~剣は捨てず~
影と獣が踊る戦場で、駆け抜ける一団。ラッセントらは死地を脱しようとしていた。混戦の中で敵をさらなる敵に抑えさせ、逃げることのみに集中する撤退行動は確かにラッセントの読みどおり、このまま逃げ続ければ成功する見込みが高い。
だが、ほとんどの団員が死中に残した味方のことを気にかけているのもまた事実であった。誰がなにを言おうが、彼らが仲間を見殺しにする選択をしたことには変わりはない。全員が苦渋の表情を浮かべている。
カヤだけは一人涼しい顔をしており、後方を走る団員らを一瞥して足を止めた。次第に気付いた団員らが順にその足を止めていった。
「迷うのは結構ですが、戻ってどうするのですか? 死にに行きたいならばどうぞ、お止めはしません」
冷たい言葉を述べて、全員が聞いたことを確かめるとカヤは再び撤退を始めようとした。その手をラッセントが掴む。
「待ちなよ。そんな言い方ないだろう」
「迷って逃げても注意力が散漫になるだけです。未だ安全圏にいるわけではありません。であれば、迷いは断ち切るべきです。ここでこうして止まったのも、選択させるため。ここで戻るも自由、撤退するのも個々人の自由でしょう。一応、そういった選択する時間も必要かと思い、発言したまでのことですが」
「的確だよ、君の意見は至極真っ当だ。だからこそ苛立つんだよ!」
ラッセントが歯噛みし、目を怒らせて声を荒げる。普段ふざけたような態度しか取らないラッセントが見せた、初めての姿だった。イッサが困惑したように見つめ、カヤは眉一つ動かさない。
「そんな個人的感情をぶつけられても困ります」
「ああ、そうだろうね! 俺だって間違いだろうとは思うさ! でも理不尽だろうが苛立たずにはいられないんだよ。なにせその死中に味方を残して逃げようって言ったのは俺だからさ! この行動にも、誰かの言葉一つでも癪に障って仕方ないんだよ! みんな不満だろうさ! 不満がないわけがない。冷静でいられる君が羨ましいさ」
カヤがラッセントが握る手を振り払うと、手首を擦ってラッセントを睨みつける。肩を震わせるラッセントを眺めながら、嘆息してみせた。
イッサが二人のほうへ歩み寄ろうとするのを、レオポールが止める。振り返るイッサに対し、今は待てというように首を横に振った。コルソンらもその様子を静観している。
「このまま撤退するか、戦うかの二択ですが、あなたは撤退することを選んだでしょう? これ以上、我々になにができますか」
「……それは」
「綺麗なことだけ、汚れないままに生きたいのであれば家に篭って目をつぶっているとよいでしょう」
「そんなつまらない人生が嫌だから、俺はここにいるんだ!」
「ではどうします? 御託を並べる時間ももうありませんよ。激戦区は脱しているようでも、未だ周囲は敵で溢れています。最も、魔術の影響が薄いのか動かない屍も転がっていますから、ここももうじき静かになりそうではありますが」
ラッセントが周辺に目を見張る。影と屍が互いを食い合う戦場には違いないが、確かに影も屍も動きが緩慢であり、戦場というには敵影は少ない。広い戦場でも端の方にいることは確かで、あちらこちらに動かなくなった屍が転がっている。
しかし目を凝らせば未だ激戦は続いているようで、奥は蠢く無数の影と土煙に塗れている。その先に人間の姿は微塵も見えない。荒ぶる獣の猛り声と時折上がる爆音だけが戦闘の激しさを語っていた。
「……行きますよ、私は。無謀に付き合う気はありません」
踵を返して戦場を離れようとするカヤ。その背をラッセントが目で追った。
「待ちなよ」
「これ以上話しても仕方ないでしょう」
「無謀じゃない」
カヤが足を止める。どういうことかと、僅かばかりの疑念を孕んだ瞳をラッセントへ向けた。コルソンやレオポールらも同様だ。
「策と呼ぶには、荒削りではあるけれど。当然死ぬかもしれない、だが勝てる。勝ってみせるさ」
「絶対に勝てると約束できますか? その策とやらは」
「このまま逃げるのは確実な生還の道、これから引き返すのは――常勝の道だ! 付き合ってくれないか」
その力強い言葉に、カヤが目を見開いた。他の団員らも僅かばかり表情を強張らせる。その言葉を待っていたといわんばかりに、レオポールとコルソン、アグネスタが前に出て武器を掲げる。
「いやあん、ラッちゃんカッコいいぃん!」
「その策、乗ったぜ旦那!」
「このまま逃げるのは不本意ですからな」
これに残る全員が賛同し、カヤだけは沈黙を保った。ラッセントが目に固い覚悟を浮かべたまま、カヤを注視する。視線が交差し、カヤが周囲の熱意を窺ってから口を開いた。
「常勝というからには、普通の策ではないのでしょうね?」
「そう、今から俺達は――怪物だ」
ラッセントが指差す先には、屍となったモノアイバットが地に伏していた。
一方で、ゴンドルらは奮起して激戦区の中で耐えていた。傷ついた仲間達をゴンドルが補佐しつつ、全員で背を守るような配置を保って守備を固める。ゴンドルがついているとはいえ、周囲を埋め尽くすほどの敵をこれだけで防げる道理はない。そう、普通であれば。
ティラは鎧を外し、鎖帷子だけを身にまとって長剣を振り回していた。一振りでモノアイバットの首が飛び、影は霧散する。人間離れした俊敏性と力でゴンドルらの周囲を飛びまわり、守備以上に攻めによって敵を寄せ付けることを許さない。
「でやあああああ!!」
その強さに怪我をした団員らは羨望の眼差しを向けるものの、ゴンドルは不安を抱えていた。ティラの片目は金色に輝いている。法術を解き放つのは時間の問題だった。
戦闘中、ティラは時折片手で頭を抑えていた。金色の瞳からは血の涙が流れ、唇を噛んで必死に堪えるその様をゴンドルは見逃さなかった。小さな体の中でなにかが暴れている。それに耐えて自分達を守っている少女の姿に、ゴンドルは斧槍を強く強く握り締めて悔しげに呻いた。
「ティラ、すまぬ、すまぬ……! なんと非力な我が身か。しかし、ティラの補佐に移ろうにも……」
ゴンドルの背後には傷ついた仲間がいる。襲ってくる敵の大半をティラが、漏れた集団をゴンドルが捌いているため、ここでその体制が崩れると確実に仲間が死ぬことをゴンドルは察していた。
死地にいる。しかし生への願望を諦めてはいない。ゴンドルはそんな仲間を見殺しにはできなかった。現状を維持するに留めるしかないことを理解していた。故に動けない。だからこそ、目の前の少女に頼らざるを得ない己を恥じた。
「ウェイド、さん……。ぐぅぅ、頭が痛い、目が熱い。でも、この意識が、焼き切れても、私はぁぁあ!」
少女の剣が鮮血を散らす。怪物たちが群がる戦場で、決死の舞を踊り続ける。次第に暴力的な剣筋になりつつも、ティラは己を保ち続けた。
ゴンドルは鉄壁を敷いて魔物を斬り伏せる。頭を刺し貫き、その動きを徹底的に弱めた。他の団員らもそれを真似て対応する。
「ティラが耐えてくれている。その間にウェイドがカークスを討つか、我々が撤退に移ることができれば良いが」
「……ゴンドルさん、自分は足を怪我してます。いざとなったら自分を置いて逃げてください!」
「何を言う、見殺しにする気ならば最初からここに留まりはせんわい」
「俺だって腕は怪我してるし、正直今にも倒れそうだけどよ、ティラちゃんが頑張ってんだぜ? 弱音吐くのは早すぎだろうぜ」
「ゴンドルさんだって俺らのために残ってくれてるんだ。ああ、死にたくねええ!」
僅かながらに希望を捨てない五名が挑む。遠くに見えるその様子を、余裕綽々といった表情でカークスが眺める。血を操るその手は指揮するように滑らかに動くと、ギルスレイの影を散らし、ウェイドを弾き飛ばした。斬られた片羽を血でくっつけて再び飛翔し、戦場を見下ろした。
ギルスレイが飛び掛り、影の刃を含めて蓮撃を繰り出した。振り下ろしからの一閃をカークスは避け、続いて突きをかわし、影からの薙ぎ払いを血の杭で防ぐと、最後にギルスレイからの交差斬りを血の剣で受け止めた。宙では鍔迫り合いもなく、ギルスレイが重力に引かれて地上に降りる。そこにすかさず血の槍を降り注がせると、ギルスレイは俊敏な身のこなしでそれをかわした。
ウェイドは弾き飛ばされてから起き上がり、その様子を眺めるに留めた。その実、ウェイドの体は既に傷だらけであり、痛みが体中を走っている状態だった。しかし、ウェイドは未だ勝利を疑わない。
双剣を構えてカークスへと突撃を敢行すると、それに気付いたカークスが血の斬撃を繰り出した。それらを避けながらも速度を緩めず、カークスへと飛び掛るウェイドの一撃をカークスが避ける。そして空中で無防備になったウェイドのわき腹目掛けて血の杭を打ち出した――つもりだった。
カークスが作り出す瞬間、動きを止めた僅かな隙を突き、ウェイドは力の限り剣を投げつけた。そしてそれはカークスの肩口を貫き、カークスの羽まで貫通する。激痛と咄嗟の出来事にカークスの動きがさらに鈍ると、地面から影の刃が突き出し、そのままカークスの腹を串刺しにする。それはウェイドもその範囲内に入っており、残る剣で軌道を逸らしたものの全ては避けられず、ウェイドも足や腕などを切られながら地面へと落下した。
「これで御終いです」
「ああああ、痛い痛い! なんてことをするんだねまったく。ああ、本当に痛い」
くつくつと笑うカークスは肩と腹から刃を抜くと、血を固めて傷を塞ぐ。ウェイドの剣はそのまま投げ捨てた。その様を眺めつつ、ギルスレイは致命傷ではないと判断して再び剣を構えた。ウェイドは非常に苦しげになりながら立ち上がり、残る一本の剣を構えてみせた。
「君もしつこい人間だな。普通なら死んでもおかしくないというのに」
「しつこさではカークス、あなたほどではない」
「くふふふ、そうさ。私は不死身だからねえ」
「ふざけた奴らだぜ。一向に死ぬ気配がねえなあ」
「いい加減、限界でしょう。諦めなさい」
「誰が諦めるかよ。這ってでもてめえらの首は叩き落してやるぜ」
ぎらつくウェイドの目には未だ生気が爛々と輝いている。それを見てカークスは恍惚の表情を浮かべる。ギルスレイは呆れたように眉根を顰めた。
「くふ、くふふふふ、どうしてこう人間は愛おしい。お前がますます気に入ったよ。どうだね。今の私は雌なわけだし、お前の伴侶になるのもやぶさかではないよ?」
「抜かしやがれ。どうしてもってんなら人間に生まれ変わってからだったら考えてやるよ!」
ウェイドがぶっきらぼうに斬りかかるものの、カークスはいともたやすくそれをかわした。そこへギルスレイが剣を向けるが、カークスは不適に笑い、触角を持ち上げて震わせる。すると、即座に無数のモノアイバットがギルスレイ目掛けて襲い掛かった。
影を操ってそれらを止めるものの、周囲のモノアイバットは完全に標的をギルスレイのみに絞っており、ウェイドには一切攻撃の意思がないようだった。
「私の声はこいつらを操れるんだよ。もっとも、魔族はもちろん人間には聞こえない声だがね」
「超音波でも操れると? なるほど、厄介な!」
ギルスレイが完全に屍の群れに囲まれたところで、カークスがウェイドへと向き直る。ウェイドは血に塗れているものの、戦意はむしろ増している。獰猛に笑うとそのままカークスへと特攻を開始した。
「うおおおおおらああああああ!!」
「ふん、猪のように突進ばかりとは能のない!」
ウェイドは両手で剣を握り締め、下段に構えて一気に距離を詰めた。そうして力強く飛び上がり、カークスの首を狙う。
見切ったと言わんばかりにカークスが身を翻そうとするが、ウェイドの剣は完全にカークスを捉える。首を斬り付け、両断する勢いのまま振りぬこうとしたところをカークスは掌底を打ち込んでウェイドを無理矢理引き剥がし、息を乱して驚いた様子のカークスは血を固めて傷を塞ぐ。半分近く斬られた首の傷を指でなぞり、困惑した眼差しをウェイドへと向けた。
吹き飛ばされたウェイドは咳き込みながら起き上がり、一度口の中の血を吐き出してから口元を拭う。そうして子供が悪戯を成功させたようないやらしい笑みを浮かべた。
「どうした? 俺の剣を見切ったつもりだったか?」
「剣速が増すなんて、一体どういうことなのかね? その体で!」
「わりいな。元々二刀流じゃねえんだ。俺は今まで一刀流だったからな!」
「くふふふ、さっきまでは付け焼刃の剣技で私に挑んでいたと? まったく面白い生き物だ!」
殺されかけたところで、カークスから怒気が発せられる。完全にウェイドを脅威と認めた様子のカークスに対し、ウェイドは歓喜の笑みを浮かべて、高らかに笑った。




