【さんしょう】 まおうのせいかつ
それから“3か月後”。
ガサリ
目の前の草むらが揺れた。
(来る……)
高良は1度深呼吸して、手に握った破魔の木刀――通販特別価格1万レン(1レン=1.3円)――の握りを確認した。
次の瞬間、壮大な鳴き声と共に、草むらから1頭、2頭、3頭、と次々とイノシシが飛び出してきた。
「魔王様!」
「任せとけ!」
イノシシは、まっすぐ高良目指して突っ込んでくる。
普通なら及び腰になろうイノシシの突進だが、さすがに“数をこなして”くれば慣れた。
「1つ!」
避け様に先頭のイノシシの眉間を木刀で打った。
「2つ!」
続けざまに後続のイノシシの眉間狙って木刀を繰り出す。
その流れるような様はまるで古の剣豪のごとく。
「ラスト!」
3頭目のイノシシを倒すと、止めていた呼吸を吐き出す。
「さすが魔王様! これで畑は守られましたな!」
諸手を挙げてすり寄ってくるバトラーだったが、今度は畑を挟んで逆側の草むらがガサガサと揺れる。
「新手か!」
高良が言うが早いが、草むらから5頭のイノシシが飛び出してきた。
高良は舌打ちしたい気分になった。
先の3頭は囮だったらしい。
畑を挟んで10メートルは離れた位置だ。向かうころには畑は無残に荒らされるだろう。
見事敵の計略にはまってしまった。
だがむざむざと畑を荒らされるわけにはいかない。
「Credit! 1レン銀貨……シュート!!」
右手を大きく振りかぶり、投球フォーム。
右手に握られた銀貨が弾丸のように飛び、先頭のイノシシの眉間にヒット。悲鳴をあげ、先頭のイノシシは倒れた。
「おぉ!」
「まだまだ、Credit! 4レン銀貨……シュート、シュート、シュート、シュート!!」
再度右のオーバースロー、返す刀で左のアンダースロー、次いで右のサイドスロー、止めと左のオーバースローで銀貨が飛ぶ。
ピギャア!!
イノシシが次々と倒れていく。
「さすが魔王様!」
「いや、まだだ。この戦略、アタマがいるぞ!」
高良は畑の近くに移動する。これでどこから来ても対応ができる。
そこで、大地を揺るがす地鳴りが高良を襲った。
『オノレェェ!!』
鼓膜を震わす咆哮。
現れたのは今までのと3倍は大きいだろう巨大イノシシ。
立派な2本の牙をもち、風格が漂っている。
『ヨクモ我ガ息子タチヲ!!』
「出やがったか。喋るイノシシたぁさすがファンタジー。なんでもありだな!」
木刀を肩に、高良は巨大イノシシに向かう。
『大人シク食物ヲヨコセ!!』
「俺の精魂込めた畑ちゃんを、タダで荒らされるわけにゃいかねーんだよ!」
振りかぶった木刀を、跳躍と共に打ち込む。
だが、
『フンッ!』
巨大イノシシの牙に弾かれ、真っ二つに木刀が折れた。
「な、あぁ!! 通販価格1万レン(税込)の高級木刀が!!」
「ま、魔王様! 前!」
バトラーの忠告に高良は目を見開く。
巨大イノシシの牙が高良を貫こうと突っ込んできた。
「くっ!」
身は空中。避けられない。
「なら――Credit&Transport! 2万レン、破魔の木刀ロングサイズ!」
高良の右手が光る。
一瞬後には先ほどの木刀――より2倍は長い棒が握られていた。
これが高良の魔法だった。
Creditと叫ぶことで、代金と引き換えに商品を手にすることができる。
またTransportと付け加えると、直送料金は取られるが、手元にすぐ届くのだ。
「リーチが長い方が勝つ!」
叫び、高良は棒を巨大イノシシの眉間狙って突き出す。
いくら巨大なイノシシでも牙が数メートルあるわけではない。
棒のリーチには敵わず、ましてやカウンターで急所にくらい、巨大イノシシは白目を剥いて昏倒した。
「この俺の畑を争うなんて百と37年くらい早い」
地面に降り立った高良は棒を回して得意げに言い放った。
それから数分後。
『グッ、ワレワレハナニヲ食ベテイケバ……』
気絶したイノシシたちは、高良により畑から離れた場所に集められていた。
「ふーんだ。魔王様の畑を荒らそうったってそうはいかんぞ。今度という今度は丸焼きにして食料にしてやるぞー」
意地悪くイノシシを驚かすバトラーだったが、高良は何かを考え込んでいたが、
「……ちょっと待ってろ」
そう言って、高良は小屋に引っ込んだ。
待つこと数分。
「これやる」
両手に抱えた大きなかごを、イノシシたちの前に置く。
キャベツやらトマトやら野菜の盛り合わせだった。
イノシシたちは訳も分からず、目を点にしていたが、
『イイノカ?』
「畑荒らさなきゃ、こんぐらいいいさ」
「ま、ま、魔王様!? それは我々の貴重な財産ですぞ! 明日、街に売りに行く予定では!?」
言い募るバトラーを手で押さえると、高良はイノシシに向かって目で「もってけ」と示した。
『スマナカッタ』
器用に牙で籠を頭に乗せ、ぺこりとお辞儀をしてイノシシたちが去っていく。
「おう、また来い」
陽気に手を振る高良と、その横で恨めしそうに睨み付けているバトラーがいた。
「魔王様……どういうことですか! 我々が食えなくなったらどうするつもりですか!? しかもまた来いですって!? あいつらを飼うつもりですか!? そんな余裕はうちにはないですぞ!」
唾を飛ばして説教するバトラーに、高良は不敵な笑みを漏らす。
「甘いなバトラー。いいか、畑を荒らされた場合の被害は約5万レン。これはこれまでの作物育成の時間や街に卸しに行く手間賃、畑を直すものも含めてだ。それに対し、俺が今払ったのはたかが3千レンほどの野菜。しかも売り物になるかどうかのものだ。在庫処分って奴だな。それで恩が買えるなら安い安い」
かかか、と笑う高良。
「さ、さすが魔王様……腹黒、いや素晴らしい才覚」
「当たり前だろ、俺は金にならないことはしないって」
と言いつつも、高良は小さく嘆息する。
「しかし……3か月か。慣れるもんだな」
「馴染まれましたな。1週間で出ていくなどと言ってましたから」
「うるさい。俺はやり始めたら最後までやらないと気が済まないんだ」
1週間で出ていくはずが、バトラーやら3匹のハムスターの世話。
わざわざ挨拶に来る街の人や、今のような畑を荒らしにくる魔物たちと関わっているうちに早3か月経っていた。
朝太陽が昇ると起きて、朝食の準備。
朝食が済んだら昼を挟んで畑仕事か街に出るか。
陽が傾き出したら川で体を洗って夕飯の準備。
夜は灯りが勿体ないからすぐに寝る。
素晴らしいくらいに規則正しすぎる生活だった。
そのおかげか、病的なまでに白い肌と、貧弱そうだった高良は、現場焼けした筋肉質のガテン系兄ちゃんに変貌していた。
「さ、今日もお疲れでしょう。これから食事にしますので、身体でも洗ってきてください」
「よし、そうするか。あ、俺はちょっと後片付けしてから川に下りるわ」
先に小屋に戻るバトラーを見送って、高良は畑の土をいじってみる。
「農作物を5倍の速さで成長させる成長促進魔法か。気候とか季節とか関係なく育つとか、農家の人は泣くな。ま、俺にはありがたいけど」
この調子ならばあと2日ほどで新しい野菜が育ちそうだった。
本当なら水田とかも試してみたかったが、敷地も足りないし知識も足りないので保留にしていた。
「あー、米食いてぇ」
などぼやくが、誰もそれに反応する者はいない。
大豆が作れたのだから、米も作れるのでは、と思ったがなかなかうまく行かない。
近くに川があると言っても、高低差で言えばこちらの方が高い。
機械技術も進歩していないこの世界では、水を曳くのも一苦労だ。
「戻るか」
結局結論は出ず、畑を後にしようとしたとき、
「……ん?」
背後に視線を感じた。
射抜くような視線。
先ほどのイノシシじゃない。これは動物や魔物といったものではなく、人間のものだ。
が、それもすぐに消えた。
「……ま、いっか」
あまり考えるものじゃないし、自分の気のせいかもしれない。
高良は新たに購入した木刀というよりは棒を、戸にかけ中に入る。
小屋ではバトラーが夕食の用意をしていた。
4畳一間の狭い室内に2人と3匹が住んでいる。
中央に小さなテーブを据え、暖炉のあった左側をキッチン関連のものが置かれていた。
右側にある玉座は共有スペースとして雑貨類が。
寝る時はテーブルを片づけて横になればギリギリ寝れる。トイレは外だ。
「よーしよし。ケル、ベ、ロス、元気かー? 先に晩御飯だ、みんなで分けろよー」
テーブルの傍に置いた籠の中にいる3匹のハムスターに餌やりをしつつ、高良は水を保存してある甕に近づくとその蓋をあけた。
「げ……水がもうないじゃん」
「あ、すみません魔王様。そういえば切らしているのを忘れていました」
「しょうがない、川に行くついでに汲んでくるか……」
ここから少し降りて行ったところに綺麗な川がある。
川の水を飲む、というのは最初抵抗があったが、人間の手が及んでいない石清水なので飲んでもこれまで違和感はなかった。
むしろこれほど美味しい水があるのか、と最初は疑ったほどだ。
甕も手押し車に載せれば2つは持って行ける。それで数日は持つ算段だ。
魔王が甕を抱え上げようとしたとき、
ドゴーンっ!!
派手な破壊音が響き、危うく甕を落として割るところだった。
ハムスターたちも破壊音に驚き、藁の中に身を隠そうと躍起だ。
「な、なんだ!? 襲撃か!?」
家のどこかが壊されたのか、と思ったがどこにも異常は見当たらない。となれば――
「あ、失礼しました。どうやらインストールが終わったようです」
「インストール?」
その言葉――久しぶりに聞いたハイテクの言葉に、高良は意味を思い出すのに数秒の時間を要した。
「お、来ました来ました。久しぶりだったので不安でしたが、良かった」
バトラーが雑貨類の置かれたスペース何やらごそごそしている。
高良は甕を下ろすと、バトラーの背後に回る。そこで見た。
「な、何買ってんだぁ!」
高性能のノートパソコンが、専門書らしい本の上に鎮座している。
「そんな高価なものいつの間に!? しかも専門書みたいのまで買って! お金は万が一のために、って貯めといただろ! 電気だってついこないだ引いてもらったばかりで、無駄遣いできる立場じゃないんだぞ!」
ここに来た当初は電気が通っておらず、無用の長物となっていたシャンデリアだったが、街の助けを得て電気を引いた。
2か月愛用していたランプから、無駄に豪華なシャンデリア(といっても全部点けると電気代が馬鹿にならないので、数点にとどまる)になったばかりだった。
「いえ、これは私物でして。故郷から取り寄せておいたのですが、何分この田舎では届くのに時間がかかったようで、今日来たわけです」
雨だれ打ちをしながら、バトラーが弁解する。
「私物……この家の中で唯一のハイテク品がお前の私物かよ。てかこの世界、パソコンなんてあったのか」
主を差し置いて部下がハイテクなものを使っている、何とも言い難い心境だった。
「言っておきますが、これは仕事で使うのであしからず。魔王様がエッチなサイトを見ないよう、ブロックもかけておきます」
「そ、そんなのみねぇし! てかサイトって誰がやってんの!?」
「そんな強がりを言って。知ってますぞ、魔王様が夜な夜な外で……」
「ちょ、ちょっと待て! どうしてお前がそれを――あ、いや、別になにもしてないぞ!!」
「いえ、それは魔王として当然の行為と心得ます」
「……もういい、水汲んでくる」
ここで押し問答をしていても負ける未来しか見えない。
それにうかうかしていたら暗くなる。
暗がりの中、水の入った甕を押して山道を歩くのは危険だった。
「あ、お待ちを。折角ですからこちらを確認してからでも良いかと」
「ん? 何の話だ?」
「先ほどインストールしていたもの。『月刊魔王ランキング』の今月分速報です」
「なんだ、その『月刊魔王ランキング』って?」
「魔王様以外にも、この世界には多くの魔王様がいらっしゃることはご存じで?」
「あぁ。変な感じだけど、そうらしいな」
始まりの日、あの場に集められたのがそうだろう。
「魔王様がたの1か月の働きぶりを集計して、ランキングにして皆様にお知らせしているのが『月刊魔王ランキング』です」
「なるほど。そういえば他の魔王って何やってんだろ。確かに気になるな」
気になる、というのはクラウンが言っていたあの言葉。
『最強の魔王になられた方には、とびっきりの賞品をお渡しいたしましょう』
最強、と銘打つのであるから、その賞品は1人にしか与えられないことになる。
魔王が何人いるのか知らないが、要は魔王とつくもの全てがライバルだ。
勝ち抜く可能性が高い相手を知っておくのも悪くない。
「えっと、今のところ1位なのが……すごい。この3年不動の1位を確保し続けているようです。魔王名『リリ・ファントム』。これは要注意ですね」
「3年、ねぇ……そりゃすごいわ」
「2位が魔王名『ネロ』、3位が魔王名『ナポレオン』、4位が魔王名『イワン』ここらは鉄板ですかな」
「ふーん……ん? ネロ? ナポレオン? どっかで聞いた名だな」
「最近勢力を伸ばしている魔王もいますね。1378位、魔王名『ノブナガ・オダ』、3876位『ヴラド・ツェッペシュ』」
「の、信長だぁ?」
高良でも知っている。歴史の有名人物だ。
高良は思わずノートパソコンの画面を覗き込むようにする。
そこには“NOBUNAGA”と書かれた名前と、巨大な天守閣に映る人影。その背後には数百人の悪魔が平伏している。
“VLAD”と書かれたそこには、まさに魔王城と言うべき建物と、その前に並ぶ、数々の悪魔の串刺し。
「なんだ、これ。魔王って歴史上の人物なのか!?」
「おかしなことをおっしゃりますね、魔王様。魔王様の恩名は初めから決まっているじゃないですか。魔王様の恩名は“サイモン=デル=ヴァッテンシュタイン”となります」
「聞いたことないな。ん、いや待てよ。確かその名前って……」
高良はバトラーから離れ、すぐ傍の戸棚にある箱を取り出した。
そこにはこの世界に来た時の持ち物――最初に渡された書類が入っていた。
その中、筆記体でメモされた紙を取り出す。
「英語読めないから放っておいたけど、これがそのサイ何とかって名前か」
「“サイモン=デル=ヴァッテンシュタイン”です。一応説明しておきますが、魔王名はこの世界での通称といったものです。魔王様にしても、本当のお名前があるでしょう?」
「てことは、魔王名ってのは異名や二つ名みたいなものか」
「はい。魔王様の持つ特殊な魔法も相まっての魔王名となります」
「魔法って、この借金魔法か……?」
「はい、その借金魔法です」
ずばり、と言い切られて、高良の何かが切れた。
「どこの世界に魔法を金で買う魔王がいるかぁ!!」
「な、何を言うのですか! 借金魔法は、魔王様の力の源である魔力を失っても使える、超高性能な魔法なのですぞ! 何がお気に召さないのですか?」
「借金魔法って名前が気に食わん!」
口論に発展した2人の言い合いだったが、1分と待たずに高良が疲れたようにトーンを落とす。
「はぁ、まぁいいや。で、俺は?」
「え?」
「俺の順位は? さっきのサイモンなんとかが名前なんだろ? 検索できないのか?」
「あ、はい。えっと。少々お待ちください。えっとここが……あれ、戻りました。違うんですかね。こっちは……おお、ここですな。あ、間違えました。えぇっと……」
雨だれでポチポチとタイプするならまだしも、1文字打っては消し、2文字打っては3文字消し、と遅々と進まない作業に、高良が業を煮やして立ち上がろうとした時、
「出ました」
「おう、結果は?」
「2万3千8百6位です」
「え……? 何人中?」
「2万3千8百7人中です」
2万3千8百7人いて、そのうちの2万3千8百6位。つまり差し引くところの1ということで、何度計算しても変わることのない数値は、すなわち――
「下から2番目じゃねぇか! てかそりゃそうだ! こんな掘っ建て小屋で部下も1人で、農作業に買い物って魔王らしいこと1つもしてないもんな! あーあ、くそ! てか魔王多くね?」
安物の木製の椅子にどかっとこしかけ、背もたれをぎしぎし言わせる高良。
「何だよ、この差。向こうは城持ち。部下もいっぱい。それに対して俺は……」
「現世での行いですかねぇ」
「暖炉にぶっこむぞ」
「す、すみません、魔王様!」
土下座して謝罪するバトラーを見て、(こいつもこいつで、俺みたいな主人に仕えてるんだよなぁ)と不憫に思ったのか高良はそれ以上追及しようとはしない。
「……とりあえず水汲んで来るわ。んで夕食の後、例の会議」
「は、はい! 第72回勇者をぶっ倒して元の世界に戻るぞ会議ですね!」
機嫌を損ねたのでは、と戦々恐々していたバトラーだったが、高良が怒っていなさそうだと感じてすぐに笑顔を浮かべる。
(こいつ、悪い奴じゃあないんだよな)
今度街に行ったとき、何か買ってやろうか、と心に決めた高良だったが、
「――ん?」
「どうしました、魔王様?」
急に動きを止めた高良に、バトラーが不審の目を向けた。
「外が……」
「外?」
バトラーは首を傾げ、呼吸も止めて外の様子をうかがう。
そして、
『きゃああ! なによ、これぇ!』
悲鳴が聞こえてきた。
互いに顔を見合わせたのも一瞬、すぐに小屋の外に飛び出す。
畑の中央、そこにもぞもぞと動く物体があった。
白い網目に絡まったように「きゃ!」だの「誰か助けて!」と騒ぐ物体。
人だった。
「あ、そういえば罠を設置していたのを忘れました。対害獣用取網“ホイホイくんMAX”です」
(そんなもの忘れるな。俺がかかってたかもしれないってことだろ!)
だが、その言葉は発せられることはなかった。
高良が、その罠にはまった人物に目を奪われていたからだ。
網にかかってもがく人物。
白い肌にすらっとした目じりを持つ、1人の少女がそこにいた。