~死の剣~
アイオンがバグラに剣を渡してから夜が明けた。目覚めてから手持ち無沙汰だったのか、アイオンはベッドに腰掛けながら、自分の鎧を磨いている。バグラはといえば、剣を念入りに調べているものの、進展がないためか徐々に機嫌が悪くなってきていた。
苛立ちながらも、バグラは時折アイオンへと視線を送っている。のんびりと自分の荷物を整理するアイオンは、以前のような穏やかな様子で、殺気を放つわけでもなければ、戦いたいわけでもなさそうだった。そんな彼を見てから、余計に剣に執着して調べてはさらに不機嫌になるバグラを気にかけてか、恐る恐るアイオンが声をかけた。
「えっと、ねえバグラ。その剣を君が持つなら、僕は丸腰になるんだ。剣を買いに行きたいんだけど、付き合ってくれないかな?」
「えぇ? 剣くらい一人で買いに行けばいいじゃあないか。ボクがお前に付き合ってやる義理はないよ。ただ、まあ。どうしてもっていうなら付き合ってやらないわけじゃあない」
言葉の最後になるにつれて小声になっていくバグラは、少し不安そうな上目遣いでアイオンを見遣る。アイオンは意外そうに目を丸くしたものの、柔らかく笑って答えた。
「じゃあ、どうしても付き合って」
「……仕方ないなあ。まったくどうしようもない半端ものだよ」
悪態を吐きながらも、バグラは嬉しそうにアイオンの剣を放っていそいそと身支度を整え始めた。アイオンも衣服を整え、二人の準備ができると行こうとドアへ手を掛けた。しかし、ドアを開けようとしたところで手を止め、少し悩んだような表情を浮かべる。
「ミーシャ達も、呼んでいいかな?」
「ふん、好きにすればいい。お前、今日は妙に大人しいね。なにか心境の変化でもあったのかい?」
「自分でも不思議なくらい、気分が落ち着いているんだ。普段は剣を腰に下げているから、それがないせいかもしれないね」
柔和な笑顔を浮かべるアイオン。バグラはそう、と一言呟いて、足を止めた。
「やっぱりボクは剣を調べることにするよ。お前はあの小娘と一緒に買い物でもなんでもしてくるといい」
「え? 急にどうし――」
「いいから行ってこいって言ってるんだよ! さあさあさあ!」
バグラは無理やりアイオンを部屋の外に追いやると、自分はドアを力強く締めて内から鍵をかけてしまった。アイオンは目を丸くしてドアを眺めていたが、開けてもらえないと察したのか弱弱しい足取りでミーシャ達の部屋の前まで歩むと、ドアをノックする。
少しの沈黙の後、ドアが開く。寝起きらしいミーシャが眠たげな目をアイオンへ向けると、一気に目が覚めたのか毛が逆立つ勢いで姿勢を正した。
「あ、アイオン!? どうしたのよ、ていうかちょっと待ちなさい!」
ミーシャは下着姿で、ドアを閉めると中から荷物を漁るような物音が聴こえる。時折ヨハンやバンジョーの声も聞こえる中、ようやく静かになるとミーシャが再び中から出てきた。
いつも通り、革のブーツに短めのズボン、前を空けた革製のベスト、ファーブラジャーと盗賊のような恰好だ。照れ笑いをするミーシャに、アイオンも一緒になって笑みを浮かべる。
「ごめんね、朝早くから。買い物に付き合って欲しいんだ」
「買い物? 珍しいわねえ、あんたが。いいわよ」
「オウ? なんだあ。誰かと思えば兄ちゃんか!」
ミーシャの後ろからバンジョーが顔を覗かせる。アイオンが軽く挨拶すると、バンジョーは目を瞬かせた。
「なんだか兄ちゃん、変わったか?」
「え? 別になにも変わってないと思う、よ?」
「そうかあ? なんか昨日より穏やかっていえばいいのか……。まあいいか! ガハハハハハ!」
軽く雑談した後、アイオンはミーシャと一緒に買い物へと出かける。町行く人々はアイオンへ畏怖の念を込めた瞳を向けており、ミーシャはそんな目が気に入らないのか睨み返していた。そんなミーシャをアイオンが宥める。
まったく気にしていないわけではないが、アイオンはそんな目をされても平然とした態度を貫いており、ミーシャはそんなアイオンの態度に苛立ちを抱きつつも、つい最近のアイオンの様子とは打って変わっていることに戸惑いを見せていた。
アイオンの気性は激しくなり、冷酷さを増していたはずだった。つい昨日までのアイオンであれば、殺気を放って自分を怖がる町民の目を自身に向けさせることすらしなかったはずだった。そんなアイオンは今、自分を恐れる人々の目を是として受け入れている。
昨日と今日のアイオンの変貌ぶりに、ミーシャは疑念以上に混乱さえ感じているようで、悩み込みながらアイオンの隣を歩いている。当の本人はといえば、のんびりと、またミーシャの悩みがなんなのかも気付かないまま、お目当ての武器屋を見つけてあれだ、と子供のような無邪気な笑顔を浮かべた。
武器屋の主人も、店に入ってきたアイオンを見て顔を強張らせた。しかし、アイオンは楽しそうに武器を眺めるだけであり、武器屋の主人も戸惑った表情を浮かべる。
「剣を選ぶのなんて、久しぶりだなあ。バグラがどれくらいあの剣を調べるか分からないし、一応予備も含めて二本くらい持っておこうかな? でも邪魔になるかなあ」
「ねえ、アイオン? あんた、頭でも打ったの?」
「いや、打ってないよ?」
「急に元に戻ったみたいに落ち着いちゃって、なにかあったの?」
「バグラにも言われたよ。妙に大人しいねって。なにかあったと言われれば、そうだな、変な夢を見たんだ。あまり言いたくない、残酷な夢だった。バグラには話したんだけど、剣から魔力が立ち上っててさ、それが師匠からもらった剣だったんだ。剣をバグラに見せたら、剣に違和感があるそうで、調べたいって言われて預けているんだけどね。いつもより気が緩んでいるのは、普段腰に下げていたものがなくなったせいかな? 剣がないから、戦おうって気にならないのかもしれないね」
「ああ、あの剣ね。持ってないから折れたのかと思ってたわ。確か、ラインベルクで会った、ダンカードってあんたの師匠からもらった奴よね?」
「うん。師匠が僕のために持ってきてくれた剣だよ。普通の剣じゃすぐ折れるだろうからって」
「ふーん? でも、思えばあんたの力でも折れない剣なんて、一体誰が打ったの?」
「師匠の知ってる鍛冶屋としか聞いてないけど」
「……その剣、なにで出来てるの?」
「鋼と、ドラゴンの角って聞いてる」
「魔物の素材を混ぜて剣を鍛える鍛冶職人はいるだろうけど、ドラゴンの角なんて加工できる鍛冶職人なんているのかしら? いたら相当高名な人だと思うんだけど」
「師匠は世界中を旅しているらしいから、凄腕の人と知り合いだったんじゃないかな?」
「うーん? あんたの師匠って何者なのよ」
二人で談話しつつ、剣を選ぶ。アイオンは丈夫そうな剣を選ぼうとするものの、ミーシャが値段を見せてできるだけ吟味しなさいと説いて余計にアイオンを悩ませた。
一方で、バグラは一人、部屋に籠って剣を調べることに没頭していた。魔力を流し込んでみたり、柄を外そうと奮闘したりと色々と試すものの、ただの剣だということ。それ以上のことはなにもわからない。次第に、自分の考えすぎなのかとぼやき始めていた。
「キキキ、妙にこの剣、嫌な感じがするんだが、考えすぎだったか? どうってことない鉄の塊だったか?」
飽きてきたのかそのまま剣を鞘に納めようとしたとき、納め切る前に手を止めた。どうってことない鉄の塊。ただその一言で、バグラは再び剣を抜いた。
「待てよ、ボクはあいつと一緒に今までいたが、この剣を手入れしているところなんてほとんど見たことないぞ。なのにこの剣、異常に綺麗だ」
己自身はもちろんのこと、マルトール、ドラゴン、そしてここに来て数多の人間、魔族、魔物との戦闘を繰り返してきた中で、アイオンの剣は刃こぼれはおろか傷一つついていない。
「丈夫とはいえ、マルトールの鎧を断ち切り、ドラゴンの皮膚に幾重の斬撃を浴びせたというのに。それで剣が一切無事なんてこと、あり得ない」
バグラは剣を鞘に納めて壁に立てかけ、腕を組んで剣を睨む。
「この剣、まさかとは思うが……」
剣を掴んで部屋から出ると、バグラはそのまま宿を出て、町の外まで足を伸ばした。そうして剣を鞘から抜き、地面に突き刺すと、距離を取って手をかざした。
「『火』よ、その力の一片を我に貸し与えよ! 身を焼き骨砕き骸を灰と化せ! 残すは焦土、大地を抉れ、願わくば我が眼前の全てを黒く染め上げ、灰の雨を降らせよ! 『火』よ集まれ『爆発』せよ!」
アイオンの剣が一瞬光に包まれると、即座に爆炎に包まれた。もうもうと煙を上げる中、爆発で弾き飛ばされたであろうアイオンの剣は空中高くに放り出され、そのまま勢いよく地面へと落下した。バグラが急いで近寄ると、剣は折れてはいないものの、傷や刃が欠ける程度の損傷が見られた。
そして、バグラは目を疑った。
剣の損傷は、徐々に、だが確実に直っていったためだ。欠けた刃は再生し、傷は塞がって新品同様の輝きを見せる。そして傷が直る時、バグラは確かに感じ取っていた。何かの魔力が傷を直したこと、そして剣から確かに黒い魔力が吹き出たことを。それは微量であり、こうしてじっくりと観察しなければ分からない程度のものだった。
「このぐらいなら、あの半端ものの魔力に紛れて気付くはずがない。剣が傷付く度にこうして再生してたのか? それに、この黒い魔力。半端ものが見せた魔力と同じじゃないのか? いや、半端ものを通してこの剣の魔力が噴き出したのが、あの魔人と言っていいあいつの正体……?
剣の内側になにかあるのか? いや、そうじゃないのかもしれない。剣の素材に、なにかとんでもないものが使われている? とんでもない魔力を秘めたなにかが使われている。そしてそれは恐らく、普段は眠りについていて、剣が傷付いた時、あるいは――剣を握っている所有者を認識して魔力を放っている可能性がある。
だからボクが魔力を流そうともなにも反応しない。だがあの半端ものが握れば、この剣はきっと魔力を半端ものに流しているに違いない。いや、それどころか『傀儡』の要領であいつの感情をコントロールしているんじゃあないか? だとすると、力を求めさせ、あいつの心を惑わし負の感情に作用していた元凶は間違いなくこの剣だ。
つまり――この剣は、生きている!」
バグラの嫌な感じという、この剣に抱いていた違和感。その正体が明らかになった。剣はアイオンの苦悩を喰らい、他人の悲鳴を吸って生きている。再生し、破壊すら困難であるこの剣を見て、バグラは思う。
「魔剣ってのはこういうものを言うのだろう。ドラゴンの角を使った剣だって? 嘘も甚だしい。とんでもない剣を寄越したものじゃあないか、あいつの師匠とやらは。
……再生、再生か。破壊されない、不死、強大な魔力。ボクがドラゴン征伐の時、半端ものに恐怖を覚えたのは否定できない。考えたくはないけれど、この剣、まさか!?」
突然、バグラは目を見開いた。剣の正体に勘付いたためではない。背後に立つ強烈な殺気に気が付いたからだ。それは人外のもので、バグラは冷や汗を全身から流しながらも、咄嗟に横へと跳んだ。
バグラのいた場所は剣で抉られ、容赦のない一撃であったことが垣間見えた。剣の主は波がかった金髪であり、漆黒の鎧を纏う壮年の男だった。バグラは直感的にそれが何者であるかを感じ取る。
「キキキ、初めまして?」
「ああ、初めまして。アイオンが世話になっている」
「いえいえ、お師匠さんの教育が良かったおかげで、手間暇かかってしょうがないよ、まったく。お前がダンカードか?」
「いかにも。私は君に恨みはない。だが、君は気付きすぎた」
剣を構えると、重圧と殺気を放つダンカード。バグラは目の前にいる男と対峙し、舌打ちをした。
「今日が、ボクの命日か」
両者が距離を詰め、互いの一撃を繰り出す。晴天の下で、血雨が降った。




