~決断~
アイオンが目覚めたのは夜の闇が一際深い深夜であった。他の仲間は皆熟睡している。アイオンは剣を片手に一人立ち上がり、宿屋の一階――酒場に下りていった。月明かりだけを明りに、静かに歩んでいく。
酒場には誰もいない。扉には鍵が掛かっていたものの、内から開けられる簡単な作りになっていた。アイオンはそれを開けて外に出かける。夜風は冷たく、薄着のみを着ているアイオンは身を震わせた。月明かりの下、バッフルトの町は静寂に包まれている。
アイオンは町を散歩しながらジグ山を見上げた。険しい岩山は影に包まれていて、不気味な雰囲気をかもし出している。
「体が、全身が痛い」
自分の腕を摩るアイオンがそう呟いた。先の戦闘で魔術を使った代償として極度の疲労、そして限界以上に酷使した筋肉が悲鳴を上げていた。今でこそ歩けるだけ回復したものの、まだ走れるだけの元気はない。
アイオンが外に出たのは、自分の体が今どういう状態なのかを確かめるためであった。彼はやはり、とぼやいており、自身の肉体がどれだけ弱っているのかを悟ったようだ。
「僕の考えが足りなかった。こんなに危険な依頼だったなんて思いもしなかった。僕の思慮が足りなかったばっかりに、みんなには迷惑をかけたな……」
夜空を眺めながら、アイオンは自責の念に苛まれている。状況を打破したものの、結果としてアイオンは動けなくなる失態を犯した。それが情けないのか、アイオンは自分を責める言葉を連ねていく。しかし、自虐的になっているものの、その表情は暗くない。アイオンは火が灯ったように爛々と輝く目で遠くを見つめる。
「僕はまだまだ弱い。強くならなきゃ。みんなを守れる団長になるんだ。そのためには、剣の腕を磨くしかない。この力も制御すれば、いつかは師匠以上の剣士になって、そして――!」
アイオンは夜空に手を伸ばしかけたがそれをゆっくりと引っ込める。そして自分の胸の前で小さな握り拳を作った。微かに微笑み、しかしてその目は笑わずに哀しそうに伏せる。
「そして僕の望みが達成されたとき、僕はいつの日か貴女と剣を交えるのだろうか。……母さん」
空に浮かぶ月は欠けることなく満ちている。しかしアイオンの言葉に返す言葉は持っていない。ただ静かにアイオンの話を聞いているだけだ。ひとしきり溜め込んだものを吐き出したのか、アイオンは宿屋に戻っていった。
宿屋に戻るとドアの鍵をしっかりと閉めなおし、借りた部屋へと戻る。出て行ったときと変わったのは、ウェイドの寝ていた向きが逆さまになったことぐらいだ。寝息だけが聞こえる部屋の中で、アイオンは自分のベッドに腰掛けて、小声でこう唱えた。
「その身に宿る生命よ。汝らの運命を守るため、その身に受けし苦痛を消し去れ。我が言葉に従い、汝らの肉体を『治癒』せよ」
それはノヴァに教わったものだった。さらにそれをアレンジして、全員を治癒できるか試みたものだ。柔らかな光がアイオン達を包むと、全員がさらに安らかな顔つきになっていく。アイオン自身も回復したのか、音を立てない程度に体を動かして試している。
「凄い。疲れも痛みも随分楽になった。それに副作用、がっ!?」
アイオンは頭を押さえる。その顔は苦痛に満ちており、ベッドの上で苦しそうにしていたが、耐えられなくなったのかそのまま横になった。『覚醒』が肉体的苦痛を伴うのなら、『治癒』の魔術はアイオンに強烈な頭痛を与える副作用があるらしかった。しばらくもがいた後、苦しそうな息遣いが徐々に寝息に変わっていき、アイオンはうなされながらも眠りについた。
日が昇ったところで、アイオン以外の面々が起床していく。最初に起きたのはゴンドルで、次はウェイド、ティラ、ラッセント、ミーシャの順だ。ゴンドルとウェイド以外は大した着替えもせずに寝てしまったせいか、一番にミーシャが風呂だと叫んで宿屋の湯を借りにいった。ラッセント、ティラも順番待ちで入浴することにしたらしく、ミーシャが戻るまでは全員で食事をとることにした。
一階の酒場は飯屋代わりにもなっているらしく、各々食べたいものを注文して口に運んでいく。
「なんか、昨日の疲れが嘘みたいに吹っ飛んでるんだよねえ」
「私も同じです! おかげさまで今日もがんばれそうです!」
「皆、思った以上に元気のようじゃな。これならば問題あるまい」
「俺もなんか知らねえが、血が滾るぐらいに元気爆発してんだよな! あの猿共も今なら一人で片付けられる気がするぜ」
アイオンの力と知ることなく、談笑し食事を済ませるウェイド達。ミーシャが戻り入浴をしたがっている二人が風呂に浸かって満足した頃、ようやくアイオンが起きて一階に下りてきた。そしてミーシャの向かいの席に腰掛ける。
「おっそいわね。あんたそんなにお寝坊さんなわけ?」
「まあまあ、大将は昨日大活躍したわけじゃない。仕方ないよ」
「なんだか昨日よりも顔色が優れないように見えますが、平気なんですか?」
ティラの心配を受けて、アイオンは力ない笑みを浮かべながら頷いた。ゴンドルが不思議そうにアイオンを眺める。
「昨日よりも顔色が悪いのは間違いないが、体の調子は悪くないようじゃな。てっきり石人形のようなほとんど動かないような手足を引きずるようにして来るかと思っておったぞ」
珍しくゴンドルに茶化されるものの、アイオンは引きつった笑みを出すのが精一杯のようで、それを見ていたラッセントとミーシャが大笑いする。ウェイドも笑いそうになっているものの、それを飲み下してアイオンに声をかけた。
「どうしたどうした。副作用にしてもそんなお前初めてみたぜ?」
「頭痛が、ね」
「頭痛? ふうん、全身筋肉痛だけじゃないんだな」
「そうみたいだ。ところで、昨日は行けなかったし町長さんのところに行こうと思うんだけど」
「必要ねえよ。もう行ったからな」
ウェイドとゴンドルが昨日のことを伝えると、事情を知ったアイオン達の表情が曇る。
「魔族か」
「山の中にあいつらがいようが、ここは撤退よ、撤退! 王都に戻ってもっと強い傭兵団なり、聖騎士団に任せるなりしましょうよ。結構倒したけどさ、大半は逃げ出しただけであの猿共はまだまだいるのよ? これに加えて魔族だなんて相手に仕切れないわ」
「俺も賛成。戦力不足もいいところだよ。この町の人には悪いけど、状況的にはどう考えても勝てないんだよねえ、これ」
「そんな! 私達が退いたら、この町の人達がどんな目に遭うかわかりません。戦うべきではないでしょうか」
ティラが語尾を弱めながら主張する。酒場にいる店主を含めてその会話が聞こえている町人はいるものの、助けて欲しいと言ってくる人はいない。しかし聞こえない振りをしているだけで、時折アイオン達に目を向けていることにアイオンとゴンドル、ウェイドが感づいていた。ミーシャは気付いている節があったが、それをあえて無視している。視線を感じては苛立ったように前方に座るアイオンを睨んだ。
「正義感だけじゃ救えないものだって山ほどあんのよ、ティラちゃん」
「戦力だけなら確かに絶望的じゃ。わしらだけで解決できる問題とは思えん。しかし、ここでわしらが逃げ出せばこのバッフルトという町そのものが消えてしまうかもしれんぞ」
「大げさ――ってわけでもないか。でも今までよく誰もこの町の異変に気付かなかったよねえ。この町の鉱物資源は結構重要だったんでしょ?」
「資源さえ運んでおれば誰も文句は言うまいよ。それに、この町の人間が誰も訴えんのでは事実は伝わらん。いや、訴えられんと言う方が正しいか」
「成る程、魔族と町長のばあさんは面識があるような話だったしな。鉱物運ぶときに着いて行って監視していやがったってわけか」
「ちょっと待って。そう考えると変な話じゃない? その魔族は鉱物を掘って、一定量をこの町のものとして王都やらに運ばせてたってことよね? 自分たちの資源にするためにしては太っ腹すぎない?」
「そりゃあ周囲にバレないためにしてたからじゃ?」
「うーん、そうなのかしら。なんか妙な気がしてならないんだけど」
「鉱物が目的じゃない、なんて」
「他になにが目的だってんだ。それ以外に目ぼしいもんはねえぞ。ていうか、結局どうすんだ? 残るか、残らないか!」
意見が纏まらず、また話題の中から疑問が噴出していく。話し合いが煮詰まってきたことを感じてか、次第に全員が沈黙を保ったままのアイオンの意見を仰いだ。
「撤退は――できない。王都まで戻ったとして、援軍が来るまでにバッフルトは地図から消えてしまうだろう。僕らがここで踏みとどまらないといけない。それに、その魔族がなにをしているのかが気になる。狙いが鉱物じゃないなら、もっと別のことならここで阻止しないといけないと感じるんだ」
迷いながらそう発言したアイオンは、途切れ途切れに言葉を繋いでそう結論付けた。仲間のために、と夜に悩んだことが糸を引いている。仲間を思えば撤退すべきだが、それ以上に魔族に襲われる町をなにもせずに見過ごしてしまっていいのか、という正義感が勝ったのだった。
「決まりだな! 叩きのめしてやろうぜ!」
「ああ、もう。なんでこんな傭兵団入ったのかしら。付き合ってらんないわよ、まったく! どうやって勝つのよ? いくらアイオンが魔族と張り合える技を持っているからって、勝てる保証はどこにあんのよ? 誰が保証してくれるのよ? これで神様なんて言ったらぶん殴るわよ!」
「まあまあ、乗った船がそういう方向に進路を取ったってことさ。でも、勝算がない戦いはしたくないかなあ」
「この町の人間なら、鉱石の採掘場に続く近道を知っていると思うんだ。多分魔族はそこにいる。鉱石の運搬や管理はそいつがしているはずだからね。あの魔物も大勢いるとは思うけれど、数において全てはいないはずだ。周囲の山々に散らばっているという話だから、戦力は分散されていると僕は思う。昨日の戦闘で、あの猿たちは力の差を見て逃げるだけの知恵があることは分かった。つまり、あの魔物を統括する一番強いものを倒せば、自分たちでは適わないと見て自然に散らばるはずだ。
作戦なんて呼べるものではないけれど、僕らが行うのは短期決戦。敵の本拠地に奇襲をかけて、大将首を獲る! もしも敵が坑道なんかの中に潜んでいるならしめたものだ。狭さが僕らの味方になってくれる。それでどうだろう」
ミーシャは納得した様子ではないが、決定には従う姿勢を見せた。ラッセントもへらへらと笑いながら、負けそうになったら逃げるからと念を押した上でこれを了承する。ゴンドルはそれしかあるまい、と賛同しティラはいつになく気合を入れて頑張りましょう、と発言した。そしてウェイドは勢いよく立ち上がってテーブルを踏みつけた。
「よっしゃあ! 打倒魔族! 覚悟しやがれってんだ! そうと決まれば町長のところに行くぞ! あのばあさんならきっと魔族の居場所を知ってる!」
応、と全員で声を張るとアイオン達は立ち上がり、装備が無事なもの装備を整えてから酒場を出て行った。圧倒的な戦力差がありながらも、退くに退けない状況での決断だった。人はこれを蛮勇と、あるいは無謀と呼ぶかもしれない。しかし、魔族と戦うアイオンにとっては必然の出来事に過ぎなかった。まだ見ぬ強敵に武者震いをしながら、彼らはバッフルトを守るための決戦に挑む。




