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秋雲、初実動です!

 上海事変…共産党が国民党直轄の国際共同租界・上海を攻撃したことに起因する。本来ならば各国駐在部隊が対処するのだが、予想以上に攻勢が強く戦力増強を迫られる事態となった。在比島米軍が対処すべきだったが、英仏伊等は日本に軍隊派遣を求めた。これにより、日米関係悪化の一因が生まれてしまった。

「〝標的〟!方位020!距離6000m!!28ノットで南進中!」

 駆逐艦秋雲の魚雷発射管周りに怒号が響く。

「およそ距離5000で発射か…」

 緊張感が走る中、源三郎は魚雷制御室にある制御盤と呼ばれる装置と向き合っていた。

 錆止め用にグレーで塗られた奥行きのある箱に、真新しいシルバーのスイッチや黒い色をしたダイヤルが並べられている。これが秋雲の魚雷発射制御盤だ。

 制御盤の測距レンズに映って見えるのは、白い雲と蒼い大空をバックに一隻の軍艦。

 川内型二等巡洋艦のネームシップ、川内だ。名前は5500トン級軽巡洋艦と同じだが、世界が変われば何とやらでその実態は全くの別物である。

 まず、主砲が14cm単装砲7門から15.5cm三連装砲9門へと大幅に火力が向上していた。魚雷は口径こそ同じ61cmだが魚雷発射管が8門から12門へ増強されており、高角砲も8cm2門から12.7cmの大口径化に8門まで増大している。

 勿論艦形も変わっており、代償としてトップスピードは33ktを切ってしまったが、そんなものは誤差範囲だと言わんばかりの風格を見せている。

 対して、源三郎が乗艦している秋雲は格下の駆逐艦だ。

 そもそも、駆逐艦の本来の名称は「水雷艇駆逐艦」。あの素早い水雷艇を追いまわせるだけの機動力を持つ艦種だが、さすがに足だけで軽巡洋艦と正面からやりあうには分が悪い。

 だが諦めるにも気が早い。艦では劣っていても、それを動かしているのは人間だ。

 ことに秋雲(こいつ)の乗員には駆逐艦慣れした猛者どもが名を連ねており、軽巡どころか戦艦にすら勝てるくらいの根性が備わっている。

 ギリギリの接戦になったとき、最後にものを言うのは人間の力、マンパワーなのだ。

〝標的より弾着三!両舷に夾叉されました!〟

 おっと、そうやって呑気にしている場合ではなかったな。

 因みに、川内から撃ちこまれた回数はこれで三回目だ。一回目は遠くで、二回目は近くで砲弾を着弾させている。

 聞けば真面目な少佐が川内の艦長をやっているようだ。教科書通りの砲撃手順から見てもそれが頷ける。

 次からは確実に当ててくるだろうな。

「1番2番、発射角270度!」

 この世代の駆逐艦なら、砲塔や発射管の旋回動力には圧縮空気を用いている。

 だが、シュー…シュコーという空気の音ではなく、ウイーンと音を立てて前方後方4連装魚雷発射管が左を向いた。

 秋雲では大型モーターのテストを兼ね、主砲塔や発射管の旋回動力が電動となっているのだ。

 当然、電動旋回装置の扱いなど誰もやったことがない。

 そこで術科学校から卒業したてのエリート、つまり源三郎に白羽の矢が立ったわけである。

 よく言えば先任者、悪く言えば人柱なわけだ。どちらにせよ、電動モーターの扱いなど朝飯前だ。

「え~と今5500だから…」

 雷速と航走時間の早見表とにらめっこをする源三郎。

 ええい!考えるだけ面倒くさい!

「雷速50!調停深度10に設定!信管調停やや鈍感!!」

「了解!」

 制御盤(こいつ)で、雷速と深度設定…あと信管調停ができないもんかなと嘆く。

 と言ってもないものはないのだ。今ある装備でやるしかないのが現実だ。

「魚雷1番2番!準備よし!」

 今度は、制御盤の照準器を覗き込む。

 レティクルのラインが交差するポイントに、背負い式となっている川内の前部砲塔を捉えた。威風堂々と航行する、軽巡洋艦川内の姿である。

〝急速転舵!取舵一杯!〟

「…はい?」

 思わず声を漏らしてしまった。

 身体が後ろにある背もたれへ押し付けられ、背中に硬い感触を覚える。艦長が下した命令の意味を必死に考える。

 絶好の射点を得ておいて、ここで転舵だと?

 角度こそ最高とは言い難いが、十分に接近できたことと相手の斉射が始まろうとしていることを考えれば、今ここでの発射のタイミングがベストなはずだ。

 まさか、別の射点があると?

〝標的、針路変更中! 面舵を切ります!〟

〝本艦針路、0度に設定!〟

 照準器を介して見える川内が、ゆっくりと艦首を左に向けているのが分かった。

〝魚雷発射30秒前! 雷撃用意!〟

 そして、唐突にきた発射予告で我に返り、右手の人差し指を発射スイッチに置く。

 距離はおおよそ4000か。

〝発射10秒前!〟

〝標的より弾着!艦尾に被弾!火災発生!〟

〝消火急げー!〟

 甲板を走っていく、硬い靴の音。

 伝令管からは聞き取る余裕も無いほどの命令が飛び交っていた。

 3番弾庫に火災発生!

 3番主砲の弾薬庫へ注水!

 機械室に浸水発生!

 隔壁閉鎖!防水措置を取れ!

 甲板にて負傷者多数!

 衛生兵はいるか!?応急手当急げ!

 その中で一つの言葉を待つ。自分にくるであろう、たった一つの命令…

〝1番、魚雷発射!〟

「魚雷発射!」

 艦長の低い声に復唱を重ねつつ、右手人差し指を押し上げた。

 カチッという僅かな音。

 同時に艦が小さく揺れ、バシュッ!という圧縮空気の排出音と共に4本の酸素魚雷が飛び出していった。

 九三式酸素魚雷、帝国海軍の誇る必殺兵器だ。

 4本の魚雷は派手な水飛沫を上げながら海中へ落下すると、二重反転式プロペラを鋭く回転させて加速力を得ていく。

 深度調整機構が作動、酸素混合比率の上昇。

 程なく50ノットという高速に達した魚雷たちは、自身の食い破るべき隔壁を目指して獰猛どうもうしゃちのように水面下10メートルの海中を驀進ばくしんしていく。

「魚雷発射よし!到達まで2分30秒!」

 左手で時間計測用の時計をスタートさせた。

〝針路固定、0度!機関出力一杯!〟

 はあ?この状況で直進!?

 ありえない艦長の命令に、驚きを隠せない。

 いくら高速の駆逐艦とはいえ、ただの直進航行など自殺行為も甚だしい。

 一体うちの艦長は何を考えているのか…

〝標的からの砲撃、艦首に弾着1!〟

〝艦首部分の乗員は、水密防壁を閉鎖し退避せよ!〟

〝1番弾薬庫付近で火災発生!〟

〝弾薬庫に注水!手空き要員は消火にあたれ!〟

 酷いやられようだ…

 駆逐艦においてはわずかな被害が命取りになるのだ。被害へ対応していくことは重要であるが、それ以前に被害を受けないようにする発想はあるはずなのだが…

 ま、こうなっては仕方ない。自分の仕事を全うするしかない。

「魚雷命中の予定時刻まで、あと10秒!」

 秒針が2分30秒へ差し掛かりつつあった。


「……ということで、演習は以上だ」

 そこで艦長は言葉を切ると、白い歯を見せニカッと笑った。

 それを視点に、副長から航海長へ、航海長から砲術長へ、更に機関長へ水雷長へ…。薄暗くてあまり広くない艦橋に集まった士官たちに、次々と笑顔が伝染していった。

「川内相手に命中判定を出すことができたのは大きかったな」

「しかし艦長、直進は無謀だったと思いますよ?」

 機関長のたしなめるような声に、艦長は笑いながら返した。

「あれも作戦の内だ。ちょっと舵を切らなかった程度で、本艦に砲弾は当たらんよ」

「そうですか。では当たったら艦長の奢りで日向茶屋にでも行きましょうかね」

「そりゃあいい、アハハハ」

 機関長の言葉に、艦橋にはまた笑い声が響き渡った。

 日向茶屋とは浦賀にある高級料亭である。全乗員の分を奢ろうものなら…いくらあっても足りないだろう。

「今日は、訓練用魚雷を用いた初の実戦演習であったが、みんなよくやってくれた」

 そう演習だ。今日の訓練は海上で軽巡洋艦の川内と一対一でやりあうという内容で、想定は「海上航路の警備を実施中に、敵軽巡洋艦と遭遇したもの」らしい。

 一体誰が考えたんだよ、こんな鬼畜演習。

 普通に考えて、駆逐艦が軽巡と単艦でやりあうこと自体がおかしい。俺が艦長なら、位置だけ通報して逃げ出しているレベルだ。

「特に水雷士である山塚少尉が頑張ってくれた。礼を言うぞ」

「いいえ。艦長こそ見事な操艦術でした」

 目を合わせ、きっちりと本音を返した。

 最初の面舵は、魚雷発射と見せかけるためのブラフ。それにまんまと引っかかり舵を戻した川内に、今度は本命の魚雷を発射したというわけだ。

 そして、それを露見させないためにわざわざリスクを犯して直進航行までするとは…

 味方である俺でさえも欺かれた。だが、世の中にはこんな言葉がある。

〝敵を欺くには、先ず味方から〟

 ただやっぱり直進は無謀だと思うんだけどなぁ…


 こうして秋雲は、第四水雷戦隊旗艦付きという形で第四水雷戦隊へ配属され、乗員の慣熟と錬度向上を兼ねた演習に日々明け暮れていた。

「ふう…水雷戦訓練はやっぱり楽じゃないな」

 艦首方向に見えるのは、先導するように艦尾を向けている川内だ。夕焼けでオレンジ色に染まる海面。

 演習に熱中していると時が経つのが早く感じる。もう腕時計は午後5時を回っていた。

 魚雷発射管に背を預けて、ポシュン!と音を立ててラムネを開ける。

「全くも~無茶苦茶だよ?」

 秋雲がヒョコッと顔を出してきて、源三郎の元へ寄り添う。

 お前は餌に寄ってくる(こい)かよ。

「そりゃ艦長が俺らまで欺いてやってるんだ。無茶苦茶もいいところだよ」

 ほらよ。

 何処から出て来たのか分からないが、背中からラムネを取り出して秋雲に渡した。

「ありがと。いや、欺く云々じゃなくて…」

 秋雲は、貰ったラムネを飲みつつ額を押さえて黒い渦巻きを発生させる。

 今日も駆逐艦秋雲は平和です。


 一方、国際共同租界都市である上海はそれどころではなかった。

「おい!こっちに弾薬持ってきてくれ!」

 上海に駐在している英国陸軍の兵曹長が部下に指示を出す。

 土嚢を盾に機関銃から火を吹かせる。火を吹いて飛び出した銃弾は、敵の体を突き抜けて敵の進行を阻む。

「第三六中隊は市民の避難を誘導しろ!急げ!!」

 同じく、上海に駐在している仏陸軍のベテラン中尉はほぼ無防備な民間人を戦場から遠ざけようと避難活動を指揮している。

「全く!アカは見境無く攻撃するのか!?」

 共産党め!

 1939年10月10日、中華共産党は宣戦布告を抜きにして上海を攻撃する。これが上海事変の勃発である。

「何だあいつら!数が多過ぎるぞ!!」

 レバーを引いて銃弾を撒き散らしつつ、愚痴を叫ぶ英国兵士。

「おい!左の弾幕薄いぞ!!」

 圧倒的な中華共産党の兵力に対して、この先は行かせまいと果敢に防戦を繰り広げている。

「このヤロウ…」

 この日、上海の1/5が中華共産党に占領されてしまった。

 共同租界防衛司令官は、列強と友好的な関係で中華国民党を指揮する蒋介石に応援を要請した。

 だが、回答はノーであった。中華国民党も、中華共産党の攻撃を受け少しずつ押しているのが精一杯であった。

 それでも諦めず、司令官は共同租界の被租界先である英仏蘭等の欧州諸国に応援を要請した。しかし、これも回答はノー。

 ドイツがポーランドへ侵攻、ソ連と独ソ不可侵条約締結により欧州各国は疑心と警戒がまかり通り上海事変に構ってられなかった。

 対応を迫られた共同租界防衛隊は八方塞がりに陥りつつあった。

「こうなったら、アメリカの在フィリピン米軍に応援を要請するしかないか…」

 だが、最後の頼みはとんでもなかった。とても実戦投入は不可能な状況だった。あまつさえ、フィリピン国防省でさえ業務開始が出来ていない。

「一体、どうすれば…」

 司令官は頭を抱えた。これでは一週間経たずに上海が占領されてしまう。

 その時、連絡将校が慌てて司令官公室へ駆け込んだ。

「司令官!蒋介石より打診が来ました!」

「何が打診だ!自分の所が手一杯と抜かしておいて…」

「蒋介石の仲介で日本軍に応援を求めるというのものです!」

 司令官は、日本軍という言葉に耳をピクリと動かした。

「日本軍か…だが、動いてくれるか?あいつらは、ヤンキーの思惑を知ってヤンキー第一の条約を蹴ったんだぞ。全く、妥協出来ていればいいものを…」

「何でも蒋介石が日本軍の応援に必要な取り計らいを、中華国民党全負担で交渉するそうです!」

 司令官は天井を仰いだ。

「…最後の頼みか。蒋介石に伝えてくれ…貴殿の成功を祈る、と」

「了解しました!」

 連絡将校は、駆け足で司令官公室を出て行く。

「日本…あの国ならこの状況を打開してくれるのだろうか…」


 13日、日本は欧州及び中華国民党からの要請を受けて上海へ出兵を決定した。

 海軍から派遣されるのは、重巡洋艦の高雄と愛宕、軽巡洋艦の川内、そして駆逐艦として源三郎の乗る秋雲だ。4隻には陸軍から鎮圧目的の陸戦隊という名目で、1個から2個小隊が乗ってくるらしい。

 その秋雲では、実弾頭の積込と給油作業が行われていた。

 10センチ砲弾、弾種は榴弾を多め。赤い弾頭色が施された九三式酸素魚雷が16本。20ミリ機銃弾の弾薬木箱が多数。

 埠頭からはうねるようにして伸ばされた黒い給油ホースが、秋雲の船体へと重油を送り届けているのが分かる。

 そして、埠頭には便乗員として分乗する陸軍一個分隊が並んでいおり、秋雲の艦長から訓示を受けていた。

「二週間余りで実戦投入か」

 まあ、秋月よりかマシかな?竣工予定繰り上げられた挙句、直ぐに護衛任務負わされたからな。

「水雷士!魚雷の積み込み作業が終了しました!」

「おう!第二空気(酸素)発生器の動作確認も忘れるなよ!」

 源三郎は水兵に叫ぶと、カンカンとリズミカルな足音を立てて艦内へと入っていく。

 向かったのはガンルーム(第一士官次室)。積み込み作業みたいな雑用は士官より下士官兵の方が手馴れているし、甲板にいても邪魔なだけだ。

  補給作業の妨げにならないよう、自分なりに配慮しているつもりらしい。

 ガンルームとは、「何時でも戦闘位置につけるように砲のそばで寝起する場所」が起因で、この時代になると若い学校出の士官(中尉・少尉)が休憩や食事をする憩いの場として変化している。

「さて、羊羹でも食うか」

 尚、定期的に甘味費で購入している羊羹は菊蔵の両親が営んでいる和菓子屋の羊羹だったりする。

 ガンルームのドアを開けて中に入る。

「あれ?」

 俺は目を疑った。目の前にいる奴は誰だ?どっかで見覚えあるぞ?

 黒と灰色を基調とした迷彩服に、陸軍少尉の肩章。腰には、最近支給された九九式自動拳銃をぶら下げている。

 見惚れるような美しい顔とは対照的に、陸軍のど真ん中で指揮官をしていそうな男性にすら見えるその服装は…

「ん?源三郎じゃない!」

「ゆ、百合子!?百合子か!」

 士官学校を卒業して以来の松本百合子がそこに居たのだ。

「陸軍へ行ったのは知ってたけど、歩兵部隊に居たのか」

「まあね。半年間、陸軍歩兵学校と遊撃師団を行ったり来たりでね」

 ん?遊撃師団?聞いたことねぇな?

「あ、遊撃師団は新設された陸軍師団よ。市街地や強襲での戦闘に特化した部隊で、従来の師団とは違う戦い方を得意としているのよ」

 説明乙。なるほど、市街地系の戦闘服で暗い色を使うのか…

「市街地戦は、民間人も混じることあるから見分けが必要なのよ」

 百合子は、羊羹をかじりながら説明する。

 しかし、口調といい、美味しそうに羊羹を口にする仕草といい、結構乙女っぽくなったな~

 いや待て、俺の羊羹を勝手に食うんじゃない。

「美味しいわね。何処のかしら?」

「水雷学校の同期の両親さんがやってる和菓子屋からだよ」

 食べたものを返してくれるはずが無いと考え、諦めたような口調で返答した。

「へぇ?今度、買い付けようかしら」

 ご満悦のようだ。菊蔵が喜びそうだな。

「それはよかった。ところで、今上海の状況は?」

「やはり気になるのね…」

 百合子が羊羹を皿に置いて表情を堅くする。

「正直言って、芳しくない状況と聞いている。なんとか食い止めているけれど、もう三割は占領されているらしい」

 百合子の言葉は重かった。無理も無いが、租界の防衛隊はかなり逼迫した状況にある。

「そうか。でも、先遣隊とは言え一個小隊と聞いて焼け石に水じゃないかって、素人なりに思うんだが…」

 噂だと、共産党が上海に差し向けた兵力は一個師団だというが…

「なに、後から〝適正な戦力〟を増援するから大丈夫よ。あと静巴から預かり物よ」

 静巴さんから?

 旅行用のキャリーバッグ、あれを二つ並べたものより大きな木箱を取り出…いや置いた百合子。

「ありがとう。中身は…」

 木箱の蓋を開ける。

 黒光る光沢。そして、それは…

 うん。此処で開けて良い代物じゃねぇな。

「中身は確認出来たか?」

「…嗚呼。混乱する程にね」


 14日未明、上海沖80海里――

「まだですね」

「まだだね」

 旗艦である高雄が中華国民党と連絡を取り、入港して陸戦隊を展開する。

 …はずなのだが、どうも連絡が返ってこないらしい。

 おかげで潮風吹きさらす海上で待機せざるをえない状況だ。いくら10月といえども、この緯度の風は寒く感じる。

「それより、水雷長は大丈夫かな?食あたりって聞いたけど…」

 この時にいたり、源三郎の直属の上官である水雷長が腹痛で戦闘指揮を取れる状態ではなかった。水雷屋の役回りはないだろうと、艦長の一声で水雷士である源三郎が水雷長代理として水雷長業務に勤めている。

「どうせ、ギンバイした食い物が悪かったんでしょう」

「アハハ、そいつはお気の毒って奴だな」

 ギンバイとは、食べ物にたかる銀蠅(ぎんばえ)のように食べ物をかっぱらう行為。その中でも牛缶やオニオンスライス、日本酒等の様々な嗜好品が主なギンバイのターゲットだ。

「でも、あの様子を見る限りは生もの…」

「まあ、〝あたり〟のオニオンスライスだと思いますよ」

 ここで言う〝あたり〟は、食あたりのあたりだ。

「…まさか」

「少尉は、まだ我ら水雷科全員から好意の目で見てますから大丈夫ですよ?」

 アッハイ…

 士官と下士官兵士のやり取りは、色々と闇が多いようである。

「今度は、日本酒で〝あた〟らないよう気をつけるよ」

「少尉は日毎に人変えて分け与えてるでしょ?」

 それは、お互い様って奴よ。

 ヒュウっと潮風が吹いてきた。酒が恋しい…


 太陽が昇り始めた頃、ようやく待ちわびた中華国民党から連絡が入った。艦隊は航行を再開し、上海に向かって進路を取る。

「…以上が中華国民党からの要望だ。それと、国民党の敵である中華共産党だが、巡洋艦らしき艦船を保有しているらしく此方に向かっているとの情報だ。気を引き締めて掛かってくれ」

「はい!」

 艦長の訓示を聞いた各科長は、各持ち場へ戻るべく会議室を出る。

「おい!山塚!」

 後ろから通信室から源三郎を招く声が響く。

「はい。なんでしょうか?」

「山塚宛に電文二通だ」

 え?誰から?

 源三郎は訝りながらも電文の中身を見る。

〝イ・マ・ス・グ・ア・イ・タ・イ・ゾ・イ・ト・シ・ノ・シ・ズ・ハ・ヨ・リ〟(今直ぐ会いたいぞ愛しの静巴より)

「…こんな時に何電文送り付けてるんですか静巴さん!」

 ア~頭痛イナ~

 頭を悩ませつつもう一通の電文を見る。

〝シ・ズ・ハ・ガ・ウ・ル・サ・イ・ナ・ン・ト・カ・シ・テ・オ・ク・レ・ヨ・リ・コ〟(静巴が煩い何とかしておくれ依子)

「この人もこの人で大変な思いしてるな…」

「どうする?」

「…私が直接打ちますわ」

 胸ポケットに電文の用紙を押し込み、通信室の扉を開けた。

 貴官に処理を任せる、とでも打っておこうかな。

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