~変わりゆく者たち~
圧倒的な魔物を前に、我先にと殺到した傭兵達は戦きながらも果敢に挑む。薙ぎ払っても焼き払おうとも、欲望に駆られた人間達はドラゴンに向っていった。さしものドラゴンも、数の多さに簡単には振り払えず、双方は互角に渡り合っていた。
アイオンから強い魔力を感じているドラゴンは、背後を仕切りに気にかけている。そのせいで集中していないせいか標的が定まらず、頻繁に火炎を吐いて自身の周囲に壁を作るドラゴンに対し、ヴィンタスは戦場において、バンジョーと共に廃墟を盾にドラゴンの炎を防いでいた。
「熱いわまったく! 炎の中を潜ってかにゃあならんとは、曲芸の獣みてえな気分だぜ」
「……そうだな」
「なんでえ小僧、急に静かになりやがって。ビビッてんのかあ?」
「いやいや、そんなことないさ。ただ熱すぎて喉が渇いただけ。樽で水を飲みたい気分だ」
軽口を叩きながらも、ヴィンタスは笑みを浮かべていない。アイオンのいるであろう方角を眺めながら、困ったように頭を掻いた。
「参ったな。アレどうすればいいのかしら」
「あん!? 火なんて恐がってちゃ野生の獣と同じ次元だぜ。ここは突っ込むだけよお!」
雄叫びを上げながら、バンジョー以下力自慢の傭兵たちが得物を振るってドラゴンに挑みかかった。炎に向っていくその姿に視線を移しながら、ヴィンタスは眉根を顰めて苦笑する。
「いやあ、おっちゃんに言ったんじゃないんだけど、まあいいか。さて、まともに組み合っちゃあ勝てっこない、されど止めなきゃアイオンが魔族として覚醒する可能性が浮かんでくる、と。嫌な状況になったもんだ。それもこれも、あの魔族のせいだ。ざまあない、今は人の体に押し込められてるようだし、消すなら今だ」
ヴィンタスがサーベルを抜いて廃墟伝いに移動し、ドラゴンにはわき目も振らず、その奥にいるアイオンの方へと進んでいく。ドラゴンに注意が向いている傭兵達はそんなヴィンタスの行動には気付かない。ただ一人を除いて。
「うん? あれは確か、私の団に入った――ドラゴンを前に逃亡しようというのか? いや、パンデノンの奥へ進んでいるようだが、なぜだ?」
赤翼の団、ヨハンは後方で団の指揮を執っていた。とは言っても、手柄を求める傭兵達の制御は利かず、ただ声を張るだけのものと化しており、一部の命令を聞く部下以外、彼の指揮を必要とするものはいない。ヨハンは数少ない部下に現状を維持し、ドラゴンを休ませるなと命じて、不審な行動を取ったヴィンタスの跡を追った。
人が焼かれる異臭漂う中、アイオンは興味を失った眼でドラゴンを見上げている。バグラは体に慣れないのか、立ち上がるのもやっとといった有様だ。その二人に気付かれないよう、ヴィンタスは瓦礫に身を潜めながら、少しずつ少しずつ近付いていく。
サーベルは炎の赤を刃に映しており、ヴィンタス自体の目も鋭く前方に立ったバグラを捉えている。身を屈めているが瞬時に飛び出せるよう、利き足を常に踏み込みやすいよう足運びに気を遣っているようだ。アイオンはドラゴンを眺めているように見えて、廃墟や瓦礫の山をなぞるように視線を動かしており、ヴィンタスの殺気に気が付いているらしかった。剣を構えこそしないが、柄を握る手には力が入る。
バグラはアイオンを睨みながらも、背後から感じるなにかの存在には気が付いている様子だ。おぼつかないながらも足を少し開いてすぐに動けるように調整し、女剣士が腰に下げていた曲刀の柄に指先を掛けていつでも剣を抜けるよう準備を整える。
三者は互いの動きに気付きつつ、緊迫した糸を張り詰めていた。殺気を感じつつも、自分を誰が狙っているかまでは把握しきれていない。ただ知らない存在がいるという事実が余計に緊張を募らせる。そしてヴィンタスがバグラにより接近して廃墟の壁に身を隠し、動きを止めると緊迫感は最高潮に達する。
「おい、君達ここでなにをしているんだ」
不用意に、そして突然瓦礫の山から姿を現したヨハンに反応し、反射的に動いた三人の剣が突きつけられる。ヨハンの眉間にはアイオンの剣が、首筋にはバグラの曲刀の切っ先が、わき腹にはヴィンタスのサーベルが当てられ、声にならない悲鳴を上げてヨハンはその場に固まる。
「キキキ、なんだお前かよ。でも鼠も一緒に釣れたわけだ」
「しまった、俺としたことがつい動いちまった」
「団長、どうしたんです? 僕達になにか用でしょうか」
「いいい、いや、その、とりあえず剣を下げてくれると助かる」
三人が剣を下げるが、即座に身を翻して剣を構え、ヨハンを中心に三人の剣士が睨みあう。
「ヴィンタス、君は普通の傭兵ではないみたいだね?」
「ちょいと訳ありなのさ。あんたと一緒だよアイオン」
「キキキ、ボクに熱視線を送ってたのはお前か? 生憎タイプじゃない」
「俺もあんたはタイプじゃない。ていうか、女に興味はないんで」
「同性愛者か? 良かったな団長さん。お前と同じ趣味なら馬が合うんじゃない?」
「いや、私はなにも男色というわけでは」
「どうでもいい。僕の邪魔になるか、否か。返答してくれればそれだけでいい」
アイオンから赤い魔力が立ち上る。冷たい目と殺気に気圧され、ヨハンは言葉を口に出来なかった。バグラは鼻で笑ってみせ、ヴィンタスは肩を竦める。
「キキキ、ボクに関しては答えなくていいだろう? 言わずともお前がよく知ってる」
「俺はアイオンの味方でいたい。敵対しても今のあんたを止める術はないしな。ただ俺は、そこの女魔族を斬りに来ただけだし」
「人間風情がボクを斬るだって? 冗談のセンスがないな、笑えるところがない」
「ははは、笑わなくて結構。冗談じゃなくなる」
二人の視線が交差し、肌を刺す殺気と共に刃を向け合う。ヨハンは双方を交互に眺め、顔を青くしている。混乱しているヨハンの肩を、アイオンが叩いた。
「あなたの返答を聞いてませんよ、ヨハン団長?」
「わ、私は敵じゃない。本当だ。あの褐色の少年を追ってきただけであって、君を斬ろうなんて微塵も思ってない!」
懇願するようにアイオンの足元に縋りつくヨハンに対し、アイオンは侮蔑するように鼻で笑って剣を鞘に納めた。ヨハンは今まで接していたアイオンと様子が違うことに対して困惑しており、また剣を向け合う二人とアイオンを交互に見合い、状況を飲み込めていない。
「一体、なにがどうなっているのだね。君達はなにをしているんだ!? ドラゴン討伐が目的だろう。それなのに仲間同士でこんな争いをして、特にアイオン君、邪魔になるか否かと問うたが、君の邪魔をするというのはどういう意味だ。なんの目的の邪魔をすると君の邪魔になるというのだ?」
「僕の目的は、今は力を付けること。僕の行く手を遮る気があるのなら、邪魔者と見なします。例えば、あのドラゴンのように。僕に敵意があるか否か。それが聞きたかっただけですよ」
アイオンはヨハンに向ってそう告げると、一人喊声の沸く方へと歩いていく。バグラとヴィンタスはその動向を気にかけながらも、互いに向けた剣を下げる気はない様子だ。ヨハンは両者を見比べ、そそくさと瓦礫の側まで後退する。
「本当に、あの優しかった彼がまるで他人を気にかけなくなったもんだ。魔族としての人格があるとは思わなかったが、他者に対する拒絶の感情を増幅させたやつのせいで心の均衡を欠いた結果なのかもしれないなあ?」
「随分と酷いことをしたやつがいたものだねえ。知ってるならボクに紹介してよ」
ヴィンタスのサーベルが上段から振り下ろされ、バグラはそれを避けて曲刀で反撃する。舞うような流麗な動きで斬りつけるも、ヴィンタスもまたサーベルで受け止め、避けれるものは服を裂かれようとも紙一重で避け、両者は互いに傷一つ負わずに距離を空けた。
「お前、さっきの物言いからして、以前から半端ものを知っているようだったけど?」
「あんたに答える義理はない」
語気を強め、一気に踏み込んでバグラに襲いかかるも、ヴィンタスの視界から突如としてバグラが消えた。一瞬動きを鈍らせたヴィンタスが視線を彷徨わせると、地面擦れ擦れまで身を屈め、蛇を彷彿とさせる動きでバグラがヴィンタスの懐に潜り込み、そのまま空に突き上げるような強烈な蹴りを喰らわせた。
体が宙に浮くヴィンタスは叫ぶ間もなく、そのまま腕を掴まれ地面に向って叩きつけられると、バグラは曲刀の先端をサーベルを握るヴィンタスの右手に突き刺し、腹を踏みつけた。
「キキキ、舐めるなよ。ボクと張り合おうなんておこがましいんだよねえ。種族変えて出直しな?」
「ぐっ、体はまだ馴染んでいないんじゃないのか。こんなにあっさりやられるなんて」
「当たり前さ。ボクはマルトールの副将程度には実力者だったんだ。油断したねえ、このボクをそこらの雑魚と一緒にするなよ」
ヴィンタスは苦々しげにバグラを見上げる。鼻を鳴らし嘲笑いながらその様子を見下すバグラだったが、視線をずらし、先ほどから固まったまま身動きを取らないヨハンへと顔を向けた。
「さてと、次はお前の番だ」
「ひっ!? わ、私は貴女と戦う気はこれっぽっちもないぞ!?」
「ボクの正体、知ったろう? 後で騒がれても困るんだよ」
素手ながらも、バグラは元々体術に優れている。剣がなくても人を葬る手段を身に着けているのだ。ヨハンはすっかり怯えて竦み、剣を抜くことすらしない。その場にへたり込んで顔を強張らせている。バグラはヨハンの目前まで歩み寄ってから指の骨を鳴らし、目をぎらつかせたものの、縮こまったヨハンの姿を眺めてから口を開いた。
「……お前、ボクの正体を秘密にできるか?」
「ああ、貴女がそう望むのであれば約束する。絶対に口外しない! だ、だから命だけは助けてくれまいか」
「そう、じゃあいいよ」
「へ? ほ、本当に? ホントに本当? ありがとう、心から感謝する!」
ヨハンは平伏し、地面に額を擦り付けながら感謝の言葉を並べた。バグラはそんな言葉には興味がないのか、溜め息を吐く。その様子をヴィンタスが意外そうに眺めていた。
「あんた、なにを企んでいる? 俺も殺さない気なのか?」
「はあ? 寝言は寝ていいなよ。殺すさ――いつかね。今日でなくてもいつでも殺せるよ、お前らなんか脆弱な生き物なんてさ」
バグラがヴィンタスの方へと近付き、右腕に刺した曲刀を引き抜く。痛みからかヴィンタスが悲痛な声を上げるが、バグラがしゃがんで血が留めなく流れる傷口に手をかざした。
「その身に宿る生命よ。汝の運命を守るため、その身に受けし苦痛を消し去れ。我が言葉に従い、汝の肉体を『治癒』せよ」
瞬く間にヴィンタスの傷が癒えると、バグラは立ち上がって曲刀を腰の鞘に納めた。ヴィンタスは当惑しているらしく傷の癒えた手を握っては開き、完全に治ったことを確かめて起き上がる。
「一体何の真似だ?」
「気が変わっただけさ」
「あんた、魔族なんだろう? 助ける理由なんかないんじゃ?」
「あの馬鹿の状態を知っている奴らがいたほうが、今後のためだと判断したんだよ。あいつの仲間ってやつらに報せるには、ボクよりお前らのほうが好都合だしね」
「協力しろっていうのか?」
「訊いてばかりいないで自分で考えなよ。あいつ、このままだとなにしでかすか分かったもんじゃない。人間の虐殺か、魔族の殲滅か。今のアイオンならやりかねないことだ。正気に戻すには、やっぱりあいつの身近にいたやつらの協力が必須だろう? ただ、奴を野放しにするわけにもいかないから、仲間の連中を呼ぶ間の監視役も必要だ。違う?」
「つ、つまり私らがアイオン君の友人らを呼びに行けば良いのだね? 今のアイオン君を止める術があるのはバグラ、貴女だけ。監視は貴女に、我らは同志を呼びに走る。そうすることが最善というわけだ」
「キキキ、頭が小賢しく回るじゃないか。助けた価値はあったみたいだねえ」
ヴィンタスは頭を掻き、今ひとつ納得していないようだったが、アイオンのことを考えたのかバグラの申し出を受けることとした。
「あんたがアイオンを助けようなんて考えるとは、意外だ」
「ふん、あいつの目的は仇討ち、同族が犠牲になることに目は瞑れない。それに――」
「それに?」
「ボクに可能性を考えさせたやつが、あの様になっていることが無性に腹立たしいだけさ」
ヴィンタスはバグラの言う可能性、がなんなのかは言及しなかった。だが確かに彼女は寂しそうな、悔しそうな声色だったことはその耳で聞きとめていた。アイオンと同化した僅かな間、彼女の心に与えた変化は大きかったようだった。そのことに、バグラが気付いているかは分からない。
「ところで、ボクの質問に答えてもらおうか?」
「質問?」
「お前、なぜボクのことを魔族と判断できた? そして半端もののことを知っている口ぶりだったが、それはなぜだ?」
「俺もイレギュラーだから、じゃ駄目かしら?」
「……かしら?」
「なんか変なこと言ったか?」
「ふざけてるのかい? 信用し切れないやつだな」
「まあまあ、いいじゃない。今は話すとややこしくなる。少し状況が落ち着いたらでいいか?」
「話すと確約するなら、それでいいけど」
「決まりだ。まずはどうする?」
「とりあえず、あいつがあの大蜥蜴をどうするのか見てから判断しようじゃないか」
三人の視線が徐々に空へと向って上がっていく。喊声は悲鳴に変わっており、煙が濛々と天に向って立ち上っていく。煙に浮かぶ獰猛なシルエットが、彼の魔物が健在であることを知らせていた。その影へと向かい、歩む少年の姿が煙に紛れて消えていく。
殺気渦巻く中で、死体を踏みしめる強者の影が二つ、再び激突しようとしていた。




