~四本の槍~
朝の日差しがミスア砦に差した。砦の周囲には魔物の軍団がひしめき、人の影はない。静寂な雰囲気に包まれた砦に、多数の足音が迫る。それに気付いた魔物達が呻りながら草原の先へと視線を注いだ。
晴天の下を白き鎧を纏った軍勢が進む。盾と剣、あるいは槍を手に進み、魔物と距離を取って静止すると、武器を構えて堂々と対峙した。団員達の中を馬に乗って歩むゼフリーが先頭に立つと、団員達はより身を堅くして指示を待った。
その軍団の傍らに、各々装備を整えたアイオンらが佇む。アイオンもまた剣を手にし、ウェイドらの方へ振り返ると、分かっている、とティラ、ミーシャ、ラッセント以外の全員が頷いた。ティラが気が付くまで、ミーシャとラッセントは後方で待機するようアイオンが命じたため、この三人は戦いに参戦しない。
アイオンがゼフリーに視線を移すと、ゼフリーもまた見返し、頷いた。彼の剣が高々に掲げられると、勢いよくミスア砦に向かい振り下ろされる。
「作戦開始!」
喊声が上がり、聖騎士団が進撃する。それにブレイブレイドの面々も続いた。魔物も声に合わせて応戦する。両者がミスア砦の東側でぶつかり合うと、砦の他方向にいた魔物達が続々と砦の東側に向かい集まり始める。ゼフリーらの周りを囲もうとする魔物を捌きながら、シュバルト、ルカ、クロード、アイオンは直進して砦に向う。
平坦な草原であることも関係し、ウェイドはここぞとばかりに軽快に突出すると、アイオンに追いつき双刃を振るって魔物を斬り払った。アイオンと並んで敵陣を駆ける。
「おい、兄弟!」
ウェイドの声に反応し、アイオンが足を止めてウェイドと背中合わせになり、襲いくる魔物の群れを相手取る。飛び掛る魔物をアイオンが両断し、その隙を狙う魔物をウェイドが叩き斬った。二人の視線が交差し、鮮血とともに刃が弧を描く。屍が積まれていく中で、ウェイドが背中越しにアイオンに声を掛けた。
「なんでティラと戦ったとか理由は後で聞く。だから、必ず教えろ、いいな? 絶対だぞ!」
「……ああ」
「言ったな!? 確かに聞いたぜ。よし、行け! 行って高い所でふんぞり返ってる偉そうな野郎をぶった切ってこい!」
ウェイドが魔物に躍りかかり、魔物を蹴散らす。後からコルソン、イッサが加わり、アイオンの道を開いた。アイオンが仲間の作った道を通って先に進む。見届けると、ウェイドが口端を上げて笑った。
「よし、野郎共! 暴れてやろうぜ!」
「やってやるっす!」
「やれやれ、俺達は囮だってことを忘れんでくれよ」
三人が並び、互いの背中を任せながら敵と対峙する。ゼフリーは聖騎士団に指示を出しながらブレイブレイドの様子を窺い、自身も剣を振るった。ゼフリーの指揮の下、騎士団は密集形態をとり、盾を前面に出しつつ鉄壁の布陣で魔物の攻撃を防ぐ。その周囲をウェイドらが暴れまわることで、魔物の注意を引き付けることに成功している。
少数ながらも精鋭であるウェイドらを眺めつつ、有能だな、とゼフリーが笑う。ゴンドル、フラッド、レインは聖騎士団の中に混じって行動していたが、倒せど倒せど増援が現れる魔物の数に辟易していた。
「さすがに多いのう」
「団長なら平気ダロウ。しかし……」
「これじゃあ撤退できるか怪しいね。私達は退路のことも考えないといけない」
「お嬢さん。あの液体はまだあるカ?」
「液体? ああ、トーリア村で使った魔物が苦手とした嫌臭薬のことかい?」
「……魔物が嫌がるあの液体、意外に使えるかもしれない」
「確かに、魔物を寄せ付けなくは出来ると思うよ。でも、数には限りがある。あと小瓶で五つ程度だよ?」
「考えがある」
レインから一つ小瓶を受け取ると、フラッドは弓と矢を片手に持ち、小瓶を聖騎士団の上に高く放り投げた。そして即座に弓を構えると、空高くから落ちてくる小瓶を打ち抜く。すると、空中で弾けた小瓶の中身が小雨のように降り注いだ。少量ながらも聖騎士団員の頭上に降ったものは嫌な臭いが鼻を突いた。しかし分散されたせいか人間にはあまり気になる臭いではない。それでも元々獣であった魔物の嗅覚はその異臭をはっきりと嗅ぎ取っていた。
途端に魔物は一部の聖騎士団と距離を保ち、近付こうとしなくなった。フラッドは同じことを繰り返して聖騎士団の広範囲にその液体を降らせ、魔物が近寄ることを拒むようにする。
「試しで作ったものがこんなところで役に立つとは!」
「長くは続かない」
ゴンドルがゼフリーに撤退を宣言する前に、ゼフリーが声高らかに撤退を告げた。騎士団は出来るだけ陣を崩さず、元来た道を後退していく。魔物は追おうとする意思を見せるも、やはり臭いが嫌なのか足を前に出そうとしない。開けていく魔物との距離を確かめ、ゼフリーは一気に後退するよう命を下した。
ウェイドらも魔物を裁きながらその後を追う。結果としてウェイド、コルソン、イッサが殿となったが、嫌臭薬を被っていないこともあって魔物は執拗に三人を狙った。フラッド、ゴンドルが三人の下に駆けつけ、追いすがる魔物を蹴散らす。
「無事か!」
「なんか分からんがこの辺くせえぞ。なんの臭いだこりゃ」
「お嬢さんの作品だ」
「成る程、あれを利用したのか。ところで、殿には厳しい人数だねえ」
「オイラ達もその臭いの水、被ればいいっすよ!」
「在庫切れだ」
「ええ!?」
「じゃあどうすんだい?」
「決まってるだろお前ら。死ぬ気で駆け抜けろ!」
ウェイド、ゴンドル、フラッドが最後尾となって五人が聖騎士団を追った。ゴンドルとフラッドから放たれる嫌臭薬の臭いによって魔物の中には追わないものも出たが、それでも少量では動じない魔物もいるのか、追撃する魔物も多数出てきた。それらを捌きながら後退する。
本隊が撤退した頃、シュバルト達は砦の周りを囲む堀の手前に辿り着いていた。アイオンが遅れて到着すると、ルカがむくれた顔でアイオンを叱る。
「おにいちゃん、遅いよ!」
「すいません」
「なに、いいんですよ。子供の戯言だと思ってください」
「メンバーは揃った。魔物も群れもこちらに目を向けている。そろそろ行くぞ」
シュバルトが目を堀に向けた。深く、そして幅広く取られた水の障壁は水面が揺れている。濡れた砦の壁の中、水路らしき格子があるのが見え、その格子が門状に造られているのを確認したアイオンは、そこが砦の中にある舟を出すための通路だと察した。
「あそこみたいですね。俺が最後に行きましょう。皆さんどうぞお先に行ってください」
「ルカ泳げないよ」
「じゃあ、水底でも歩けばいいんじゃない」
「クロ、冷たい」
ルカとクロードが周囲にいる魔物の注意を引き付ける。その隙に、シュバルトが大きく深呼吸をした。アイオンはその時、シュバルトの背後に何者かの影を見る。ローブを纏い容姿は一切確認できない。しかし、僅かに見えた口元は確かに微笑んでいた。
「主よ、私の道を知るもの、思いを知るもの、とこしえに我が魂を愛でてくださる神よ。私は貴方の前に頭を垂れ、いついかなるときも貴方のみたまを離れることがありません。あなたの思いは私には尊く、この身と魂は尊き思いによって清められました。
主よ、貴方を侮り、憎むものを私は憎みます。悪しきものを殺し、血を好むものを私から離れ去らしてください。貴方の敵は私の敵であり、おごり高ぶる俗物に貴方の御名を刻みましょう。せめて、我が正義を違わんことを――そうあれかし」
シュバルトが右手の人指し指の先に親指を付け、額につけて祈りの言葉を述べると、シュバルトの目が黄金に輝く。アイオンが見た人物の影は、法術の発動とともにその姿を眩ましてしまった。シュバルトは左手に大剣を持ち、鎧を纏ったまま助走をつけて砦に飛び掛ると、尋常ならざる跳躍で一気に水路の格子まで迫った。そのまま両手で大剣を握ると、勢いに任せて大剣を振り抜き、水路の格子を破壊してその中に突っ込んだ。
勢いよく水飛沫が上がるも、続け、とシュバルトの声が響く。それに合わせてルカ、クロードもまた祈りのような言葉を呟き、金色の目をアイオンに向けた。
「行きますよ、団長さん」
「遅れんじゃねえぞ優男! あたしの邪魔したらバラバラにして愛してあげるから!」
ルカが狂気の篭る眼でアイオンの顔に迫る。ルカの態度が変わったことに驚いている間、クロードがシュバルトに続き、ルカもアイオンを睨んでからその後に続いた。一人残ったアイオンに狙いを定めた魔物の群れが飛びかかろうと身を屈めている。
「束縛されし魂よ、汝の光を解き放ち、今ここに輝きを見せよ! 我は言葉を紡ぐ者、アイオンの名の下に『覚醒』せよ!」
アイオンから青紫の気が放たれる。すると、魔物達は怯えて距離を取った。アイオンは振り向き、砦に向って飛び移る。壊れた水路の中に飛び込むと、深い水に包まれた。鎧のまま水を掻き分けて泳ぎ、やがて水面に顔を出した。そのまま前進すると、水が浅くなり舟の格納庫に上がる。濡れた石畳の上で顔の水気を手で払う。
既に法術使いたちは先に進んでおり、水の痕が格納庫から上階に出るための階段へと伸びている。アイオンもその後に続いた。階段を上りきると、広い空間へと出ることが出来た。そこには死体が積み重なっており、ミスア兵士の亡骸であることが確認できる。アイオンはそれを見て顔を顰めると、目を逸らしてさらに上階へと向った。
階段には魔族と思しき死体が転がっており、血が新しくつい今しがた斬られたものだと判断できた。アイオンはさらに先へと進む。すると、長い廊下の先でシュバルトらが魔族と交戦しているのが見えた。
大剣であるシュバルトは狭い空間をものともせず、壁ごと斬りながら魔族を斬り伏せる。ルカはその大振りの攻撃をくぐり抜け、双刃を振るって敵に襲い掛かる。低い姿勢かつ迅速な動きで敵を仕留めに行く姿を見て、アイオンは蛇のようだ、と洩らした。
「アイオン、貴殿はクロードの方へ行け! こちらとは反対側の廊下へ向った!」
「分かりました!」
アイオンは踵を返してクロードの後を追う。シュバルトらとは反対側の廊下へと向うと、クロードが剣と戦鎚を手に魔族と交戦状態にあった。アイオンが戦いに加わると、魔族が驚いたように動きを鈍らせる。その隙を突いたクロードが鉄鎚で魔族の頭部を叩き潰すと、もう一人の魔族が我に返ったのか二人と距離を空けた。
「な、なぜだ? 貴様魔術を使うのに、なぜそいつらの味方をしている!?」
「僕が人の味方だからだ!」
アイオンが魔族に剣を向ける。そして踏み込んだ。
「キキキ、人の味方、ねえ」
バグラの声に反応するも、アイオンは唇を噛んで無視する。魔族が斧を持ってアイオンと刃を交わした。火花を散らし打ち合う間にも、バグラの声がアイオンの精神を逆撫でた。
「お前の力が人を救えるのかな? いつボクに呑まれるか分からないというのに」
「……黙れ」
「キキキ、隠すな。ボクはお前なんだよ? 心を隠すことなんか出来るはずないじゃないか」
アイオンと魔族が武器を構えて距離を取る。そして両者が前に踏み込んだ。
「気付いているんだろ? 感じているんだろ? 徐々にボクという異物の存在を感じなくなってきていることに! 同化していく自分の存在が分からなくなっていく感覚が!」
「喋るなぁぁぁあ!!!」
魔族と刃を合わせた瞬間、魔族の斧が砕けてアイオンの剣がそのまま魔族の体を分断した。勢いよく振り抜いた剣が血を盛大に壁に散らし、赤い液体が壁を伝って赤黒い模様をを描いている。
肩を上下させ、冷や汗を流すアイオンの目には斬った相手は映っていない。なにもない虚空に視線を泳がせ、息を荒くしている。アイオンの肩をクロードが叩くと、アイオンは剣を構えて勢いよく振り返った。
「あ、す、すみません」
「どうした?」
「なんでも、ありません。ただ、ちょっと高揚しただけですから」
「ならいいけど。先に進むよ」
クロードが不思議そうな顔でアイオンの先へ行く。冷たく暗い石畳にクロードの歩く音が響く中、アイオンだけは嘲笑うような笑い声が耳から離れないでいた。




