結婚式(エマ視点)
今日という日は、人生でたった一度きりの、大切な日。
けれど私は、どこか現実味のないまま、ただ静かに鏡の中の自分を見つめていた。
「……似合って、いるかしら」
つぶやいた声に、侍女たちがいっせいに「とても!」「お美しいです!」と口を揃える。
緊張したような、誇らしげなような、若い子たちの表情に、思わず苦笑した。
鏡のなかの私は、白いドレスを纏っている。
控えめなレースに、無駄のないシルエット。
華美ではないけれど、手仕事の温もりと気品が息づく、私だけの一着。
――グランフォード公爵家の令嬢と、名高い伯爵との婚礼にしては、随分と質素な式だと、誰もが思っただろう。
それでも私は、これ以上ないほどに満ち足りていた。
なにしろ、前世の結婚は戦時中のこと……親族だけで集まり、静かに食事をしただけだった。
あれはあれで、幸せだった。
でもこうして人前で祝福されるというのは、なんだかむず痒く、くすぐったくて――。
ふと、式場の扉が開き、控えの者が告げた。
「まもなく、ご入場です」
胸が高鳴る。
裾を整え、息を整える。
──扉が開かれ、陽光の射す礼拝堂に、私の足音だけが響いた。
白いバージンロード。
両脇には、最小限の来賓たち。
温かく、けれど控えめな拍手に包まれて、私はその道を一歩ずつ進んだ。
そして、祭壇の前。
そこに、彼はいた。
──セイル・リーリエ伯爵。
凛として、威厳を湛え、けれど私だけを見つめるその眼差しは、優しくて、どこか懐かしくて。
(……清一さん)
心の奥で、その名が浮かんだ。
似ている。
声も、まなざしも。
──本当に、似ている。
私は歩きながら、そっと目を閉じた。
過去が、胸に広がっていく。
――あの日の駅のホーム。
「……どうぞ、お国のために、ご健闘くださいませ……」
心の奥では泣きたくて、叫びたくて、抱きしめて離したくなかったのに、
私の口から出たのは、そんな形式ばった言葉だった。
清一さんは、微笑んで、こう言ってくれた。
「百合子さん、必ず生き抜いて」
──私は静かに、まぶたを開く。
伯爵様が手を差し伸べてくれていた。
私は微笑んで、その手を取る。
「……不束者ですが、よろしくお願いいたします」
それは、百合子ではない“私”が紡いだ、エマとしての誓いだった。
「あなたを幸せにいたします」
伯爵様はやさしく、けれど確かな力で、私の手を握り返してくださるのでした。