研究室ホールには机に向かって記録をまとめている研究員が一人残っているだけとなった。
ホールのドアが開いたが、その研究員は注意を払わなかった。スタッフが年中出入りしているので、ドアの開閉に一々気を止めたりしなくなっていた。
ドアから滑り込むように入ってきた小柄な痩せ顔の男は、鋭い目をホール内に走らせると、足音も立てず無菌室へと向かった。
男がドアを開けると、ライルは彼に背を向けて没頭していた。
ドアは微かにきしんだが、それが耳を押さえるほどの大きな音でも、今のライルには聞こえなかったに違いない。その常識外れの集中力が、彼の長所であり短所でもあった。
それは苛々するような細かい作業だった。
分解酵素と増殖置換酵素の連結体がポリマーの本体ともいうべきものであるから、酵素の抽出が不完全で、後で培養される過程で、それがポリマーに成長してしまっては困るのである。
有機化合物は複雑に絡み、連結しあっている。その中から不必要な核や物質を排除し、純粋な酵素分子だけを切り離さねばならない。
彼は背後に忍び寄る気配に気づかなかった。
あと少し。このナトリウム分子を取り除いて。
……完了。
その瞬間、左の背から胸へ、ブラスターの熱線が貫いた。
彼は声もなく突っ伏すように倒れる。
侵入者は入ってきた時と同様に、音も立てずに素早く去った。
電子顕微鏡の前面に突っ伏したライルの身体が傾き、床へとずり落ちる。
大量の血が磨かれた金属の表面に付着し、なおも赤い筋をつけた。倒れ伏した身体から、真っ赤な鮮血が床に広がっていく。
が、倒れた彼の手が痙攣するように床を這い、支えを求めた。
椅子に触れると、その脚に縋って身を起こす。
左胸に無残な穴が開いていた。心臓を直撃されていた。
即死のはず。
しかし、彼は椅子にすがったまま、肩で激しく息を継ぐ。右手を傷口に当て神経をコントロールし始める。
全身がぼっと紫の輝きを発した。
皮膚が陶器のような異質の硬度を持つものに変化した。
出血が止まっていく。傷ついた心臓の動きを止め、それに出入りする動脈と静脈を凍結させる。
応急処置が終わると、紫の妖しい輝きがふっと消えた。
それから、やっとの思いで立ち上がると椅子に座り直した。
震える指で、たった今分離し終わった酵素を顕微鏡の被検走査プレパラートから吸引する。これに不活性処理液を一定量加え、今一度分析器に掛けて確認する。
データが出るまでの間、彼は操作台に両手を突いてしばらく息を整えた。
目がかすんでくるのを堪え、画面の数字を読み取ると、ふっと息を吐いた。
満足するものが手に入ったのである。
彼は血で汚れた白衣を脱ぎ捨て、壁に掛かっている新しい白衣に着替えた。それから、酵素の入っている小さな容器を手に、無菌室を出た。
まだ、時刻は午後六時四十分を過ぎようとしている頃だった。スタッフ達が戻って培養液の最終段階を終えようとしていた。
ライルはミシガンに容器を渡して言った。
「これをK-培養液で増殖してください。酵素体のR-アミノ基と組み替えれば、旨くいくはず……です。組み換えの終わった抑制酵素体はK-培養液で簡単に…ふ…増える…はず……」
息が切れる。ミシガンは相手の顔色の悪さに驚愕し、思わず支えようと手を伸ばした。
「君、真っ青だぞ。気分が悪いんじゃないか? 横になったらどうだ?」
ライルはその手を振り払おうとして、ぐらりとよろめく。手近な椅子に支えを求めて腰を下ろした。
「僕はいい。早く作業に入って!」
彼らしくなくきつい口調で突っぱねる。ミシガンは頷くとスタッフに声を掛け、最終作業に掛かり始めた。
その時、無菌室から叫びが上がった。
部屋に入ったスタッフが、床と顕微鏡装置にべったりと付着している大量の血痕に仰天したのである。そして、脱ぎ捨てられた血だらけの白衣。
ミシガンが振り向いた。ライルの顔色は、紙よりも青かった。
「君、ライル博士?」
だが、彼は返事を返さず、そのまま崩れるように倒れていく。
駆けつけたギフォードやブライアンが彼を抱き起こそうとして、叫びを上げた。
白衣の胸がみるみる朱に染まっていく。
慌てて引き剥がした白衣の下に、無残な銃創。
夥しい真っ赤な血が溢れ出した。




