~遭遇~
真っ赤な鎧騎士の足元にはラカンの首が転がっているが、マルトールは彼の首に最早興味を失っているらしく、見向きもせずにその死体の傍らで佇んでいる。少しばかりの時間が経つと、マルトールの配下である魔族がミスアの兵士をある程度始末し、残ったものは広間に集めたと報告してきた。
マルトールは兵士の集められた門の内にある広間に赴く。そこには少数ながらもマルトールと同じく容姿を偽り隠した魔族がおり、ミスアの兵士の周囲に立って逃さないようにしている。ミスアの兵士らはマルトールの姿を見るや、怯えてざわめき、身を縮めて恐怖した。
「これだけか」
「はい、マルトール様。どうやら先の化けた将達、砦の外で演習を行っていたらしく、そこに半数の兵士が連れ出されていたようです。おかげで、こちらとしては砦の掃除が楽に済みました。なお、階級を確かめましたが残っているのは雑兵ばかりです」
魔族らは笑い話のように兵士から訊いたことをマルトールに報告した。マルトールは無言で頷くと、部下達に手で命令を下した。命令の動作は人差し指と中指以外を折り、それを横一直線に一度振るという短いものだったが、それだけで部下達は理解した様子だ。マルトールは命令を下すと、踵を返して砦の上階に戻っていった。その背中越しに、砦の兵士らの断末魔の叫びが交差する。
砦の門が固く閉じられ、パラパラに行動していた魔物の動きがまとまり活発化する。聖騎士団員の中にも異変に気が付いたものがいた。一部、砦に引き返した騎士団員が開門を要求するも、返答はなく代わりにミスア兵士の死体が門前に落とされたことから、聖騎士団は敵中に孤立したことを察した。
動きが統一化し、先ほどまでとは違う動きをする魔物に翻弄される中、シュバルト、クロード、ルカの三人が敵陣を切り裂き大急ぎでゼフリーの下へと戻り、ことの次第を伝えた。ゼフリーは静まり返った砦を眺め、そして高らかに宣言した。
「騎士団諸君! 我らの本陣が落ちた。退路を立たれた以上、この場を離脱し体勢を立て直す! シュバルト、近隣に引ける場所は?」
「この近隣でもっとも近いのはアルトリア国、トーリア村。奴らが北から南下したことを考えると、セーデの方面に逃げても焼けた村があるだけだろう。オルナ帝都まで引くのも手だが、それなりの距離がある。兄者、どうする?」
「トーリアに引く。そこも安全かは不明だが、少なくともここよりは安全でしょう。騎士団を三つの部隊に分けよ! ルカ、クロード、私に一部隊とし、シュバルトは私に同行なさい」
魔物を切り払いながら聖騎士団は並列に三つの部隊に陣形を変えると、ゼフリーはさらに命令を加える。
「矢の如く疾走し、敵を貫く! ルカ、クロード、シュバルトは先頭に! 中央、ゼフリー隊突進! ルカ、クロードはその両脇に着け! 背後に迫る敵を忘れるな。追いつかれぬよう前だけ見据えて駆けるのです! 東の敵を蹴散らし、アルトリア国に入る。進め!」
シュバルトが先陣を切ると、それにゼフリーらが続いた。魔物が襲いくるも、ゼフリー隊が前方の敵を一掃し、両脇のルカ、クロードらが横の敵を削いで突き進む。背後からも追いすがる魔物であったが、前に前に進むしか考えない聖騎士団はそれを無視した。
当然脱落者は出たものの、騎士団は三位一体となって魔物の群れを貫き、予定通り東の敵を食い破ってアルトリア国の方面へと退却を果たした。その様子をマルトールと配下の魔族が砦の執務室から傍観する。
「雑魚ばかりではないらしい」
「左様で。時にマルトール様、奴ら東に向ったということは、アルトリア国に入る気でしょう。国境付近にある村か町で補給なり休息を取ることを考えれば、地図上最短の距離にあるアルトリア国トーリア村に立ち寄るのではないかと思われます。『転移』にて移動したバグラ様がこのトーリア村にいるのでは? 放っておいてよろしいのですか?」
マルトールはラカンの使っていた椅子に腰掛け、なにも言わずに手を組んだ。それを見て部下の魔族はマルトールの答えが問題ない、ということだと理解したらしく、頭を下げて退室した。
「……ただ、村一つに時間が掛かっていることは気になるが」
マルトールの危惧は、誰もいなくなった部屋に溶け込んで消えた。日が落ちていく。落日する僅かな間に、ミスア砦はマルトールの手に落ちた。その事実はまだ聖騎士団しか知らない。
日が落ちてきて辺り一帯が暗くなり出した頃、ゼフリーらはアルトリアに入ろうかという位置まで退却していた。ただ歩兵として出てきた兵が多かったため、その日中にトーリアに着くのは無理だと判断したゼフリーは途中で休息を挟むこととし、兵士たちを休ませる。
森林の合間にある道の脇で、各々疲れ切った体を休めている。中でも法術の使用限界を迎えた二名は深刻な副作用に苦しんでいた。木陰でルカが頭を抱えており、クロードも木の根を枕代わりにし、横になったまま動かない。シュバルトは特に苦しむルカに歩み寄り、咳き込みながら前のめりになる彼女の背を、優しく撫でた。
「頭が、胸が痛い、体が裂けるように痛いよ、痛いよう痛いよう」
「大丈夫か、ルカ」
「ルカ痛いのやだよ、苦しいの嫌だ!」
シュバルトはルカの様子を見て、哀れむような目を向けた。ルカの症状は法術使いにとって末期であるためだ。彼女は記憶の大半を失っている。また、法術発動時には残虐性が高まり異常な攻撃性を示す感情の起伏が激しい性格になるものの、普段の彼女は幼児退行とみられる非常に幼い精神状態になるため、その扱いに困るものが多くいた。それでも聖騎士団に留まっていられるのは、他を圧倒するほどの強さゆえに他ならない。
涙を流しながら苦しむルカは、シュバルトに縋った。足元にへばりつき、虚ろな目でシュバルトを見上げる。
「シュバルト、ルカ悪い子だから痛くなるの?」
「そんなことはない。お前は良い子だ。だから、すぐに良くなる。これを飲め」
粉末上の薬が入った紙包みと水の入った皮袋を差し出すと、ルカは嫌そうな顔をする。シュバルトから離れて辛そうに口を開いた。
「苦いのやだ」
「これを飲めば楽になるぞ」
「でも、苦いもん」
「じゃあ、これを飲んだら甘いお菓子をあげよう」
「ほんと?」
「約束だ」
ルカはたどたどしくシュバルトから薬と水を受け取ると、躊躇った後に薬を水と一緒に飲み込んだ。顔を歪めて心底不味いといった表情でシュバルトに向き直ると、シュバルトはルカの頭を撫でた。柔らかなプラチナの髪がくしゃくしゃになるが、ルカはそれでも嬉しそうに微笑む。
「シュバルト、お菓子!」
「ああ、約束だからな」
身体こそ大人であるが、彼女は飛び跳ねながら嬉しがる。痛くないのか、とシュバルトが訊けば、ルカは痛いけどお菓子食べれるんだもん、と笑いながら答える。無邪気な彼女をシュバルトは直視できないらしく、そうか、と言って目を逸らし口元を固くした。
焼き菓子をルカに与えると、彼女は美味しそうに食べ始めた。薬も効きはじめて少し楽になったのか、大人しくなった彼女を見て、シュバルトは一人離れて寝そべるクロードの元へ移動し声をかける。
「どうだ、容態は」
「最悪ですよ。頭も体も最低な具合なんですから。なんでここにいるのかもわかんないし、そもそも目的も忘れたし」
クロードは起きることなく、苦笑しながらシュバルトを見上げた。シュバルトは水入りの皮袋を差し出し、クロードは震える手でそれを受け取った。しかし口にすることなく、それを傍らに置く。
「団長は?」
「失敗を悔いて、天に祈りを捧げてる」
「嘘でしょ。あの人、そんな敬虔なカストーン信者じゃない」
「兄者のことは忘れてないようだな。敵に出し抜かれたことを根に持ちながら、奪還するべく作を練っている」
あの人らしいや、とクロードはくつくつと笑う。クロードは性格的にはまだ正常な域にいるが、記憶の喪失が激しい。自分がなぜ聖騎士団にいるのかすら、彼の頭には残っていない。それでも留まるのは、過去の自分がいた場所だけでも覚えていたいという願望があるからだ。シュバルトもそのことを理解している。
「クロ、お菓子だよ」
辛そうなクロードの腹の上に圧し掛かるルカに、クロードは心底苦しげに声を上げた。
「わかった、わかったからどいてくれ、ルカ」
シュバルトがルカをクロードから寄せると、ルカを側に座らせた。じっとしていられないのかルカは左右に揺れながらお菓子を頬張っており、彼女の笑顔はとても輝いている。
「おいしい!」
「よかったな、それは結構なことだ」
クロードがくたびれた顔で言うと、ルカはその態度を快く感じなかったのか、元気出せ、とクロードの口にクッキーをねじ込んだ。口に押し込まれたクロードは喉奥まで詰められたために体を硬直させ、身を起こすと嗚咽を洩らしながらも固いお菓子を咀嚼し傍らに置いていた水を飲んで喉に詰まりかけたものを胃に流し込んだ。ルカは暢気に美味しいでしょ、と笑っている。
怒るに怒れないクロードは、一息吐きながらああ、死ぬかと思うくらい美味かった、ありがとね、と素直な感想を述べて再び横になった。その後も主にルカがクロードをいじり先ほどのような光景が繰り返された。ぐったりとしていくクロードを見て、シュバルトがルカの相手を買って出た頃、急に思い立ったようにルカが大人しくなった。
「ねえ、クロ、シュバルト?」
「なんだ?」
ルカは食べるのを止めると、空の彼方に沈んでいく太陽の端を掴もうと手を伸ばした。
「ルカ達、あとどれくらい持つのかな」
急に感情が失せたように笑みを消した彼女の問いに対し、二人はなにも言わなかった。言えなかった。ルカはなにか言ってよ、とむくれると、またお菓子を食べ始めた。
三人の様子を気にかけつつ、ゼフリーは地図を広げて呻っていた。ミスア砦を奪還したいらしく、その周辺になにがあるのかを確かめている。指で道をなぞり、様々なルートを検索しているようだ。
「あの砦に張り付くのは難しい。堀は近くの大河から水を引いているという話しだし、河からあの砦に――いや、こちらは下流、流れに逆らっていくなど馬鹿げている。正攻法には数が足りない。しかし即座に切り返さねば喉元を押さえられたオルナ帝都が落とされるのは目に見えている、と。
中々絶望的な状況ですねえ。しかし、敵を侮りすぎましたか。まさか敵の大将が自ら乗り込んでくるとは。あの魔物の群れは陽動に過ぎず、こちらの注意を完全に逸らすためのもの。そしてよりこちらを混乱させるべく急襲をかけた、というところでしょうが、こちらの演習中を見計らった行動を考えるに、こちらの動きを把握した上で仕掛けたと考えるのが妥当、ともすれば奴らはいつからこの近辺に? いや、将兵に化けていたのなら、武器や兵糧の調達のために外に出向いた際に成り代わられた可能性もあるわけか。
そうなるとこちらの手の内は理解されていると考えて良さそうですね。つまり我々の出来る仕掛けも策も読めないわけではないわけで、手の打ち様がない。全く腹が立つことですね。なにかやつらに悟られないための手を考えなければ……」
一人延々と呟くゼフリーを、団員達は怖々と眺めている。シュバルトがゼフリーの傍らに腰掛けると、ゼフリーは我に返ったように顔を上げた。
「そうだ、この先の村の危険性はないのですか。もしも敵の増援なんかがいたら、トーリアとミスアの魔族に挟まれて詰みですよ」
「兄者、俺が先駆けて様子を見てくる」
「一人では危険だ。私も行こう」
「兄者はここで指揮を執らねばならんだろう。任せてくれ」
「では誰でも数名連れて行け。戦闘は避けるようにして、様子見だけでいい」
シュバルトが頷き、甲冑は纏わず大剣を背に掛け馬に跨る。クロードが待機し、ルカは一緒に行くと言って駄々をこね同行、後は三名ほど団員を連れ、シュバルトら斥候部隊は薄暗くなった景色に消えた。ゼフリーはその背を見送ると、再び地図を睨んで呻り始めた。
夜の闇が深まっていく中、一時間ほど駆け抜けたシュバルトらがトーリアまであとわずかというところで、剣撃音を聞き馬の足を止める。馬から降り、シュバルトとルカがその正体を探るべく先行した。
「魔族か?」
身を屈めた二人の視線の先に、月に照らされ剣を手にしながら戦いあう二人がいた。一方は青紫の歪な気を纏い、もう一方は金の目が夜の闇に輝く。銀の一閃が火花を散らし、即座に戦う二人が距離をとる。鎧も纏わぬ肌着の少年と少女が、傷だらけになりながら剣を構えていた。
ルカとシュバルトが遭遇した戦闘、その相対者はアイオンとティラであった。




