690.無名王女は黙する。
「プライド様、御気分はいかがでしょうか……?」
カーテンが開かれて朝の挨拶を掛けてくれた専属侍女のマリーとロッテが、ベッドの中の私を恐る恐る覗き込んできた。
眉を垂らして強張った表情に、かなり心配してくれたのだとわかる。昨晩、恐ろしい事実を知ってしまった私は、疲れただけと一点張りを続けて最終的には医者の特殊能力で強制睡眠を取らせて貰った。本当は夜中も悶々と考えたかったけれど、そうしないとステイルもティアラにもきっと一晩中心配をかけてしまうから。……結果としても、時間を置いたお陰で今は昨日よりは幾分冷静だ。
「ええ、大丈夫よ。昨日は突然ごめんなさい。なんか、疲れちゃったみたい。」
なんとか言葉を選ぶ。
笑ってみせれば、ほっと二人は息を吐いてくれた。まだ心配そうに目の奥が揺れていたけれど、それでも笑顔を返してくれたから私も安心する。おはよう、と改めて伝えれば二度目の朝の挨拶が返ってきた。
ベッドから上半身を起こし、ぐぐっと背を伸ばせば一気に血の巡りが良くなる。たぶん昨夜のことは父上や母上達にも届いているだろうし、衛兵にも伝言を頼んで挨拶に行かないと。私は催眠の特殊能力で安眠できたけど、父上達には一晩心配をかけたかもしれない。念のためマリーに聞いてみたら、……やっぱり眠っている間に母上達も会いに来てくれたらしい。もう、誕生祭の度にハプニングとか我ながら迷惑過ぎる。
ハァ、と溜息を吐きながらベッドを降りようと足を垂らす。お水をお持ちしましょうかとロッテの言葉に甘えることにする。服を脱ぐ前に額の汗を拭ってくれて、髪を手で軽く整えて貰えば少しすっきりした。
水差しから水を注いでくれたグラスを受け取れば、水面が軽く揺れた。零さないように両手で持って、一口ずつ喉を潤す。自分を落ち着ける為にも少しずつ冷たさを飲み込んで、グラスが半分近くになった時、部屋の外からコンコンッとノックが鳴らされた。
「ステイルです。姉君はもうお目覚めですか……?」
ステイル。
いつもより随分早い。しかも続けて扉の向こうから消え入りそうな小ささで「お姉様……?」とティアラの声まで聞こえてくる。
早朝にヴェスト叔父様の手伝いがあったステイルはまだしも、ティアラはいつもなら私と一緒で着替え始める時間なのに。
ロッテとマリーが目で私に尋ねてくれ、私からも頷き、直接扉へ向けて返事をした。
「ええ、起きてるわステイル、ティアラ。近衛騎士の方々もどうぞ入って来て。」
グラスをロッテに返し、ベッドから立ち上がればマリーがそっと薄い寝衣の下から上着を羽織らせてくれた。
本当なら着替えてから会うべきだけど、心配かけた二人を待たせたくもない。この前みたいに目を覚まさないかもと思われたのなら余計に。
私の許可に部屋の外から近衛兵のジャックが扉を開いてくれた。その途端、飛び込むように身支度を終えた二人が部屋に入ってくる。近衛騎士のアーサーとカラム隊長も心配そうな顔で続いたから、多分二人も昨日のことをステイルかティアラに聞いたのだろう。
おはよう、と両手を前で結んで姿勢を正せば、四人とも肩から力が抜けたのが目に見えてわかった。息を吐く音がいくつも聞こえて、私もまた固く笑ってしまう。ティアラが胸に飛び込んできたのを両手で受け止めれば、ぼすんと音がした。同時にアーサーが上擦った声で「プライド様!」と必死に抑えながらも私を呼ぶ。
「昨晩、そのっ俺、まだ全然なんも……‼︎」
「アーサー、落ち着け。」
顔色が悪いままに瞬き一つせずに顔に力を入れて私を心配してくれるアーサーをカラム隊長が肩を叩いて止める。
だけど、その直後に私に向けてくれたカラム隊長の表情もまた固いままだ。まるで、防衛戦で怪我をした時に見せたような深刻な表情に、……たぶん私も今酷い顔をしているんだろうなと顔の筋肉の硬さで自覚する。
「心配かけてごめんなさい。昨日は少し疲れてて。もう大丈夫だから。」
そう言って無理に笑って見せるけれど、誰もが固い表情のままだった。
しかも、何故か一番私の誤魔化しに険しい顔をしているのがアーサーだ。昨晩のことを目撃はされていない筈なのに、もう目が〝嘘だ〟と見抜いている顔だった。そんなに詳しくステイルから聞いたのだろうか。
アーサーだけじゃない。きっと皆を心配させてしまっている。やっぱり誤魔化せるようなものじゃない。昨日はあまりの衝撃に耐え切れずステイルとティアラに縋り付いてしまったのだから。あんなに茫然とフリーズしておいて「平気」なんて言っても納得して貰えるわけががなかった。
困ってしまい、笑ったまま顔が悴んでしまえばステイルが強張った顔から更にぎゅっと眉を寄せてくる。
「何か、また予知をされたのですか。」
「…………。」
…………言えない。
予知ではない。今回は本当にただ知ってしまっただけだ。だけど確信は持てないし、今落ち着いて思えば考え過ぎだった気もする。
昨日はかなり動転してたけれど、ゲームの学校名が出てきたからってもう現状は第一作目の結末とは変わっている。もう未来は第二作目以降から変わったのだと思えばそれだけだ。ティペットだって顔を見てないから本当に同一人物かなんて確証はない。それに万が一彼女だったとしても、都合良く特殊能力が開花してるかはわからない。アダムだけは本当に死んでるかもしれないし、全部は単なる可能性だ。ティペットという名前だって、広いこの世界で二人以上居ても別におかしくない。それに、私はもうアダムの特殊能力は受けたからもう二度目は効かない筈だし、何より第二作目以降からラスボスプライドは死んでいる。だからキミヒカの第二作目以降のシリーズではプライドが登場人物としては存在しない。つまり
関わらなければ、問題ない。
「…………。」
……そう、関わらなければ。
自分で思い直しながら、それでもモヤモヤ気持ち悪く何かが引っ掛かる。その正体が上手く掴めないで唇を搾っていると、ぐぐ……と背中から締め付けられた。気付けば私を抱き締めたティアラが細い腕の力を強めていた。顔を上げれば、ステイル達が真剣な表情で私を見つめてくれている。しまった、気が付いたらずっと沈黙を貫いていた。これでは予知をしたと言っているようなものだ。
「ぁ……いえその、予知では」
ないの、と。
……その言葉を言おうとした瞬間、喉の奥がさっきより強く引っかかった。
本当に間違いなく今回は予知ではないのに、今それで有耶無耶にしてしまうことに気が咎めた。真剣に私を心配してくれている彼らに、返答を間違えたくはない。
また黙りこくってしまった私に、今度はティアラが呼び掛けた。お姉様、と呼ばれてそれだけで何でも話してしまいそうになる。駄目だ、ティアラにせがまれたら私は勝てない。
続きを紡がれる前に、私はそっと抱き締めてくれるティアラの両肩に手を添える。そのまま無理矢理にならないように柔らかい力で引き離せば、金色の瞳が潤んでいるのが見えた。下唇をきゅっと噛んで悲しそうにするティアラはもうひと押しで簡単に泣いてしまう。頭を撫で、「ごめんね」と謝りながら私は誤魔化そうとしていた言葉を改める。
「…………ちょっと、まだ整理がつかなくて。だから、…………もう少しだけ、時間を下さい。」
今は、もう少し考えたい。
相談すべきなのか、どこまで相談して良いのか、どこまで確定して良いのか、どうやって話せば良いのかもわからない。
ただ一番可能性が高いのは、第二作目の登場人物がこの世界に存在するということ。そして下手をすればそれ以降の登場人物も。
第一作目の登場人物と違って彼らは、第一作目ラスボスプライドとの直接的な絡みはない筈だ。私が関わらなくても、少なくともゲームの世界よりは平和なこの現実で生きてくれている。そしてゲームの強制力があれば自然な流れで全てが最後には解決して幸福な結末に各々が行き着く。ゲームを知ってるからってもう登場人物でもない私が懸念する必要はー……、…………。
「……わかりました。そこまでプライドが仰るのなら〝今は〟聞きません。ですが、……もう聞かなかったことにするつもりもありませんから。」
ステイルが苦い顔のまま私に漆黒の眼差しで厳しく刺した。
下ろした拳がきつく握られていて、本当は今すぐにでも問い質したいのを耐えてくれているのだとわかる。ティアラも抱きつく代わりに私の手を両手で握って潤んだ瞳で見上げてきた。もうその眼差しだけで、今すぐにでも舌が緩みかける。これも私がティアラに弱いだけなのか、それとも攻略して貰った弊害と未だゲームの強制力の下なのかはわからない。……まだ、ゲームというこの世界の呪いは私の中に存在している。
「お着替え前に失礼しました。俺達は部屋の外で待っていますから、ゆっくり準備してから出てきて下さい。……いくらでも待ちますから。」
優しくそう言ってくれたステイルの声はまだ暗かった。
ステイルが「行くぞ」と優しくティアラの肩を抱いて扉に向かう。ティアラも頷きながら視線はしっかりと私に向いていた。胸の前で小さく手を振れば、蕾のような唇がきゅっと結ばれた。
アーサーとカラム隊長も、眉を真ん中に寄せたまま固い表情のままだ。笑って見せても意味はないとわかっているのに、どうしようもなく下手な顔で笑って彼らを見送ってしまった。
これから朝食後にはハナズオ連合王国の見送りもあるのに。ステイルなんて、きっと摂政のヴェスト叔父様と既に早朝に帰った来賓まで見送って疲れている筈だ。昨晩のこともあって疲れて気負っている筈なのに、また余計に気を重くさせてしまった。しかもアーサーやカラム隊長にまで心配をかけて、……心臓がギリギリ痛む。考えようとしたら気持ち悪く胃の中まで揺れてきて、もうどうすれば良いかもわからなくなる。
考えたいけど、考えたくない。
今それを全部考えたら、せっかく皆のお陰で守られたこの幸せをまた手放すことになりそうで。
あんなことがあったばかりで、もう誰にも辛い想いはさせたくないし今は第一王女として自分のことで精一杯が現状の筈なのに。膝を抱えて部屋の隅で蹲っていたい欲求と、……その正反対の気持ちが混ざり合う。
バタン、と扉が閉ざされるのを確認してから私は目を瞑り、深呼吸をした。マリーとロッテがそっと着替えを促してくれるのに頷きながら、上着を脱がせてもらう。
先ずは今日一日。
それを全部やり遂げてから考えよう。
第一王女として、次期女王として、それが一番正しいに決まってる。
マリーかロッテが纏めてくれたのであろう、昨晩散らばせたジルベール宰相の資料を横目に私は早速身支度へと取り掛かった。




