~迷い~
ダンカードは得体の知れない気配を感じていた。それは魔族とは違うものの、人を圧倒する気を纏っている。事実、ダンカードはそれを目にして余計に身を強張らせていた。
恐ろしいわけではなく、身を震わせる威圧があるわけでもない。だが古びたローブを纏うその後ろ姿には、確かにダンカードを惹き付けるなにかがあった。その何者かはダンカードが目を瞬いた直後にその姿を消してしまったが、その代わりにアイオンがその場に立っていた。
金髪と翡翠色の眼は美しく、母親の面影が残っている。しかしその姿は以前よりもたくましい。生気溢れる弟子を見て、ダンカードは微笑み声を掛けた。驚いた様子のアイオンだったが、無邪気に笑いその再会を喜んでいる。
「こんな人気もないところで会うとはな」
ダンカードの一言に、アイオンは返答に詰まる。なにか言いたげだが、それを口に出せないようだ。その様子を眺めていたダンカードは、アイオンの肩を軽く叩く。
「お前だけに悩まれては、私はどうとも出来ないぞ? 話してみなさい」
アイオンは悩んでいることを見透かされたことに驚いたらしく、慌てたように自分が考える傭兵団の形を伝えた。魔物ではなく魔族と戦うための傭兵団にすること。これから先、きっとそうするべきことになるという直感があること。しかし直感という、曖昧な感覚で決めていいのか、今の仲間に迷惑を掛けることになるのではないか、そういった悩みをダンカードに打ち明ける。
ダンカードはアイオンが語り終えるまで口を開かなかった。やがてそれらを聴き終えて、その重い口を開く。
「お前の直感だけで判断するとは、実に勝手な話だな。そうなるとも限らない未来、団長一個人の意見を押し通すような真似をして、果たして誰がお前に着いて来ようか。辛辣であろうと、他人の目からは自分勝手で融通の利かない小童にしか映らないだろう。
だが、お前を知るものにとってはそうしても仕方がないと思える部分もある。人間には感じ得ないものを、お前ならば感じ取れるはずだ。ならば、きっとお前の感じているものはいずれ現実として直面することになるだろう。
お前の旅の目的は、母アメリアを止めること、村の仇を討つといったことのはずだ。ならば、今更悩む必要はない。今いる仲間がどうであれ、いずれはそうしなくてはならないことだ。選択はいつでもしなくてはならん。今がその時なのだ。そしてこれからも選ばなければならない時は必ずくる。その時は一人で抱え込むな。お前の悩みを共有してくれる仲間がいるだろう?」
「師匠、ありがとうございます。でも正直、誰が魔族と戦いたいと思うでしょう? そりゃあ、ウェイドみたいに好戦的なやつなら文句は言わないと思います。だけど、他がそうとは限りません。僕の正体を知って、とんでもない依頼を請けてしまっても、それでも着いてきてくれた。その結果が魔族専門の傭兵団にするっていう話なんですよ? 着いてきてくれた皆を裏切ったような気がしてならないんです。
新人で小童で経験もない僕が、みんなでこれからって時にこんなことを言っていいのか。あまりに馬鹿馬鹿しいことですよね。何十人という人間が挑みかかってなお勝てるか分からないのが魔族で、それを標的にするなんて、到底馬鹿げた話に聞こえるはずなんです。それでも言っていいのでしょうか。
そう決めていいのでしょうか。……みんなで話し合わなかったのは、不安で、とても怖かったんです。僕がそんなことを言ってしまって、みんなが呆れて団を去ってしまわないか、もしも一緒にいてくれても、魔族という敵と戦うことで命を落としてしまうことがあれば、それは僕のせいだ。自分のせいでみんなと別れることになったり、仲間を死なすことになるのではないかって不安で仕方ないんですよ。
戦うことを生業にしている人にとっては甘いことだし、何を言っているんだって思うでしょう? でも、僕はどうしようもないくらい甘くて、不安と恐怖に勝てないくらい、弱くて馬鹿な人間なんです」
アイオンは視線を落としながらそう答えた。怖がるような、泣き出しそうな顔でそう語るアイオンを見て、ダンカードはアイオンの頭を撫でる。
「素直だな、まったく。成る程、今の仲間が余程気に入っているようだな。別れるのも嫌、かといって仲間を死なせることになるのも嫌、か。なんとも自分勝手、我侭な話だな。だがな、先ほども言ったとおりいつかは戦わなければいけない敵がいる。もしかしたら、お前を待っているかもしれないものがいる。
それらは魔物か? 人か? 否、魔族だ。お前はそれと戦うことを予感していると言った。ならばそれと戦う備えが必要だ。そしてお前はその備えを始めようとしている。
ならば思う通りにしなさい。迷って迷って、そうして決めた道を行け。甘さを完全に捨てろとは言わん。だが、見据えるべきものだけはその双眸でしかと見ておくことだ。そうした上で行動しなければ、お前の望むものは掴めないだろう。
さてアイオン。お前の進むべき方向は、お前の眼にしかと見えているか?」
ダンカードの両の目が、アイオンの瞳に映る。アイオンは口を半開きにして暫し固まってしまっていたが、やがて唇をしっかりと合わせて頷いた。それを確認してダンカードは微笑む。
「甘いな。優しく、甘い。詐欺には気をつけなさい。あと、スリにもな」
「平気です。あ、いやスリは……」
アイオンが表情を曇らせたのを見て、ダンカードは鼻で笑う。アイオンはそれに苦笑して返した。
「さて、日も落ちてきた。そろそろ冷えてくる。宿に戻るとしよう」
「師匠も同じ宿に?」
「あそこの親父とは昔馴染みなのでな」
二人並んで、路地を出て賑やかな都中を歩む。見ようによっては親子に見えるのか、時折商人がダンカードをお父さん、息子さんにどうですか、などと売り込んでくる。
「ふっ、お父さんか。髪の色は同じではあるし、歳の差もある。見えなくはない」
「師匠が父さん、ですか。そういえば、師匠はお幾つなんですか?」
「お前の父より上だ」
「え!? 父さんが三十六前後だったから、四十近いのですか? そうは見えません。もっとお若く見えます」
「よく言われる。ところで、お前の父、ダインが王都の出身だという話は聞いているか?」
「いえ。初耳です」
「そうか。一応、お前の祖母がこの王都に住んでいるのだ。頭に入れておいたほうがいい」
「僕の祖母が? 父さんも母さんもそんなこと一言も言っていませんでした」
「お前の祖母は旅行好きでな。住んではいるが王都にいるかどうかは運次第だ。それもあるだろう」
アイオンは見たことのない祖母の話を聞いて、少し気恥ずかしそうではあるが嬉しそうな様子だ。しかし、なにかを思い出したようにして真面目な顔つきになりダンカードに問いかける。
「あ、そうだ。師匠、僕と路地で出会う前、ローブを着た人を見かけませんでしたか?」
ダンカードはやや眉間を険しくするも、アイオンから視線を外して空を見上げた。
「さて、わかりかねる」
アイオンはその言葉を信じたらしく、それ以上訊くことはなかった。ダンカードはそれを横目で眺めながら、共に宿にもなっている酒場へと入った。
酒場では丁度ウェイド達が食事をしていた。ダンカードを見てウェイドが落ち着きなく駆け寄り、ダンカードをゴンドルらが座るテーブルへと引っ張っていった。アイオンは笑いながらその後に着いていき、そのテーブルに着いた。円形の席で、アイオンから時計回りにミーシャ、ティラ、ラッセント、ウェイド、ゴンドルとなっている。
「いいかお前ら! このおっさんはダンカード! 俺とアイオンの剣の師匠だ」
ウェイドが興奮気味に紹介すると、ティラやラッセントは快く迎え、ミーシャは軽く挨拶しつつも戻ってきたアイオンを気にかけているようだ。ゴンドルは堅く挨拶をし、ウェイドの態度を諌める。
「師匠に向かっておっさんとは、失礼じゃろう」
「いいんだよ、俺とダンカードのおっさんの仲なんだから」
「ふふ、お気遣いなく。ウェイドは昔からこうですからな」
ウェイドが隣の空いているテーブル席から椅子をかっぱらい、ダンカードの側に置いて使ってくれと勧める。紹介を終えたダンカードがその椅子を引っ張り、ゴンドルの隣に置いて腰を下ろした。そのままウェイドが今回達成した依頼話を始め、ダンカードはそれを聴きながらゴンドルらとも談笑する。
「師匠と会う約束でもしてたわけ?」
「え? いや、偶々会ったんだ」
ウェイド達が騒ぐ仲で、ミーシャがそう声を掛けてきた。アイオンは自分が急に出て行ってしまったことに対する話だと察してのか、やや堅い表情でミーシャと向き合った。
「まったく、急にどうしたのかと思ったわ。意味深なこと言っていなくなんないでよね」
「ごめん。ちょっと、一人で考えたくてさ」
「ふーん。あたしらって頼りになんないのかしら?」
「え?」
「え? じゃないわよ。なんか小難しく考えてたんでしょ、どうせ。まあ、あんたのことだからどうしようもないこと悩んでたのかもしれないけどさ。でも、そういうのを一緒に悩むのが仲間なんじゃないの?」
「そ、そうだね。その通りだよ。ミーシャに言われるとは思わなかったなあ」
「あたし、こう見えても仲間想いな女なのよ。ま、あのダンカードって人に相談したんだろうけど、次からはあたしも相談に乗ってあげるから、感謝しなさい。その時は当然無料じゃないけどね。必ず払いなさいよ?」
右手で頬杖を付きつつ、左手で指で金貨の形を作りながらミーシャが笑んだ。アイオンはそれにありがとう、と返して微笑む。そのまま二人で話している様子をラッセントはウェイドの話に加わりながらも眺めており、微笑ましいのか楽しそうにウェイドに絡んだ。酒に酔ったと勘違いしたウェイドがなんだ急に、と慌てて対応する様子をティラが可笑しそうに笑う。
そんな若者達を眺めて笑うゴンドルとダンカードだったが、ゴンドルが突然神妙な顔つきになってダンカードに語りかける。
「時に、ダンカード殿。わしは貴方に会ったことがあるのじゃが、憶えておいでかな?」
「申し訳ないが、憶えていない。人違いではありませんか」
「人違いであるならば、老いぼれの昔話と思って聴いてくだされ。昔、そう今から五十年も前、まだ新兵として初陣を飾った頃の話でな。丁度当時、わしは北方で魔族との戦に駆り出された。
敵総代将は猛将と名高いアスラデルト。屈強な猛者ばかりを引き連れ、北の大国ヘイルダムに侵攻せんとしておったわ。聖騎士団と隣国の軍勢が協力して当たったその戦は苛烈極まるもので、多くの同胞が散った戦であった。
わしも泥だらけになりながら、冷えた空気の中に傷口を晒し、無数の魔物や魔族、仲間達が入り乱れる中央の激戦区を駆けておった。斧槍をしごいて多くの魔物を斬り伏せたが、魔族には太刀打ちできんかった。多くの仲間と共に敵の爆発する魔術を受けて、吹き飛ばされてしまってのう。わしは運良く爆風を受けただけで済んだが、仲間の多くは爆発で木っ端微塵になっとった。
爆風だけでもかなりの距離を飛ばされて、わしは足と肋骨が折れてしもうての。身動きが取れん状況の中、その魔族が目ざとくわしの息があるのを見つけてな。息の根を止めんと近付いて来おったんじゃ。もう駄目だ、そう思った。じゃが、刎ねられたのはわしの首ではなく、その魔族の首じゃった。わしの目の前に唐突に現れたその男は、わしを見るや立てるか、と声を掛けてくれてのう。死地となっている戦場で、他人を気に掛けれる余裕を持っておることに驚いたものよ。
その男は他の魔族とも互角以上に渡り合い、なおかつ無数の魔物に囲まれながらもそれらを意にも介さず双剣を振るって戦場を我が物とし続けておったわ。正直に言って、当時のわしはその剣士の腕に惚れこんで、憧れを抱かざるをえんかった。実際今も憧れておる。今も昔もあれほどの剣士に出会ったことはない。
その男は波打つ金髪で、そう、当時は白銀の鎧を纏っておった。真っ赤なマントがなびき、絵になる男とは、ああいうものを言うんじゃろうな。戦が終わって、聞いた話ではその男がアスラデルトに手傷を負わせて撤退させたようでのう。後にその男は剣聖と呼ばれしものだと分かった。
いつかはもう一度お目にかかりたいと思ったが、その男がわしの目の前に現れることはもうなかった。この歳になるまでは」
ゴンドルがダンカードの顔を注視する。ダンカードは堅い顔つきでそれを受けた。
「ははは、まあ歳からして、他人なのでしょうな。なにせわしの若い頃の話ですからのう。しかし、随分と似ていらっしゃる。剣聖と呼ばれた男、名は――」
「ライゼン」
「おお、そう、剣聖ライゼン。よくご存知で」
ゴンドルが驚くのを見て、ダンカードは何も言わずに微笑み、店の従業員に酒を頼んだ。
「よく言われます。似ているとね。ただ、他人の空似とは誰でもあるものです」
持って来られた酒を飲み、ダンカードは遠くを眺める。ゴンドルはつまらない昔話をして申し訳ない、と一礼すると、二人は乾杯をしてから酒を飲み始めた。
「古い話ですよ。本当に……」
「む? 申し訳ない、なにかおっしゃったかな?」
「いえ、なにも」
ダンカードは微笑んで返した。しかしその目は目の前にいるブレイブレイドの皆々を見ていない。どこか遥かに遠いなにかを見つめている。そしてその視線を自分の剣に移すと、目を細め懐かしむようにしてその柄を撫でるのだった。




