75.宰相はからかう。
「…僕は貴方と話したいとは全く思いませんでしたがね?」
にっこりと笑みを作りながら私とアーサー殿へ笑いかけるステイル様はなかなかのご機嫌ぶりだった。
「申し訳ありません、ジルベール宰相殿。偶然にも聞き捨てならない会話が耳に入りまして。」
ステイル様の登場にアーサー殿は少し引いたように小声で「おい、今は…」と言おうとして下さったが、直後ステイル様に足を踏まれ、痛そうに顔を歪めながらステイル様を睨みつけていた。
「御心配なく。手合わせの場所ならば私の家の庭もありますから。」
そう笑みで返せばステイル様から貼り付けた笑顔で「それは良かった。」と返ってきた。彼は未だに私への怒りが冷めないらしい。だが、…それで良いと思う私がいる。
「なら、僕もその時は同行させて頂いても構いませんか?是非、お手合わせを。未熟ゆえに手元が狂うかも知れませんが。」
暗に剣で私を斬りつけてやる、とでも言いたいのだろう。彼のこういう物言は養子になられた頃から健在だった。齢七の時から姉君となったプライド様を守る為に大人と渡り合おうとする彼の姿は感心させられたものだ。以前は彼の皮肉に対しては王族への敵意を悟らせないよう適当に受け流していた。だが、マリアの一件以降から更に毒気の増した彼の皮肉が今の私には微笑ましく写ってしまい、つい意趣返しでその切れ味を研ぎ澄ませたくなってしまう。…アルバートに気づかれると拳を叩き込まれてしまう為、自粛するように努めてはいるが。
「それはそれは。手元が狂うとは、ステイル様は未だ剣に御不安があるようで。宜しければ私から手解きして差し上げましょうか?」
まぁ、時折こうしてしまうのが私の底意地の悪い所だ。
ステイル様は明らかに笑っていない目で口元を引き上げ、青筋を立たせていた。横にいるアーサー殿が彼と私から一歩下がり距離を置く。
「…何故、お前は姉君やアーサーには殊勝に振る舞う分際で俺には毎回そうなんだ…?」
声を潜め、ふつふつと煮え滾るように私を睨み付けるステイル様へ笑顔を返す。
「いえいえとんでもない。ステイル様にも心から感謝しております。貴方への大恩も生涯忘れはしませんとも。」
敢えて明るい口調で言ってみれば彼は煽られるままに手に持ったグラスにヒビを入れてしまう。「ならば、何故…?」と耐えるように静かに呟く彼に、少し申し訳ない気分になり私は取り繕うのを止めた。
「そうですね。…そのまま、許して欲しくはないからでしょうか。」
ステイル様、そしてアーサー殿の表情が変わる。彼らにとって予想外の言葉だったのだろうか。
大罪を犯した私は、プライド様の慈悲、アーサー殿の揺るぎなさに救われた。
そして、ステイル様は正しい方だ。あの事件後、唯一私を許さずにその怒りを向けてくれている。アーサー殿の拳と同様に、私には彼の敵意や怒りも救われる想いだった。
数年間、私は許されないことを犯した。…間違いを犯したのだと、それを彼だけが示してくれているのだから。
私のそんな想いを察してか、ステイル様は珍しくいつもの仄黒い笑顔を消し、一瞬複雑そうな表情に顔を歪められた。苛立ちのような、つまらなさそうな、それでいて…少し悔いるような表情だ。だが、すぐに気を取り直したかのように目元の眼鏡の縁を指で押さえ、俯き、再び顔を上げると今度は私に向けるのには珍しい、むくれたような表情を向けてきた。
「お前が望もうが望むまいが関係ない。俺はお前を未だ許しはしない。…俺はお前がずっと昔から嫌いだ。」
それだけ言うと、手元のワインを傾けながら私を睨み付けてくる。
「ええ、ありがとうございます。私はずっと以前より、貴方のことをお慕いしておりますが。」
笑みを含みながらそう言うと、彼は口に含んだワインを噴き出しそうに喉を詰まらせ、数秒かけて飲み込んだ。その後、呆気をとられたかのように大きく見開いたその目を私に向ける。横でアーサー殿が驚いたようにステイル様のグラスを受け取り、私とステイル様を見比べていた。
その様子が面白く、思わず心からの笑顔で彼に続ける。
「まるで、幼き頃の自分を見ているようで。」
そう言った途端、ステイル様から尋常でない殺気が溢れ出してきた。アーサー殿が気づき、慌てて周囲に気づかれないようにステイル様の表情が他の者に見えないように立ち位置を変え「今はやめとけ」と彼に囁いた。
「…俺は、絶ッ対に、お前には似ていない。」
それだけを吐き捨てるように言うと、彼はこれ以上話してたまるかといった様子で私に背中を向け、アーサー殿も私に頭を下げた後、それに続いた。
…私の言葉は本心だ。勿論、それでステイル様が喜ばないこともわかってはいたが。
彼は、やはり以前の私に似ている。ちょうど今の彼と同じくらいの齢だった私に。聡明で早熟且つ些か腹黒いところも含めて。だが、彼は私のように屈折し、間違いを犯すような人間にはならないだろう。彼は私と違い、常に正しく在ろうとする人間だ。
何より、あの齢から既に良き家族と良き友、そして守るべき大事な存在に囲まれている。彼がそれを手離そうとしない限り、きっと大丈夫だ。
プライド様が女王の任を継ぎ、彼が摂政となった暁には、私も彼とプライド様を支えるために尽力しよう。
それこそがプライド様やアーサー殿を、そして憎むべき私までをもマリアの元へ導いてくれた彼への恩返しとなるのだから。




