689.無名王女は混乱する。
数分前……
「やっぱり寝衣は楽ね……。」
ふぅ……と私は息を吐きながら、背凭れのついた椅子に腰掛ける。
ドレスからやっと着替えを終え、軽くなった身体で寛ぐ私に専属侍女のロッテが笑いながら髪を梳かし始めてくれる。いくら梳いて貰ってもウェーブがかった髪は真っ直ぐになってはくれないけれど、それでもすごく気持ち良い。
ドレスから抜けて総重量が一気に減った私は、ぼんやりと鏡の向こうでふやけた顔を眺めた。脱いだドレスを纏めたマリーが「明日も湯浴みを致しますか」と声を掛けてくれる。でも、もう寝衣を着る前に身体は拭いて貰って大分さっぱりしてる。今日も一回入ったし、取り敢えずは断った。そんなに疲れた顔かなともう一度鏡を見れば、やはり見事なふやけ顔だ。……うん、今日はすぐ寝よう。このままだと髪を梳かして貰いながら寝てしまいそうだ。
このままじゃ船を漕いでしまうと、私は気を紛らわせようと鏡の前に置かれた紙の束に手を伸ばす。ジルベール宰相に貰った公式発表の台本兼資料だ。緊張に溺死しかけたところにこれは本当に救いだった。まさか台本まで書いてくれているとは思わなかったけれど。
パラパラと開き、改めて眺めれば本当に詳細な資料だった。
全部暗記した内容ではあるけれど、たとえどんな質問が飛んでも答えられるような大全集になっている。ジルベール宰相が資料無しに把握していないわけがないし、これ全部私の為にまとめて置いてくれたのだろう。前世に居た政治家なら、死に物狂いでジルベール宰相を秘書に欲しがるだろうなと思う。
資料には追記された台本と国際郵便機関の形態予定や見通し、セドリックを採用するに至った経緯。配達人についての言い回し方。学校制度の年齢における分類と寮での男女の生活わけをする理由と下級層や中級層の民を優先する理由、上級層の生徒は体験入学のみの理由、そして学校名とその
〝バド・ガーデン〟
「…………え?」
その、文字に。
目が釘を打たれた。資料には私が暗記していた学校名とは別に、ジルベール宰相が追記してくれたらしい当時の学校名候補からその名前が選ばれた経緯までもが細かく記載されてあった。
学校制度と国際郵便機関は、私が主軸で動かしていたけれど、当然ながら全部を全部私一人で決めたわけでも、全ての会議に参加できていたわけでもない。中には項目だけ指定してジルベール宰相や上層部に任せたものもある。
学校制度であれば場所の手配や内部構造、教育科目、教職員の数、給料、子供の各年齢ごとの受け入れ可能人数、クラス編成、理事長その他教師以外の職員諸々の採用……他にも数え切れないほどのものを会議して貰い、決定事項だけ報告してもらった。学校名についても同様だ。
特に学校名に関しては、本来私が決めて良いと任されかけたのを断った。もうジルベール宰相の第一子のステラちゃんの時に命名する恐ろしさはトラウマレベルで覚えている。だから、できればこれも私一人ではなく上層部の文殊の知恵をお借りしたかった。
結果、学校名は〝プラデスト〟
文字通り、創設者となる私の名前をもじった名前に決定した。
最初聞いた時は正直恥ずかしかったし、再検討をお願いしたかったけれど、それを報告に来てくれたジルベール宰相に見事に言い負かされてしまった。
上層部も色々検討して考えて考えて考え抜いた中で、私を慕った上でそう決めてくれたのだと妙実に語られてしまえば、そこでやり直しなんて言えるわけがなかった。終いには「我らが誇り高き民の為の学校と示す為にこれ以上の名はないかと」と言われれば詰みでしかない。イイトオモイマスと答える以外の選択肢はなかった。
だけど今資料に追記されている候補名の一つには〝バド・ガーデン〟がある。
その深刻性を理解した瞬間、血の気が引いて強張る手から資料が落ちた。バラバラと落ちた紙の束を拾う気にもなれなくて、動かない身体の代わりに頭だけがぐるぐる回る。
もう終わった筈だった、乗り越えた筈だった前世のゲームの記憶が目まぐるしく光りだす。ロッテやマリーに何度か呼ばれた気がしたけれど、それどころじゃなくなった。
〝バド・ガーデン〟
その名を、間違いなく私は知っている。この世界のゲームでもある〝君と一筋の光を〟の第二作目だ。
第一作目で好評を受け、ファンから支持が高かったゲームの第二作目。その舞台。
フリージア王国、王立学園バド・ガーデン。
とある理由で卒業の一年前に入学した主人公。
そこで彼女が攻略対象者の心の傷を癒し、彼らの居場所である学校の危機を救うまでの物語。……え、いや待って待って。おかしいおかしいおかしいおかしい!
頭の中でパニックが起こる。確かに第二作目の存在は知ってたし、舞台はフリージア王国の学園だ。学校、じゃなくて学園!でも、単に同じ学校だから名前も案が偶然被っただけ……ってそんな偶然ある⁇確か前作の第一作目って上層部皆殺しにされてなかった⁇だとしたら同じ案が今の上層部での会議で起こるっておかしい。というか何が一番おかしいってもし来月開校するプラデストが第二作目のバド・ガーデンと同じで、仮にも第二作目が待っているとしたら‼︎
キミヒカシリーズって繋がっているの?
嘘でしょ⁈
あまりの衝撃に否定から入ってしまう。
私は前世でキミヒカシリーズは全部やっている。確かに舞台はフリージア王国だけど、私は今まで一度もこの世界が他のシリーズと被ってるなんて思ったことがない。あくまでここは第一作目の世界で、他の作品とは関係ないと思って疑わなかった。予知とも関係なく、最初から普通にそう思っていた。だって
「君と共に一筋の光を」は各シリーズが〝IF〟なのがキミヒカファンの常識だ。
つまりはパラレルストーリー。
乙女ゲームにはわりとあるけれど、他シリーズとは繋がっているようで辻褄が合わない設定や内容だ。舞台は同じフリージア王国ではあるし、設定的には第一作目後の話だけれど、第一作目のどのルートでも第二作目はおかしい。
先ず、ティアラが女王だけど誰ともくっついていない。ティアラが国を救った女王だけど、王配は話題すら出てこない。
しかも、バド・ガーデン学園では物語の本筋にこそ関わらないけど、前作ファンサービスでティアラが実はこっそり生徒に紛れ込んでいたという展開もあった。お陰でチラチラ前作キャラも学校に姿を現していた気がする。
設定は前作の数年後とかだったのに、女王が入学っていう時点でおかしい!ラスボスから国を救った英雄且つ美少女ティアラなんて絶対生徒に紛れることもできずにバレるでしょ‼︎
しかも、第一作目に学校なんて概念はなかった。
今回学校が出来たのだって私が前世の記憶を持っていたからで、そうじゃなかったらできるわけがなかった。
そりゃあ確かにキミヒカシリーズに学園ものがあるから学校も考えついたけど!だけどそうじゃなかったら学校なんてものがポンと考えつくのはあり得ない。だけどもしこの世界が第二作目にも繋がっているならプラデスト学校だけじゃなく……、……あれ?
「…………二作、目……⁈」
そこまで考えて、私はまた重大なことに気がつく。
その直後、ステイルとティアラが殆ど同時に私に触れた。二人が顔を覗き込んできて、何度も名前を呼んでくれるのを視界にだけ捉えながら私は考える。
……この世界に、いるの?
第一作目以外の登場人物が。
目の前にいるティアラやステイル達だけじゃない。他にも別のシリーズに現れる主人公や攻略対象者達が存在することなる。少なくともこうなると第二作目はいる可能性が強い。いや、第二作目だけじゃない、もしかするとー………、……………あ。
─ ティペット・セトス
ああああああああああああああああああああああああ⁈⁈
頭の中で大爆発が起こる。破裂して、火事を起こして土砂崩れまで引き起こす。もう血が滞って息の仕方もわからない。心臓が一度、動きを止めてから急発進で動き出す。
母上達とティアラの予知能力について検討会を行った時、ジルベール宰相から聞いたアダムが連れていたローブちゃんの正体。
あの時はまさかと思ったし、偶然だと思った。何より一度も顔を確認していないローブちゃんに名前や似た能力だけでそうだとは思えない。だけど、もし、そうだとしたら怖いくらいに辻褄が合う。だって、ティペットって
他のシリーズの主人公だもの……‼︎‼︎
第三作目ではないこと以外は何作目かも今はわからない。
二作目?それとも三作目以降⁇第三作以外は一回しかやってないから順番なんてもうわからない。いっそバド・ガーデンが出てくるのが二作目かも怪し……ッいやあれは絶対二作目だ!第一作目の攻略対象者が一人、二人なら未だしも全員出てくるのは続編以外あり得ない。
とにかくティペットは、キミヒカの主人公だ。確かゲームのティペットも最初は透明の特殊能力だけ使っててで、色々暗い感じの話の中ですごい天使で切なくて、それでなんか最後に…………、…………、……………………うそ。
「ップライド!返事をして下さい‼……ッ︎約束したではありませんか……‼︎」
「お姉様っ‼︎」
顔面蒼白ですごい形相のステイルと、涙を潤ませているティアラを、そこでやっと頭が処理する。
ぱくばくと最初は口が開くだけで声がでなかった。二人の姿に、存在に、気がつけば冷え切った手が伸びる。瞼がなくなるくらいに開かれて、伸びきった顔の筋肉が強張って自由が利かない。
二人へ手が届いた辺りから、同時にステイルもティアラも表情が変わったのがちらりと見えたけれど、次の瞬間には私から二人を両腕で抱き締めて顔が見えなくなった。
「プライド……?」
「お姉様っ、どうしたのですか……⁈」
茫然として、声が出ない。
恐怖とか、いっそ通り過ぎて何も感じない。一度に気付いてしまったことが多過ぎて衝撃的過ぎて息が出来ずに酸欠になりかける。
私の背中をすぐに抱き締め返してくれた二人に、喉から変な音が出た。二人の温度に少しだけ強張りが抜けて、息が通る。代わりに荒くなった息を食い縛って必死に押し殺す。心臓がうるさ過ぎて、抱き着いた二人に胸をくっつけるようにして鼓動を押さえる。
余計なことは言えない、前世の記憶もゲームも言えない。ただ、いま知ってしまったことは現実だ。
もしもあのローブちゃんがゲーム主人公のティペットで、もし、もしも自分の本当の特殊能力に目覚めているか最初から使えていたら。きっとあの爆破と崩落の中でも彼女と……アダムは。
「……生きて、る……?」
自分でもわからないくらい、穴の空いた声が出た。
私を締め付けるくらいに強く抱き締め返してくれるティアラとステイルの手の温度に必死に縋って、体温で強張る身体をひたすら溶かす。二人の温もりと声に呼吸を任し、言葉にした途端に目眩がした。
ティペットがアダムと行動している理由はわからない。だけど、彼女はどうみてもアダムに付き従っていた。そして彼女の特殊能力ならきっとアダムをあの崩落からだって助けられる。そして騎士団からも国中の誰にも気付かれずに逃げ切ることだってできる。大体あの子は凄まじく有能だった。
「…………………………どうしよう。」
声が殆ど息だけになって、掠れて消え入った。
二人が聞き返してくれたけど、二度は言えずに飲み込んだ。今、それを言っても大パニックになるだけだ。
首をカタカタと横に振り、痺れた舌と閉ざした口で断固黙秘する。冷や汗だけが次第に真夏のように溢れてきて、二人を汚す前にと手を離そうとしたら、……今度は二人に抱き止められた。
そこでやっと、また周りに心配をかけてしまった気がつく。二人に抱き締められたまま、温もりに溶かされた思考で冷や汗が余計に頬から顎まで伝った。
しまった、と目だけを動かせばロッテとマリーも顔色が悪いまま私を心配そうに見つめてくれていた。もしかしたら再びラスボスプライドが戻ってきたかと怖がっているのかもしれない。
大丈夫、ごめんなさい、少し疲れただけ、寝ぼけていたみたい、と繰り返したけれど、一向に誰も納得してくれないし、ティアラとステイルも私から離れない。むしろ耳元で小さく「予知ですか」「アーサーを呼びましょうか」と言ってくれる。
…………本当にどうしよう。
どちらも否定するべく首を何度も振る中で、とうとうマリー達に呼ばれた医者まで飛び込んでくるのは間もなくのことだった。
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