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26.準備フェーズ

*****


 兄貴が蒲田に一時的に、舞い戻ってきやったんや。


 バーボンロードの鹿児島的居酒屋におるんやけど。

 狭い店のカウンター席で並んで座ってるんやけど、なんとも心地ええんやけど。


 呼びつけてくれたら、どこにかて伺ったるのに。

 オレがそないなふうに言うと、兄貴は「蒲田のほうが、なにかと都合がいい」――っちゅうことらしくて。

 そのへん、どうにも意味不明で不可解で、せやさかい納得はいかへんねやけど、咀嚼して、飲み込んで終わらすことにした。


 さつま揚げがうまいんやわ。

 それを顕現するにあたあって、どれだけのテクがあるんやろうか。

 ――なんちゅう点はともかくとして、至高にして最強の兄貴に気に入られるってことはそういうこっちゃぞ、大将。


「聞かされてへんかった。兄貴の専門は、なんなんや?」

「言ったとしてわかるのか?」

「たぶん、わからへん」


 オレははっはっはってわろた。

 にしても、ホンマ、頬が桃色に染まった兄貴はなんてセクシーなんやろう。


「おまえは俺のことを理系だと判断しているだろう?」

「えっ、違うん?」

「馬鹿を言え」兄貴は優しげにほっぺを弛緩させた。


「えっと、たとえばきっと、ネットワーク業界は、あるいは文系で占められてんのん?」

「そこまでは言わん。だが、ある程度、誰にでもできるんだよ。よって、高級な職ではないと言い切れる」

「そないに卑下せんでも」

「今は運用コンサルだ。上から目線で、顧客の環境を評価している。ほんとうに心外なご身分だよ」

「それはそれで楽しそうやん?」


 兄貴は悪戯っぽく肩をすくめてみせるだけやった。


「もう夏休みなんだろう?」

「うん、とっくに。こないだ、目当ての女のコとプール行ってきた。過去一、サイコーの思い出になった」

「目当て――アキラ嬢のことだな?」

「言わずもがな」

「良かったな」

「うん、まるっきり」


 オレはころころわろてやる。

 優しい兄貴はもういっぺん、「良かったな」って言いやった。


「で、一緒になるつもりなのか? 添い遂げるつもりなのか、とも言う」

「そりゃあ、もう。あんなにかわいくて愛しいコは他におらへんさかいな」

「彼女はまだまだ幼いながらもセクシーだ。目的は、それだけじゃないのか?」

「ちゃうよ。精神性を愛してる」

「ほんとうなのか?」

「しつこいなぁ」


 だったら何も言わないさ。

 兄貴は満足したようにうなずいて。


「北海道に、行ってきたらどうだ?」


 いきなりの、突拍子もない提案を耳にして、オレ「へっ?」と口にするしかなかったんや。


「北海道に行け、とは?」

「実家に顔を見せてこいという話だ。おまえの朗報は、きっと喜ぶ」

「おとんとおかんが、か?」

「そういうことだ」


 うーん……。

 オレは首を右に傾け、そないなふうに唸った。


「ひょっとしたら、オレは勘当されたんやないかっておもてるんやけど?」

「つくづく馬鹿を言え。おまえの両親はいつだっておまえのことを心配しているぞ。俺が言うんだ。間違いない」

「おまえの両親、て」オレは少々力なく「あはは」ってわろた。「せやけど、オレは逃げてしもたからなぁ、きっちり向き合わへんかったからなぁ」


 それは違うだろう?

 兄貴は力強く、宣言するように言うてくれた。


「おまえがウチの家業――牧場の後継者から身を引いたのは、俺と同じ理由であるはずだ。だったら、自己弁護をするようでなんだが、おまえは悪くないんだよ。悪いはずがないんだ」


「そのへんはまあ、じつは自覚的ではあるんやけど」

「帰ってみろ。話はそれからだ」

「兄貴がそこまで言う理由は?」

「決まっている。そうしてやれば、彼らは喜ぶに違いないからだ」

「親のことを彼らとか言うもんやないって思うんやけど?」

「やかましい。彼らは彼らなんだよ」


 まずはどないしたらええ?

 そないなふうに、訊ねたった。


「アキラに話を通せ。あるいは、アキラのご両親を説得しろ」

「ま、連れて回るが避けられへんのは、ある種の儀式やわな」

「そういうことだ」

「そうやね」


 兄貴は滅多に笑わへん。

 オレは愉快におもえたさかい、不躾にも兄貴の肩ぁ抱いて、「おおきになぁ」とか言うたったんや。



*****


 アキラんちにおる。

 弁当屋の、昼間の営業を終えた段のことや。


 アキラんちは正直、広くない。

 キッチンに置かれた長方形のテーブルは、明らかに空間を圧迫してやる。


 ま、んなことどうやかてええんやけどな。

 むしろ下町然としてて、せやからその狭さは尊く、また愛おしいって言えるんや。


「いつもごめんなさいなんだぞ、狭い家で」

「せやさかいアキラ、それはおまえのせいやないし、っていうか、そんなん気にしたこともないんやぞ?」

「だっ、だったら、ありがとう」

「どういたしまして」


 アキラが残り物をつこて、オレのために一つ、弁当をこしらえてくれた。

 唐揚げの群れにウインナーの束の特製弁当――見るだけで胸焼けするんもおるかもやけどオレは平気、ぜんぜんおいしくいただける。


 がつがつ食う、食べる。

 そったらアキラは「おまえの食べっぷり、あたしは好きだぞ」とか言い出しやって。


「食べっぷり?」

「ああ。おまえはほんとうにうまそうに食べるんだ。たくさん食べる。食べられるのはメチャクチャいいことなんだ。そんなおまえのこと、あたしは評価してるぞ」


 おとんとおかんから、「食べ物は絶対に残すな」って言われつづけた。

 わかるんや、それは――ちゅうか、米粒の一つすら残すなんてことは、オレからすれば考えられへんねや。

 食欲は元から旺盛やし、胃袋もきっとでかいんやろう、とにかくオレはぎょうさん食べる、食べることができる。


「そそそっ、そろそろ、おまえはあたしのこと、抱きたかったりするのか……?」


 これまた突拍子もなくアキラっち。

 いきなりもいきなり、そないなセリフ、吐きやるとは。

 恥じらいうんぬんはさておき、かなーり思い切った言葉やったんやろう。


「いいや、抱く抱かんの話は先でもええんや」

「いいいっ、いいのか?」

「なんや、とっとと突っ込んでほしいんか?」

「と、とっととか! 突っ込むとか!!」


 北海道、行かへん?

 とか、そないなふうに、本題を打ち出した。


「へっ、北海道?」

「結婚相手として、ウチのおとんとおかんに紹介したいな、って」

「けけけっ、結婚相手とかっ」

「あかんか?」

「あああ、あかんことはないんだぞ。べべ、べつに、いいんだぞ……?」


 北海道はええぞ?

 楽しいとこやぞ?


 そう教えたったら――考える素振りは見せたんやけど――「行くぞっ」と語尾跳ねで、飛びつくように応えてくれたんや。


「父さんと母さんには話通しとく。嫌とかは言わないぞ。おまえのこと、かなり気に入ってるからな」

「ちゅうたかて、オレはおまえんこと、容赦なく妊娠させるかもしれへんねんぞ?」

「ばばば、馬鹿言うなよ。おまえはそんなこと、絶対にしないだろ?」

「うん」笑顔のオレ。「セーフセックスを心掛けたい」


 一拍ののち、アキラはおかしそうに「あはは」ってわろた。


「やべー、楽しみになってきたっ」

「おおきにな」

「バーロー。べつにおまえのために愉快になってるわけじゃあないんだぞ」

「ヘンテコな日本語や」

「バーロー、うるさいやい、うるさいやい」


 あたしはほんとうに、北海道は初めてなんだ。


「あんまり期待しなや。特段、ヒトが親身やっちゅう地域性でもないぞ。特にタクシーの運ちゃんのマナーは底抜けに悪い」

「えっ、そうなのか?」

「誰が言い出したんやろうな、北海道のニンゲンはあったかい、って」


 事実をオレは、告げたったわけや。


 でもと、アキラはうきうき顔。

 オレが目の前におるっちゅうのに、前触れなく何やらスマホ、いじりやる。

 次に口にしやったのが、「おぉ、空港から札幌に出る快速電車はエアポートっていうのか」とか――。


「冗長性に乏しいんよ。電車がないと、バスしかない」

「地下鉄はないんだな」

「作ったほうがええ思うんやけどな、何年かかるかわからへんからなぁ」

「行政は及び腰なのか?」

「おっ、意外や。アキラっちの口から行政なんて難しい単語を聞けるとは」

「馬鹿にするな。じつはあたしは賢いんだぞ」


 まあ、行こうや。


「ついてってやるって言ったぞ。ああ、楽しみだ。田舎なんだろ? ああ、ほんとうに楽しみなんだっ」

「三つ指、ついたってくれな?」

「あ、あうっ、やっぱそうなのか?」

「冗談やよ」


 意地悪言うなよな。

 アキラは口を尖らせやって。


「ままっ、マジでこれまでになかった夏休みになりそうだ」

「なんで激しくどもるんさ?」

「そ、そんなのどうでもいいだろ?」


 オレは右手伸ばして、アキラっちの頭をくしゃくしゃってしたった。


「乱暴だぞ、おまえは。加えて不躾だ」

「せやったら拒んだらええのに」

「それは……」


 オレはまた、くしゃくしゃ頭ぁ、撫でたった。

 その黒髪の柔らかさが、彼女が女やってことを、容赦なくつきつけてくれた。


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