~自分の足跡~
アイオンは赤翼の団と名乗る傭兵団に参加し、ドラゴン討伐に赴くまでアジカに留まっていたが、四日目にしてようやく呼び込みを終了した赤翼の団が行動を開始する。それに伴い、アイオンも旅支度を整えて同行した。
赤翼の団はドラゴンが現れたという旧王都パンデノンに向かい、まずは北にあるボロウという町を目指して移動を始めた。道は歩きやすい平原であり、道は開拓されているため歩くのに支障はない。アイオンは馬を持っていたため乗馬して移動するが、多くの参加者は徒歩のため、移動は彼らに合わせた速度となる。赤翼の団の団長、ヨハンはその状況を見てか自分の無精髭を摩りながらぼやいた。
「うーん、予想外に集まりすぎたなこりゃあ。この人数分の馬はさすがにないし、歩いてもらう他ないけどパンデノンに着くまで何日かかるやら。その間に手柄を奪われないだろうな」
ドラゴンともなるといくら魔物とはいえ最上位の位であり、もしもドラゴンを討つことができれば下手な魔族討伐よりもはるかにその名に箔がつく。富と名声を共に得ることが出来る千載一遇の好機であり、多くの傭兵が莫大な金と自身の名声を高めることを求めてドラゴン討伐に名乗りを上げているのは明らかであった。そのため、功を求めて目をぎらつかせるものばかりが足早に前へ前へと進んでいる。団長ヨハンもまた、移動速度は速い。
後続となっているのは冷静にことを考えているもの、あるいは先頭集団からあぶれたものたちで、目的地は同じだと自分のペースを保つものたちとなっている。アイオンはその中を馬で歩んでいた。徐々に遠くなっていく赤翼の団の先頭集団を眺めつつ、急ごうとはしていない。
「足並みは揃えるべきだろうけど、あの速度じゃ日が暮れた頃には疲れ果ててしまう」
「キキキ、欲に目が眩んでいるのだろうさ。人間も魔族も、欲深さだけはよく似ている」
アイオンがヨハン達を呆れた目で見ていると、同じ参加者の男に声をかけられた。
「よお、良い馬に乗ってるな。体躯はがっしりしてるし、精悍な顔つきで臆する様子がない。戦場を駆けても物怖じしないだろ。あんたが育てたのか?」
嬉々とした顔で語るのは、アイオンより年上か同じくらいの青年だった。布を頭に巻き、茶髪を後ろに流している。色黒で上着に青いベスト状の衣服を着ているだけで上半身の逞しい筋肉をさらけ出しており、ほぼ半裸に近い。下半身も脛当てを着けているだけでゆったりとしたボトムスであり、おおよそ戦闘に赴く格好ではない。腰にはサーベルが下げられている。
「いや、ちょっと人から借りたんだ。僕の馬じゃない。君もドラゴン討伐に?」
「ああ、面白そうだし。ところであんた、肌白いしこの辺の出身じゃなさそうだな」
「うん、アルトリア出身だよ」
「へえ、遠くから来たもんだ。そうだ、ヴィンタス・エッジだ。短い旅だがよろしくな」
「アイオンです。よろしくヴィンタス」
「いや、同じくらいの歳のやつと会えるとは思わなかったから、嬉しい打算だなこりゃ」
「打算? 誤算じゃなく?」
「おお、それそれ。俺学ってのがないからよ、言いたい言葉が出てこないんだよな」
ヴィンタスは大笑いして無邪気な笑みを見せた。アイオンは彼が悪い人間だと感じなかったためか、釣られて一緒に笑う。
「なんか騒がしいと思ったら、飯屋で会った兄さんじゃねえか!」
「あ、あの時はどうも。おかげさまでドラゴン討伐に参加しました」
「ガハハハ! 俺の誘いを断っておいて参加しましただと! しかも馬まで乗ってやがるたあやってくれるぜ兄さん!」
アイオンにドラゴン討伐の件を教えた大男が、仲間の厳めしい男達と共にアイオンの脇まで歩み寄ってきた。大男はその身に似合った大斧を肩に担ぎながら、鉄の鎧を着込み、頭には牛の角を取り付けた角付きの兜を被っている。
「ま、俺達ゃ同士ってわけだ。よろしくな! 俺はバンジョーだ」
「アイオンは顔広いんだな。おっさん、俺もよろしくな」
「おお、若えのもよろしくな!」
一気に賑やかになったアイオンの周りに惹かれてか、徐々にアイオンの周囲に人が集まり始めた。ぎらついた目をするのではなく、その場には和やかな空気が流れている。緊張した空気を嫌った集団が自然と集まった結果、張り詰めていた空気が弛緩したのだ。
「そういや、兄さんはアルトリアから来たんだったな。なら、最近話題になってる傭兵団のこと知っとるか?」
「話題になってる傭兵団?」
「なんだよ、知らないのか。ブレインシェイクとかいう奴らのことだよ」
「……なんか、気持ち悪くなりそうな名前の傭兵団だね」
「ガハハハハハハ! そんな奴ら俺も知らんわい! ブレイブレイドって奴らのことよ!」
アイオンはその名前を聞いて、一瞬その身を強張らせた。驚き、喜び、困惑、高揚、どれもが一度に表に出てしまって、体がどう反応していいのか分からない、どんな顔をすればいいのか分からない、と言った具合で、アイオンは引きつった笑みを浮かべることでそれらを表現するので精一杯だという有様だ。
「まだまだこなした依頼は少ないが、その依頼先で魔族を必ず退けとるんだ。しかも、なんとあの血塗りの鎧騎士、マルトールを討ち取ったというんだから、そりゃ評判にもなるわなあ。手練れ揃いだが団長は別格に強いらしいぞ」
「ああ、なんでも熊も食っちまうぐらいの大男で、鬣みたいな髪してるとか、大剣片手で振り回してたとかなんとか」
「おう? いやいや、団長は女だとか聞いたぞ? なんでも神速の如き速さで動き回る上、口の悪さだけで人を殺せるとかって聞いたぞ」
アイオンは二人の論争を聞きながら苦笑いし、多少の違いがあるものの、恐らく二人が言っているのはシュバルトとルカのことだろうと察した。
「ま、俺もつい一昨日くらいに行商から聞いて知ったんだけどな。いつか団長に会ってみたいもんだ。ガハハハハハ! ま、アルトリアにいる兄貴に聞けば完璧に分かるんだけどよ!」
「お兄さんがいるんですか?」
「おう、傭兵の依頼も取り扱ってる酒場にいるんだ。元気にしてるだろうけど、たまには面拝みたくなるもんよ! ガハハハハ!」
「へ、へえ、そうなんですか。確かに笑い方はそっくりかも……」
「あん? なんか言ったか?」
「いえ、きっとバンジョーさんに似てるんだろうなあって!」
「ガハハハハ! 俺っちのほうが面はイケてると思うぜ! なんつってな!」
思わぬ縁者に会ったことに驚きながらも、アイオンはなにより自分たちの噂が広まっていることに困惑していた。ゼフリーらがマルトールを討った手柄をアイオンらに譲り、自分たちは一切関与しなかったことにした偽の報告がもたらした結果であった。
ゼフリーらは教団本部のあるヘイルダムとオルナ国、双方へ使者を派遣しマルトール事変の報告を行なったが、当然それは距離的に考えてもオルナ帝都へ伝わる方が早かった。そして、人の口に戸は立てられない。アイオンがフェニキアに渡るまでの間に行商や冒険者間にマルトールの一件が知られ、瞬く間に話題となったのだった。そして、噂を聞いた冒険者や行商、アルトリアから訪れた行商などがフェニキアで合流し、情報が共有されてさらに拡散される。そのおかげで、急速な勢いでブレイブレイドの存在が認識されることとなる。
その波はウェイドらの方にも押し寄せることとなるが、それをアイオンが知るのは彼らと合流した後のことである。
歩いて日が落ちる頃、アイオンらは引き離されていた先頭集団が止まって休んでいるのにようよう追いついた。ヨハンはアイオンらを見るや、堂々とした態度で歩み寄ってくる。
「君達、足並みは揃えてもらわないと困るな」
「申し訳ありません」
アイオンが馬から下りて一礼する。バンジョーとヴィンタスはヨハンに物申したいのか彼を睨みつけていたが、アイオンが即座に謝るのを見て口を噤んだまま渋々頭を下げる。
「ふん、次からは気をつけてくれよ。ボロウまではこの調子だとあと一日はかかるだろう。今日はしっかり休んでおくように。明日は明朝から出発だからね。寝坊したら置いていくから、その辺は肝に銘じておいてくれたまえ」
ヨハンは溜め息混じりに告げると、布を張った自分の寝床へと戻っていった。バンジョーとヴィンタスは彼が去った後、思い切り息を吐いて顔を見合わせた。
「息が詰まったぜ」
「怒鳴りこみたかったぜ」
「嫌な奴!」
二人が交互に不満をぶちまけ、苦々しげに次々と言葉を吐き出していく。アイオンは二人を宥めて落ち着かせる。バンジョーの仲間も彼を落ち着かせるために酒を手渡し、優しく声をかけてとにかく宥めた。
「兄さんはなんとも思わねえのか? あいつ、足並みを揃えろとかいうが、馬と徒歩じゃ歩幅も違えば速度も違うんだぜ。配慮ってもんがねえのかまったくよう。軍隊じゃねえんだ、別に今すぐ抜けたってかまわねえんだぜこっちはよ」
「まったく、バンジョーの言うとおりさ。金貰ったわけでもないしな。よくあいつ、あれで性欲の団の団長なんてやってられるよな」
「赤翼、ね。きっと普段なら冷静な人なんだと思うよ。ただ、目の前にある功を得るのに焦ってしまってるんだ。だから口調も変わる。ただ言ってることは間違ってもないんだ。
仮とはいえ、団に入れてもらってるわけだし、その足並みを揃えるために僕らが合わせるようにしたほうがいいのは間違いない。ただ、馬と徒歩に分かれているのに追いついて来いっていうのは少し厳しいかな。今日はかなり速めだったし、今日は良くても明日は徒歩で着いていくのが難しくなるだろう。
彼には今、その配慮や気遣いをする余裕がないんだ。別のことで頭が一杯だからね。他の人もそうだろう。目的ばかりに目がいってしまってるから、他を考えようとしていないんだ。だから多分、彼が無理をしていることに気付かなければ、明日には追いつけない脱落者がでるだろう。だから僕は明日もこの速度で行くよ。それで遅いことを理由に彼が抜けろというならそれはそれで構わない。所詮そこまでの人だってこと。
もしもそれで抜けろというのなら、彼には戦闘で不可欠な冷静さも状況判断能力も見込めない。ドラゴン戦でも結局統率できない人だってことだ。そんな人に着いていくくらいなら、僕は個人で戦う方を選ぶよ。
欲に目が眩んだ人間ほど、無能で無価値なものはない。身の程をわきまえないただのゴミでしかないのさ。死にに行く木偶に着いていくなんて滑稽な喜劇でしかない。ボクは凄惨な悲劇でも、最後に生きていられる道を選択するよ」
アイオンの瞳が妖しく光る。得体の知れない恐怖を放つアイオンに対し、バンジョーとヴィンタスは息を呑んで彼に畏怖を抱いた。微かに微笑んだ後、アイオンは目を少し大きく開いて二人に視線を移した。
「ご、ごめんね、変なことを言って。僕もカチンときて、つい口が悪くなった。少し、一人で風に当たって頭を冷やしてくる」
アイオンはそそくさと二人から離れ、一人赤翼の団が休む場所から離れて風に当たる。そして誰もいないことを確認して静かに目を閉じた。
「バグラ、君はまた勝手に僕の口で変なことを言ったね」
「キキキ、なんのことだい?」
「とぼけないでくれ。人間なんて無能で無価値だなんて、そんな――」
「待ってよ。本当にボクはなにも言ってないよ?」
「え?」
「そう、もうそこまで同化してきたのか。分かるだろう?」
「なにを、言ってるんだ?」
「とぼけないでくれって返させてもらうよ。分からないなんて言わせない。ボクが言うようなことを、お前が無意識に言ったんだろう? でも、ボクはそれを感知しなかった。なら、答えは簡単だ。ボクとお前の思考が同化し始めたんだよ。いずれボクがお前の言うようなことを言って、お前はボクのように人を見下すようなことをするだろう。お互いが気付かずに、ね。
フフフ、最終的にボクらが混じりあった先にどちらの自我が残るのか。楽しみだよ、アイオン。最も、君の自我が残ったとしたら、魔族により近付いた自分をどう悲観するのか――君の中で感じたい自分が居て、それも良いかもしれないって思ってるよ、今はねえ! アッハハハハハハ!!」
バグラの高笑いがアイオンの中で響く。アイオンはその場で膝を折り、俯いた。
「……そんな、同化なんて、そんなこと。だったら、そんなことが起きてるなら――さっさとボクに喰われろ、囀るしかできない雛は、兎角喧しくて仕方ない」
アイオンの冷たい声に、バグラは言葉に詰まった。アイオンは冷笑を浮かべ、闇に彩られた空を見上げる。
「聞き間違いかなあ? 今、ボクに対して生意気なことを言わなかった?」
「生意気なことなんて言ってないよ。君に思うことを素直に言っただけじゃないか。ねえ、ぴいぴい喧しい小鳥さん」
「お前がボクに喧嘩を売るなんて、少しは成長したじゃあないか」
「アハハ、喧嘩だって? 寝ぼけたことを言わないでよ。ボクと君、どちらが生き残るかの食い合いの間違いだろう。喧嘩なんて生温いこと、誰がするものか」
バグラは普段のアイオンにはない凄みを、今のアイオンに感じていた。口調は強く、そして態度は冷たい。そんな今まで感じたことのない彼を相手にして、バグラは戸惑う。
「お前、本当に半端もの――アイオンなのか?」
「馬鹿を言っちゃいけないよ。ボクは、アイオンだ。君がよく知ってるだろう、君もボクなんだから」
バグラの代わりに、アイオンの笑い声が天に響く。
「違う、こいつはアイオンじゃない。でも、ボクでもない。こいつ、一体誰だ? ボクに似た口調だけど、あいつの特徴もある。まさか、第三の人格か? ボクとあいつ、二つの自我が混じった結果がこの狂った半端ものを作ってしまったのか?」
バグラは気付く。アイオンの中で、自分と天秤のように釣り合っていた心の均衡が崩れたことに。アイオンはまだ気付かない。壊れ始めている自分自身に。




