【短編】グランフォード家の新年会6
「そうは言うものの、ベルったらエマの結婚が決まった途端、嫉妬に狂って暴れはじめて……大変だったのよ」
イザベラの静かな語りに耳を傾けていた雪は、心の中で呟く。
──母の結婚の裏で、そんな会議があったなんて……
エマ自身も初めて聞く話らしく、目を丸くしている。
そこへ、軽やかな足音が近づいてきた。
「エーマっ!」
甘く華やかな声が響き渡る。見る間に場の空気がぱっと変わった。
現れたのは、王太子妃マリアベル。豪奢なドレスの裾を翻し、護衛の騎士たちをずらりと従えている。
「マリアベルお姉様! お久しぶりです」
「あぁエマ! 私の天使! 元気なエマが微笑んでいるだけで、お姉様は生きていけるわ!」
エマ業火担の方の姉は、エマを見つけるなり駆け出してきたようだった。その過激な愛情表現に、雪は思わず目を瞬かせた。噂には聞いていたが、これほどの熱量だとは。
圧倒される雪へ、マリアベルはウインクを飛ばす。
「貴女がユキさんね! エマを救ってくれて、本当にありがとう。感謝してもしきれないわ。これからも妹をよろしくね」
「は、はい……医師のユキでございます。殿下にそう仰っていただけるなんて、身に余る光栄です……」
雪がたじろぎつつ礼を尽くすと、マリアベルは満足げに微笑んだ。
「可愛い方ね! 今度、王宮でお茶をしましょう」
その豪奢な笑みに、雪は小さく息を呑んだ。
「ベラも、久しぶり」
「ベルも相変わらずね」
月のごときイザベラと、太陽のごときマリアベル。
二人の姉妹が並び立つ光景は、それだけで周囲を圧倒し、貴族たちの視線を釘付けにしていた。
「それで、何を話していたのかしら?」
マリアベルがエマに向き直り、甘く、柔らかく問いかける。
「イザベラお姉様が、私の縁談を進めてくださった頃のお話を……」
「まぁ、あの頃ね! 私もよく覚えているわ」
マリアベルは得意げに顎を上げる。
「リーリエ伯爵とは子供の頃から何度か顔を合わせていたの。私もベラも人となりを知っていたから、エマが気に入るならと賛成したのよ」
「え……?」
エマは驚いて目を見開いた。
「お姉様たちは、セイル様とお会いしたことがあったのですか?」
「あら、何度もいらしていたじゃない」
二人の姉は当然のように答える。
「あぁでも、あの頃のエマは、米で“モチ”を作るとか言って研究に夢中だったわね」
「いいえ、豆から“ショウユ”を作ると張り切っていたのよ」
「魚を干して“ダシ”を取りたいとも言っていたわね」
奮闘するエマの姿を思い出し、微笑みを浮かべる二人の姉。
雪はその話に思わず口元を覆った。母の幼少期を想像すると、おかしくて仕方がない。
当のエマは、頬を赤くしてうつむくばかりだった。
──と。
雪はふと違和感に気づいた。
すぐ隣にいたはずの気配がない。
「……ユーリ?」
辺りを見回す。
噴水のきらめきも、貴族たちの談笑も、耳に入らなかった。
どこにも、ユーリの姿が見当たらない。
「ユーリ……!」
雪の顔から血の気が引いた。
まさか──誘拐。
次の瞬間、雪の胸を冷たい悪寒が駆け抜けた。