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フリージア王国備忘録<第一部>  作者: 天壱
破棄王女とシュウソク
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そして引き上げられる。


滑る地面も視界が塞がったヴァルの意思に反映するように動きを止めた。


暫くは外気の動き感じながら目が慣れるのを待ち続けた三人に、鳥の囀りが数度響いて聞こえる。最初に目が慣れたヴェストから無理にその場から動かないようにとプライドへ指示を出す。

少しずつ瞬きを繰り返し、プライドも見えるようになって見回せば隣に座るヴァルも顰めるように目を細めながら周囲を確認していた。よく見れば、陽の光は真上からではなく一方向からのみ溢れ出ている。

周囲は変わらず岩肌で囲まれているが、そこは大きな洞穴だった。横から鬼の口のように開けた出口が続き、外に通じたその先からはちょうど太陽が昇っている。


「概ね計算通りだ。私は少しだけ周囲を見回して来る。すぐ戻るからお前は待っていなさい。」

「!いえ、私も行きます!」

地図と太陽の位置から地形を確認し、鬼の口へ向かい歩いていくヴェストにプライドもヴァルから手を解き、続こうとする。

しかししゃがんだ状態から前に踏み出した途端、靴の踵が岩肌を滑って引っ掻いた。さっきまでヴァルが滑らしていた地面と違い、一歩出た先はツルツルとした岩肌だ。更には上り坂だったそこへ靴で噛んだ途端、ガリィッとヒールで耳にも痛い音が響き、転びかけるようにペタリと座り込んでしまう。

靴を壊したか心配になり、膝をついたまま踵を確認していると先に隣に座っていたヴァルが軽々と立ち上がる。まだ太陽の光が目に沁みるが、大分慣れた。顰めた顔のまま、プライドへ振り返ると無言のまま手を差し出した。

掴まって良いということだろうか、そう思いながらプライドはヴァルの手に掴まる。自分よりも大きく、褐色の彼の手を取ればすぐに掴み返された。ちょこん、とのせた指先から滑り込みように手首まで掴まれる。釣り上げられるように引っ張られれば、今度は踵を滑らせる事なく立ち上がることができた。

「ありがとう」と一言返し、反対の手でドレスの汚れを払う。今は不要となったランプを地面に置いたまま、出口へと向かい出す。

ツルツルとした岩肌とプライドの靴との相性は最悪だった。必死に踵ではなく爪先で噛むようにして進むが、下手のスケートのように上手く進めない。代わりに手を掴んだヴァルが彼女の手を放さないまま、一歩一歩引っ張り上げるように出口へと進んでいく。


「…………女王の任期はいつまでだ?」

ぼそりと、独り言のようなヴァルの声が掛けられる。

一歩、また一歩と自分の所為でたった数メートルに時間をかけさせてしまっているプライドは、疑問に思うより先に言葉を返す。

転ばないように緊張で震える爪先でまた一歩進みながら、世代交代するまでだと伝えた。問題は年齢ではない、老人になるまで女王をやり遂げた者もいれば、若くして優秀な娘に譲った女王もいる。女王になるのも、そして遂げるのも具体的な年齢の制限はない。実際、ゲームのプライドは子どもでありながら女王に即位したのだから。

プライドの返答に一度ヴァルは口を閉じる。期限が決まっていないのは面倒だと思いながら、彼女の女王制が続くのは長い方が良いとも思う。

目の前で懺悔と贖罪に生きる王女の気が済むまで好きにすれば良い。何より、彼女が治める王制ならば今より更にフリージア王国は自分のような人間にすら生きやすくなっているだろうと思う。その頃には、ケメトもセフェクも勝手に離れているかもしれない。そしてもしまだ自分に纏わり付いたとしても


「……なら、待っていてやる。」


低い声が、岩肌にうっすら響く。

いつもの気だるそうな声とは違う、どこか棘のない声にプライドは足元から顔を上げる。目を向けた時には変わらずヴァルは出口に顔を向けたまま、自分の方には振り向かない。ただその言葉だけはちゃんと聞き取れた。

しかしどういう意味かとわからず、プライドは遠慮がちに聞き返す。すると、顔を向けないままヴァルは一歩一歩の足も止めずに言葉だけを彼女に向けて(くう)へ置いた。


「テメェが全部やり遂げた、その時に。たとえ皺だらけになっていようと……また、誘ってやる。」

その言葉に、プライドは目を見開いた。

今度こそ彼の言葉を理解し、ひと月前の話だと思う。〝また〟という言葉に、彼もやはりあの夜のことを覚えていてくれたのだと嬉しくなる。彼との旅を悪くないと思ったのも彼女の間違いない本心で、そして一時は望んでしまったことでもあるのだから。

紫色の瞳が太陽に照らされる彼を見る。自分の手を引いてくれる彼が、遠い光を呼んでくれた光景は何故だか不思議と今回だけではないと思う。


「テメェのガキからも旦那からも望むならあのバケモン共からも、…………この国の全てから、テメェを奪ってやる。」


そう言って初めて、振り返ったヴァルは眩しく笑った。

逆光に照らされた姿で、折角向けた顔は殆ど見えない。それでも、その口元だけが優しいものだったことにプライドはすぐ気がついた。口が僅かに開いたまま、彼の柔らかな声にうっすらと身震いすら覚える。

掴まれた手が熱い。陽の光が近付いている所為か、それとも彼の温度か自分の温度かもわからない。ただ、その胸だけはこの上なく温かかった。


〝好きにすれば良い〟〝逃げ場は用意してやる〟


そう言われたような気がした。

この先、自分がどんな道を選ぼうとも彼は黙って背中を押してくれるのだろうと思う。もし自分が間違えて、今度こそ行き場を失ったらきっといつでも迎えてくれる。そしてもし全てをやり遂げることができたらその時は


〝自分の為だけに〟生きることすら彼は許してくれる。


「…………ありがとう。」

だから、真っ直ぐ振り返らずに進んで行ける。

たとえどんな人生であろうとも、無数の罪を背負おうとも、自分には逃げ場所も帰る場所も並んでくれる人も助けてくれる人も支えてくれる人もいる。彼らがいれば自分はまだ何度でも立ち上がれる。何度泣いても嘆いても、最後にはまた前に進めるのだとそう思えた。

ヴァルに掴まれた手で握り返し、笑みを返す。爪先と腕に力を込め、また一歩前へと足を踏み出せば足を止めてくれた彼の隣に簡単に並ぶ事ができた。

出口の前まで辿り着き、隣に立つ彼を見上げる。さっきまでの笑みが幻だっかのように今はまた、眉を寄せた訝しむような表情だけだった。

いつものヴァルだ、と思いながらそれでも構わずプライドは言葉を続ける。視線を真っ直ぐ自分に注いでくれる彼へと向けて。


「貴方達が居てくれるお陰で、こうして今も頑張れるわ。」


そう言って笑うプライドは、翳りのない笑みだった。

予想外の返答に両眉が上がるヴァルは、やはり彼女は陽の光を浴びた笑みの方が似合うと思う。

ガラでもないことを考えたと、その直後にはプライドから顔ごと逸らし、頭をガシガシ搔いて誤魔化す。プライドと繋がった片手は未だに彼女から解かれない。出口に着き、もう足元には雑草も生えた柔らかな地面があり、踵の高い靴でも踏み止まれるというのに。そしてヴァル自身もそれに気付いた上で手離す気にはなれなかった。


「ヴェスト叔父様、何処に居られるのかしら……?」

風が吹き、ザワザワと木々の騒めきを聞いてやっとプライドはヴェストがいない事に気がつく。

外は、草木が生い茂る森だった。人の手がまだ及んでおらず、全てが無遠慮に茂り、獣道すらない。まさか迷ったのでは……とプライドが更に一歩森の奥へ足を踏み入れようとした時、ガサリと茂みを掻き分ける音が聞こえてくる。

振り向けば、ちょうど草木を乗り越えるようにしてヴェストが茂みの向こうから戻ってきたところだった。入り口の一歩外に出ているプライドとヴァルに「待っていて良いと言っただろう」と声を掛けながら、洞窟を出た時よりも書き込みの増えた地図を手に歩み寄る。

何処に行っていたか尋ねるプライドにヴェストは位置が正しいかの確認と周辺に人や大動物の痕跡がないかをざっと確認したと返した。もともとこの場所を決めた時に調査はさせていたが、それでもヴェストは自分の目でも確認したかった。

もう良い、帰るぞと声を掛け、二人を連れて洞窟の奥へ戻るように指示をする。折角頑張って歩いてきたにも関わらず、プライドは再び滑る足元を降りることになる。繋いだままのヴァルに掴まり、引っ張られ、爪先立ちで一歩一歩のろのろと進むプライドの姿に、ヴェストは音には出さず息を吐く。

戻ってきた途端、ずっと当然のように二人が手を繋いでいることには気がついたが、敢えて指摘しなかった。本音は何があったのかと思ったが、変に指摘するよりも相手の出方を伺ってみればそういうことかと一人で安堵する。そしてこの場にステイルが居なくて本当に良かったと思う。彼がいれば確実に黒い覇気を畝らせていただろうとわかっている。

掘り上げた穴へと戻れば、ヴァルは再び地面を持ち上げ、滑らせた。その途端、プライドは何故さっきの坂では特殊能力で地面を動かさなかったのかと不思議に思ったが、面倒だったのだろうと深くは考えない。実際はやろうとすれば足元を逆立て凹凸をつくり歩き易くすることも、自分達の掘り進めてきた足場ごと出口まで移動することもヴァルならばできたとわかった上で。

自分の足で進もうとする彼女の手を引くのも悪くないと、彼が思ったことだけは知らぬまま。


「プライド。少し配達人を借りるぞ。」

掘り進める必要がなくなったことで、滑り走る足場の先頭に立つヴェストは一声で断ると、ヴァルだけを手招きした。

終わった筈なのにまだ長ったらしい質問があるのかと、嫌そうに顔を歪めながらヴァルは仕方なく足を進める。まるで今まで繋がれていたことにも気づいていなかったようにプライドから手を離し、彼女へ言葉も掛けずにその場へ置いていく。

だるそうに背中を丸めながらヴェストへと並ぶ。整えた言葉を発する事自体、不快でしかないヴァルはせめてプライドに聞かれないようにと声の音を落としてヴェストに投げかけた。お呼びでしょうか、のその一言すら自分の口から出るのが気持ち悪い。

ヴァルからの問い掛けにヴェストは一度眉間の皺を刻んで黙した。歩く必要がなくなったことで、真正面からヴァルを見据えて睨むようにその顔を眺める。


「……お前は、プライドが犯した罪は全てあの子の中で無かったことになれば良いと思うか?」

今までと違う類のヴェストの問いかけに、ヴァルは片眉を上げる。

自分と同じように声を潜めたヴェストの問いは、どう考えてもプライドに聞かせたくないものだとわかる。しかし、何故それをよりによって自分に問いかけるのかがわからない。逆にこっちからどういう意味だと尋ねたいくらいではあったが、隷属の契約の元、先に自分の嘘偽れない考えが口から放たれた。

いつもの彼の口調とは違う、整えられた言葉で返された答えにヴァストは少し驚く。彼の雇い主でもあるプライドに対し、ヴァルの答えはシンプルなものだった。更に「何故だ」と追及すれば、さっきよりも不快そうな顔でヴァルはまた一言で答える。

答え終わったヴァルは口にこそ出さないまでも、その顔は明らかに「くだらねぇ質問するんじゃねぇ」と語っていた。一応言葉でとどういう意味で聞いたのかと尋ねてみたがそれは無視され、代わりに次の問いが投げられた。むしろ、ヴェストにとってはこちらの方が本題だった。

王族に嘘をつけない契約を交わしたヴァルに対してだからこそ尋ねられる、そして尋ねるべき問いを。


「お前は、この隠し通路を利用したいとは思うか。可能、不可能ではない。お前の意思だ。」

厳しくも聞こえるヴェストの言葉に、またヴァルは顔を顰めながら口を開く。

全く意味がわからない。自分に悪用されるのを恐れているのならば、別に確認などしなくてもプライドに命令させれば良い。そうすれば自分は隠し通路のことは一生誰にも言わず、そして使うこともできなくなる。寧ろ、最初からそうして口止めするのつもりだったのだろうと考えていた。

そして、個人的にこの隠し通路を利用したいか尋ねられれば、答えは正直に興味がない。わざわざそんなことをしなくても自分は配達人として王居を跨ぐことも許されている。そして、もしあの女王の部屋がプライドの部屋になったところで地下などを使わなくても自分は壁を操っていつでも侵入することができるのだから。むしろわざわざランプを持たないと入れないような長い地下道を歩いていきたくはない。そう思いながらヴァルは自分が全く隠し通路に興味を持っておらず利用したいとも思わないことを伝えれば、ヴェストは暫くの沈黙の後に力を抜くように息を吐いた。「そうか」というあっさりした返答の後、険しく顔に力を入れていた表情を緩める。「下らないことを聞いたな」と謝罪にも聞こえる一言の後、ポンとヴァルの肩に手を置いた。そして、まるで何事もなかったように話題を変える。


「プライドから褒美を貰ったことは私も聞いている。確か三つの秘匿だったか。流石に完全にとは言えないが、……それでも信用はしよう。」

アァ?と、本当ならば声を漏らしていた。

不敬が許されない為に音には出なかったがヴァルの顔が怪訝に歪む。偉そうなことを、という気持ちとそんなことを言う為に呼びやがったのかとどちらにしても文句しかない。

ヴァルのその表情に、それでも気にせず自分より背の高いヴァルを落ち着いた眼差しでヴェストは見据える。「もしも」と続け、まるで隠し事に検討がついているぞと言わんばかりに言葉を続ける。


「その秘匿したいと願った三つの内、一つでも己以外の為の秘密が秘められているならば。」


水面を覗くようなヴェストの言葉に、ヴァルは無言で目を見開いた。

プライドからの許可で、彼はその三つについては誤魔化しも沈黙も許される。今もヴェストの問いに答える強制力はない。しかし、見開かれたヴァルの目の動きと顔色をランプの光で一瞬の見落としもなく確認したヴェストにはそれで充分だった。

単純な鎌かけであれば、ヴァルも隠し通せた。しかし、ヴェストからの言葉に自分の秘匿内容の内一つを思い返せば勝手にケメトの顔が頭に浮かんだ。


─ 〝ケメトの特殊能力〟全ての秘匿許可。


彼の特殊能力を隠し通したいという意思は紛れも無い、ケメトの為だけのものだったのだから。

芯を貫かれたヴァルは、食い縛った歯のまま無意識に喉を反らす。やはり目の前にいる男はあのステイルとジルベールの上司だと痛感する。

テメェの知ったこっちゃねぇだろ、余計なお世話だうざってぇ、と言葉を吐きつけたくても王族のヴェストにそれも許されない。ピキピキと指先を拒絶感に震わせるヴァルに、ヴェストは「それだけだ。プライドの所に戻って良い」と許した。その瞬間、ヴァルは大股で足場を踏み鳴らしながらヴェストから距離を取る。

一体なんだあのクソジジイと心の底から思いながら、後方に下がる。プライドを過ぎて最後方まで移動しようと思ったが、その前に「どうかしたの?」と問いかけられ足が止まる。


「何かヴェスト叔父様から叱られた?もし誤解があったのなら」

「そういうんじゃねぇ。」

てっきり元罪人であるヴァルにヴェストから厳しい言葉でもあったのかと心配したプライドは、苛立ち混じりのヴァルの言葉に少しだけ安堵する。

過去の罪は許されないヴァルだが、それでもいまは自分にとって大事な人の一人でもある。そんな彼がもし誤解をされたならちゃんと弁明したかった。

だが、そうでないなら何を言われたのか。それともまた踏み入れられたくないことでも聞かれたのか、と問えないまでも首を傾けるプライドに、ヴァルは大きく舌打ちを鳴らした。そのまま止めていた足でその場に雑に座り込む。

プライドも彼と目線を合わせるようにまた膝を折って座る。プライドに嘘はつけない。しかし、ここで自分が黙っていたらプライドはまた変に気負うかもしれないと思えばそっちの方がヴァルには不快だった。少しだけ躊躇うように頭を掻き毟り、後ろ首を掻き、面倒そうに口を開く。


「三つの秘匿について探ってきやがった。うざってぇ。」

単純な返答と感想に、プライドは一人で大きく頷いた。

ヴェストがそれを気にする気持ちも、そしてヴァルがそうまでして隠したい秘密に探りを入れられて怒る気持ちもわかる。思わずヴェストの代わりに、ごめんなさいと謝り、眉を垂らす。正座した体勢で、膝の上に両手をきちんと重ね肩を狭めた。

プライドも、一つはヴァルから聞いている。彼が最初にその褒美を願った後、軽く尋ねた彼女に少しだけ教えてくれたのだから。

〝恩に着せられたくない〟という彼の要望がどのように秘匿内容に反映されたのかまではわからない。ただ、防衛戦でカラムを助けてくれた時のように、今回の奪還戦でも彼が何かをしてくれたのならば。つまりは、それが昔の彼では考えられないような誰かの為だったのだろうとまではわかった。ただ、秘匿してまで隠したいような人助けとは何なのか。それだけはプライドにも想像は及ばない。ヴァルが嫌う相手といえば王族か騎士だろうが、あの場にはそのどちらも大勢居たのだから。


─〝自分の関わった善行〟全ての秘匿許可。


悪行関連ならば、その秘匿も隷属の契約から引っかかるが真逆のものは隠しても問題ない。

むしろ本来であればひけらかすことはあっても、隠す必要などはないのだから。ただ、ヴァルにとってはこの上なく不快で隠したい経歴でしかなかった。

また小さくなったプライドに彼の不快指数が上がっていく。彼女を責めた覚えは全くないのに何故プライドが落ち込むのか。

うざってぇと頭の中で十以上唸った後に、思いついたまま「もう少し速度を上げさせろ」とプライドに要求する。仕事が終わった今、さっさとこんな地下から脱け出したい。プライドも押されるようにそれを了承すると、次の瞬間には何の前兆もなく地面を滑る足元が馬車程度の速さから倍速した。「きゃあ⁈」とプライドは思わず悲鳴を上げてヴァルにしがみつき、流石のヴェストも慄いた。立っていられずに腰を落としてしゃがみ込めば、ヴェストのその姿に少しだけ気が晴れたようにヴァルが悪い笑みを浮かべる。


「どう考えてもこれは少しではないでしょう‼︎」

あくまでヴァルの匙加減で〝少し〟だけの加速は、プライドには速すぎた。

しかし不機嫌だった彼の顔を睨めば、今は憂さが晴れたように笑っている。更には自分からも許可を下ろした手前、強くも出られない不満を訴えるように、むぎゅううううっとしがみつくヴァルの腕に力を込めながらプライドは声を張る。「ちゃんと入り口付近に来たらさっきくらいの速さに減速してくださいね‼︎」と元気よく叫べば、とうとうヴァルからヒャハハッ!と高笑いが上がった。

それでも久々の高速にこのまま壁に激突したらと怖くなり、プライドが正座から足を崩し、ヴァルの腕を更に手前に引っ張り込んだ。強制レースの助手席に座らされているような感覚に歯を食い縛り、自分とヴェストを嘲笑うように笑い声上げるヴァルを至近距離で睨む。

自分が怯えていることを心の底から楽しそうにニヤニヤと悪い笑みを浮かべて見せるヴァルに、プライドは鼻の穴を膨らませ、眉を釣り上げて顔いっぱいに怒りを表せば




「そういうツラの方が百倍良い。」




風を切る音に紛れて口にし、また笑った。

思わなかった言葉にプライドはきょとんと目を丸くするが、ヴァルはもうそれ以上は何も言わなかった。自分にしがみついてくるプライドを支えるように背中から腰に手を回し、また小さじ一杯分程度加速する。その僅かな加速にも肌が敏感に反応し、悲鳴を上げるプライドにヴァルは更に笑い声を強めた。

片道の三分の一以下の時間で再びローザの部屋につながる通路まで辿り着いた時、あまりの加速にフラつき気分を悪くしたヴェストが今度は正真正銘に怒りを込めてヴァルを睨む。


「プライド。今すぐ私の言った通りに彼に命じなさい……‼︎」


ローザの部屋に戻ってから隠し通路の入り口を閉じたヴェストは、低めた声でプライドに命じた。

こんなに怒ったヴェストは珍しい、と思いながら若干引き気味に頷くプライドは未だにニヤニと笑っているヴァルを肘で軽く小突く。そして、ヴェストの言った言葉をそのまま命令としてヴァルへ向けて反復する。

隠し通路の事に関して他言しない。隠し通路は限られた王族の為の避難経路であり、それ以外の目的では利用しない、させない。二度とヴェストが同乗している時は緊急時以外は馬車以上の速度を出すな。その三つを命令しながら、プライドはよっぽどヴァルの無茶運転が嫌だったんだなと思う。

てっきり何もお咎めの声が上がらない為、ヴェストは平気なのかと思ったが実際はあまりの速さに声がでないだけだった。ヴェストの年齢にあの速さは心臓に悪かったのだと反省する。ちゃっかり隠し通路を悪用しない、ではなくその用途以外での使用禁止と言うところがヴァルのことをもう分かっているなとプライドは思う。本人に悪用している意識がなければ一言〝悪用〟と言ったところで、事実上悪用される恐れがあることをプライドはヴァルとの契約を結んだ時に嫌という程わかっていた。

命令されている間も始終ヴェストへ最後の意趣返しのようにニヤニヤ笑いをやめないヴァルに、ヴェストは顔色の悪いまま歩み寄ると真正面から彼に険しい顔を向ける。

この場で処分を受けてもおかしくない程に眉の間を狭めるヴェストは、次の瞬間ヴァルとプライド二人の両肩にズシンと手を置いた。殴るでも掴んで握り潰すでもなく、ただ手を置かれただけだったが、ヴェストからの圧だけは凄まじかった。その圧に思わず息を飲むプライドに反し、並ぶヴァルもまた気安く触られたことに口を結び顔を不快に歪めた。

二人の顔色を確認してから、ヴェストは「今日はご苦労だった。お陰で早々にローザの安全も確保された。」と低い声で二人を労う。改めてプライドにも隠し通路のことは口止めし、今日はヴァルから奪還戦での話を調書にとっただけと口裏を合わせるように二人にも命じた。

それを聞き、プライドもヴァルもだから道行き途中で質問責めにしたのかと少し納得する。


「私は少し休んでから行く。」

二人に退室を許したヴェストは、そのまま客人用のソファーに腰を降ろした。

従者、そしてステイルを呼んでくれとプライドに頼み、自身は早々に身を休める。大分疲弊している様子のヴェストに、プライドも残ろうかとしたが断られた。プライドはさておき、これ以上ヴァルと関われば自分の気が変わりかねないとヴェストは自覚する。目元を片手で覆ったまま、背凭れに背中を預けたヴェストは反対の手で二人を払う。


「確か、前日にまた城に来るんだったな。今回の報奨金についてはその時にプライドかステイルに預けておこう。額に不満があれば言ってくれ、今回の成果に見合った額は約束しよう。」

その言葉にヴァルは頷きだけで了承すると、無言で扉を開いた。

部屋の前には衛兵や侍女、従者、そして近衛騎士とステイルも待っていた。既に数時間が経過していた為、近衛騎士はハリソンとアランに入れ替わっていた。やっとヴェストから解放されたにも関わらず、早速嫌な奴に会ったと顔を顰めるヴァルはプライドの許可を得てから早速ケメトとセフェクが待つティアラの部屋に向かった。

プライドの伝言を聞いたヴェストの従者とステイルは急ぎ部屋に入り、再び扉を閉める。お疲れ様です、ヴェスト叔父様どうかなさいましたか⁈と声を掛けられる中、ヴェストはぐったりと血色の悪い顔で彼らを迎えた。水と紅茶、そしてこの後の仕事の代理をと言葉だけで指示を回すヴェストは、思考だけを静かに巡らせる。


今回の奪還戦に貢献し、プライド自ら目覚めるまでの看病を望んだ配達人。


当然、許可は降ろしてもヴァルへの不信感まで無くなるヴェストではなかった。

第一王女である彼女とどれだけ距離の近い相手なのか、今はたとえ改心したとしても元は処刑されてもおかしくない大罪人。最悪の場合、どれだけ有能で国に貢献してくれたとしてもプライドとの接触を生涯禁じようかとも考えた。

奪還戦での一件と、一度の婚約解消、更には婚約者候補を選定中の彼女にこれ以上の騒動の種は避けたいのが正直な気持ちである。だからこそ、今回はヴェストにとっては良い機会だった。ヴァルの人間性と、プライドとの関係を客観的に判断し、その上で処するかどうかも決めたかった。そして今回のことで面談を繰り返したヴェストの判断は


「……問題ないとは言い難い。だが……必要にもなるのだろう。」


プライドにとって、と。

その言葉を飲み込んで譫言のように呟くヴェストに、従者は声をかける。

どうかなさいましたか、と尋ねる彼らにヴェストが独り言だと断ると、もう一人の従者がお先にお水です、と彼に差し出した。一口ずつ飲み、喉を潤したヴェストは空にしたグラスを従者に返す。それから眉間の皺を押えると、今度は少し俯きながらまた思案する。ヴェストの仕事の資料を取りに部屋を出ていったステイルを待ちながら、一番よく働いてくれる脳だけを働かせ続ける。

今回、工事を終えてこの部屋に戻って来た時には、少なくともヴァルを自分がどうするつもりだったかを思い出す。しかし結局自分はそれすらもしなかった。年を重ねたと同時にヴェストが甘くなったわけではない。だた、冷静に私情を抜いたらプライドの為にはその方が最善だと判断した。むしろ私情を挟んでいれば、乱暴運転の意趣返しに〝そう〟していた。

従者が淹れてくれる紅茶の香りが鼻を擽り、少し気分が楽になる。ゆっくり深呼吸を繰り返しながら、ヴェストは思い返す。ヴァルに行った多くの質問の一つで、彼の嘘偽りのない正直な答えを。


『お前は、プライドが犯した罪は全てあの子の中で無かったことになれば良いと思うか?』

それに対し、ヴァルの答えは



〝思わない〟そして理由は〝プライドがそれを望まない〟だった。



プライドが雇い主である以上、本来ならば面倒な要素は消えた方が都合良い。にも関わらず、彼はそれを望まなかった。

その理由も単純にプライド自身がそれを望まないという、彼女そのものが全ての理由。予想していた答えとは全く異なる返答にヴェストは虚を突かれた。もしそこでプライドの罪を無かったことにできるならそうしたいと望んだら、間違いなく自分は厳しい判断のみをヴァルに下していた。

ヴァル自身は、プライドが自分の罪など全て忘れてしまえれば良いとも思う。アダムに操られている間のことを全て忘れてくれれば、彼女はもう自責の念を背負うこともなくなる。同時に自分の誓いや彼女への言葉も忘れ去られてしまっても、プライドがまた暢気な顔でヘラヘラ当然のように笑ってくれれば良いとも思う。自分が忘れなければそれで良い。

だが、プライド自身がそれを望まないこともよく理解していた。今の彼女の一部を殺すような手段でプライドの笑顔を取り戻せても、全く満たされない。少なくともプライドが必死に捥がいて足掻いて望んで傷を負う間は、それを奪うことの方が残酷だと思う。

ヴァル自身、自分が過去に犯したことは反省していないが、もし忘れられたらその方が生きやすいとは思う。

そうすれば騎士や王族や子どもが視界に入る度に苛立つこともなくなるのだから。だが、忘れたいかと問われれば間違いなく否定する。もう自分はそういう人間になってしまっているのだから、変に弄られた方が気分も悪い。

そしてヴァルからの返答を聞いたヴェストは、彼はプライドが自分の罪をちゃんと背負いたがっているという意思も理解し、それを優先していたことも理解した。そういう人間は今のプライドには一人でも多い方が良いだろうと思う。

自分や他者の罪を自分本位の考えで抹消したがる人間ほど恐ろしいものはない。逆をいえば、いくら望もうともそれを選択しようとは思わない人間であれば、信用にも値する。少なくともヴァルに他者の為に動く程度の良心があることはヴェストも今回確認できた。


「ただ……アレだけは些か不穏だが。」

今度は音もなく、口の中だけでそう呟いたヴェストは従者が目の前のテーブルに置いた紅茶の香りに顔を上げる。

まだ温かいそれを、受け皿ごと手に持ち、マナー通りに小さく口に含み、味わう。紅茶の味と香りに気分が大分楽になったところでヴェストは改めてプライドとヴァルが去った扉を眺めた。

隷属の契約で命令を拒めないヴァルに問いを投げた時、一つだけ彼は即答しなかった。抗う様子もなく、容易にその返答を躊躇えた。つまり、それこそが彼がプライドから受けた褒美の一つなのだろうとヴェストは確信する。


『突然使うことにしたのは、プライドの為か?』

『……』


一体どういう秘匿内容にすれば、口をあの時噤める結果になるのか。

少し考えれば容易にわかる。他にも今回の質問でいくらかはその秘匿内容に触れていれば煙に巻かれたのだろうが、少なくともヴァルが尻尾を掴ませたのはそれだけだった。しかしお陰で最後の〝誰かの為ならば〟の鎌掛けにも難なく彼は反応を示した。

プライドのことを指摘された途端に粗が出るなど、まだまだ青いと思いながらヴェストはまた紅茶を口に含んだ。思考をヴァルのことから、紅茶の銘柄についてに変えていく。







─〝プライドに関して個人的な情報・感情を含めた〟全ての秘匿許可。






「少なくとも、……あの子の意思を尊重するつもりがあるならば様子を見よう。」

プライドに害を与えるつもりはない。その確信があるからこそ、自分は処すことすらしなかったのだから。

小さく口から息を吐き、ヴェストは一度紅茶を置く。


そしてコンコン、と書類を持ってきたステイルのノックに応えた。


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