~瞳に映る真~
アイオンらがバグラの魔術により村の防衛に入った頃、ミスア砦でも同様の事柄が起こっていた。『転移』による敵の急襲を受けており、ミスア砦はすっかり敵の軍勢に包囲された状態に陥っている。
間が悪く外で運動も兼ねて訓練を行っていたラカン配下の将兵も魔物の軍勢に襲われ、混戦による混戦の中、どうにか戻ってきたのは配下の将、オランタルと数十名程度の兵士のみであった。
砦に残っていた半数ほどの兵士たちも、突然どこからともなく現れた敵に対し動揺するものが後を絶たず、混乱した将兵を纏めるのにラカンは手を焼いていた。
「落ち着け! 砦の門は閉まっている! 冷静に対処すればなにも問題はない!」
砦の兵だけでなく、聖騎士団員の中にも同じく混乱した者が多数いた。しかし、ゼフリーはすぐに対処する。慌てふためく団員を数名ほど叩きのめし、空気を凍らせ周囲の注意を自分に集中させると、何事もなかったように城砦の全員に向かい大声を上げた。
「敵は憎き魔族である! だが恐れることはない、諸君には神のご加護がある! 私と共に卑劣な外道どもを打ち倒そうではないか! 全ては人のため、神の創られし美しき世界のために!」
静かな空間にゼフリーの声だけが響き渡る。少しの間が空いた後、聖騎士団の数名がゼフリーの言葉を繰り返し始めた。それに伴い、砦の兵もそれを真似し始めた。
「全ては、人のため」
「神の創られし美しき世界のために」
「全ては人のため、神の創られし美しき世界のために!」
「全ては人のため、神の創られし美しき世界のために!」
徐々に声量を上げて言葉を繰り返していく将兵を、ゼフリーは嬉しげに眺めていた。結果として兵の士気は高まり、混乱した兵たちも正気を取り戻したようだった。多くの将兵はゼフリーを称えていたが、ラカンだけは先にゼフリーに倒された数名を忘れておらず、真っ先に彼らを労わった。
「あの男の異常な求心力というべきか、あれに惑わされると人は人の心すら忘れるらしい」
ラカンの懸念を知るのは、唯一その言葉を聞いていた怪我を負った僅かな兵のみだ。そんな少しばかりの思いを踏みにじるように、魔族との戦が始まった。
魔族側が砦の周囲を囲んでいるとはいえ、ミスアは難航不落の城砦である。砦に入るためには一本ある橋を渡る必要があるが、そこを弓兵が狙い打ち、決して門に近寄らせない。多くの魔物が殺到するが、門には一匹たりとも寄せ付けず、兵の士気は上がる一方だ。
しかしラカンは敵があまりにも単調な攻めを繰り返していることに気付く。ただ兵力を浪費しているだけで、変化を起こさないことに疑問を抱いた様子だった。
「敵の動きが妙だ。なにか別の目的があるのか」
攻めてきているのは魔物ばかりで、肝心の魔族の姿は前線にはなかった。ミスアから距離を取ってある魔族側の本陣らしいものはラカンの目から見えていたが、その本陣は動く気配がない。
ただ魔物による特攻が繰り返されるばかりで、門前には果てた魔物の死骸が山のように転がっている。ゼフリーはその様を恍惚とした表情で眺めていた。
「いやはや、屑の掃除は快感ですね。後はこれに魔族が加われば、絶頂してしまうかもしれない」
ゼフリーは顔に手を当てながら、一人呟き笑みを零す。一頻り体を震わせ笑ったところで、その目が鋭く敵を見据えた。その後、ラカンの側に歩み寄って進言する。
「ラカン将軍閣下、敵は繰り返し突撃を繰り返すばかり。これにはどういう意図が隠されているとお考えでしょうか」
「こちらの力量を図るにしても、あまりに阿呆な戦い方だ。敵の指揮官が狙っているのは門をこじ開けることではないらしい。先ほどから本陣が動いていないことが気にかかる。あれはただの飾りに過ぎず、本隊は別に行動しているのかもしれん」
「成る程、確かに奇妙な戦いかたです。逆にこうとも考えられませんか。本隊がまだ到着していない、と」
「敵の指揮官がいないというのか?」
「だから魔物は勝手に動いている。その結果が現状と考えればいかがでしょう」
「馬鹿な、敵は唐突に現れた。魔術によるものに違いあるまいが、それにしても敵は大将を置いてきたというのか!?」
「そうです。魔術を使うのは魔族。つまり、意図的に敵の将軍は戦場に赴かなかった。もしくは赴く必要がなかった」
「戦術として敵将が不意を突くべく行動するのはありうる話だが、戦場に赴く必要がないとはどういうことだ」
ラカンは眉間に深い皺を寄せた。まあまあ、とゼフリーが宥めるも、明確な理由を求めるラカンは熱くなる一方だ。
「落ち着いてください、将軍閣下。敵総大将はあの血塗りの騎士マルトールです。今まで場数を踏んだ憎き怨敵である以上、戦についても経験が豊富。正攻法で落とせぬと見れば奇策を弄するに違いありません。この奇妙な動きはそのための布石であると考えるべきでは?」
「なにかをするつもりであることは理解できる。だが解せぬのだ。今、敵の指揮は誰が執っているのか。こんな無謀な攻めばかりでは、兵力を無駄に減らすだけではないか。本隊が行動を起こすまで待機しておってもよいものであろうに、これではあまりに愚策と言わざるを得まい」
ここまでは実に一方的で、人間側の優勢である。ただ門に向かうばかりの魔物は、砦からの弓矢によって確実に数を減らしていた。今では橋が死屍累々とするほどで、敵方もその有様を見てか橋を渡ってこようとはしない。
ラカン、ゼフリーは話し合い、現状敵方に指揮官がいないものと断定した。しかし本陣を形成するところを見て、ある程度知恵のあるものが敵方にいるのでは、という意見も一致する。やがて敵の動きも停滞してきた日が傾きかけた頃、ゼフリーが思い立ったようにラカンに進言する。
「ラカン将軍閣下。提案なのですが、ミスア砦防衛の将兵はこのまま篭城し、我ら聖騎士団のみ討って出るのはいかがでしょう」
「なに? 数を減らしたとはいえ、この数の魔物を相手にか?」
未だ敵は砦を囲むだけの数を有している。野戦に持ち込めば数の上で圧倒的に不利であることは目に見えていた。特に橋の上に魔物の死体が無数転がる以上、騎兵は出撃しにくい。その上に橋が一本という点で、どれほどの大軍で出向こうともその出入り口周辺では戦うことの出来る範囲と人数が限られてしまうため、囲まれた際は非常に敵を攻めにくいという欠点があった。また逆に押し込まれる可能性もあるわけで、ラカンはその提案を良しと言わない。
しかしゼフリーもまた引き下がらない。このままでは余計に時間が掛かり、敵の動きをみすみす見逃す結果に繋がるとして、すぐさま行動を起こすべきだとして譲らないのだった。
「どうしても行くというのであれば、余程の策があるのであろうな?」
「無論、今の敵であれば勝てるという自身があるからこその提案です」
ゼフリーの言を信じきれないラカンであったが、結局引かないゼフリーに根負けしその提案を受け入れた。即座にゼフリーはその旨を騎士団に伝えると、聖騎士団の面々は装備を整え、出撃準備を早々に終える。ラカンもまた門番に指示を出し、ゼフリーの任意にて開門させることとした。
騎馬は使えないと判断したのかゼフリーは聖騎士団員の大半を歩兵とし、自らと精兵は乗馬して先陣に立った。剣を高らかに掲げ、団員の顔を見渡す。
「諸君、敵は数だけの雑兵である! 汝らの力に及ばぬ汚らわしい獣共など蹴散らし、我ら聖騎士団の力をこのミスアの将兵に見せ付けるのだ! 神は我らに正義をお与えになられた! さあ、邪悪討つべし! いざ出陣! 開門せよ!」
ゼフリーの声と共に、戦いの堰きの声が轟く。門が開くと、精兵とゼフリーが騎馬で魔物の死体を飛び越しながら橋を直進し、また歩兵たちもその後に続いた。橋の向こうでは魔物らが待ち構える。
「邪魔な敵が多いですね。では――クロード君。頼みますよ」
「お任せを」
精兵の一人、クロードは深く息を吸い、そして兜の合間から力強い青の瞳を覗かせた。
「主よ、我らが父よ。私に肉があり生きているのは主を信じる信仰によるもの。我が信仰に偽りなく、決して裏切ることのない愛を持ちましょう。私の不義を怒るならば、その怒りを受け止めましょう。私の正義を喜ぶならば、さらなる信仰を持ってこの身を主に委ねましょう。私の正義を笑うもの、嘲るものに対する刃をください。我が潔白なる心を汚す不義に裁きを! 邪悪なるものに打ち克つ力をお与えください。――穢れしものに鉄槌を!」
ティラと同じく瞳の色を金色に変え、片手剣を手に突撃するクロード。魔物は一斉に襲い掛かるも、一振りで数匹、二振りでも数匹、さらに剣を振り抜き、瞬く間にクロードの眼前にいた魔物は肉片へと姿を変えた。さらに背にした戦鎚を振り回し、群がる魔物を散らして敵陣に風穴を開けた。そこへゼフリー率いる聖騎士団が殺到する。
奥に布陣する敵の偽本陣に向かい、騎士団は進撃した。雑兵に等しい魔物など強兵揃いの聖騎士団の相手にならず、その歩みが止まることはない。特に聖騎士団の中でも目覚しい戦果を挙げるのはクロード、ルカ、そしてゼフリーの弟であるシュバルトの三名である。
この三人は天の声を聴くものであり、ティラと同じ法術を使える。ゼフリーの勝てる自信はこの三名を有していることが大きかった。
クロードは剣と槌を振るい戦場を切り開き、ルカは双剣を振るって敵陣を掻き乱す。止めにシュバルトが大剣を持って敵の命を刈り取る。これがゼフリーの常勝手段だ。
ルカは長い白金の髪をなびかせながら、ギロチンの刃を二つに分けたものに取っ手をつけ、双剣として振るう。可憐な見た目にそぐわぬ機敏な動きで敵を翻弄し、魔物の首が次々に宙を飛ぶ。
「邪魔、邪魔、邪魔! あっはははははは!」
狂ったような笑顔で敵を狩る姿に、敵味方を含めて恐怖した。ゼフリーのみその姿をうっとりとした表情で眺めている。そのゼフリーの傍らには、馬に跨った巨漢の姿があった。
くすんだ金髪に、浅黒い肌。堂々とした態度に筋骨隆々とした体躯をしており、右手には身の丈ほどもある大剣を手にして肩に担いでいる。ゼフリーはその男、シュバルトに向き直ると、嬉々とした顔で興奮混じりに語った。
「凄いよ、あの子! いつでも楽しませてくれる。こんなに愉快な戦争は久しぶりだ、敵がまるで埃でも払うみたいに消えていくよ! 体の震えが止まらない、こんな快感いつ以来だろう!」
「兄者、素を見せては兵が動揺する」
「あ、ああ、ごめんごめん。興奮するとついね。それでシュバルト、屑の壁はまだ厚いが、敵陣に向える?」
笑い混じりに訊く兄の姿に、シュバルトは呆れたように息を吐いた。いつでも、と一言呟くシュバルトの言葉に、ゼフリーは身もだえしたように体を震わせ俯く。
「さすが、頼りになる弟だ。さあ、それではこの楽しい楽しい殲滅戦、ひとまず終わりにしてしまいましょう!」
唐突に鋭い眼光を敵に向け、おぞましい笑みを浮かべるゼフリー。敵の殲滅を号令すると、聖騎士団の士気は最高潮に高まった。シュバルトは号令と同時に単騎で敵の本営を叩きに駆ける。
人薙ぎで魔物を吹き飛ばして進むシュバルト、その後方からクロードとルカが迫る。圧倒的な戦闘力を持つ三人が通った後には、屍のみが大量に残った。ラカンは砦からその様子を窺っていたが、あまりに一方的な展開に唖然としていた。
「あれがカストーン聖騎士団の力だというのか。人外染みている」
「しかし、狂信的です」
配下のオランタルがラカンの側に歩み寄り、そう告げた。ラカンもそれには同意する。
「ところで将軍閣下、なにか妙なことに気付きませんか」
「妙なことだと? 一体なんのことだ」
「敵の本隊が一向に姿を見せないことについてです」
「それは、確かに妙だが。ここが目的ではなかった可能性もある。あくまでここで我らを足止めしたかっただけなのやもしれん」
「別の可能性は考えなさらないので?」
「なに?」
ラカンの腹にオランタルが突き出した剣が刺さる。そして剣が腹から引き抜かれると、ラカンは腹を抑えつつその場に膝を折った。口からは血が垂れる。
「ぐ、貴様、何の真似だ!?」
「なぜ貴様の配下が無事であると思うのだ?」
ラカンは咳き込み、自らの血を床に吐き出した。苦しげに顔を歪ませ視線を部下であった将に向けると、煙が風に消えるように容姿が崩れ、オランタルだったものは真っ赤な鎧を着た何者かに成り代わった。それを見てラカンは驚愕する。
「姿を偽っていたというのか、マルトール!?」
「気安く我が名を呼ぶな、人間」
ラカンはそのまま首を刎ねられ、無念を抱いて果てた。一方、敵本陣に辿り着いたシュバルトはそこにいた魔物を掃討し、椅子に腰掛けた人間の死体を発見していた。その人物はラカン配下の将、オランタルに間違いなかった。クロード、ルカも将の死体を見てすぐさま状況を理解する。
謀られた。ミスア砦を奪われた、と。




