692.無名王女は伝え、
「……遅ぇぞ、主。」
玄関に向かうと、ちょうど大量の花々が扉をくぐって衛兵に運び込まれるところだった。
中に運び込まれた花の山……というか規模で言えば花畑みたいな量の苗ごとの青い薔薇と真っ赤な花束の山を侍女達が一生懸命綺麗に並べてまとめてくれている。
今年は土付き苗ごとよりも既に剪定された真っ赤な花束の割合が多いけれど、青い薔薇の凄まじさは変わらないどころか際立っている。この光景を見るのも一年ぶりだ。今回は庭師も想定していたのか、複数人が既に控えていた。
本当にさっき来たばかりなのか、私達に視線を投げたヴァルも床に座らず壁にもたれかかっていた。
花を全て運び込み終わるか、それとも受取人である私を待っていてくれたのか。身体ごと横向きのままこちらを睨む彼に私達からも歩み寄る。グラリと気怠そうにこっちに正面を向けてくれる彼は、よく見ると片腕に珍しいものを抱えていた。今のこの空間には凄く馴染むけれど、彼が持っていると失礼ながら違和感がすごい。
呼びかけでくれた彼に続くようにセフェクとケメトも私の方に振り向いた。おはようございます!と元気よく私に手を振ってくれる。おはよう、と返しながら、早速私はヴァルに確認で言葉をかける。
「……ええと、……その、花もレオンから⁇」
「他に誰がいやがる。好きでこんなもん抱えるかよ。」
ケッ、と吐き捨てながらヴァルが片腕に抱えていた花束を乱暴に私に押し付ける。
ぐしゃっ、と束の部分は軽く音を立てたけど、花はちゃんと無事だった。カードも挟まっているこの花束だけは、玄関を埋め尽くす薔薇とはまた種類が違う。以前私がレオンに贈った紫の花だ。同じ花を贈ってくれるなんて、本当に気に入ってくれたんだなと思う。
ヴァルはやはり薔薇の香りが気に入らないのか、顔を顰めたまま鼻を擦った。運んできた時よりも室内の方が香りは篭るから無理もない。……でも、またお酒の匂いがしたし多分また代金とは別にアネモネでお酒を御馳走になったのだろうなと思う。この薔薇の中でも香るとかどんだけ飲んでるのだろう二人とも。
ティアラが「今年も素敵ですねっ!」と声を弾ませながら、セフェクとケメトと嬉しそうに周囲を見回した。ステイルも早速衛兵に花の置き場と、母上とヴェスト叔父様に報告するようにと衛兵に指示を出している。何せ、今年も広い玄関を埋め尽くす数の青い薔薇だ。
確かこの青い薔薇、去年頃から爆発的に人気が出て、一束でもかなりの値段で取引されて普通の市場じゃ手に入らない。一輪あるだけでも、その家のステータスになる扱いすらある。我が城でも王居に去年レオンがくれた薔薇の花が大事に薔薇園に植えられているけれど、当然ながらこれだけの数はない。……アネモネ王国、恐るべし。
ヴァルが渡してくれた花束のカードには、去年と同じようにレオンから皆にも宜しければの旨と盟友としての言葉。今年も青い薔薇の生産と流通は順調だと書き添えられていた。多分彼のことだから流通も抑えながら価値を高騰させつつ大元を握っているんだろう。彼の貿易の手腕は私も見習いたい。
アネモネの薔薇やハナズオの金や宝石と違って、我が国はそういう特産物に派手なものはない。敢えて言えば、極一部の特殊能力関連の商品だろうか。だけどそれは国外への流通には厳しい審査と手続きが必要だし。私もずっと学校制度と国際郵便機関しか考えてこなかった。……まぁそれも充分目玉になる自信はあるけれど。
そして、カードの最後の一言には
『〝貴方を信じて待つ〟この先も僕らは永遠に変わらない』
レオンらしい素敵な言葉が添えられていた。
あの時の花言葉を覚えてくれてくれたことが嬉しい。それに、この先も盟友であることを断言してくれる言葉に胸がポカリと温まった。今もなお、彼と私の気持ちは一緒だ。……けど。
……〝信じて待つ〟……。
ふと昨晩のことを思い出し、その言葉に自然と目が刺さってしまう。
レオンのくれたその言葉は、たった一つの意味ではない気がしたから。もし私がこの先でー……、…………いや。今は、後にしよう。
先ずはレオンからの素敵な贈り物を配達してくれたヴァルを労わないと。レオンにどう言われたかは知らないけれど、ちゃんと一番大事なメッセージ付きの花は抱えてきてくれたのだから。奪還戦まではレオンの城に匿ってもらっていたらしいし、また少し仲良くなったのかなと思う。
「配達ご苦労様でした、ヴァル 。それと昨日、無事に例の国際郵便機関についても公表を」
「レオンから聞いた。そっちはもう馬鹿王子以外はどうでも良い。それより、だ。……主。」
私の言葉を遮ったヴァルがゆらりと私に向き直ってくる。
正面から至近距離まで近付いて鋭い眼光で見下ろされ、圧をかけられる。……なんだろう、何か怒っているような。
無言で私を見下ろしてくるヴァルを私からも見上げれば、背後にいるアーサーとカラム隊長まで身構えた。今更ヴァルが私に危害をとは思わないけれど、舌打ちが打たれたから確実に不機嫌だ。そして一度閉じた口から、彼の低めた声が放られる。
「俺様としちゃあ、来年のことなんざより〝来月〟の方が聞いておきたかったんだが。」
……来月。
不満の色に染まったそれは苦情に近かった。
酒のこもった息で私に呆れるような溜息を吐く。さらに舌打ちも続くと、今度は話を聞いていたセフェクとケメトが「あっ」という声と一緒にティアラの傍から手を上げた。二人の声が合わさって聞こえただけで話に入って来られることを察したヴァルが顔を嫌そうに歪める。
「主!学校始まるんですよね!おめでとうございます‼︎」
「わっ……私もケメトも行けますか⁈絶対行きたいです!」
あーーーっっ‼︎
二人の純粋無垢なお祝いと言葉に私は顎が外れて声を上げてしまう。
私の声に重ねるようにティアラも両手をパチンと叩いて声を上げたけれど、ステイルは無言でゆっくりと頷いた。アーサーは私と一緒で顎が外れている。カラム隊長が前髪を指先で払いながら私達とセフェク、ケメトを見比べた。
ここでやっとヴァルの苦情と不機嫌を理解する。
「ごごご、ごめんなさい‼︎‼︎」
先ずはと私は慌ててヴァルとセフェク、ケメトに謝罪を入る。
そうだ、学校制度を一番最初に楽しみにしてくれていたのはこの三人だ。元はと言えば学校を立ち上げる為に配達人を請け負ってくれたところもあったのに‼︎
元々、公表するまではヴァル達にも経過を知らせる事はできなかった。だからこそ今までその経過は全く三人にも話さなかったままだったけれど、せめて公表前日くらいには一番に教えてあげようと思っていたのに!セドリックの話をした後に何か忘れてる気がしたのはこれだった‼︎‼︎
完全に怒らせる報告だけして満足してしまっていた!ティアラの誕生祭の時はハリソン副隊長との一触即発で国際郵便機関とセドリックのことを話せなかったし、今度こそはと思ったのに‼︎
ずっと待ち遠しにしてくれていた学校を、私からでもなくティアラからでもなくアネモネ王国のレオンに又聞きしたに違いない。しかもフリージア王国に来たら来たで既に公表が終わって国中がそれで持ちきり。一番先にその提案知っていて、ずっと楽しみにしてくれていたのは三人なのに‼︎
開いた手を高速で左右に振りながら、三人相手にどこを見れば良いのか何を言えばいいかもわからない。焦りで顔まで汗をかいてきて、花を抱えた腕にも思わず力が入る。
「その、本当に話そうとはしてて‼︎でもうっかりこの前は忘れてしまって!本当に本当にごめんなさい!今まで言えなかったのもそうだけれど、三人が一番楽しみにしてくれていたにっ……!」
「それで、ウチのガキ共はそれに入れんのか?」
「それで、僕とセフェクはそれに入れるんですか?」
私の見苦しい言い訳に飽きたようにヴァルとケメトが同時に声を合わせてきた。
私の目の前にいるヴァルと、ティアラの傍にいたケメトから同時に尋ねられ、思わず姿勢が伸びる。一部は重なって混ざったけど、他はちゃんと聞こえた。「はい!」と肩まで上がりながら私は今度こそ三人に言葉を返す。
「勿論、です。セフェクとケメトは対象年齢でもあるし、他の子どもは来月に受け入れを始めるけれど、ジルベール宰相にもお願いしてちゃんと二人の枠は確保してあります。……一応、寮も」
三人のお陰で開校できるのだし、二人はヴァルとの配達の為に受け入れに乗り遅れるかもわからないからそれも含めて対処した。
もともと、上級層や上層部から体験入学や本入学したいみたいな人が現れることも予想して、ある程度の上級層用の枠とクラスは別で作ってある。
ただし寮については十三歳以下の子どもといっても家が無いような下級層や中級層の庶民の子が優先だ。そしてあくまで大部分は中級層から下級層の子どもの為の施設機関だから、体験入学の枠も特別クラス以外、それ以上は譲らない。
私の返答にセフェクとケメトが「やった!」と飛び跳ねてお互い手を合わせた。本当にこれだけ楽しみにしてくれていたのに報告が遅れて申し訳ない。改めて謝れば、二人とも「行けるなら良いです!」と明るく返してくれた。ティアラに続いてこの子達も天使過ぎる。
ヴァルもちゃんと二人が学校に行くのが確保されたのは安心したらしく、息を吐いた後にとうとう床に座ってあぐらをかいた。肩に掛けられた荷袋がドスンと床に転がって音を立てる。紛れて「ったく」と呟く声が聞こえたから、本当に彼も彼でそれを心配していたんだなと思う。ヴァルもずっとこの話を発案した時からセフェクとケメトを学校に行かせたがってくれていたもの。
「あの、……本当にごめんなさい。一番貢献してくれたのは貴方達なのに」
「悪いと思うならあの馬鹿王子を殴る許可寄越せ。」
また無理難題が返ってきた。
舌打ち混じりに返された返答に思わず私は顔が苦む。それとこれとは話が違います、と言いたいけれど、セドリックなら余裕で許可するんだろうなと思う。というかちょうど一年前に本人がそうしてくれと言っていた。
私が思わず言葉に詰まっていると、鋭い目をチラッと一回だけ私に向けてきたヴァルがまた逸らした後にヒラヒラと私に手を払った。追い払うような仕草は文字通りここで話は終わりだと言っているのだろう。
「……薔薇は今回も持っていく?」
「要らねぇ。」
最後に一応尋ねたけれど、断られる。
セフェクとケメトが大声で「欲しい!」と声を上げたけど、それもヴァルが却下した。その途端二人がまたティアラからヴァルへと走り出す。座り込んだヴァルと左右から挟むようにして、目の高さまで膝をついたりしゃがんでは彼の腕を掴んだ。
「なんでよ!私もケメトも欲しいわ!また赤くなるのやりたいもの!」
「僕もセフェクも欲しいです!また四本持って帰りたいです!」
「うるせぇ!去年枯れた薔薇の始末にどんだけごねやがった⁈」
「ヴァルがすぐ捨てようとするからじゃない!」
おぉ……内部抗争が。
その後も主にヴァルとセフェクの言い合いを聞いていると、前回おすそ分けした薔薇を枯れたら速攻で捨てようとしたヴァルにセフェクとケメトが猛反対したらしい。……というか枯れるまではちゃんと持ってくれていた方が意外だ。
ヴァル曰く、荷袋にも安易に放れないし保存も面倒だし地面を滑らせての高速移動も花が散ると騒がれて速度を上げられなくてとにかく邪魔だったと。しかも二人とも全く手放そうとしなかったから、セフェクに至っては敵への放水攻撃にも支障があったらしい。「最終的にケメトが持ってくれたからいいじゃない!」発言を聞くと、少なくとも薔薇が枯れるまではケメトが薔薇の保護役を担っていたのかなと考える。どうにか折衷案がないものかと、ティアラもオロオロしてから柔らかく三人に言葉をかけた。
「でっ、ではレオン王子のお城に預かってもらうのはいかがですか?昨夜も遊びにいかれたのですよねっ?」
「レオンの城の薔薇をまた持ち主の部屋で飾れってか?」
「ならば例の酒場にでも置かせてもらえ。青い状態では希少種だっと気づかれるが、赤くなった後であれば問題ない。」
ヴァルに一刀両断されるティアラに代わり、ステイルが打開策を提示する。
今度は歯を剥かずに口を閉ざしたヴァルは、片眉を上げて少し考える様子になる。すかさずセフェクとケメトが「良いじゃない!」「良いですね!」と声を上げた。……でもその酒場って、もしかして以前に私がレシピ提供した店主さんのお店じゃ。
ヴァルの希望料理を作らされるに飽き足らず、薔薇の花の保管と世話までさせられるって、完全に私物化されていないだろうか。
取り敢えずはそれで妥協したヴァルは「俺の分はいらねぇぞ」と二人の分は許可してくれた。仕方なさそうに座り込んだままの体勢から、ちょうど届く先にある青い薔薇の鉢に手を伸ばす。
もうあげることは許可した私に一度目で確認した後、指でパキリと二本分の薔薇を摘み折った。不満そうに顔を歪めながらそれでも二人に纏めて差し出せば、セフェクもケメトを嬉しそうに一本ずつ受け取った。
青い薔薇が赤くなった瞬間、二人ともさっきまでの猛抗議が嘘のように大喜びしていた。「ありがとうございます!」とヴァルにお礼を言うケメトに続き、セフェクは「あと二本!主からも貰えますか!」と私に振り返ってきた。まるでスタンプラリーでも集めているかのようだ。
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