~最西端の国~
アイオンはウェイドらと別れた後、オルナ国を抜けて北西へと移動し、オルナ国と北の大国ヘイルダムに挟まれた西の小国群、最西端の国であるフェニキア国に入っていた。
海に隣接しているフェニキアは海産資源に富んでおり、他国と貿易を盛んに行っている国である。小国といわれながらも財源豊かであり、その財力は周辺国はおろかアルトリア、ヘイルダムといった大国すら凌ぐという。
フェニキア国はオルナ国の国境線に近い町、アジカに入ったアイオンは、町の南入口に設けられた厩に馬を預けて自身は町に繰り出すも、ラインベルクに劣らないすれ違う人の多さ、それに比例する人々の活気、初めて見る珍しい物ばかりが並ぶ商店など、感じたことのない賑わいに目を白黒させていた。
町の中央は商人たちがこぞって商いに勤しみ、旅人は品定めを楽しむ。町人はそれが日常と言わんばかりに慣れた様子で町を行き交う。アイオンは人の流れに身を任せながら、町の中を一人散策していた。町の中央から外れ、町の北側へと移動すると人はある程度捌けたものの、それでも人の多さは際立っている。アイオンはその日の宿を探して町を歩き回るが、宿屋兼酒場となっている店を複数見つけたものの、どこも旅人や冒険者といった人々でごった返しとなっているようだった。
「困ったな、泊まれる場所はどこも大賑わいだ」
「キキキ、随分と混んでいるじゃあないか。なにかあるのかねえ?」
バグラはアイオンが移動する間、特になにをするわけでもなく、時折こうしてアイオンに対して話しかけるだけで体を奪おうと積極的な行動を取ることはなかった。アイオンはそんな彼女の考えが読めず、警戒心を強めて日々を過ごしている。
「商人の国、なんて呼ばれるくらいだから、相当活気や人の行き交いがあるとは思ってたけど、これは少し異常な気がする」
「冒険者が多い。それに傭兵団らしい奴らも見受けられる。なにかこの国、でかいイベントでも控えてるんじゃないのかねえ。ところで、ボクはお腹が空いたよ。ボクのお腹が減ったってことは、お前も空腹感を覚えてるってことだ。さっさと飯にありつこうじゃないか」
図星らしいアイオンは少しばかり恥ずかしそうにお腹を摩った。酒場とは違う飯処もあるが、どこも混みあっている様子だ。それでもアイオンは、少しでも他よりも空いていそうな飯屋に入った。元気よく挨拶され、相席にはなるものの隅のテーブル席に案内され、アイオンは食事にありつくことができた。
相席になったのは明らかに傭兵、あるいは冒険者といった屈強な男達であり、アイオンを一瞥するも自分たちの話に夢中になっているのか、気に留めることなく馬鹿話で盛り上がっている。
焼いた魚からシーフードサラダなど海産物を主とした料理が運ばれてくると、アイオンは初めて食すそれらを恐る恐る口にした。美味しいと感じたのか、アイオンはやがて抵抗なく口に料理を運び始める。相席の男がそんなアイオンを見て、アイオンの肩を叩いてきた。
「兄さん――いや姉さんか? え、男? じゃあ兄さんか。あんた、この辺の出身じゃなさそうだな。魚やら貝料理にそこまで恐々してるってこたあ、セーデ、アルトリア辺りか、もっと東の出だろう」
「よくお分かりで。僕、海産物はほとんど口にしたことがなくて……」
「ははは、やっぱりな。見た感じ、兄さんは冒険者って風貌だ。大方あの討伐戦に参加しようって腹で来たんだろ?」
「いえ、ただ旅の途中に立ち寄っただけです。あの、討伐戦ってなんですか?」
「なんだ知らないのか? そうだな、時間あって暇だし、丁寧に歴史から今回の発端まで教えてやろう。この町から北に行くと、ボロウって町があって、その先に旧王都であるパンデノンがあるんだ。もう何十年も前に遷都して、今は北西に王都アディノンがあるんだが、百年以上前にこの周辺を治めていたバンドレッド王の時代は、この町の北にあるパンデノンが王都だったんだ。
それで、今その旧王都は誰も住んでいない。廃墟となって残ってるわけだな。かつての文化を遺す街として、歴史的な価値を見出した国王陛下の命でそのまま遺して管理されてるわけなんだが、それが今回裏目に出ちまったんだなあ。
バンドレッド王の居城、シアンデルカって城なんだが、かつて敵国に岩山って呼称されるぐらい、とにかく巨大な城なんだ。でかいだけじゃなくて不落の城としても有名だったんだが、だからこそ、本来なら城なんかに住み着けないはずの生き物が住み着いちまったんだ。そんでさっきの話、事態を重く見た国王がそいつを倒すために討伐隊を組織するってんで、多額の報奨金を出してのお触れを発したってわけよ。
その話を聞きつけた傭兵やら冒険者がこの町に殺到してるのはそのせいだ。かくいう俺らも討伐隊に加わるんだがな。それでこの討伐隊の討伐対象ってのが、あの生ける伝説のドラゴンなんだ。どうだい、燃える話だろう? 廃城に巣食うドラゴン、これで囚われの姫君でもいりゃあ正に俺達が勇者様ってもんよ!」
男が馬鹿笑いすると、仲間の男達も大笑いした。アイオンは話を聞いて、興味が沸いたらしく目を煌かせる。
「キキキ、お前、自分の目的を見失うなよ?」
バグラの声で我に返ったアイオンは、高揚していてた気分を落ち着かせようと水を一杯飲み干した。一息入れて、再び食事へと戻る。
「ドラゴン、か。各国から集まっているのなら、相当な人員が討伐隊として編成されるんだろうな」
辺りを見てみれば、この店にいる八割方の客が傭兵あるいは冒険者といった様子であり、その目的は等しくドラゴン討伐であるとアイオンは察した。大金が得られるという欲に目が眩んで、あるいはアイオンのように、勇者というものに憧憬を持つもの達が集まっている。
アイオンはかつて、その伝説的な魔物と遭遇したことがある。ドラゴンという生き物を目の当たりにしたからこそ、その怪物の恐ろしさをアイオンは知っていた。しかし、それでもなお人を惹きつける魅力がある魔物であることも知っていた。だからこそ、アイオンは思う。
「もう一度、会ってみたいな」
口に出すのも束の間、相席の男がアイオンの肩を抱いてきた。
「兄さんも冒険者みたいだし、どうだい。俺らと一緒にドラゴン討伐に参加してみねえか?」
アイオンは即断できなかった。曖昧な返事でその場を誤魔化し、言葉を濁しながらその場を切り抜ける。
「参加したそうな面だねえ。キキキ、お前なんのためにあいつらと別れたのさ」
バグラの言葉が心に刺さったのか、アイオンは食事を終えると足早に飯屋を出た。人通りの少ない町の隅まで足を運び、思い切り体を伸ばしてから一息吐けると、道端に腰を下ろした。自分の前を歩いていく人々をぼんやりと眺めながら、一人思い耽る。
「バグラ、君は僕と同化していっているんだろう?」
「ああ、そうだよ。少しずつ、少しずつね」
「じゃあ、僕が感じたものをいつか君も感じるようになるの?」
「そりゃあそうさ。感覚だとか、思考はまだ個々のものだからね。まあ、いつかお前がボクと同じ笑い方でもすれば、そのときはボクらが繋がった証になるだろう」
薄気味悪い笑い声が、アイオンにのみ聴こえた。彼は苦笑し、僕がこうして笑うのか、とぼやく。
「ところで、お前は結局、どうやってお悩みを解決するつもりなんだい? 人と魔族の狭間にいて、自分の存在を認められない哀れな半端もの。どちらにも属せず、疑うばかりの生を全うするために、お前はどういう答えが欲しいのさ」
「……僕は臆病者なんだ。信用されない、かもしれない。誰かに認めてほしい、僕を悩ませる魔族の血を捨てられたら、けれど母さんが悪いわけじゃない。本来悩むのも馬鹿らしい問答、どうしようも答えの出しようがない問いなんだ。
問題なのは、僕が混血である事実に向かい合う強さを持っていなかったってことなんだ。自分で納得していたつもりだったんだ。問題なんてなにもない、そう思って自分の耳を塞いでいただけ。そこへ君が現れた。
君の言葉だけで僕は混乱したし、こうして迷いを生じさせられた。これじゃ駄目だ。僕は自分と向き合って、自分自身の姿を受け入れなければいけない。だからさ、実はもう答えなんて見えてるんだ。
誰かに認められず、けど信じてくれる人がいるのが混血である僕なんだ。だから、僕は僕を信じてくれる人を信じて剣を振るえばいい。それでいいんだよ。
頭ではそれで結論付いている。でも、僕の心は納得してくれない。信じきれない、疑われたくない、認めて欲しい。僕を、人間として見て欲しい。心のしこりが取れないんだ。だから、君にその部分を突かれると認めたくなくて、無理矢理納得しようとして拒絶してしまう。そんなことはないって、心の中で叫んでたんだ。
どうにかしなきゃいけないのは、そんな僕の弱さなんだ。もちろん、僕の中にいる君をどうにかしたいって考えもあるんだけどね。ただそのことに関しては、バグラにも考えて欲しい。
僕と君の二人、どちらかが消えるまで互いを食い合うしかないなんて、本当にそれしか答えがないのか? 人と魔族も、共存できる道があるんじゃないのか。いや、あるからこそ、僕という存在があるんじゃないのか? 馬鹿馬鹿しいと君は思うかもしれないが、君の言う半端ものがいるって事実が、その可能性を示してはいないだろうか」
「アッハハハハ! 面白いことを言うじゃないか。反吐が出そうだ。気持ち悪いことを抜かすんじゃないよ――と言いたいところだが、お前の言うことは的を得ているよ。可能性はなくはない。
お互いに共存しようと思うなら不可能なことじゃないだろう。ただ、数百年の恨みつらみがたった一日で晴れることは有り得ない。遅すぎだよ。ボクらが手を取り合うには、もう数百年早くなきゃいけなかった。つまり、お前の言うことは間違ってはいないが、それを可能にするにはもう何百年かかるか分かったもんじゃないってことさ。まあ、諦めるんだね。ボクにはお前と手を取り合う気は毛頭ないよ」
嘲笑するバグラであったが、アイオンの返答がないことに気付く。アイオンは悲しそうに俯いていた。
「言い返してよ。そんな顔されるだけじゃあ、調子狂うじゃないか」
バグラはつまらなそうにぼやくと、そのまま声を発さなくなった。アイオンはこれ以上話す気がないのだろうと考えたのか、立ち上がって今晩の宿を探しに、再び賑わう人込みの中へと足を進めた。
傭兵団らしい集団が、仲間を募って呼び込みを行なっていた。火を吹く大男、曲刀を五本程、息つく間もなく宙に投げては掴みまた投げての大道芸等、派手なパフォーマンスをしながら注目を集める。団長らしい赤いマントをなびかせる無精髭の男が声を張り上げた。
「我らは赤翼の団である! 此度のドラゴン討伐に名乗りを上げた勇猛なる戦士諸君! 我らと共に彼の伝説的存在を討ち取り、叙事詩にその名を刻もうではないか!」
アイオンは遠目にその様子を眺め、参加する意思がなかったらしく踵を返そうとしたときだった。
「片角の竜はシアンデルカにあり!」
その言葉が耳に入り、アイオンは振り返る。片角のドラゴンに心当たりがあったからだ。かつて剣の師、ダンカードが角を切り落としたドラゴンがいる。アイオンは自分で考えるよりも先に、傭兵団に参加の意思を伝えていた。幼き日に見た伝説を、もう一度その目に刻むために。
「あの日、僕が持てた勇気。今の僕に、まだあの時の勇気があるだろうか」
アイオンは自分を試すように、かつて敵わなかった至高の存在に挑むことを決意し、ドラゴン征伐戦に身を投じるのだった。




