~師の剣~
そこは廃墟だった。なにもない。ただ荒れ果てたなにかの残骸と、砂埃に塗れた世界だった。アイオンは一人、そこに立っている。虚ろな目をしていたが、やがて目が覚めたように周囲を見回す。
「なんだ、ここ……? 僕、宿屋に戻って、眠ったはずじゃ……?」
少し身動きを取ったアイオンは、自分の手に視線を落とした。そこには血錆の付着した剣があった。そしてその血は剣から腕へと続いており、アイオンはその痕をなぞっていき、最後には指先を自分の頬に当てた。
その血は飛び散ってから少し時間が経っている。それでも僅かながらに指に付いたその血を眺め、アイオンは改めて周辺を見渡した。
「誰もいないのか?」
足を前に出した時だった。アイオンの足がなにかを蹴った。思わず足を引っ込み、後ずさるアイオンだったが、さらに踵になにかが引っ掛かり、そのまま後ろに倒れてしまう。何事かと起き上がったアイオンは、その躓いた物体を見て青ざめた。
そこには人がいた。血まみれで、既に絶命している。首から下にはなにもないので、死人であることに疑いはない。しかもその首だけの死体は、アイオンがよく知っている人間だった。
その首はミーシャのものだ。驚愕に目を見開き、開いたままの口からは血をこぼしている。ミーシャから目を背けたアイオンは、さらに砂埃の中、ゴンドルやイッサ、ティラやラッセントら仲間の惨殺死体や、その他数多の見知らぬ人間の屍を発見する。
絶句するアイオンだったが、足元に違和感を感じたようで、自分の足元へ視線を落とす。アイオンが立っていたのはウェイドの上だった。それだけではなく、砂埃に隠されていたものの、アイオンがいる場所は屍でできた大地の上だった。
建物らしい残骸は、ジリハマ村や、ミスア砦、ラインベルクなど、見知った建物の瓦礫であり、自分の軌跡全てがこの場所に集っていた。それら全てを確認して、アイオンは絶叫する。
「なんだ? なんなんだよこれ!? 夢……だよね……?」
返答はない。しばし口を閉ざしたアイオンだったが、やがてその場に崩れて両手と膝を着いた。
「こんなこと、望んでいない! 僕はただ、力が欲しかっただけだ。皆を守れる力を。皆に裏切られないくらいの力を……」
力が入ったのか固い拳を作って握りしめ、俯くアイオンの背後から、砂の滴り落ちる音が聞こえた。その奇妙な音に反応したアイオンが振り返ると、砂の中から誰とも知らぬ骸骨が起き上がってきていた。
身構えるアイオンは剣を構える。すると、骸骨もまた錆付いた剣を砂の中から引き抜き、同じようにして構えた。砂から完全に出てきた骸骨がアイオンの傍へと近づくと、アイオンは距離を取って警戒を強めた。
「なぜ逃げる?」
腹に響く、人の声とは思えない重低音が骸骨から放たれた。喋ることに驚いたのか、アイオンは眉根をひそめる。
「お前はなんだ? 誰だ?」
「質問に質問で返すとは、無礼な奴め。誰か、だと? 貴様の夢だというのに、誰かも分からないのか?」
「夢? そうか、夢だったら僕の思うとおりに!」
骸骨の姿が変わる。それはウェイドとなった。だが骸骨の身長は変わらず、ウェイドにしては小さい。アイオンは思った通りに姿の変わらない骸骨に不審な眼を向ける。
「残念、外れだ」
そう言うと、ウェイドの体が融けていき、元の骸骨へと姿を変貌させる。気持ち悪さを感じたのか、アイオンが視線を逸らす。
「……こんな悪趣味なことをするのは一人しか知らない。バグラだろう!? なにを考えているんだ!」
「それも外れだ。自分の夢だというのに、夢の中でもお前は誰かを疑っているのか?」
「バグラじゃない? じゃあ、お前は一体なんなんだ?」
骸骨が剣を振るって襲い掛かってきた。剣と剣が重なり、鉄同士が激しく打ち鳴らされる。苦しそうに剣を受け止めるアイオンは、骸骨が目の前まで迫ったことに恐怖を感じたのか、力任せに剣を弾き、背を向けて逃げるように距離を空ける。
振り向き剣を構えるが、骸骨は先ほどの場所から忽然と姿を消していた。目を泳がせて辺りを探るアイオンは、背後に強烈な気配を感じて振り返る。そこにはさっきまでいなかったはずの骸骨が立っていた。
悲鳴を上げたアイオンは、仰け反って逃げようとするものの、足元から伸びてきた手に足を取られてその場に転んでしまう。その手は足場となっている骸のもので、アイオンは力ずくで外そうとするも外すことができない。
「なにを怯える? なぜ怖がる?」
骸骨が歩み寄ってくる。その肌には肉が付き始め、誰かの形を形成し始めていた。アイオンは冷や汗を流しながら、息を荒くしてその様を注視している。
「ここはお前の夢の中。お前が考えたことが反映される世界。なにを怖がる? これはお前が考えていた世界の姿だろう。そして、お前は誰かと言ったな。否定ばかりしていても、お前はボクが誰かを分かっているはずだ!」
アイオンは目を逸らそうとするが、周囲の骸の手が一斉に伸び、アイオンの顔を掴み、目を無理やり見開かせて姿を取り戻してく骸骨へと向けさせた。
「ウェイドでも、ティラでもない」
「やめろ……」
「師匠でも、母さんでも!」
「やめてくれ……」
「ましてやハルバーティスでもギルスレイでもない!」
完全に人へと戻った骸骨の正体。仲間たちの鮮血に塗れた自分自身が、アイオンの目の前に立っていた。その手にはミーシャの首を持っている。
「ここにいるのは僕だ!」
「やめろおおおおおお!!!」
叫んだアイオンの言葉は、真っ暗な暗闇に呑まれていった。先ほどまでの景色も、もう一人のアイオンもいない。なにもいない暗闇の世界にアイオンは立っている。汗が滴り、疲れた顔のアイオンはその場にへたり込んだ。
「あんなこと、望んでないんだ。皆の事を傷つけることなんて、そんなことは望んでいない! なんだっていうんだ。それとも、僕はどこかでこんなことを望んでいるのか? 自分でも気づかない内に、そんなことを……?」
暗い世界を見回せば、アイオンが持っていたはずの剣は少し離れたところの地面に突き刺さっていた。憔悴した面持ちのまま、アイオンは剣を抜きに立ち上がって歩み始める。
だが、剣に違和感を感じたのか、途中でアイオンは立ち止った。微かな音と、剣から立ち上る魔力が見えたためだ。弱弱しい鼓動の音が剣から聞こえ、また異質な魔力を感じ取ったアイオンが身構えるも、その異質な魔力を見て驚愕する。
暗い空間を埋め尽くしている黒色。それは全て、剣から立ち上っている漆黒の魔力だった。異常な恐怖を感じたのか、アイオンの足が震える。そして、暗闇の奥からもう一人のアイオンが現れ、剣に手を掛けた。
「あ、ま、待って。それは抜いたらいけない!」
もう一人のアイオンが笑み、剣を抜こうと力を入れる。すると、剣は大きく動いたものの、引き抜くには至らなかった。
「もう少し……もう少しだ、アイオン。僕はもう少しで――」
言葉が途切れると同時に、アイオンは目を見開いた。そこは見知った宿屋の天井で、隣のベッドにはバグラが寝息を立てて眠っていた。
汗が全身を湿らせていることに気が付いたアイオンは、ベッドから降りて下着のシャツを脱いだ。そうして替えの下着を出そうと荷物を漁ったとき、自分の剣に目を遣った。夢の中と同じ剣は、鼓動もなく魔力を立ち上らせるわけでもなく、至って静かなままだった。
「夢、夢だったのか? 本当に? あれが――僕なのか?」
アイオンは自分の手の平を力なく眺めてから、服を替えて床に寝転んだ。静かな部屋の中、何かに気付いたのかアイオンは再び剣へと視線を送った。
「剣、そうだ。この剣を腰に下げてからだった。バグラに心理的な部分を刺激されて、取り憑かれて。悩んでみんなのところを離れて、それから戦いに明け暮れた。そう、それから変に魔力が高まった。ドラゴンに挑んで、負けてバグラに乗っ取られそうになったとき、それを跳ね除けたら力が――殺意と怒気が増したんだ。バグラは僕の中の魔族としての本性が出てきたって言ってたけど……」
「なにを一人でぶつくさ言ってんのさ。喧しいったらないよ」
元の姿に変化したままのバグラがむくりと起き上がり、不機嫌そうな顔でアイオンを睨む。アイオンは微笑で返した。
「起こしたかい?」
「いや、ボクは寝たふりが上手くてねえ。寝付けずにいたらガサゴソボソボソと聴こえたんだよ。それで? どうしたのさ」
「変な夢を見てね。寝汗が酷くて。それと、ちょっと考え事」
「夢? 悪夢でも見たのかい? まったく、ガキじゃあるまいに。ま、ただの夢で飛び起きたわけじゃなさそうだし、ボクに夢の内容教えてよ」
アイオンが夢の内容を話し始める。話の中身が終わりに近づくにつれて、バグラの顔つきが神妙になっていった。そして普段以上にアイオンが穏やかでいる様を見て、バグラは剣とアイオンを交互に眺める。
話が終わると考えている様子のバグラが剣に近づいて指で突くが、変化はない。握っても特に何も起きず、刀身を抜いても変わりがない。だが、刀身をまじまじと見たバグラは不思議そうに首を傾げる。
「剣から魔力が立ち上ってた、ねえ。前からお前の剣は見てたつもりだったけど、改めてちゃんと見てみれば。この剣普通の剣じゃないだろう? なにで出来てんの?」
「鋼とドラゴンの角だって聞いてるよ」
「ドラゴンの角ぉ? 大層なもんだねえ。だが、だとすると妙だ」
剣をいじるバグラは、魔力を放った指で剣をなぞり始める。特に剣が反応するわけではないが、反応を示さないがゆえにバグラは嫌そうに顔を歪めた。
「おかしいってもんじゃあないか。ドラゴンの素材であるなら、多少なりとも魔力を宿しているはずなんだが、それを感じない」
「どういうこと?」
「そりゃあ、魔力を持った生き物が魔物なわけで、その素材には当然そいつが持ってた魔力が宿っているもんさ。残り香みたいなもんだよ。ドラゴンなんて上位の魔物であれば、相当の魔力が宿っていてもおかしくないって話さ」
「その魔力を感じないのか? 魔族の君が?」
「そう、だからおかしいって言ってるんじゃあないか。この剣、特殊な加工がされていると見たね。例えば、表面の鋼は偽装で、この剣は二重の構造なんじゃないかってのがボクの推測さ。刃の内に、別のなにかがある――のかもしれない」
「どうしてそんな剣を作る必要があるんだ?」
「キキキ、そんなこと知らないよ。んで、一つお前に訊きたいんだがね。ボクとしては、この剣には一切なにも感じない。普通の剣と同じにしかね。だが、だがだ。刀身を調べていれば調べるだけ、気分が悪くなってくる。直感的に、この剣に触ることを拒否している。
お前と一体化していた時は気にならなかったが、多分この剣はお前のために、というよりお前に持たせたかったから作ったんじゃないかとボクは思うよ。訊きたいのは、この剣を誰にもらったかだ。一体どこの誰だい?」
「この剣は、僕の師匠からもらったものだ」
バグラが少し考える素振りを見せるが、思いつかなかったのかアイオンにじっとりとした視線を送る。
「ボクはお前と同化していたけれど、そいつのことは知らないよ。そいつの名は?」
「師匠の名は――ダンカード。ドラゴンの角を斬り落とすほどの剣士だ」
「ダンカード? ハルバーティスが捜していた男の名前がそんな名前だった気がするねえ。ただの剣士があの老獪なやつに狙われるわけがない。そしてドラゴンの角を斬れるって? きな臭いどころか腐臭でもしそうなくらいだよ。お前、しばらくこの剣を使うな。ボクが持ってやる。どうにもこの剣、少し調べないと怪しいよ。お前を――いや、なんでもない」
アイオンは小首を傾げたが、思うところがあったのかバグラの提案を受け入れた。言いかけたことが気になったのかバグラに訊くものの、バグラは決して答えない。答えてくれないバグラに根負けしたのか、アイオンは床に寝転がり、バグラに背を向けた。そして時間をおかずに寝息を立て始めたアイオンを眺めながら、バグラは嘆息する。
お前を変えた元凶は、この剣かもしれない。誰にも聴こえない程度の声で呟いたバグラは、心配そうにアイオンの背を見つめていた。そんな自分に気が付いたのか、蝋のような白い顔を紅潮させながらそっぽを向き、バグラもまたアイオンに背を向けてベッドに寝転がった。




