~踊る影~
衝撃を隠せないのか、アイオンの動きは鈍くなっていた。それに追い討ちをかけるバグラの声が脳に反響する。
「言ったろう、あいつの正体を知ればお前はもっと戦いにくくなるって。いるんだよ、お前とは違って、魔族になりたいと願う人間もさあ」
自分の存在を疑問視しているアイオンにとって、自らの立ち位置を変えた存在がいるということは、想定外の衝撃であった。呆然とマルトールを注視し、バグラがなにごとか話を続けているも、その言葉はただ右から左へと流れていく。しかし、クロードとマルトールが打ち合う音を聞いて我に返り、そしてバグラの話が耳を塞いだ。
「キキキ、お前は何を悩んでいるんだい。自分はどちらにもなれないと思っていたから、鞍替えを実現した人間がいるってことがそんなに驚くことだったのかい? でも心配することはないよ。お前はもう人というよりは魔族に近い存在になりつつある。感じるだろう? 自分の底から湧き上がる魔力をさ。一方に染まるなんて簡単なことなのさ。ただお前は怖いんだ、人でもあり魔族であること、そのどちらも失いたくないんだ、それがお前の本音」
「そんなこと、ない。僕は人間だ」
「嘘吐くなよ。お前は半端ものである上に、魔族であるボクを抱えてこう思ったはずだ。このままあの傭兵団にいても、ティラと衝突してしまう、自分の中にいる悪魔を抑えられずに誰かを手に掛けてしまうかもしれない。そうなってしまう前に、一度みんなと離れてこの悪魔をどうにかしないとってさ。
でも、本当はそれだけで離れることを決めたんじゃないだろう? お前は自分という存在に憂き目を感じていたんだ。いつの日か、自分の血がもとで誰かに裏切られるのではないか、信用してくれるのか、そもそも人として見てくれるのか、悩みは尽きなかったみたいだなあ」
「お前、僕の記憶を……!」
「最早ボクとお前は等しい存在だからねえ。手に取るように、息をするように理解できる。でもさ、人でありたい、それがお前の願いだ。だけど――ならこの力を使わなければいいんじゃないの? それでも使うのはなぜだ? 自分の目的があるからだろう? 母を止めたい、村の仇を討ちたい。そのための力。切り札。
もう一度訊くよ、半端もの。人でいたいなら、なぜお前は魔術を使う? なぜ力を捨てようとしない? それはお前が、本心では魔の力を捨てたいと本気で思っていないからじゃないのかね」
アイオンは反論できなかった。バグラの言葉は深くアイオンの胸に突き刺さる。
「マルトールは立派さ。二者択一できっぱりと一方を切り捨てた。だからお前は動揺したんだ。どちらも捨てきれない半端ものだから、自分が居たかった人の地位をあっさりと捨てたマルトールに、その事実だけで圧倒されたんだろ?
お前はさ、人でいたいのは友達のため、仲間のため、そしてそうして生きたい為。でも、魔族でいることで得られる力を失いたくない。なにより、母親との血の繋がりを消したくないんだ。だから半端なままで留まろうとしつつ、もっともらしい理由をつけて尽きない悩みから逃げ出そうとしているんだろう!?」
アイオンはバグラの言葉を振り払うように剣を握り締め、マルトールに向っていった。マルトールは盾でその一撃を受けるも、予想外にアイオンの力が強かったのか、足の踏ん張りが利かずに足が滑り後退する。壁際まではいかないものの踏み止まると、マルトールは斧槍をアイオンへと振るう。そこへクロードが加わり、二人に武器と盾を抑えられた。二体一ではさすがに力では適わず、マルトールは壁まで押し込まれる。
「よし、このまま連携してこいつの首を!」
その言葉にアイオンは反応しない。クロードがアイオンの様子がおかしいことに気付いた時、アイオンから不気味な魔力が放たれ始めた。
「あなたはなぜ魔族に与したのですか。なぜ人をやめた? なぜ人を捨てた? どうして魔族であろうと思ったんですか!」
「愚問。貴様に語る言葉は――ない!」
アイオンが力で押し返され、組み合うことが出来ずに後ろへとよろめいた。しかしアイオンの魔力が強まった瞬間、その姿が二重になるほどの速度でマルトールの胸にアイオンの剣が突き立てられ、壁ごと外へと押し出した。爆発したかのように石壁が吹き飛び、マルトールとアイオン、クロードがミスア砦から落下していく。
クロードは咄嗟にマルトールを踏み台にして周囲の陸地に飛び乗ったものの、剣を突き立てたままマルトールとアイオンは堀の中へと落ちていった。水飛沫が勢い空へと伸びて、水面が激しく揺れ動く。
深い水の中、アイオンはマルトールに足をかけて剣を引き抜き、水面へと泳いで向う。重装備のまま底へと沈んでいくマルトールを一瞥し『覚醒』の力も借りて水面へと出ると、剣を壁に突き立てながら手や足をかけれるよう削り、そこを足場に上って陸地へと到達した。クロードが駆けつけてその安否を確認すると、一安心したのか胸を撫でた。俯いたまま、全身を濡らして膝を着くアイオンの肩を叩く。
「随分と心労をかけてくれる団長さんだ」
「すみません。無茶なことをしました」
「結果としてマルトールは沈んだし、まあ良しとするさ。でも、平気かい? 失礼だがその、さっきの君はとても平静でなかったというか、いや正直に言うと魔族そのものみたいに感じたんだ。君は――人間なんだよな?」
アイオンはゆっくりと顔を上げる。クロードへと視線を動かすと、平静を装っているものの、ぎこちない笑みから彼が不安と疑念の色が見え隠れしているのが見て取れた。アイオンは力なく笑う。
「心配しなくても、僕は人であるつもりですよ」
「否、貴様は人の範疇にない」
アイオンの背後に、堀から這い上がってきた鎧騎士が突如として姿を現した。クロードは咄嗟に反応できず、斧槍の一撃を受けてその場に倒れる。マルトールは水を鎧の隙間から流しながら、アイオンを見下ろして仁王立ちしている。腕に盾はなく、赤いガントレットがアイオンの首を掴み上げた。
抵抗することなく、アイオンは首を絞められながら宙へと持ち上げられる。
「キキキ、このまま死ぬ気か!? ボクはそんなの良しとしないよ。戦う気がないならボクに体をよこしな!」
「渡さ、ない」
「バグラ、共に果てるがいい」
「果てない」
バグラの影とマルトールは即答したアイオンの言葉に反応を見せた。直後、アイオンはマルトールの腕を掴み、冷たい瞳でその赤い騎士を見下ろした。マルトールが僅かに動揺したのか手の力を緩め、その隙を縫ってアイオンが首を掴む手を剥がしてマルトールと距離を取った。
「ノヴァ様の面影、か」
マルトールが斧槍を構えてアイオンと対峙する。アイオンは剣を構えず、力を抜いたように両腕を垂らし、剣先も地面に着いている。堅く構えるマルトールとは対称的だ。
「どうして人を捨てたのかという問いの答えは――もういい。僕は、僕なりの答えを探す。あなたがどうして魔族になったかは、いつの日か、地獄で教えてください」
アイオンの魔力がうねるように放出された。マルトールは微動だにしないものの、真っ赤な魔力を立ち上らせる。バグラがそれを敏感に感じ取り、何事か言葉を並べた。それに被るように、マルトールの声が周囲に響く。
「『火』よ、その力の一片を我に貸し与えよ! 身を焼き骨砕き骸を灰と化せ! 残すは焦土、大地を抉れ、願わくば我が眼前の全てを黒く染め上げ、灰の雨を降らせよ! 『火』よ集まれ『爆発』せよ!」
アイオンの立っている場所が白く煌くと、直後に赤い焔に包まれた。爆音と共に地面ごと吹き飛び、黒煙が濛々と立ち上る。クロードが爆風によって吹き飛んで転がっていき、傷口を抑えながら苦しげに呻いた。
「な、なんだ、団長さんは、どうなった?」
よろめきながら起き上がろうとするも、思った以上に傷が深いのかクロードは顔を上げるだけで精一杯なようだ。一方で、マルトールは爆風の中でもその場に踏み止まっており、黒煙を浴びながらも不動のままであった。
「……避けるとは」
斧槍を構えてマルトールが前に出る。黒煙の晴れぬ中を進み、晴れた先にアイオンが立っているのを発見する。アイオンの着ている鎧が焦げているものの、目立った外傷はない。
「あなたの敵は一人じゃない」
「キキキ、『転移』させてもらったよ。こいつに死なれたら、ボクも死ぬことになるからねえ」
マルトールの威圧感が強まる。怒ってる、とバグラが笑いながら呟いた。マルトールが手をかざし、再び詠唱する素振りを見せた。だがアイオンはその動きを逐一観察するだけで踏み込まない。マルトールもそれに勘付いたのか手を下ろした。
「冷静だ。餌に食いつかぬか。ならば、手を変える」
「体はそろそろ限界だ。まともに打ち合うことができるかどうか」
両者の小さな独り言は、しかして互いの耳に入っていた。しかし、その言葉を鵜呑みにするかどうかは本人たちの判断に委ねられる。力、技量はマルトールが勝り、『覚醒』状態のアイオンは速度が勝る。
勝敗を見届けんとする影が砦から頭を覗かせた。彼は三つの目をアイオンへと向けながら、不適に微笑んだ。その背後には、傷だらけになり膝を着くシュバルトと、床に伏したルカがいる。
「あの少年、マルトール将軍とまともにやり合うとは、腕を上げたものですねえ。ま、あの村から出て少し毛が生えた程度でしょうが。なにより、バグラという魔力の提供者がいたおかげで随分と魔術の使用時間が延びている。『覚醒』状態を長時間持続できるとあれば、中々骨が折れる相手でしょうに、さすがはマルトールというべきかもしれませんね。そうは思いませんか? 法術使いのお二方」
「貴様、詠唱の短さといい、この風を操る術といい、ただの魔族じゃない。何者だ!?」
「クハッ、さてもさても。そういえば名乗っていませんでしたねえ。どうでしたか、知的で礼儀正しいこの青年魔族の器は? 中々いい感じだったでしょう。若い体というのはいいものですねえ。
私の名は――ハルバーティスといえば分かってくださいますか?」
シュバルトは驚愕する。目の前に立っている魔族の正体に。
「魔の三将の一人、魔王ギルヴァネアの参謀、あのハルバーティス!?」
「お詳しいじゃないか。まあ、そう怯えることはない。私は見学にきただけ、この器の魔力ももうじき尽きる。さあ、見せておくれ。私の可愛い人形たち、その命を燃やす人形劇の様を!」
対峙する二人の役者、覗き見る隠者、群集はこの劇を悲劇だということには気付かず、役者もまた、その結末を知らされてはいない。厚い漆黒の幕は、間もなく下りようとしていた。




