百合子の回想_青年期3(百合子視点)
その日はとても寒い日でした。
縁側に腰かけていると、襖が静かに開き、清一さんが一枚の毛布を肩にかけてくれました。
「……風邪をひきますよ」
私がありがとうと微笑むと、彼は何も言わず、隣に腰を下ろしました。
ふたりで同じ毛布を分け合っている、ただそれだけなのに、心臓の鼓動が早まる心地。
しばし、沈黙。
庭の梅のつぼみが膨らんでいて、けれどまだ咲かない。そんな季節。
「……百合子さん」
呼ばれて、私は彼のほうを見ました。
清一さんは、まっすぐにこちらを見つめています。
その目は――もう、少年の目ではありません。
「最近、……僕のことを避けておられる気がして」
「……そんなつもりは、ないのよ」
「……もしかして僕が、百合子さんを苦しめているのではないかと思えるんです」
私は言葉に詰まりました。
たしかに私は苦しかった。
清一さんが好き。でも、好きだなんて言ってはいけない気がして。
彼の未来を狭めてしまうような気がして。
何より、この先、彼が戦争に行ってしまったら――。
そんな想いを、私は飲み込んできました。
でも、今この瞬間、彼の目を見ていると、もう何もごまかせなくなる。
「……あなたの未来を、縛りたくなかったのです」
私は、小さな声で言いました。
「私と一緒にいたら、あなたは、きっと不自由するでしょう。夢をあきらめなければならないことも、あるかもしれない。……それが、怖かった」
沈黙が落ちる。
庭を風が抜けて、梅の枝がかすかに揺れていました。
清一さんは、しばらく何も言いません。
けれど、次に発したその声は、静かで、でも、決して揺るぎなく響きました。
「僕の夢は、百合子さんと生きていくことです」
「……!」
「僕が望んでいるのは、あなたのそばにいることです。たとえ、この先にどんな運命が待っていようと……それだけは変わりません」
彼はそう言って、そっと私の手を取りました。
指先が、少し震えている。
けれど、それは私の手も同じでした。
「百合子さん。……あなたが、もしも、僕を怖れているのなら、僕は何も言いません。でも――」
清一さんは、唇を噛んで、それでも真っ直ぐに続けます。
「僕は、あなたを愛しています。……子どものころから、ずっと」
その言葉に、胸が締めつけられました。
清一さんは、私を、こんなにも誠実に想ってくれていた。
「僕は、人生の暗闇で百合子さんと出会って、あなたのために生きたいと思いました」
彼の言葉に、胸がいっぱいになる。
「初めてあなたに手を引かれた日から、ずっと……ずっと、あなたのぬくもりを心の支えにしてきました」
彼は、私の正面に向き直りました。肩にかけていた毛布が落ちる音。
「あなたと過ごした日々が、どれほど救いだったか。僕に、生きる理由をくれたのは、百合子さん、あなたです」
清一さんの顔がとても近く、目が離せない。
「どうか……僕の妻になってください」
その瞳は、まるで祈るように、私の答えを待っていました。
私の目に、涙があふれてきました。
でも、それは悲しみではなく、言いようのないほどの、喜びでした。
「……はい」
私は頷きながら、そっと笑いました。
「わたしも……あなたのそばにいたい。できるだけ、ずっと……」
それだけで、彼は安堵したように微笑んでくれました。
私たちの心が、確かに結ばれたように感じられました。
「……私も」
私はようやく、震える声で言葉を返しました。
「私も、あなたが好きです。……ずっと、ずっと」
彼はそっと私の髪に触れ、頬に触れ、目をのぞき込みました。
彼の呼吸を間近に感じ、私が静かに目を閉じると、彼の冷たい指先は私の唇に触れました。
それから私たちは、誓いあうように、静かに唇を重ねたのでした。