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最後の剣  作者: 二口 大点
闊歩
82/88

~魔人の足音~

 剣撃音が幾重も響いた。ボロウの中心地で、人だかりが円を描いて歓声を上げている。


 三名の剣士が一人の少年相手に襲い掛かっており、その首を狙っている。しかし、少年はその剣を全てかわし、あるいは刃を受け流して一撃として喰らわず、対して男達は三名共に細かな切り傷を全身に刻んでいた。


 距離を空け、一呼吸空けた後、少年は駆け抜けるように男らへと剣を三度振ると、その剣が振り抜かれる度に男らが持っていた剣が宙を舞い、空しい音と共に地面へと転がった。男らが両手を上げて降参の意思を見せると、周囲の観客がより大きな歓声を上げて勝者を讃えた。


 少年――アイオンは剣を鞘に納めると、男らなど興味もなさそうに踵を返し、観客の間を抜けようとする。そんな彼の足を止めるのは、浅黒い肌の女性だった。髪は結わず、手入れのされていない長髪が左右にはねており、にやにやと挑発するような笑みを浮かべている。


「キキキ、素晴らしいご活躍でございましたねえ? アイオン様」


「そうでもないよ。それより、その気色悪い口調はやめなよ」


「なんだいなんだい、様付けまでしてやったのにさ。そんな言い方はよくないんじゃないのかね」


 アイオンは溜め息混じりに再び歩き出す。その背をバグラが追うが、先ほどの男らがその背を呼び止めた。


「待ってくれ! あんた、本当に強いな!」

「ドラゴンを退けたって話も嘘じゃなさそうだ」

「魔族って話だが、そう間違えられてもおかしくない強さだぜ」

「俺達、腕っ節には自信があるんだ! 噂だとあんた、傭兵団の頭らしいじゃないか。俺達を入れてくれないか?」


 熱を込めて話す男らに、バグラはやれやれと肩を竦めた。そんな彼女は背後から冷たい空気が流れるのを感じたのか、目を見開いた。男らも、熱を失い言葉を失った。バグラの背後から、冷たい瞳を彼らへ向けるアイオンの気圧されていたからだ。


「いらないよ。君達は必要ない」


 冷たい眼差しと言葉を彼らに突き刺すアイオンの姿は、彼の母であるノヴァとよく似ていた。バグラはそんなアイオンを眺めつつ、少し笑みを浮かべていたが、自分が笑っていたことに気付いたのか指で口端を下げてしかめっ面を作る。


 男らはそんなアイオンの迫力に押されて逃げるようにその場から去った。怯えた様子の男らを見て、アイオンは視線を落とし少しだけ動揺したような素振りを見せたが、頭を横に振って再び前へと向けて歩き出した。


 バグラはそんなアイオンの背を追っていたが、意地悪く口角を上げてアイオンの腕に抱きつくと、恋人のような距離で微笑んだ。アイオンは至極迷惑そうに眉を寄せている。


「なに?」


「キキキ、仮にも雌に抱きつかれたんだ。少しは嬉しそうにしたらどうだい? こうしてる人間がいるからさ、ちょっと真似をしたんだよ」


 ボロウの町を見渡せば、確かにこうした恋人の姿が見受けられた。仲睦まじく歩く男女の姿を眺めてから、抱きついているバグラに視線を移すと、アイオンは少し頬を赤くしたものの咳払いして顔を背けた。


 バグラは楽しいのかそのまま離そうとはしない。アイオンは無理矢理解こうとはしないものの、外そうと腕を小刻みに動かして解こうとはしていた。しかしがっちりと組まれた腕は外れず、バグラはより密着してくる。


「ふふん、楽しいなあ。人間はこんなことをして雄の興味を引くのだねえ」


「いい加減、離れてくれないかな」


「乳が当たって嬉しくないのか? 雄として失格だぞ、お前。魔族なら、雌と分かれば力ずくで押し倒してくるものだ」


「僕は魔族じゃ――!」


「え、なんだって?」


 言いかけたアイオンは言葉を噤んだ。バグラはふざけているようで、アイオンを計っていた。アイオンの気持ちは今、どちら側にあるのか。殺気といい対応といい、今のアイオンは確かに冷徹な部分が前面に出ている。だが、今バグラがふざけてアイオンに言葉を投げかけた結果は、魔族への否定だった。


「キキキ、そうかそうか」


「あまり僕を苛立たせないでくれ」


「はいはい、わかったよ」


 赤黒い魔力を感じてバグラが離れる。アイオンは震える拳を胸に当て、宿へと足を進める。そんな彼の背を追いながら、バグラは少し視線を落とした。


 二人が借りている宿に入ると、一部の冒険者は尊敬の眼差しを、一部は恐怖を感じて蒼白の顔を見せた。アイオンとバグラ、二人は既にこの界隈で知らぬもののいない有名人であり、同時に魔族の疑いもかけられるという噂の中心にいるため、店側としてはいい客寄せになっている。そのため、宿は繁盛しており店主は快く二人を迎えた。


 アイオンはさっさと部屋へと入ると、鍵を掛ける。バグラは嬉々としてベッドへと寝転がると、そのまま頬杖を着いてアイオンを見遣る。


「キキキ、いい客寄せになってるじゃあないか。すっかり有名人だねえ?」


「いい笑い者の間違いさ」


「自覚があれば結構、結構だ。しかし、こう有名になるとどこにいても妙な奴が寄ってくる」


「そうだね。ここにいる限りは、色んなものを引き寄せるだろうね」


 含みのある言い方だった。バグラは自分の髪をいじりながら、その妙な物言いの真意を測りかねている。考え込んでいるのか言葉を閉ざしたバグラを眺めながら、アイオンは優しい笑みを浮かべた。そうしてバグラの側へと腰掛ける。


「色んなもの、と言ったが。それはお前のお仲間のことか? それとも、魔族を指しているのか?」


「全部ひっくるめて色んなもの、さ」


「お前の根幹は変わらないなあ。なにがしたいのかさっぱりだよ」


「戦いたいんだ。今は、この力をものにしたい。だから何でもいい。剣を振れるものなら何でも」


「力を付けて、その先は? 己一人で生きていくと?」


「そうだよ。この世界で本当に信じられるのは、自分だけだ」


「その割には迷ってる」


「まだ自分すら信用できない弱さがあるんだ。それを克服したい」


「キキキ、弱いお前にできるのかい? 裏切られるのが怖くて、ボクの言葉一つでぶっ壊れたお前如きが克服なんてさ」


「できる。その言葉一つで惑わしてくれた奴は体から追い出せたんだから、少なくとも以前の僕よりは強くなってると思うよ?」


「言うじゃないか、このバグラ様に向って偉そうな口をさあ」


「人にくっ付いて耳障りな言葉を吐くしかできないバグラ様に向って偉そうな口を叩いたところで、なにか問題でも?」


 バグラが体を起こそうとするが、アイオンがその頭を掴んでベッドに叩きつける。片手も押さえつけられ、バグラは身動きすることができず体をよじって抵抗するだけしかできない。


 外から馬のいななきと蹄の音が鳴り響く。アイオンとバグラの間には静かに張り詰めた空気が漂っていた。バグラは抵抗を止め、横目でアイオンを睨みつける。アイオンは気に留めていないようだったが、押さえた手の力は緩めない。


 下騒がしくなり、勢いよく階段を上がる音がする。バグラは僅かな隙を窺っていた。だが、アイオンは決して視線をずらさず、また力を緩める気もないようだった。


「キキキ、殺せるっていうのか? ボクをいつでも!」


「ああ、そうだ。事実君は僕に捕まっている」


「捕まるってことが殺されることに直結するとは限らないよ?」


「直結しないとも限らないよね」


 二人の殺意が強まった瞬間、ドアが蹴破られる。勢いのある音に反応するが、バグラは押さえられているためドアを開けた主の姿は確認できない。アイオンは何事かと顔を上げてそちらを見れば、驚き顔が引き攣って、バグラを押さえる手の力を緩めてしまった。バグラが手を解いて同じ方向を見遣れば、息を切らし髪をうねらせ、悪魔も逃げ出すような恐ろしい形相で立っているミーシャがいた。


「あんたねえ! 歯あ食いしばりなさい!」


「ミ、ミーシャ? どうしてここに……?」


「うっさい! 人が心配してきてやれば、なによその女! しかも今妙なことしてたでしょ! なに盛ってんのよこのボンクラ団長!」


「そんなことな――」


「勝手にいなくなったあげく女連れてなにしてんだってのよ! ふざけんじゃないわよ!」


「いやだから、落ち着いて」


「ああ、もう! なにはともあれ!」


 アイオンの頬に、目にも止まらぬ速さでビンタが叩き込まれた。乾いた音が部屋の中に響き、僅かにアイオンがよろめいた。バグラは状況についていけずに呆然とその様子を眺めている。


「痛いよ」


「当たり前じゃない。これで痛くないなんて言ったら今度は殴るわよ」


「……どうして僕を捜しにきたんだ?」


「あんた一人にするなんて、危なっかしいからよ。だからわざわざこのあたしが戻ってきてあげたっていうのに。この女は誰?」


「キキキ、女を引き寄せる魔術でも使えるのかい、半端もの? ボクはバグラだ。初めまして――とは言えないが、初対面であることには変わりないねえ」


「なによ、どっかで会った?」


「まあ、ボクはお前を知ってるよ。確かミーシャだったっけ?」


 怪訝な顔でバグラを眺めるミーシャだったが、なにかに気付いたようにアイオンへと視線を戻した。アイオンはといえば、柔らかい笑みを浮かべるものの、その瞳は冷たい色を放っている。


 怒っているわけではない。だが、アイオンが纏う空気は以前と変わっていた。ミーシャはそれを敏感に感じ取ったのか、腕を組んで不機嫌そうに片眉を上げる。


「なにがあったの?」


「なにもないよ」


「嘘。なにもないわけがないわよね」


「困ったな」


 アイオンは視線をミーシャから外すと、一瞬自分の剣に視線を落とし、その柄を撫でた。そうして暗い瞳をミーシャへと戻したものの、なにかに気付いたのか即座に剣から手を放し、驚いたようにその手を眺めた。そうしてその手で自分の顔を覆い、視界を塞いでしまう。


 ミーシャとバグラはそんな不審な行動を取るアイオンを見て、冷や汗をかいていた。暗い瞳を向けたアイオンからは、間違いなく殺気が放たれたからだ。一瞬ではあったが、それは部屋の空気を凍らせ、確かな殺意を感じさせるものだった。


「ごめん、ミーシャ。今日は疲れてる」


「あ、ええと、そうね。急に押しかけてごめん。また明日、来るからね」


 そう言うと、急ぎ足でミーシャは部屋を後にする。バグラは一人、視界を閉ざしているアイオンを眺めていたが、恐る恐る手を伸ばすと、アイオンを抱き寄せた。


「特別だぞ。ボクが慰めてやる」


 手を放し、顔を露にしたアイオンはまだ呆然と宙を眺めている。


「今さ、僕はミーシャを斬ろうと思った。僕はどうしてそんなことを考えたのだろう」


「……さあね。お前の気持ちなんてボクに分かるはずないだろう? だけど、そうだな。少し休みなよ。お前は無理をしすぎてる」


 アイオンはなにも言わず、素直にその言葉に従った。目を閉じるアイオンを眺めつつ、バグラも目を閉じる。そうして、重そうに口を開いた。


「異常な魔力がお前の全てを蝕んでいるんだ。力に心が喰われてる。その力を制御したとき、多分お前はもうその器からいなくなってるよ」


「魔力を使うごとに、僕が死んでいくのか?」


「そうだ。お前が迷う内は、まだお前はそこにいる。だから、仲間を斬ろうとしたことを後悔してる間は、まだお前は正気の内さ」


「そう、なのかな。本当に慰めてくれるんだ。ありがとう、バグラ。お礼も言える内に言っておくよ」


「キキキ、うすら寒い礼なんていらないよ。全く」


 駆け抜ける道を見失ったアイオン。しかし、バグラが手を引きミーシャが背を押しに合流した。彼が進むのは、正気の道か、それとも狂気の道か。

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