第八艦隊結成!
第八艦隊…史実では鳥海を旗艦とした軽快な水上打撃部隊であったが、この世界の第八艦隊は遊撃部隊という特殊な性質を持って運用する艦隊である為、急遽新設することとなった。
海軍幕僚学校へ入校した源三郎らは、九ヶ月の教育指導を受けて卒業試験に臨んだ。結果は全員合格。何年振りかの快挙であった。
だが、アメリカの上海事変に対する批判が強まった影響により準臨戦体制に入った。
それに影響してか、本来なら各艦隊等に散らばる筈の三人が新設される一つの艦隊へ集中配属となった。
配属先は、第八艦隊兼第一三偵察戦隊司令部。
第八艦隊は、巡洋艦三隻・駆逐艦五隻・第三五海軍航空隊四個大隊70機の戦力で構成された小規模艦隊である。
源三郎らは、その旗艦である二等巡洋艦鈴谷にその身を預けることとなった。配置は、以下の通りだ。
第八艦隊兼第一三偵察戦隊司令官 旭日宮依子海軍中佐
同艦隊兼同戦隊艦隊幕僚長 山口静巴海軍少佐
同艦隊兼同戦隊旗艦艦長兼幕僚 山塚源三郎海軍少佐
第一三偵察戦隊の陣容は、二等巡洋艦鈴谷・熊野・留萌・駆逐艦秋雲であった。奇しくも、秋雲は横須賀鎮守府から第一三偵察戦隊へ移籍したのだ。
更に、第七駆逐隊(朧・曙・漣・潮)を含むこととなる。
そして、設立から半年が経った時期に新たなる仲間を迎え居ることとなった。
1941年7月11日…
梅雨の時期に珍しい快晴の日、横須賀へ入港する一隻の軍艦が現れた。
「両舷微速!」
その軍艦の艦橋では、源三郎が指揮を執っていた。
「両舷微速、宜候!」
航海士が復唱する。
「…来たか。横須賀に」
艦橋から望む横須賀は、練習航海から何一つ変わってなかった。
いや、一つ変わった場所がある。衣笠山だ。
冬でも緑の生い茂る針葉樹林に包まれた山頂に、やぐらの様に四角く組まれた金属棒。
その付け根部分にあるのは、濁った緑色の迷彩が施され、明瞭には見えない直方体の建物。
源三郎が練習航海の時にはなかったが、衣笠山の山頂付近には試験的に電探施設が建設されていた。
これは、陸海空軍の共同施設であり、初の三軍共同行動でもあった。
それは兎も角して、第八艦隊に新たなる戦力が増強された。
「しかし、でかいな…〝大鳳〟」
黒ずんでいるデッキはラテックスが施されており、そのデッキが眼下に広がる景色はかうて乗っていた駆逐艦秋雲や巡洋艦鈴谷のそれとは比べることも出来ない。
点線と直線が意味を持って伸ばされている飛行甲板、入港の準備を進める水兵たちの姿。
艦に乗っていて人が小さいと感じたのは、いつ以来だろうか?
まあ全長273メートル、排水量は空母の中で最大級の33,000トンだ。空母の中でも過去最大と言える大鳳には、それだけの期待がこめられているのかもしれない。
そしてこの大鳳、世界でも稀に見る、飛行甲板に装甲機能が付与された〝装甲空母〟でもある。同じような艦は、英海軍の〝イラストリアス級航空母艦〟くらいしか存在しない。
もっとも、大鳳はつい先日に竣工したばかりであるが。
〝通信室より艦長へ。鈴谷より入電、第八艦隊司令部を本艦に移設する!以上です〟
艦内から聞こえてくる、伝声管からの声。
「了解した」
そういえば、陸の航空隊も大鳳に移すんだっけな。
忙しくなりそうだ。
その夜、早速大鳳の艦長室で艦魂との親睦会が行われた。
「何で親睦会とか交流会とかって、艦長室が使われるんですかね?」
ベットに腰を下ろして溜め息を吐く源三郎。
「いいではないか!いいではないか!アッハッハッハッ!」
対照的に静巴は大変ご機嫌である。
「静巴さん、羽目を外し過ぎな…」
「ひやああああ!!」
…早速、犠牲者が出た。
「ほれほれ~♪」
「や、止めてください!!」
止めてと言って聞かないのが、静巴さんなので諦めてください。
「ここが良いのかな~?こグフッ!?」
突然、静巴の後頭部に衝撃が走った。
「静巴さん…流石に怒リマスヨ?」
あの般若が源三郎の背後に再び出てきた。
ぎゃあ~!ゆ、許しくれ!源三郎君!!
ソロそロいイ加減にセンカー!
アアアアア!!
尚、艦長室と司令部公室は騒音対策が施されており、内外の音が影響しないようにしてある。故、どんなに叫んでも水兵達は気が付かない。
「やれやれ、静巴さん相手は相当疲れるな」
まあ、大鳳の艦長の任を預かっている身であるからかもしれないけど…
源三郎は、ベットで横たわっている少女に声を掛ける。
「気分はどうだい?大鳳さん」
「ええ、何とか…」
しわ一つない矢絣の御召に胸元から踝までつなぎ目なく一つとなっている紺色の行灯袴。
自ら主張しているような身体のライン(特に胸部)が見える上には、小さな口に大きな瞳が端正な顔立ちを作り出している。
少し赤らめている顔、恥ずかしそうに口を押さえている白い手は、握れば壊れてしまうのではないかと思えるくらい華奢だった。
そう。この少女こそが大鳳の艦魂である。
「まあ、静巴さんは悪い人じゃないよ。ただ…何ていうのかな?接し方が、特殊すぎるんだ。特殊な人物に対してだけだけど…」
「は、はぁ…」
大鳳は、源三郎の苦笑いと弁明に自らも苦笑いしか出来なかった。
こういう時は、〝スキンシップを通り過ぎたセクハラ〟と言えば簡単で伝わるのが早いのだが、そもそもセクハラと言う言葉は1970年代頃に出回ってきた言葉であり、スキンシップに到っては1953年にたまたま作った言葉であったとされている。
故に、源三郎は言葉の選択に対して慎重にならなければならなかった。
「でも、手付きは相当慣れているような感じでした」
いやいや、感心しないで。それ察して静巴さんは増長しちゃうから。
内心、溜め息を吐きつつ静巴の監視…ではなく見守る。
「全く…でも、源三郎と静巴と一緒に居られて私は安心しているわ」
依子は、安堵のため息を吐いて源三郎の隣に座る。
「私もです。あと、士官学校から暖めてきた構想を実行に移せますよ」
「出来たらね。ところで、こんな噂有るのだけれど…」
ん?どんな噂だろう?ギンバイかな?
噂と聞いてくだらないことだろうと思っていたが、依子の口から出て来た言葉はくだらないことどころでは済まされないような内容だった。
「秋雲に、源三郎のことをお兄ちゃんと呼ばしたようね」
「!?」
何で噂になっとるんじゃー!?
源三郎は、気が気でない感覚に襲われた。そりゃ、それを聞いた瞬間の静巴さんの目は、ピカッと光るサーチライトで照らすかのように見つめているのだから。
もちろん、これは秋雲にも同じ状況で、鈴谷にニヤニヤと迫られていた。まあ、ニヤニヤと迫られるぐらいならまだマシな状況だ。
「源三郎君?その話…少し、詳しく説明してくれないかな?」
よろよろと歩きだす。
ええい!迫られたら迫られたで話すまでよ!
源三郎は、静巴に噂について説明した。
説明し終わると、重苦しい雰囲気になる…
「…クッ…フフッ…」
…はずだった。
目元を暗くして如何にも怒ってますよオーラを出していた静巴。だが、説明し終わった途端に静巴が口と腹を押さえて笑いを堪えている。
「アハハハハ!源三郎君も中々やるな!私の変態行為を参考にして、お兄ちゃんと呼ばせるとは!!」
豪快に笑うその姿は、何時も通りの静巴であった。だが、源三郎の目には新鮮に見えた。
ああ。何時も見ているときが長かったから、これが普通なんだと錯覚していたんだな。
一方、秋雲は鈴谷に根掘り葉掘りに聞かれてた。
「ほれほれ~秋雲さんや、言っちまいなよ~」
江戸っ子みたいなガテン系女子代表みたいな少女こと、鈴谷の艦魂が秋雲を弄くり遊ぶ。
「や、止めてくださ…あっそこダメ」
「おっ?ここがええのか?ここがええのか?」
でも、尋問と言うより調教に走りかけているんですがそれは…
因みに、誤解を回避する為に言いますが、鈴谷は静巴の影響を受けておらず、根からこれです。静巴と鈴谷がコンビを組んだら、変態コンビの誕生である。
「鈴谷サーン、ソコマデニシナイト、キャプテン怒リマスヨー」
再び、源三郎の背後に般若が現る。
「あ、キャプテン…こ、これは…」
流石の鈴谷もタジタジであった。
「まあ、本当にそこまでにしときなさい」
流石に、宴の会でそれ以上怒ろうとは考えていないようだ。
「源三郎~」
秋雲が泣きついてきた。
これはこれで可愛いんだが、静巴さんの目線が痛い。マジで。
「…ロリって、良…」
「それ以上はいけませんよ?」
静巴さん、それ犯罪になります。勘弁してください。
今宵の宴は、今までに無い愉快さがあった。
大鳳が戦列に加わってからは、航空機訓練と対空射撃訓練、水上戦闘訓練等やることが山のようにあった。特に、航空機訓練と対空射撃訓練は〝人殺し多聞丸〟に迫ろうとしている。幸い、死人や重傷者が出ていないのは救いである。まあ、鬼の第八艦隊と言われたが…
そして、秋の涼しさがまだ残る10月初頭に大鳳へ来訪者が現れた。
「お待ちしておりました!長谷川総長!」
肩幅広い体格と、角ばった顔に大きな額。
源三郎が、大鳳への乗り込みラッタル前で海軍軍令部総長・長谷川 清中将を出迎えていた。尚、何故長谷川清が台湾総督ではなくて、海軍軍令部総長の地位に就いてるのかと言うと、山本五十六海軍次官と舞機関によって裏工作をした為である。
「うむ。久し振りだね、何時ぐらい経ってるかな?」
長谷川は、出迎えてくれた源三郎の案内で大鳳を見回る。
「三年以上は経ちますね」
1938年8月15日、朝から横須賀鎮守府が騒ぎ立ったことを思い返す。
あの時は散々な目に遭った。初日で拘束されて営倉に放り込まれて…
振り返ると色々遭った三年間だと思う。
そうしている間に、司令部公室の前まで来た。
「失礼します!山塚!長谷川総長を連れて参りました!!」
〝入れ!〟
「はい!失礼します」
「失礼するよ」
源三郎と長谷川が入室してきた。
「長谷川総長、大鳳へようこそ」
依子が歓迎の言葉を述べる。
「うむ。噂に負けず、良い艦だ。早速だが本題に入らせて貰う」
長谷川は椅子に座り、鞄から資料を取り出した。
茶封筒に入っていて中身はまだ分からなかったが、軍機と判子が押してある限り重要なもであろう。
「はい」
依子が椅子に座ると、静巴と源三郎が続いて椅子に座る。
「第八艦隊司令官である君の進言した、遊撃艦隊の有効性を試すべく最初から大仕事になりそうだ」
長谷川は、そう言って依子に資料を手渡す。
「三人が読んだら返すように」
「はい」
資料は、依子・静巴・源三郎の順番で回されて最後の源三郎が長谷川に返した。
「読んで分かる通り、米国や英国との関係が悪化している」
例の上海事変での違反行動の疑いである。アメリカは、これを以って執拗に日本を責め立てて、遂には先日に対日石油禁輸を打ち出した。これは所謂、経済制裁である。
その効果は、〝石油を止められると近代国家は死滅する〟といわれる程、この時代は石油に頼っていたのだ。現代のエネルギー事情からすれば、そんなに変わってないが現代よりもかなり過酷な状況に強いられている状況だ。
「外交努力で、上海駐在部隊の撤退と関税緩和取り止めで迫っては来てるが、アメリカはそう簡単に譲ってくれないだろう」
アメリカが譲らない根拠というのは、日本の経済制裁撤回に対するアメリカの要求内容に有った。
アメリカの要求は、上海駐在部隊の撤退と関税緩和取り止めに加えて南満洲鉄道株式会社のアメリカ資本による株式買収であった。
特に、南満洲鉄道株式会社のアメリカ資本による株式買収は日本と中華国民党の完全なる合意が得られなければ出来ない案件であり、日本だけでどうこうできるものではない。明らかに日本が到底飲めない要求を迫っている。
それに、アメリカは中国大陸の利権を求めているのが明確に出ており、日本もそれに警戒している。
「最悪の場合を想定しておいてくれ」
長谷川のオーラからは、重苦しい空気が感じられた。
「長谷川総長、質問よろしいでしょうか?」
そんなオーラ等気にも留めないかのように、質問の手が挙げられた。
「…静巴中佐は、相変わらず空気と言うのを読もうとしないね。まあ、この場は必要かもしれんが…」
長谷川は、溜め息を吐いて苦笑いをする。
「長谷川総長、それが私です!」
自信満々に答える静巴。もう、この人は自由でいいや。
「では質問ですが、この作戦計画書には〝第八艦隊ハ、ミッドウェーデノ作戦ヲ補佐スルコト〟と書かれておりますが、これは自由裁量と解釈してよろしいでしょうか」
「…解釈次第だ。だが、ミッドウェーは第一機動艦隊第二部隊が担当するので、その補佐すると考えてもらえれば良い。打ち合わせも、そちらの自由にして欲しい。便宜は取り計らう」
つまり、目的さえ守れば好きにしていいということか。
大判振る舞いだな。
その後、簡単な打ち合わせが終了して長谷川を送り届けた。
司令部公室では、ミッドウェーで作戦従事する第一機動艦隊第二部隊をどうやって補佐するか。
「源三郎君!」
「はい」
静巴さんが源三郎を呼ぶ。
「確か、第一機動艦隊第二部隊の命令は、〝ミッドウェー及びそれに加わる敵増援への攻撃を目的〟と書いてあったな?」
「はい。ミッドウェー島への攻撃と同島への敵増援の撃破ですね。二つを攻撃するわけですから、それを補佐する役回りがこちらに回ってきた訳です」
第一機動艦隊第二部隊は、蒼龍・飛龍を主幹とした機動部隊で、指揮官は〝人殺し多聞丸〟でお馴染みの山口多門海軍少将である。
うん。あの指揮官と共同戦線張るってことは嬉しいことこの上ないけど…
1941年11月26日…
この日は空が曇っていた。
この時期から寒くなるから晴れて欲しいな、とぼやきながらそれを見つめる。
その時、源三郎に電文が届いた。
電文を見た源三郎は、直ぐに依子と静巴を呼んで戦闘艦橋の奥にある海図室へと入る。
「依子さん、静巴さん…アメリカがハルノートを突きつけました」
そして、詳細電文にはハルノートの内容が書かれていた。
〝一、上海駐在部隊の撤退
二、関税緩和取り止め
三、南満洲鉄道株式会社の米国資本による株式買収
四、満洲地方の門戸開放
五、朝鮮半島の開放〟
他にもあるが、主要な項目のみ伝えられた。
佐官クラスとは言え、海軍は政治に関らないのは周知の通りだ。
だが、電文が届いたということは、今後の行動を考えろ、という意味がこめられているのだろう。
「やはりか…」
「はい…」
静巴と源三郎は、冷静で諦観していた。だが、依子はそんな二人をおかしいと感じた。まるで、最初からそうであったかのように…
「ねえ、静巴、源三郎」
「何かな?」
「何ですか?」
普通に反応を返してくるあたり、あまりにも驚きがなかった。
「このハルノートって、分かり切っていたことなの?」
依子は、恐る恐る聞いてみた。
「まあ、アメリカが強硬姿勢を露にしてきましたから、もうトドメの一手があっても…」
源三郎は、それなりの理由を示してくれた。確かに、アメリカの強硬姿勢からしてその推測は正しい。
だが、静巴はとんでもない発言をする。
「まあ、未来から来れば大体アメリカさんのやりたいことはお見通しだがな!」
依子は、静巴の発言に動揺した。
…え?未来?お見通し?
「静巴さん!それは、まだ依子さんには言ってませんよ!!」
「あ、ああ!しまった!」
え?源三郎も?まさか…まさか…!
「この時代の人間では無いと言うの…」
う、嘘…嘘よ!こ、これは…
「嘘…嘘よね?まさか…」
御願い。嘘だと言って!
だが、その願いは意外な人物によって打ち砕かれる。
「残念ながら…私と静巴さんのことを知っているのは、長谷川総長、鬼河鉄雄さん、戦艦三笠。鬼河さんに到っては、鬼河さんも…未来から来ているんですよ。私の兄の上官でしたから知っているんです」
「源三郎…」
依子は、源三郎に打ち砕かれて意識を失った。
「ん…んん…はっ!」
依子は、意識を取り戻して起き上がる。
「依子さん、まだ安静にしてください」
源三郎が額のタオルを代えていた。
「ッ!!」
依子は、源三郎の手首を掴んで睨みつけた。
だが、それでも源三郎は冷静だった。まるで、そのことまで予測していたかのように…
「依子さん、これは…」
「何でよ!!」
依子は源三郎の頬を平手打ちした。部屋に木霊する。
源三郎は、空いている左手で叩かれた頬をさする。
「何で…何で教えてくれなかったの…」
心から悲痛な声に、掛ける言葉は見付からなかった。
「士官学校に入学して、初めて仲間が出来たと思った。何でも打ち明けることの出来る、本当の仲間だと…」
「それは…」
源三郎には言葉に出来なかった。未だ掴まれている手首からは、裏切られたのではないかと疑心暗鬼な感情が入って来たような気がしたからだ。
「…すみません。でも、言えなかったのは事実です。そして、信じてもらえるかもこっちとしては確信が持てなかった」
「…そう。裏切ろうとは…」
「そんなことは思っちゃいない!!」
源三郎の叫びに、依子は心打たれたかのように身体を震わせた。
「俺は、静巴さんと一緒にこの世界、この時代に巻き込まれたです。どうしてそうなったか、私にも静巴さんにも分かりません。でも!こうなった以上、身を隠しつつ悲惨な歴史を変えようと意識したんです!」
「…そんなに悲惨なの?」
依子は、恐る恐る聞く。
「…ええ、アメリカとの戦闘で日本人、軍民合わせて300万人以上が戦火に命を落としています」
「300万人…」
覚悟して聞いたが、予想以上に数が大きかったようだ。
「しかも、一発で都市一つを破壊出来る原子爆弾が二つも投下されました。もう日本は瀕死の状態であるにも関らずです!!」
「一発で都市一つが…」
「あっ…」
源三郎は、言い過ぎたかと思って深呼吸をした。
次々に未来のこと、しかも太平洋戦争のことを聞かされても想像がつかないであろう。
「…その、爆弾による被害は?」
だが、依子は受け入れようと必死に狂いそうな自分を抑えつつ質問をする。
「広島で14万人、長崎は…7万人だったかな」
「合わせて二発で21万人…」
気が狂いそうになった。
「依子さん…」
源三郎が後ろから依子を優しく抱き締める。
「依子さん、あなたに言えなかった理由はこれだけではありません。でも、これも理由の一つです。何も起こっていないのに、結果を言われてしかも負けたなんて…」
「確かに、言い辛いわね」
依子も例外なく、源三郎の言った原子爆弾を信じられなかった。被害の規模もそうだが、民間人の地域でさえ攻撃するのかと…
「私は、この悲惨な歴史を変えようと心に抱いてここまで来ました。静巴さんも同じです」
「…そう」
依子は目を瞑った。そこから、一粒の涙が零れた。
裏切られたなんて勘違いして…私、バカみたい…
11月28日・空母大鳳
第八艦隊は、連合艦隊司令部より承った南方作戦に則って横須賀を出港する。
「司令官、奇襲中止符丁が来ることを期待したいですね」
源三郎は、依子に声を掛ける。
「そうね、山本海軍次官の言葉を借りれば〝百年兵を養うは、ただ平和を護る為である〟だから…」
ある日、山本海軍次官が大鳳を見学した時に語った言葉だった。
結局、軍隊は平時も戦時も平和の為に抑止力となるのが使命なのだ。決して、自ら戦火を作り出してはならないのだ。
「司令官!全艦浦賀水道を通過。第一種警戒隊形に移行します」
「うむ。良いだろう」
依子は、静巴に促されてマイクを手に取る。
「司令官の旭日宮。艦隊、第一種警戒隊形に移行せよ。繰り返す、第一種警戒隊形に移行せよ。我々は、これから一ヶ月の無寄港演習を行う。だが、訓練と言って侮ることなかれ。気を引き締めてかかれ。以上」
マイクを戻す。
表向きは演習であるが、これは明らかな偽装である。だが、作戦自体を極秘としているので何の疑いもなく、一部を除く艦隊全員が演習なのだと思っている。
だが、これから行くのは険しく困難な道のりだ。乗り越えられるか分からない。
それでも、やらなければならないのだ。国や国民を護る為に…