女性初の将棋棋士誕生
1.
日本将棋連合には、約200人のプロ棋士がいるが、その全員が男性である。
制度上は、男女を問わず奨励会に入会できるし、編入試験の受験資格も平等に与えられている。
編入試験に挑戦した二人の女流棋士はいずれも不合格となった。
奨励会も三段までいきながら年齢制限で退いた者がいる。
囲碁界には多くの女性棋士がいるというのに、なぜ将棋だけが違うのだろうか?
2.
沢口陽子は、6歳で父に将棋のルールを教わった。
小学生名人戦で準優勝を果たしたとき、その幼い指先に宿る才能を見抜いたのが加山博九段である。
弟子入りから1年も経たぬうちに、彼女は女流棋士2級となった。
女流棋士たちの多くは、舞台の裏方へ回る。
対局の記録係や棋譜の読み上げ、昼食レポートなど、華やかさとはほど遠い仕事に追われることが少なくない。
実力的にも男のアマ五段にも敗れることがあるのが現実だ。
陽子もそんな環境に身を置きながら、町の道場に通い続けた。
奨励会員に負けるたび、敗因を尋ね、黙々と自分を磨いた。
17歳で初の女流タイトルを獲得して女流三段となり、20歳で女流三冠に輝き、男性棋戦で唯一の女流参加枠に名を連ねた。
25歳のとき、町道場で知り合った棋士と結婚し、夫婦で指し棋譜をAIで検討し、夜遅くまで盤に向かう日々が続いた。
その努力が実を結び、彼女は公式戦で10勝3敗という見事な成績を挙げ、編入試験の受験資格を手にした。
資格を得てから1か月の熟慮期間が設けられている。
熟慮期間が設けられているのは、合格しても順位戦に参加できない「フリークラス棋士」となり、女流のタイトルを返上せねばならず、却って収入が減るからである。
3.
陽子は編入試験の受験を決断した。
試験当日、陽子はイエローのスーツで現れた。
その明るい色は、観客の目に軽やかに映った。
対戦相手は無駄口一郎四段。
「振り駒の結果、沢口さんの先手と決まりました。持ち時間はそれぞれ2時間。それでは、お願いします」
陽子は得意の三間飛車戦法を採用した。
夫との練習、AIの分析で積み重ねた日々が、その一手一手に表れた。
形勢は次第に陽子の優勢となったが、残り時間は少なくなった。
「沢口さん、残り時間1分です」
秒読みの声が、盤面の緊張をさらに際立たせる。
観戦者たちの息遣いさえ、駒音に溶けた。
陽子はすっと立ち上がり、障子を開けてトイレに向かった。
会場がどよめく。
彼女は55秒で席につくと同時に指した。
駒が盤を叩く音が、静寂を切り裂いた。
寄せは完璧だった。
無駄口四段は深々と頭を下げる。
「負けました」
陽子、初戦勝利。
その後の第2局、第3局も激戦の末に制し、史上初の女性プロ棋士が誕生した。
記者会見で、陽子は静かに語った。
「将棋は、対局中にトイレに行けば時間切れで負けになりますよね。
それで師匠の加山先生に相談したんです。
先生は一分将棋でもトイレに行くことがあります」
新聞社のカメラのフラッシュが彼女の汗を照らし出す。
「でも59秒以内で戻ります。囲碁ではトイレは許されるのに、将棋では許されない。
男女の違いは、頭脳よりもその制度にあるのかもしれません」
新聞記者たちは盛んにメモを取っている。
「だから私も訓練しました。
59秒で戻っても集中力を保てるように。
トイレに行けば、すっきりしますから、集中できます。
支えてくれた先生と夫、そして応援してくださった皆さんに感謝しています」
将棋連合が囲碁との人気の差の原因を悟って、トイレは持ち時間には含めないと改正したのは、その後のことである。




