680.破棄王女は願いを込める。
『あ!エリックは剣より銃の方がいいと思いますよ!』
『確かに。エリックは腕は良いですが、使っている銃は全て支給品です。』
『へぇ、僕も一回見てみたいな。ならフリージア王国の騎士団で支給されている銃弾に応じた口径が良いね。銃弾もタダじゃないから。』
『そうねレオン。なら、アネモネで武器を取り扱っている所を紹介して貰えるかしら?ちゃんと自分の目で選びたいの。』
……
綺麗だ。
エリックは最初にそう思った。
プライドからリボンや上等な紙で包まれた箱を受け取った時は想像もつかなかった。女性からの贈り物という時点で緊張するというのに、相手はあのプライドだ。それが、アランでもカラムでもアーサーでもなく自分一人への贈り物だと言われた時は耳を疑った。期待どころか考えもしなかった。
美しい装飾が施された箱よりも、プライド本人から目が離せなかった。彼女からの〝個人的なお礼〟を過去に何人の人間が形にして貰えただろう、と。既に熱に浮かされた頭でそう考えれば余計に頭が茹だった。
しかも彼女は続けるように、個人的に自分に贈り物をしたかったと言い放ったのだから。「自己満足ですけれど」の言葉を否定する余裕もなく、寧ろ胸が撃たれた。
つまりは彼女が、他の誰でもなく自分の意思で贈りたいと思ってくれた証なのだから。
ティアラに声を掛けられるまで、手の中の物よりも遥かにプライドの笑顔に意識が固定された。今、嬉しそうに笑い声を漏らしてくれたそれも、照れたようにはにかんでくれているその表情も、全てが自分だけに向けられ、自分の事で笑んでくれているのだと。それだけで脳を靄が満たされるほどにぼやけ、熱を上げさせた。自分に向けられたその笑顔を、一瞬すら見逃したくなかった。
包装や装飾をひとつひとつ解いていけば、その度に心臓が内側から自分を叩いた。もう、ちゃんと願いは叶えてもらった筈なのにと、そうは思ってもこれをプライドに突き返せる自信も遠慮する余裕もなかった。
自分だけが、それを貰えた。そう思えば、包装をひとつ解いていくごとに自分の運がごっそり使い果たされているんじゃないかと本気で思った。
もし、中に入っていたのが全く自分が興味のない品だったとしてもエリックは確実に喜び、心から感謝を言えた。たとえ銅貨一枚、紙切れ一枚、庭園の花一輪であろうとも。……それがプライドからの贈り物という時点で充分な価値があるのだから。
しかし、美しい包装を開けてみれば何処か見覚えもある箱だった。銀の細工に金具が嵌められた重厚な造りに、既視感は強まった。
武器に携わる側の人間ならば、一度は店頭で飾られているのを目にする。しかし、エリック自身がそれを手にしたことは今まで一度もなかった。
今でこそ副隊長の立場にいるエリックだが、元が庶民の彼は騎士団で支給される武器以外を購入すること自体があまりない。しかもその箱は、武器屋で取り扱っている品の中でも最上級品専用の収納箱だったのだから。
閉ざされていた金具を外し、蓋を開ければそこにあったのは一丁の拳銃だった。
全長だけ言えば三十センチ程あるそれは、騎士団に支給されている拳銃よりも少し大きめだった。自動拳銃ではなく、弾を一つずつ込めるマグナム式だったが古めかしくはない。むしろ、細部の細部まで作りこまれたそれは最先端の技術がいくつも織り込まれていた。通常よりも大きな銃身にも関わらず、重さは普段彼が使っている銃とそう変わらない。そして王国騎士団の支給品を凌ぐ威力にも関わらず、撃つ側の反動は最小限まで抑えられていた。
その説明をプライドから茫然と聞きながら、エリックは今度は銃から目が離せなくなる。銃といえばその殆どが銀色に輝いているのに対し、それはエリック自身を生まれて初めて見る真紅の銃だった。持ち手から銃口まで赤に染まったそれは、光沢が相まって宝石のようだと思う。
「アネモネ王国でレオンに武器関連のお店を紹介して貰って、アラン隊長とカラム隊長も相談に乗ってくれました。」
武器はアネモネ王国の方が品揃えも豊富だから、と笑うプライドの言葉にそれだけでエリックは息が詰まった。
フリージア王国の王女であるプライドなら、銃一丁程度わざわざ選びに行かなくてもひと声掛ければ、従者がいくらでも見繕ってくれる。アネモネ王国と密接に関わっているフリージア王国も充分に武器の品揃えは豊富だ。それをわざわざ更に品揃えの豊かなアネモネ王国まで自ら赴き、そして第一王子のレオンや上官でもあるアランとカラムに相談をしてまで選んでくれたという事実に、それだけで胸がいっぱいになった。
「色々見て回ったんだけれど、これが一番良いなと思って。見た通り外装の素材もちょっと変わっていて、通常の銃よりずっと丈夫なの。」
指を組んだ手を胸の前に置きながら、プライドは少し自慢げにそう語る。彼女にとっては見かけの美しさや銃の破壊力よりも遥かにその性能が気に入っていた。
プライドの言葉が耳には入ってきているがエリックは上手く反応できない。嬉しさと銃の美しさ、そして未だにプライドから貰えたのだという驚愕に感情がついていかない。
ぽわりとした頭で、ただ心臓だけが鈍く強く何度も何度も休みなくエリックを内側から叩いていた。「だからね」と、一度言葉を切ったプライドへ顔を上げれば、花のような笑みが視界に広がった。
「きっとエリック副隊長のことも守ってくれるわ。」
目眩が、した。
まるで熱射を突然浴びせられたかのようだった。心臓も音が更に主張し存在を示す。喉の奥までこみ上げたものを飲み込み、銃を持つ両手が熱を持って痺れ出す。呼吸が震え、まるで不安定な足場にでもいるかのように身体がフワフワと浮遊感に包まれた。
自分の身を案じてくれているプライドに。そして願いそのものが込められているかのような銃に、深紅の装甲と相まってまるでこの銃がプライドの化身かのような錯覚すらも覚えてしまう。
目頭が熱を持ち出したが、慌てて口の中を噛んで堪える。休息時間とはいえプライドの前、更には後輩であるアーサーの前で見せるわけにはいかないと自分に言い聞かす。しかし、頑なになればなるほどに、目の前のプライドの一言ひとことが染み入ってくる。
「少し今までと使い勝手が違うとは思うけれど、カラム隊長もアラン隊長も試し撃ちして下さったから大丈夫だと思います。エリック副隊長ならすぐに使いこなせるとお二人も仰っていましたから。」
そう言って、嬉しそうに笑う。
安心しきった表情で顔を緩めて笑うプライドは、片手でエリックの背後に控える二人を示した。いつもと違う銃で平気かとプライドとレオンが案じた時、アランが撃てればエリックも確実に扱えると言ったのはカラムの意見だった。アランもそれにはむくれる様子もなく軽い調子で同意した。エリックの銃の腕が自分より優っていることはアランも認めている。そして実際に試し撃ちをしてみれば、アランが撃っても問題なく弾は的を撃ち抜いた。
「込められる弾数が少ないから、あくまで補助として使って頂ければと思います。もし、戦闘で邪魔なようであれば遠慮なく仰って下さい。また代わりの銃を用意しますから。」
他にも良い銃はたくさんありました、とエリックの負担にならないようにと細心の注意を払うプライドは陰りもなく笑う。
そんな事言えるわけがない。代わりの銃なんて欲しくもない。いくつもある選択肢の中から彼女が自分の為に選び抜いてくれたこれが、最も最良に決まっていた。
しかし、心ではいくら思っても感情が叫んでも言葉に出ない。震えそうな唇が、言葉を発せば一気に込み上げることを知っている。
顔が熱く、打ち立ての鉄のようだと自分で思う。もうどう言えば良いのかわからない。ただ、プライドに示された先にいる騎士の上官でもある二人に振り返り、考えるより先に頭を深々と下げた。
プライドに剣ではなく銃を勧めてくれたことも、自分が扱い易いように気を回してくれたことも感謝でしかない。たとえ自分には扱いにくい銃であっても間違いなくエリックはそれを受け取り、扱えるようになるまで練習を繰り返すつもりだった。だがもし贈られたのが剣であれば、彼は間違いなく〝どちらの剣を〟愛用するかで悩んだのだから。
……この剣も、間違いなく俺の誇りだ。
そう思えば、身につけ慣れている筈の剣の重みや存在を今だけは強く感じる。
エリックにとって、本隊入隊が決まった日に新調した剣はそれだけでも愛着がある。だが、それ以上に手放したくなかった。アーサーが、そしてアランやカラムやハリソンが今の自分の剣を一生手放せなくなったように、エリックにとっても今の剣は世界に唯一無二の
プライドと叙任式を行った剣なのだから。
当時、初めて叙任式を任されたプライドに宣言と誓いを許された剣。
新兵の時にプライドに救われてから死に物狂いで励み、念願の本隊騎士入りを果たし、初めて彼女の目の前にまで届いた剣だ。
彼女に誓い、彼女の騎士として認められたその日をエリックは一度たりとも忘れたことはない。まさか、彼女の近衛騎士になるなどと想像もしていなかった自分にとって一番の宝物だったのだから。
きっとそれを知っているアランが配慮してくれたのだろうとエリックは思う。隊長であるアランもまた、エリックの剣への思い入れはよく知っていた。プライドの話を騎士達と交わすのが大好きなアランは当然エリックからも何度もその話を聞いていた。
言葉には出せずとも「ありがとうございます」の意思を込めて下げた頭をゆっくり上げれば、優しく笑んでいるカラムとそして身振りで何かを訴えているアランが同時に目に入る。声には出さないが、口が何度も「う・ら」と繰り返し動いていた。更には手振りでもエリックに裏面を見てみろと音なく叫ぶ。
熱の篭った頭で、エリックにしては少し時間がかかってからアランの意図を理解する。裏面……?と思いながら小首を傾げ、両手に持っていた銃を手の中でゆっくりと裏返す。その、途端
ボタリと。限界まで見張った目から大粒の涙が溢れ出した。
「え……エリック副隊長⁈」
どうかしましたか⁈と正面にいたプライドが慌て、ステイルも声を上げる。横で見守っていたティアラも突然のことに何度も瞬きを繰り返した。
裏返してすぐエリックの目に入ったのは、最も幅が広い部位であるグリップ面だった。反対側と同じく、深紅の外装を施されたそこにはフリージア王国王家の紋章と共に金色の文字がはっきりと刻み込まれていた。
─ 第一王女プライド・ロイヤル・アイビーより騎士エリック・ギルクリストに贈る
アネモネ王国で手に入れた深紅の銃は、その後に特殊能力者の技術を受け、金の細工が施された。
フリージア王国王都の最高級の武器屋でも、特別な店でのみ行える装飾だ。〝転写〟の特殊能力者により刻まれたそれは、間違いなくプライドの直筆だった。
以前にプライドから貰ったカードに書かれた彼女の名と全く同じ筆跡のそれを、見間違うわけがない。あのたった一言のカードすらエリックは何度も何度も読み返し眺めたのだから。そして、刻まれたそれもまた
─ 我が心優しき近衛騎士
間違いなく、彼女からの言葉だった。
それを目で追った瞬間、理解よりも感情の方が早かった。間違いなくプライドから贈られた品である証と、そして自分に宛てられた一言は、それ自体が最も誉れ高い称号のようだった。
他ならないプライドが自分個人へ向けて〝我が〟と称してくれたことは、何にも代えがたい。
過去にただプライドに憧れ、尊敬していただけの自分がそれほど彼女の近くに来れたのかと実感してしまう。それが嬉しくも、そして全身が震え上がるほど畏れ多くもあった。
ボタリ、ポタリと大粒の涙がエリックの手に収められた銃に落ちる。
濡らしてしまう、と銃を両手で強く抱え込み胸に秘めたが、涙は止まらない。歯を食い縛り、喉が引きつるのを堪え、熱い瞼をぎゅっと瞑ったが止まらない。喉をヒリつかせながら息すら苦しく詰まらせた。
新兵で満足していた頃の自分に今の己を教えてやりたいと思う。届かないと思っていた雲の上の人に、特別にして貰えた自分のことを。
声を噛み殺し、耐え、震える背中を丸くするエリックに、プライドは戸惑いが隠せない。銃を贈ってから殆ど何も発しなかったエリックが、何故突然泣き出したのか想像もつかない。
銃を大事そうに抱き締めてくれている彼が、銃を気に入らなかったようには見えない。ならば喜んでくれているのだろうか、とそこまで思考が行けば行き場を失っていた両手がやっと動いた。
銃を胸へ抱え込むエリックの両手に重ねるように伸ばし、触れる。肩から腕まで震わせていた彼の指も振動が大きいと、触れてからわかった。
彼が泣くほどに喜んでくれているなら心から嬉しいとプライドは思う。エリックに喜んで貰う為だけに彼女はアネモネ王国で店を巡り、品を選び、そして装飾まで凝らしたのだから。
ぴたりと触れたエリックの手は手袋越しでも彼の方が温かかった。きゅっと少し彼を震えが止まるようにと力を込めれば逆にびくりと一度大きく彼の指が肩ごと震え上がった。何故そこまで喜んでくれたのかはわからない。だからこそ、彼女は自分の言葉を紡ぐ。
「……これは私の感謝の気持ちのほんの僅かです。エリック副隊長が、これからも騎士として躍進されるのを心から願っています。これがその証になれば嬉しいです。」
抱き締めたい。
銃ではなく、目の前にいる彼女自身をと。エリックは衝動的に思ってしまう。
他の近衛騎士達のように大きな活躍などしていない。ハリソンのように敵を一掃した訳でもなければ、アーサーのように命を張ったわけでも、そしてアランやカラムのように死を望む彼女を引き留められたわけでもない。自分のやれたことなんて、ほんの僅かで地味で目立たない。
近衛騎士と名前こそ大きいが、実際にできたことは他の騎士達の功績と変わらない。いつも一歩踏み出すのが遅い自分は、こんな風に特別扱いして貰うなんて似合わない。
奪還戦でプライドを救えた時点で全てが報われた。だが、もともと自分が支払った代価など少ない。もっと何かできていれば、もっと活躍できていれば、もっと命を張っていれば、……もっと自分は今より胸を張れてこれを受け取れたのだろうかと後悔までしてしまう。今、自分が胸を張れることといえばプライドを悲しませないように己が身を守れたこと。そしてもう一つは
「見限らないでくれてありがとう。」
凜とした彼女の声が、空気を波立てエリックの耳を響かせた。
強く瞑った目が腫れながらも開かれる。苦しかった息が通り出す。にじんだ視界は色しか映し出さなかったが、間違いなくそこに彼女がいた。俯き気味になっていた視界から、彼女の揺らめく深紅の髪が写る。
少しずつ顔を上げ、開いた視界を彼女に合わせる。口が力なく開き、蓋をなくした涙がボロボロと大粒のまま頬に痕を何度も残した。彼女の顔を視界が捉え始めていくにつれ、エリックは三ヶ月以上前のことを思い出す。
『もう俺達の知るプライド様じゃねぇのにか?』
プライドが豹変して暫くしてから近衛騎士三人で飲んだ時、アランがそう投げた。
もうプライドは戻らない、その覚悟が必要だと。それでも彼女の近衛を続けるか、それともと選択に迫られたあの時も先輩騎士の前で自分は情けなくボロボロと泣いてしまった。
酒が入っていたこともあるが、それ以上にプライドの喪失が大きかった。彼女を見限ることは自分の身を切られることよりも辛かった。悩み、惑い、あの時もアランとカラムの決意表明から一歩遅れてしまった。彼らのように確固たる覚悟も無いままに、ただそれでも自分が選んだ道は。
「っ……当然、です……っ!」
やっと声が出た。
涙声になったそれは酷く揺れ、いつものエリックの倍は低く濁った。彼女の顔を視界に入れる前に、口の中を何度もエリックは飲み込み空にした。そして、意識的に口へ、頬へ、顔の筋肉全てへ力を込める。泣きすぎて全てが引きつり自由に効かないままに、それでもどれだけ無様な顔でも今は構わない。
意識して顔を作ってから、やっと視界にプライドの顔を捉える。自分の両手に細くたよやかな手を重ね、真剣な表情で自分の言葉の続きを待ってくれている。自分の上げた顔を確認した途端、驚いたように少し目を見開いた。
「我々はっ、プライド様の近衛、ですか、ら。……た、とえ望まれずともっ、御傍に……っ。」
……残り続けて、良かった。
強ばるほどに顔に力をいれた歪な笑みは、いつものエリックの笑い方とも違った。だが、涙を溢すその目が強く光り、何より嘘偽りない感情がそこにあった。
自分は目立ったことも自慢できるような功績も武勇伝も何もない。だが、ただ一つそれだけは誇れるとエリックは思う。
あの時。選択を問われてから一度もエリックは近衛騎士を抜けようとは思わなかった。取り返しのつかなくなる瞬間を免れなくても、最後はアランかカラムに剣を向け、斬られることになろうともプライドから離れる気にはなれなかった。そして今、本当にそうして良かったと心から思う。
もし奪還戦までに自らプライドの元を去っていたら、自分は確実にこの場にはいなかった。たとえ呼び戻して貰えても、誰もが責めなくてもエリック自身がもう資格は無いと自ら引いていた。プライドを見限った自分を、きっとどんな理由があろうとも自分自身が許せなかったと確信する。
だからこそ、残り続けられた自分を誇る。目の前の誰よりも心優しい王女の近衛騎士でいられ続けた己自身を。
選択に迫られた時、それでも彼女と共に在りたいと心から望めた自分を誇る。本隊騎士の叙任式で騎士の宣言を受けた時、彼女から与えられた誓いを守り通し、彼女の騎士でいられ続けた自分を誇る。この道を他の誰でもない、自分の意思で選べた自分を誇る。
目を潤まし、苦しそうに笑うエリックにプライドは泣きそうになった。
唇を結び、自然とまた握るエリックの手に力が籠もる。あんなに酷い振る舞いと醜い姿を晒した自分を近衛騎士が誰一人見限らないでいてくれた理由がそこに集約されている気がした。
「……ありがとうございますっ……。」
エリックと同じように泣きそうな顔で笑いながら、プライドは頬を緩める。
目の前で泣いてくれる騎士が、そして笑ってくれる騎士が自分の近衛騎士でいてくれて良かったと心から思う。
プライドのその笑顔が目に入った途端、またエリックの目から大きな雫が零れた。何度、彼女の笑顔を見てもその度に思い出す。自分が奪還戦で最も欲しかったものを。
そして今この場で何にも増して価値のあるものも全く変わらない。そしてこの先ずっと自分が戦う理由も、彼女の近衛騎士を続ける理由も一生同じで変わらない。
気がつけば、彼女に釣られるように無理に笑わせ引き攣っていた頬が緩みだした。次第にいつもの笑顔に戻っていくのを感じながら、エリックは「プライド様」と穏やかな声を擦ませ、紡ぐ。
「自分は、……プライド様の笑顔が、やはり一番好きです。」
詰まり、濁り、引っかかり。それでも言葉にしたそれは矢のように真っ直ぐプライドへと刺さった。
その途端、一度丸く開いたプライドの目が伏せられた。唇を閉じてうねらせ、緩めてしまう。そのままうにゅうにゅと気恥ずかしそうに俯けた後、ゆっくりと正面からその顔をエリックへと上げ、……また笑った。
はにかみながら、少し照れてピンク色になった頬を隠すことなくエリックへと向ける。薔薇のようなその笑みは、あまりにも女性的で愛らしかった。思わず肩の力をぎりぎりと強ばらせながら体温を急上昇させるエリックは、もう彼女から目が離せない。
「私も。エリック副隊長は笑った顔が好き。……そんな優しい事を言ってくれるところも大好きです。」
自分の両手に添える手を一度片方だけ離し、はにかんだままプライドは優しく彼の栗色の髪の頭を撫でた。
既視感を覚えるそれにエリックはすぐに気づいたが、唇を噛んで飲み込んだ。自分にとってはかけがえのない記憶だが、プライドにとってはそれこそ数多の中のたった一人だ。
「今も、変わりません。これからも期待しています。……どうか、宜しくお願いします。」
『これからも期待しているわ』
覚えて、くれていた。
そう確信した瞬間、また溢れきった筈のエリックの目から涙が増した。
以前にもあった、泣いてしまった自分にこうしてプライドが優しく頭を撫でてくれたことが。
その時も同じ言葉をくれて、こうして撫でられた。そう思えば本当に、あの時のままのプライドが居てくれるのだと実感する。最初からわかっていた筈なのに、待ち続けていた相手がちゃんと戻ってきてくれたことに震えが止まらない。
……この人を、守りたい。
今までだって、何千何万と願ったことをまた思う。
自分に、これほどの期待をかけてくれる女性を。
自分の、たった僅かな記憶すらも当たり前のように携えてくれる女性を。
自分に、生きて欲しいと望んでくれた王女を。
「……はい……っ‼︎」
新兵だった時何も出来なかった自分が、彼女にただ平伏し、感謝を伝えることしか出来なかった自分が、彼女の世界に入れた。
その紛れもない証を胸に、エリックは食い縛った歯で強く頷いた。
今手の中にあるこの銃は間違いなく今は自分の物で、プライドと彼女の周りの世界を守る為に在る。そして、……きっと今の自分もまたプライドの世界の一部に慣れたのだと思い知る。
『もう俺達の知るプライド様じゃねぇのにか?』
もし、あの時と同じ選択を迫られたら。
次はきっと自分の答えは少し変わるのだろうとエリックは思う。たとえ彼女が変わり果て、今度こそ二度とは戻らないと知ったとしても。
〝我が近衛騎士〟
この言葉を、自分の人生で過去にはしたくない。
死ぬまで彼女の近衛でいたい。この先に何があろうとも、自分がプライドを見限ることはあり得ない。
歪んでも壊れても間違っても、自分は彼女を守りたい。たとえ、プライドから見限られても騎士として捨てられても忘れられても、この心臓は今の彼女の為だけに動かし続けたい。
そしてもし最後の選択に迫られて、プライドを護り続けると決めたアランと、プライドの愛した国と民の為に彼女を斬ると決めたカラムがいたら、きっと自分は
彼女の盾となって死ぬだろう。
剣も、銃も、騎士としての立場も捨て、叛逆者と指を指されて不名誉な死でも構わない。今この幸福な瞬間を過去の不名誉とされるくらいならこの証と共に死にたい。
彼女の為に傷を恐れ、彼女の為に死を恐れ、彼女の為に生きる。
今この瞬間、彼女が認めてくれた自分を最期まで貫き続けると。エリック・ギルクリストは胸の中の深紅に誓った。
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