70.無礼王女は招待される。
「ッ…ああ…、あ…っ、…なん、て…ことを…。」
…誰だ…?なんだ、この…光景は…。
嘆いている…惨めで、見窄らしいあの老人は…。
「アッハハハハッ‼︎なぁにその姿。素敵な顔が台無しじゃないジルベール。」
目の前で笑う女性。淑女というべき齢なのに、品のない笑い声を上げ、老人を見下ろしている。
……この老人は…。
…嗚呼、…私か。
そうだ…私は、念願の特殊能力申請義務令を制定させ…
なんて、ことを。
「不老人間の貴方が、老人から年齢操作できなくなっちゃったって話は本当みたいね。」
私を覗き込み、彼女は嘲笑う。口の端を引き上げ、なんと醜い。嗚呼…
私は悪魔と契約を交わしてしまったのか。
「喜びなさいよ?貴方の素敵な法案のお陰で、私は幸せよ。だってこの国で本当に特別な存在になれたのだもの。」
彼女は笑う。老人となった、枯れ果てた私を見て笑う。顔が靄がかったように見えないというのに、彼女の笑みが嫌なほどよくわかる。
「国中の特殊能力者がわかったもの。現段階でわかった特殊能力者は皆、私の奴隷になり、逆らう者は皆死んだ。つまり、この世の希少な特殊能力は全て私の力になったもの。」
崩れるように床に膝をつける私を、彼女はその場にしゃがみこみ、頬杖をつき、笑う。
「全ては貴方のお陰。五年我慢した甲斐あったじゃない?頑張って働いて、働いて、お望み通り法案は実ったわ。」
まぁ、あの病原体は残念だったわね?と、笑い声をあげながら軽い口振りで彼女の存在が投げ捨てられる。
私のせいで、何人の国民が隷属へと堕ち、何人の国民が処刑されたのだろう。
「本当はねぇ?」
囁くように、彼女は紡ぐ。
「貴方も隷属か処刑か選ばせようと思っていたの。だって、歳をとらない不老人間なんて羨ましいじゃない?」
老人の姿が余程愉快なのか、私の垂れた皮膚を指で突き、楽しむ。
もう、感情が動かない。何をされてもどうでもよくなる。
「でも、見逃してあげる。貴方みたいに永遠に醜い姿で生き続けないといけないなんて、呪い以外の何者でもないもの。」
アッハハハハハハと、心の底からの嘲りがその場に響く。そのまま一瞥もなく彼女は去って行く。
「…ぁ、…あ、ァ、ぁ…っ、…すま、ない……私、…私の…せい、で…皆…皆…。」
…マリアは…死んだ。
多くの特殊能力者も…皆。
在る者は自由を呼ばわれ、在る者は女王の手によりその命を奪われた。
私の、せいだ。
私、私の…
「あああああああああああああああああっっ‼︎」
駄目だ、頭が機能をしない。
思考が、働かない。
声が止まらない。
マリア、君がいてくれれば。
初めて出会えた、あの時にもう一度戻る事ができれば。
嗚呼…
頭が、胸が、手が、足が、身体が…
年齢の制御が、効かない。
老いた老人から、再び身体が伸び、そして縮んでいく。
己の声が若返り、次第に甲高い声へと変声される。
老人から、子供へ。 そしてまた子供から、老人へ。
制御が効かず、身体が伸び縮み、老い若返り、頭がおかしくなりそうだ。
私は一体どうしてしまったというのだろう。
君に、どう詫びれば良い?
約束をしたのに。最後まで幸せにすることができなかった。
それどころか、罪の無い特殊能力者が、子供も老人も女も誰もかれもが不幸になった。
君に、会いたい。
今すぐにでも君の元へ。だが…
『…もし…私が死んだら、…貴方は私の分…ちゃんと、生きて…。…絶対に…。』
君との最期に交わした約束だ。
生きなければ、ならない。私は。
君の分まで、必ず。
…生きよう。
彼女の分も、そして私が奪った多くの人生の分、生きて、この国に尽くさねば。
これ以上、あの悪魔の犠牲者を増やさぬ為に。
私が…宰相である私が…出来ることを全て。
この国に尽くせる限り、永遠に。
マリア、…君がくれた人生だ。
罪人の私はきっと、死んでも君の元へは行けない。
多くの人の人生を奪ったこの私が。
だから、せめて償いを。
せめて、君の願いを、望みを。
年齢が、再び老人の姿で止まる。
歩くのすら苦労する、この足で。
嗄れたこの声で。
「マリア…君の、為に。」
君に、罪なき国民に。
永久に償い続けよう。
心の臓が止まる、その時まで。
……
「…ル。…ジル。……大丈夫…?」
ぼやけた視界で、最初に目に映ったのはこの世で最も愛しい人の心配そうな表情だった。
「…マリア。」
…夢を見ていたらしい。
思い出せないが、酷く息苦しいものだったことだけは覚えている。
彼女に目元を拭われ、涙が止めどなく溢れていたことに気づかされた。
心配そうに私を覗き込んでくれる彼女の存在だけで、酷かった胸騒ぎが静まっていく。
「すまない…夢を、見ていたらしい…。」
昔の夢でも見てしまったのだろうか。
だが、大丈夫だ。私の現実は此処に在る。
彼女の小さな額に口付けをして、それを確かめた。
「本当…?」と未だ心配する彼女の髪を優しく撫でる。
「ああ、大丈夫だ。私には君がいるのだから。」
身体を起こし、窓の外へ目をやる。
暖かな日差しが差し込み、心穏やかな気持ちにされる。
此処暫くは、何度目が覚めても窓の向こうを眺めるたびに「帰ってきたのだ」という気持ちにさせられた。
最初、この家に彼女を連れ帰った時はお互いに涙が止まらなかった。
どれほどこんな日々を待ち望んだことだろう。
「それに、今日は大事な日だ。使用人達ばかりに任せてはおけないからね。」
そう言って笑めば、外の日差しよりも暖かい、柔らかな彼女の笑みが返ってきた。
愛しさが増し、思わず今度はその唇に触れてしまう。
そのまま身なりを整え、彼女にはベッドでもう暫く休むように伝えてから部屋を出た。
この、陽だまりのような幸福を静かに噛み締めながら。
……
「う〜〜ん…」
一人唸っていると、ティアラが私を覗き込んできた。
「どうしましたか、お姉様。今日着ていくドレスでお悩みですか?」
大きな瞳をパチパチさせて私を心配してくれる。そのまま「お姉様はどんな御召し物もお似合いですよ」と言いながらすぐそこにいるステイルの服の袖を掴んで引き寄せる。
「何か悩みですか、プライド。」
俺達で良ければ相談に。とティアラと一緒にテーブルに齧り付く私に声を掛けてくれる。
「ありがとう、二人とも。実は色々ね…。」
そのまま、聞いてくれる?と笑いかけると二人とも二回も頷いてくれた。二人にお礼を言い、私は一つずつ二人に相談することにする。
私は今、悩んでいた。
一つは侍女のロッテとマリーのこと。
二つめはジャックの待遇について。
三つめは今日招待されたジルベール宰相家のパーティーでの手土産についてだ。
ジルベール宰相とマリアの一件から、かれこれ数ヶ月が過ぎていた。マリアもかなり体調が回復し、数日前からとうとう城を出てジルベール宰相との屋敷に数年ぶりに帰っていた。 仕事の合間に会えないのは残念そうだったけれど、使用人に任せているので大丈夫ですと笑っていた。
そして、この一件で影の功労者でもあるロッテ、マリー、ジャックに対して私は今回の御礼を何か形にしたいと思っていた。勿論、形といっても肩たたき券というようなものではない。本当は褒美や褒賞を与えたいとも思ったのだけれど、公式な形での御礼をすることは内容が内容なだけに難しい。私の持っていた装飾品をどれか…と提案もしたけれど、三人ともに思い切り拒まれてしまった。
そんな訳で、私が考えた三人への礼は簡単に言えばちょっとした昇進だ。
もともとロッテ、マリー、ジャックはそれぞれ侍女と衛兵という立場で、主には私に付いてくれることが多かったけれど、あくまで〝主に〟だ。私とずっと一緒にいる訳でもないし、一緒にいない間は城の事に従事していて他の侍女や衛兵とあまり変わらない。まず、侍女のロッテとマリーは父上にお願いして私専用のお抱え…つまり専属侍女にしてもらおうと思う。 そうすれば、特別手当が毎回城から配給されるだろうし、今までも私やステイルの為に運動着をこっそり作ったりしてくれた二人の負担を減らす事もできると思った。私のお抱えになれば、私と一緒にいる間にお裁縫をしていても誰にも咎められる事がなくなるのだから。今までも凄く御世話になったし、今回の一件で秘密を共有してくれたし、十分私のお抱えにする理由にはなると思う。
ただ…何故だか私にはすごく抵抗がある。多分、次期女王になる私のお抱え侍女は、即ち将来の女官長候補だからだろう。逆に覚える事や必要な作法とかが増える可能性も大いにあるし、御礼のつもりが負担を増やしてしまう、というのが私自身の躊躇の理由だろう。
「それは…プライドが心配する必要はないのではありませんか?」
え?
ステイルの何気ない一言に思わず目が点になる。でもティアラも横でうんうんと頷いている。
「俺もティアラも一応、専属の侍女は決めていますが、城の王族の専属侍女とは栄誉です。しかも、プライドは第一王女。侍女としてはこれ以上ない誉れではないでしょうか。」
「兄様の言う通りです!だってこれから先もお姉様と一緒に居られると約束されたようなものですもの。私だったら飛び上がって喜びます!」
二人の言葉に、ポカンとしたまま私はゆっくりと頷いてしまう。
そうか、そうだった。
仕事内容が変わったり増えたりなど、侍女にとっては日常茶飯事だろう。それより次期女官長にもなり得る立場の方が二人にもいろいろ都合が良いこともあるかもしれない。むしろあれほど御世話になったのにお抱えにしなかったことの方がおかしかったのかもしれない。というか、何故今まで専属にしなかったのか自分でも不思議なくらいだ。最後にステイルから「心配ならば、本人達に提案してみたらいかがでしょう。もし、本当に拒むようでしたらそれから考えても遅くないと思います」と言われ、考えがやっと纏まる。そうよね、まず二人に意見を聞かないと。
二人に御礼を言い、私は次の相談に移った。
衛兵のジャック。
実のところ、第一王女とはいえ私の一存で彼を一般衛兵から隊長にする事は憚れる。
更に侍女と違い、この世界の衛兵には王族〝お抱え〟の衛兵というものは存在しない。ゲームでも衛兵、兵隊、歩兵は皆同じモブ画だったし、あまり重要視されていない世界なのかもしれない。攻略対象者の一人であるアーサーが騎士団長だからか、外交とか護衛が必要な時は衛兵よりも騎士が必ず傍にいることが多く、護衛=騎士として重要視されることが多い。
だから私が考えたのは〝近衛兵〟だ。
この世界には無い概念だし、私自身もゲームやアニメ、漫画でしかざっくり知らないけれど簡単に言えば私専属の衛兵、ボディーガードだ。そうすればロッテ、マリーと同様に私の傍にいることで手当とかも出るし、私も彼ならば安心だ。
前世の記憶は言わずに近衛兵の案だけ伝え、二人の反応を見る。すると、返って来たのは予想外の言葉だった。二人とも〝近衛〟という案にはとても良いと同意してくれて、是非父上と母上に相談して次の法案協議会にでもと言ってくれた。そして最後に二人同時に声を合わせたのだ。
「「近衛騎士というのはどうでしょうか?」」
え⁇と聞き返すと、二人ともまた同時に「アーサーを」と提案してくる。
近衛騎士…確か親衛隊とかそんな感じで別の乙女ゲームとかでも見た事がある気がするけれど。
「近衛兵として衛兵にジャックを常に控えさせ、そして近衛騎士としてアーサーを有事には必ず付かせるというのはどうでしょうか。それならば次期女王となるプライドの護りは更に盤石なものになると思います‼︎」
是非‼︎と、ステイルにしてはなかなかの食い気味に私へ押してくる。あれ、私ジャックの話をしていた筈なのだけれど…。
そ、そうね。と答えながら「でも、先ずは〝近衛〟という役職から父上や母上、上層部の許可が通るかが問題で…」と答える。それでもステイルは「ならば、俺が完璧な法案を作り上げてみせます‼︎」と豪語してくれる。更にはティアラが「それなら」と手をパチンと合わせ、何か良いことを思い付いたように私とステイルに微笑みかけて来た。
「ジルベール宰相にご相談するのが一番だと思います。」
にっこりと笑うティアラの笑みに、ステイルが珍しく苦い顔をする。未だにステイルはジルベール宰相が嫌いらしい。
「兄様、そんな顔をしないの!」とティアラに怒られ、顔を両手で挟まれて綺麗に整った顔がひょっとこみたいになる。
「ジルベール宰相ほど法案に強い方はいないでしょう⁈」
ステイルへ向けられるティアラの言葉に私は静かに頷いた。
ジルベール宰相はマリアの一件以降、それまで以上に宰相としての頭角を現していた。
それはもう、仕事の鬼を超えて魔神レベルで。
もともと、母上の補佐である摂政のヴェスト叔父様が女王公務補佐や外交全般、世界情勢の把握を司ってるのに対し、父上の補佐であるジルベール宰相が国内の法律や裁判、我が国の情報管理や機密保持全般まで司っていたわけだけど…その強化が凄まじい。情報規制や秘密保持の強化とともに、過去に不正や情報漏洩を行った一部の上層部の吊るし上げまでを徹底的に行ってた。…まぁ、ステイル曰く「この前までは自身が職権濫用の上にその最たる者だった分際で…」とか言われていたけれど。ゲームの中では摂政のステイルとジルベール宰相で役職の枠を超えて不正暴いたり国の政治や公務とか色々協力し合っていたのに…本当、ゲームとはえらい違いだ。
またそうしてジルベール宰相が活躍してくれた中で、今までチラチラと聞いていた私の悪い噂もパッタリと無くなった。何故か今まで遠巻きに私を見ていた上層部の人達まで私に親しく関わろうとしてくれることも増えた。多分、ジルベール宰相が表での活躍だけでなく、裏で暗躍し手を回してくれたのだろうと思う。流石天才謀略家。
そして、人身売買の検挙や取り締まりが凄まじい勢いで国中に敷かれ、母上も人身売買の罪人を裁くので大忙しだった。宰相としての仕事もあるのに無理をしていないか心配になって、父上に尋ねたところ体調は問題ないとのことだった。ただ…「それどころか次の法案協議会に向けて山のように多種多様な法案を作り上げている…」と逆に頭を抱えていたけれど。一体いつ寝ているのかと思うけど、その割にはマリアが自宅へ住むようになってからは公務での外交以外は毎晩家に帰っているという。正直恐ろしい。
父上が軽く教えてくれただけでも、人身売買取締法改正案や、人身売買被害者保護法、個人情報取締法、発達途上児童無償教育機関設立案、特殊能力者援助法など舌を噛みそうな法案を次々と今からでも提出できるレベルまで見事に仕上げてきているそうだ。
確かにそんなジルベール宰相なら近衛に関しても良い助言を貰えるかもしれない。ティアラとそしてその両手に今度は両頬を摘まれているステイルに御礼を言う。
これで、一応悩みの二つは一区切りついた。残りは…
手土産について、だ。