4.スポーツジム
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ついに兄貴が旅立つ日――そっけなく言うと蒲田を後にする日がやってきた――なんて大げさなもんやのうて、要るもんは全部新居に送ってあるさかい、あとは本人が移動するだけで済む話や。兄貴は忙しいヒトやし、せやからしばらく会うこともないやろうってんで、特別な夜、雨の土曜日の夜、JR蒲田の西口でえっらい幅利かせてるレトロな飲食の商店街「バーボンロード」の焼鳥屋で決起会? みたいな運びになった。ちっこい店や。テーブル席は二つしかあらへんで、そのかたっぽに陣取ったっちゅう寸法――予約はできへん店やさかい、要は強運やったっちゅうこっちゃな。強運。ウチら家族に揃って言えることや。
串の盛り合わせが到着した。
率先して箸で串から全部削ぎ落としてやろうおもたら、「みみっちぃことはするな」とか怒られた。
「気ぃつこてんねんで?」
「焼き鳥の単位は一つじゃない、一本だ」
うへ、かっこよ。
「兄貴の仕事ってなんなん? やっぱなんかのマネージャーなん?」
「家賃の心配をしているのか?」
「まあ、幾分」
「きょうだいなんだからな、面倒を見てやるくらいの義務はある。ただ、小遣いが足りないのなら自分でなんとかしろ。自力という概念はじつに美しい」
兄貴は絶対に高給取りなんやろうから、オレの小遣いの面倒かて見れることやろう。せやけどもはや言わずもがな、小銭が欲しかったら働けってことや。厳しいとかなんてことはない。あたりまえのことや。礼儀を尽くして人脈を得て、その成果物として金銭を得る――ホンマ、あたりまえのことや。特に礼儀、マナーっちゅうことについては、とにかく両親から口酸っぱく言われたことでもある。
――そのへんはまあ、ともかくとして。
とりあえず、兄貴らしくないんちゃう?
今度は、オレはそないなふうに切り出した。
「なんのことかっちゅうと、だってアパートの目の前が小学校なんやもん。きゃっきゃきゃっきゃの子どもの声なんて、大っ嫌いやろぅ?」
「学校のそばなら治安がいいだろうと考えた」
「おぉ、ああぁ――なるほど、そりゃいっぺんに納得が行ったわ」
「ヒトの判断には理由が伴う、必ずだ」
「打算的なこって」
「それもまた妥当性の問題なんだよ」
あいよ、おまちどうさま!
大将の奥さんやろうな、髪に白い物は見えるけどまだ若々しいおばちゃんが、テーブルになにやら白身の刺身をどんって置いてくれた。
「奥さん、こりゃなんの刺身なん? 鯛なんかな? それとも別のなんかなんかな?」
「男が細かいことを気にするんじゃないよ」
うん、まあ、そりゃそうや、そのとおり。
男は寛容で大らかであるべきであって、裏を返せばそれ以外の素養なんて要らへん。
柚子胡椒で食べたらうまかったさかい、それだけで重畳や。
「スポーツジム、行こかなぁ、通ったろうかなぁ」
とかなんとか、ぽかんと言うたオレ。
っちゅうのも、くだんの小学校の隣がそうなんや。
小学校の隣がジム、どう考えても珍しい立地なんやけど――。
二つ目のさつま揚げを頬張るもぐもぐ、やっぱナマがええな、さつま揚げは。
「そう言うだろうと思ってな」
「えっ、まさか、もう契約しといてくれたん?」
「微妙に違う」テーブルに両の肘をついてじゃっかん前のめりの兄貴は日本酒のおちょこをくぃっ――細い喉に通した。「名義を変えた。すぐにでも通える」
「ああ、なるなる、そういうことか。おおきにです」オレはぺこって頭ぁ下げた。
友だちはできたか?
とは、心配性とは無縁やさかい、すなわち兄貴らしからぬ問い掛けや。
「なんや? 気にしてくれてるん?」
「誰かを妊娠させたときの責任までとるつもりはない――ということだ」
オレはきょとんとなってから、あははとわろた。
フリーランスを標榜する兄貴にまさかセーフセックスを説かれるとは思ってへんかった。
兄貴は今度は値が張る芋焼酎を頼みやった。
削げた頬がほんの少し赤くなってて、それはもう色っぽい。
兄貴は対人戦の汎用性が高いさかい、相当な人たらしって言えるやろう。
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アキラに対してはストーカー気質が絶えへんオレやし、実際そないなふうに行動することによってアキラからは「いいかげんおまわりさんに通報するぞっ」とか言われんねんけど、それでも後をついて回ったる。ホンマに御上に訴えるならとっくにそうしてるやろうし、せやさかい、オレはオレとして、アキラからそこまで嫌われてないんやって解釈してる。ああ、なんて前向きなオレ。そうやなくても、アキラのことは気になってしかるべきでなぁ。裏を返せばオレは心配性なんや。アキラはじつに肉感的な身体してる女のコやから、とにかく不安なんや、痴漢に遭ったら困るとかな。オレにとってアキラはもやは他ならぬニンゲン、女性なんやさかい、気にかけるし、気になってしょうがないんや。ちょい浅黒い肌かて、かなり――うんにゃ、とことんポイントが高い。だって健康的やろう? 弱々しい感がないほうがええ。なんやかて強いほうがええ――性別問わず、それってオレにとっての真理や。
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放課後、今日はスポーツジムへの初出勤。広くて大きなとこや。入会金だけで8万かかるとか兄貴は言うてた。そのうえ、月額で使用料が発生するわけやさかい、たかが高校生にすぎへん俺からすればとんでもないすねかじりやって言える。それでも兄貴はむしろ「通え」と言ってくれたわけやさかい、そこにある事実としては、「怠惰な毎日を過ごすな、きちっと鍛えて過ごせ」ということなんやろう。やったろうやないか。元から筋トレが趣味で、プロテイン飲むんもまた良しとしてるんやから。
まずはプールで泳ぐことにした。そのあと屋上でフットサルやって、それから筋トレやって、またプールで泳いでから帰ったろうって決めた。
――プールの空間に入って、ゴーグルの位置を調整しながら歩いていた折に、その人物は目の前に現れたんや。
何を隠そう、アキラやった。
黒いセパレートの、競泳用に違いない水着を着てやる。
顔を上げたところでアキラはこっちに気ぃついたらしくて、すると「うひゃぁっ!」と悲鳴を上げつつ自らのドエロい上半身を両手で隠そうとした。――隠そうとしただけや、なんも隠せてへん。なにせ「デカい」んやさかいな。
オレは一歩踏み出して、なおいっそう、アキラの魅力的なボディを下から上へと舐めるようにした。
「ちゃんとしたおまえの肌、初めてみたな」オレは笑った。
「ななっ、なななななっ」もちろんアキラは戸惑ってみせる。
「腹筋、綺麗やん? 意識して鍛えてるんやな」
「そそそっ、そんなことっ、つつつ、つーか、なんでここにいるんだよ?!」
「成り行きや」
「軽く言うなっ」
「軽く言うしかないやろぉ」
アキラは「ふ、ふんだっ」と、ぷいっと顔をそむけた。
オレは「やっぱかわいいなぁ」と笑った次第や。
「で、お、泳ぐのか?」
「おうよ、付き合えや」
「な、何言ってんだよ、偉そうに」
「やかましぃぞぉ。もっとこう、エロエロしたろかぁ」
「だからやめろぉっ、そんなこと言うのわぁぁっ!」
「オレの目の保養に協力したってくれ」
「うるさい、馬鹿っ。死んじゃえ馬鹿っ」
アキラは身を翻すとぱたぱた駆けてゆく。
「プールサイド走んな。危ないやろぅ」
「うるさいっ、バカバカバーカ!」
基本的にはあまり賢く聡明な女子ではないらしい――その限りではないんやろうけど。
その後、オレはバタフライで二キロ泳いだ。
じつのところの「フィジギフ」の面目躍如やな、えっへん、まるで疲れてへんねんからな。
プールからあがって着替え澄ませて建物の表に出たら、やっぱアキラの奴がおったんや。
「……ラーメン、食べたい」とか、突拍子もなくアキラは言うた、顔をぷいっと背けたまま。
「ラーメン?」オレは首をかしげた。
せっかく身体追い込むようなことしたのに、カロリーの権化、ラーメン? しかもライスが欠かせないとか言いやる。
いくらなんでもとツッコミ入れたら、例によって「つ、ついてこい」とどもりかげんで言われたんや。
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JR蒲田駅の東口から近いところで岩海苔たっぷりのラーメン食べたるに至った。オレはフツウに食べたんやけど、アキラはめっちゃ、必死めいた感じで食べやった、背脂に関しては最強オプションらしい「鬼脂」とか。よっぽどうまいし、よっぽど好きなんやろう、身体に悪いことウケアイやけど。長生きできへんぞ、ホンマに。
これを食うために身体、絞ってるんだっ。
おおぅっ、しかしそうなんか。
ストイックなんかそうやないんやか、まるでわからへんぞ。
アキラはわろて、あらためてラーメンをすする前に、「また来ような!」とか、かわいいことを言うてくれた、ホンマ、ラブリーな限り。
なんやかんやで、人生、楽しく過ごしたいだけなんやろうな。
――同感やわ。




