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第三話 消えた影──首相令嬢失踪事件(1)

 倉科刑事は、分厚い封筒を机の上に置いた。

 その仕草には、張り詰めた空気が纏わりついている。


 資料を広げようとした瞬間、隣のシンが小さく指を鳴らす。


「凪。こっちへ」


 ソファの端を軽く叩く。

 そこはシンの“真横”の席だった。


 少し迷った。

 けれど、シンの視線は“座れ”と静かに命じている。


 俺が隣に腰をおろすと、倉科さんが目を丸くした。


「おい神宮寺……お前、最近趣味変わったか?

 かわいい助手なんて連れてよ」


 からかうような声。

 その言葉に、一瞬耳が熱くなる。


「……かわいく、ないです」


 小さく反論すると、シンが即座に言った。


「かわいいかどうかはいい。

 心強い助手だ」


「へぇ……お前がそんなこと言う日がくるとはな」


 倉科さんはにやっと笑い、ソファに深く腰を沈めた。


 


 封筒の中から、数枚の写真が取り出される。


 写っているのは、若い女性。

 二十代前半。髪はダークブラウンで肩までの長さ。笑っている写真もあれば、証明写真のように真面目に撮ったものもある。


「この女性が、三日前に行方不明になった。

 深夜にコンビニを出て、そのあと足取りが完全に途絶えた」


 倉科さんの声は硬い。

 事件としてはよくある──はずなのに、資料の扱いがどこか慎重すぎる。


 シンが短く言った。


「倉科。何でもいい、今持っているものを貸してくれ」


「……あ? 何だよ急に」


「早く」


 わずかに眉をひそめながら、倉科はポケットに手を入れる。


「ほらよ。車のキーだ。これでいいだろ」


 金属の束が、シンの手に収まる。

 彼は迷いなく、それを俺の方へ差し出した。


「凪」


 その一言で、何をすべきか理解する。


 俺はキーを両手で受け取り、そっと握り締めた。


 



 ひやりとした金属の感触が、指先から腕へと伝わる。

 視界の端で、淡い色の影のようなものが揺れた。


 断片が、流れ込んでくる。


 すべては、ふわりと立ち上る程度の薄い残像。

 ふと目を閉じると、霧のように散って消えていく。


 俺はそっと息を吐いた。


「倒れたマグカップ…空っぽの冷蔵庫…壊れたドライヤー…」


「げっ」


 倉科さんが目を見開く。


「つまり、こういうことだろう。今朝、おまえはコーヒーか何かをマグカップで飲もうとしてこぼした。冷蔵庫には食材が何も入っていなかったから、朝食はとっていない。その右側の髪に少し寝癖が残っているのは、ドライヤーが壊れていたからだ」


「……神宮寺。こいつ……何者だ?」


 倉科さんがシンを見る。


 シンは当然のように答えた。


「俺の助手だ。

 優秀だろう?」


「いや優秀すぎだろ……

 お前、あれだろ……湖の遺体を当てた外国人……」


「ジェラール・クロワゼのことだ」


「そうそれ! あれ思い出したわ!」


 倉科さんは完全に興奮している。


「ジェラールって…何ですか?」


 シンは「ああ」と気づいたように言い、俺に説明してくれた。


「オランダの超能力者だ。俺もおまえも生まれていないような時代に活躍していた。1970年代に来日し、行方不明の女児の居所を捜索した。結果、遺体を発見した。その始終をテレビカメラが映していたから、今でもネット動画などで話題になることがある」


「なるほど…超能力者なんですね…」


「おまえも似たようなものじゃないか」


 倉科さんの言葉に、俺は慌てて首を振った。


「そ、そんな……すごいものじゃないです。

 触れたものから、ほんの少し“ヒント”が見えるだけで……」


「いや、それで十分助かるんだよ!」


 倉科さんが身を乗り出してくる。


「警察なんてよ、証拠がなけりゃ何もできねぇ!

 でもお前、今の数秒で俺の朝全部当てたじゃねぇか!」


 シンがわずかに眉を寄せる。


「倉科。落ち着け。

 彼は俺の助手だ。

 勝手に連れて行くなよ」


「分かってるって! 冗談だよ!」


 倉科さんは手を上げて苦笑いした。




 笑いが少し収まると、倉科さんは深い息を吐いた。


「……まあ、こんだけ優秀なら助かる……

 正直、今回の事件、手詰まりだったからな」


 声の調子が変わる。

 空気が重くなっていく。


「行方不明のこの女性──」


 写真を軽く叩きながら、倉科さんが低く告げる。


「首相の娘だ」


 室内の温度が一瞬で変わったように感じた。


「…………え」


 声が喉にひっかかる。


 失踪事件だと思っていたものが、

 国家レベルの誘拐事件へ跳ね上がる。


 倉科さんは続けた。


「報道はまだされてない。

 パニックになるのを避けるため、極秘で動いてる」


「犯人の要求は?」


「まだ何も来てない。

 だからこそ……嫌な予感がする」


 倉科さんの眉間に深い皺が刻まれた。


「もし身代金目的なら、もっと早く何か言ってくるはずだ。

 沈黙が一番……不気味なんだ」


 俺の背中に冷たい汗が流れた。


 シンが静かに言った。


「……倉科。依頼内容を整理して話せ」


「ああ」


 倉科さんは姿勢を正し、改めて資料を広げる。


「神宮寺。

 お前の嗅覚と……彼(凪)の力が必要だ」


 俺は息を呑んだ。


 そんな大きな事件に、俺が関わるなんて──。


 シンはそっと、俺の手首に触れた。

 強引でも優しすぎるでもなく、

 “支えている”と分かる絶妙な力加減で。


「大丈夫だ。

 お前はヒントをくれるだけでいい。

 あとは俺が繋げる」


 その声だけを頼りに、

 俺はぎゅっと拳を握った。


(……漣のために働くつもりだったのに……

 こんな大きな事件まで……)


 でも──胸の奥で

 シンの手の温度だけが

 やけに心強く響いた。


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