そして飲まれる。
プライド様の〝本命〟は誰だ?
またそれが頭に過った瞬間、カラムはアルコールよりも灼熱が頭に上り、火が出そうになった。
少なくとも自分ではない、と。婚約者候補になったと知った日からカラムは信じて疑わなかった、しかし、実際に聞いてみれば真相は予知をしていたプライドが死ぬまでの間に親しい人間とできる限りの時間を過ごしたかったというもの。その余生を過ごしたい相手の一人に自分までもが数えられていたことは胸が痛むと同時に熱くなり、そして光栄にも思ったが、それでは話が色々変わってくる。
以前、自分がプライドに真意を確認した時、本命の婚約者候補を紛れさせる為に自分の名ならいくらでも貸すとは伝えた。それにプライドは肯定に取れる言葉を返し、だからこそ本命が別にいると確信できた。そしてティアラの王妹確立後も、彼女は婚約者候補を変えようとはしなかった。間違いなく、心に決めた相手がいる証拠に違いないと思った。だが、今回プライドがうっかり婚約者候補を暴露してしまった直後、彼女は確かに言った。
『ちゃんとステイルとアーサーは候補から外しておくからもう心配しないで!』
あっさりと、そう言い放った。
自分以外の婚約者候補であった三人の内の二人に。
本命であれば、あそこまで簡単に外せるものなのだろうかとカラムは思う。あれは決して駆け引きでも冗談でもなく本気でステイルとアーサーを婚約者候補から除外しようとしていた。ならば、二人も本命ではないということなのか。
更には、彼女は以前にもし王位継承権を剥奪された時はヴァル達と旅も良いと思ったとも、第一王位継承者から外れたらレオンとの復縁もあっただろうと話していた。そのどれもが冗談には聞こえない。つまりは、まさか、彼女は本当は
まだ、誰一人として本命はいないのではないかと。
おかしいことではない。
当時、レオンとの婚約がそうだったように第一王女のパートナーをプライドが三人選んだだけの話だ。そこには必ずしも恋愛的感情は必須ではない。あくまで、彼女が一生をともに生きる相手として三人を選んだ。ただそれだけの話だ。
そして、ステイルもアーサーも自分達を婚約者候補に外さないで欲しいという懇願をしたことにそういう意図はないとカラムは思う。あの二人の発言の様子はどうみても自分と婚姻して欲しい、ではなく婚約者候補の一人に加えることで彼女の傍にいたいというものだった。
……まるで、ステイル様もアーサーも他人事のようだった。
その違和感に気付いたのは自分だけだろうか、とカラムは思う。
ティアラも気付いている可能性はあるが、彼女もまた誰か一人に傾向するつもりはないようだった。今までのプライドと周囲への振る舞いを見ても、全員へ分け隔てなくプライドと周囲との間を取り持っていたように思える。
婚約者候補はたった三人。そしてその三人全員が〝自分ではない〟と思っている。そしてプライドにも〝本命はいない〟とするならば。
ステイルも、アーサーもそして自分までもが全員同条件ということになる。
下手をすれば今婚約者候補ではない人物までもが。
つまり、カラム自身もまたステイルとアーサーと全く同じ階段に立っている。そこから更に登るか、それとも誰かの背中を押すか、階段を降りるかは本人次第というのが現状だ。
そしていつか三人が確定し、更にたった一人が選ばれる日は必ず来る。
ステイル様とアーサーは気付いているのだろうか、とカラムは思う。婚約者候補の期間が終わっても、変わらずプライドの最も傍にいられる方法が目の前にある。婚約者候補は単なる仲良し相手ではない。いつかは彼女をその傍らに置く立場候補であるということを。
婚約者候補がこの三人の中の誰かだと安堵するよりも、自分がそれになってしまえば彼女を他者に奪われることもなくなる。その肌に触れ、髪を撫で、腕の中に抱き続ける権利も、彼女に近づく数多の男性に堂々と嫉妬する権利も、自分の妻だと阻み、公言し護る権利も全て与えられる。堂々と愛を囁くことも、いつかは彼女からの親愛や友愛以上の愛を得られる日が来るかもしれないことも、それを望む権利を与えられるのだということも。
まさか、自分以外誰も自覚してはいないのではないかと。
それとも単にあの二人にはそういう意思は欠片もないだけか。だが、たった一滴でも今の彼らのプライドを慕う心に〝違う意識〟さえ入れば一瞬で全てが色を変えるのではないかと思う。自分やアランのように、プライドへの意識の変化など変わる時はほんの一瞬だ。
ただでさえ、プライドは親しい相手との距離が近い。
あとたった数段、たった数段だけ自分から段差に足をかければ、彼女の心に届くのではないか。そして、今の状況では婚約者候補だけではなく、それ以外の人間すら可能性はあるという事実。最悪の場合、夫となる人間はあくまで〝パートナー〟のまま、別の人間に彼女の心を奪われる可能性も無くはない。具体的な人物像まで想像してしまえば、せめてそれだけは阻止したいとカラムは思う。
そしてここまでうだうだと考えてしまえば、否が応でも思ってしまう、過ぎってしまう。
自覚している自分の方が、圧倒的優位になってしまっていると。
ガシャァンッッ‼︎
またその思考に入ってしまった瞬間、とうとうカラムはジョッキをテーブルに叩きつけた。丈夫な手袋のお陰で怪我はないが、ジョッキが木っ端微塵に砕けた。同時にアランの「おおっ⁈」と裏声にも近い声が上がったが、カラムはジョッキの取手を握った手で俯いたままだった。両拳がテーブルに置かれたまま固まっている。
自分はあくまで数合わせ。婚約者候補であれど、実際は名ばかりだと。そう思っていたのに突然最も優位な立場に立たされている。他の婚約者候補ならまだしも、あの二人はまだ〝自分ではない〟と思い込んでいるのだとすれば。
教えたい、とも思う。しかし、そんなことを言って余計に二人の心に揺さぶりを与えたくはない。安易に二人へその意識を芽生えさせてしまえば、選ばれなかった時の傷も大きい。
まさか、ありえない。自分がそんな立場の人間ではないと今もカラムは思う。自分もまたアランと同じように、あくまで気持ちは伝えず胸に秘めたまま、彼女の幸福を守る立場でありたいと思っていた。その気持ちに嘘はない。誤魔化しでも諦めでも予防線でもなく、ただただ自分はそうしたいと心から思ったのだから。騎士という立場を誇りに思い、そして常に全てを賭して民の為に戦い、命を落とす時は心残りがないように婚姻も考えていない。
……いっそアランだったら迷いなく動けたのだろうが……!
大分思考がアルコールに侵され、俯いたままカラムは横目で怪我はないかと声をかけてくる友を見る。
彼ならば自分と同じ立場であれば、確実に迷いなくプライドを得る為に階段を誰より先に駆け上るだろう。しかし、自分はそういう人間ではない。
プライドの本命がいてくれればここまで悩まなかった。自分は彼女の恋を応援し、その為にできるだけのことをしたのだから。しかし実際は背中を押すどころか、自分が一番前に立たされている。押せる背中はどこにもなく、そして自分の方がこのままでは揺らぎそうだと思う。
騎士として生き、死ぬことを決めていたのに、階段に足を掛けたくなってしまう。手を伸ばしてしまいたくなってしまう。そして、もし彼女の心を億が一でも得てしまったら、自分は折れるだろうと自覚する。もしプライドに親愛以上の感情で詰め寄られたら、それを跳ね除けられる自信がない。きっと決めていた心残りのない死を諦めても、彼女との生を選んでしまう。騎士を辞めなくても良いという恐ろしい最大級の誘惑に屈してしまう。騎士でありながら女王となる彼女の伴侶となる。騎士団で伴侶の居ない者全員が喉から手が出るほどに欲しがる好条件だ。しかし、アーサーはそこまで思考が及んでいない。そしてステイルも、階段の最上階に自分が立つことを想像すらしていない。だからこそカラムは
「何故気づかないッッ⁈‼︎‼︎」
ガッキャアンッッ‼︎と、怒声とともに拳をテーブルに叩きつけた。その瞬間、乗っていた酒瓶の山がひっくり返り、テーブルが砕けた。
単に真っ二つになったのではなく、衝撃の大きさに耐えきれず一瞬で砕ける。中身の入っていた酒瓶も落ちて割れ、部屋中が一気に酒の匂いで充満する。急いでエリックとアランが部屋の明かりに着火する前にと窓や扉を開けるが、それでもカラムは俯いたままだった。置き場の失った両手で赤毛混じりの髪ごと頭を抱え、小さくなる。
ステイルかアーサーが、もしくは他の王配に相応しい誰かが彼女の心を射止めてくれればこんなに頭を悩ませることも誘惑されることもなかった。
今の心境を一言で言えばアーサーとステイルに「さっさと気づけ」の一言だった。恋心を無理に芽生えさせろとはいわない。だがせめて、自分達の正しい立場を理解して欲しい。己は数合わせでもなく、間違いなく生涯にわたってプライドの隣を望める立場にあるのだと気付いて欲しい。そういう未来も選択肢として置かれているのだとわかって欲しい。このままどこぞの配達人にでもプライドの心を奪われたらどうするつもりなのかと叫びたい。自分やアランやレオンのように誰もがプライドへの恋心を自覚した上で、それ以上を望まないとは限らない。いっそ王配として問題しかない男に奪われるくらいなら、国のためにも自分が階段を駆け上るべきなのではないかと考えてしまいそうになった瞬間
プツリ、とカラムの思考が途切れた。
「エリック逃げるぞ。お前の部屋に泊めてくれ。」
「えっ、いえそれよりカラム隊長を……。」
テーブルを破壊したカラムを前に撤退を命じるアランへエリックは惑う。自分で呑んだとはいえ、酔ったカラムを置いて帰るなどできるわけがない。しかし、それでもアランは慌てた様子で「良いから!」と扉に向かい彼の背を押した。妙に顔色の悪いアランに、エリックは首を傾げながらも踏みとどまる。なら自分が介抱するので、とアランだけでも先に自室の鍵をと渡そうとした瞬間
「……待てアラン、エリック。」
ヒュッ、とアランが短く息を引いた。
やっと言葉を発したカラムの声は酷く低い。振り返るよりも先にアランは今度こそ無言のままエリックの腕を掴み無理矢理逃げ出した。腕力で無理矢理引きずられるように連れられるエリックは「え⁈」と声を上げ、カラムへ顔だけで振り返る。するとそこには椅子から立ちあがり、俯いていた顔を上げ、肌を酒で赤く染め上げたカラムが
手近な棚を片手で持ち上げ、振りかぶる。
「⁈カラム隊長!それは投げちゃ駄目です‼︎‼︎」
「⁈ッッちょおおおっと待てカラム‼︎投げるならベッドか椅子にしろ‼︎‼︎」
エリックの叫びに釣られ、振り返るアランも流石の光景に足を止めた。
ギギィッと床と靴が擦れる音を響かせながら、アランがカラムに待ったを掛ける。怪力の特殊能力者であるカラムが片手で持ち上げていたのは、アランの大事な酒が詰め込まれている棚だった。棚の総重量が凄まじいことを抜いても、もし今それを投げられたら間違いなく中身の酒が全て駄目になる。最悪の場合、大量の酒がぶちまけられたまま部屋の明かりに引火して大火事にもあり得る。棚の中には度数の高い酒がいくつも詰め込まれているのだから。
わかった!わかったから‼︎とアランが叫びながら必死に良いからそれを降ろせとカラムの眼前に駆け寄る。エリックもその後を追いかけながら、目が既に朧ろなカラムに背中が冷えた。二人が逃げなかったことで、無言で棚を降ろしたカラムは腕を組み、仁王立つ。そしてアランより先にエリックと目が合うと、「エリック」と片手を彼の肩に置きながらその口を開き出す。
「お前はもっとアランに強く言え。自分ばかりが責任を負う必要などない。必要以上に負担になることもせず、書類作業などもアランの手伝いはする必要はない。鍛錬馬鹿のアランを基準にした自主練も見直せ。お前も今や優秀な騎士であることは認めるが、アランは昔から規格外に頑丈だから成り立っているだけだ。一番隊の二人が無茶をしては他の騎士達まで真似をする。お前はもう少し部下達の見本となってしる自覚を……」
トトトトトトトトトトトトッと凄まじい勢いでの説教が始まった。
しかもその殆どが総じていえば〝無茶をするな〟の一言だった。その口調はジョッキやテーブルを破壊した時とは違い、怒りこそあるが落ち着いた語り口だ。むしろさっきよりはいつものカラムに近い様子にエリックは何度も言葉を返しながらもポカンとする。
棚を持ち上げた時は酒乱か何かかと思ったが、単に説教が長いだけだ。しかもどの説教も的確、且つ自分のことを心配してくれてのものだった。腰を低くしながら有り難く説教を受けていると、アランも大人しく横に並んだ。首の後ろを掻きながら、視線を背けて自分の番を待っている。カラムのこの説教が嫌でアランは逃げようとしたのだな、とエリックは納得する。
いつもならば途中ではぐらかすか逃げるアランだが、酒瓶と部屋の大火事は代償には高すぎる。エリックへの説教だけでも三十分以上かかり、それから流れるように今度は「アラン」と名を呼んだ。既に観念していたアランは、珍しく明らかに嫌そうな顔をしながらも返事をする。
すると早速エリックの十倍以上は説教すべき言動が多いアランへの小言が始まった。わかった、わかったと一つ一つ穏便に返すアランの姿はエリックの目にも少し珍しかった。アランも新兵時代はこんな風に上官に怒られた事があるのだろうかと少し思いながらエリックもそれに並んだ。もともと自分のせいでカラムの説教から逃げそびれたアランを置いてはいけない。アランへの説教が終わったらカラムに水を出して部屋に送ろうと考えた。
「大体お前はいつも無茶ばかりする。エリックが一番隊に入隊してから無茶が増えたのは確実にお前の影響だぞ。エリックだけではなく、他の一番隊の騎士にも多い。お前の行動と決断の速さは尊敬するが、それにしても無鉄砲な時を自覚しろ。一番隊の隊長は一番隊のみならず二番隊にとっても尊敬される存在だとお前もわかっているだろう。今回の奪還戦でもお前は無謀過ぎる。あの捕縛対象者の時もだ、何故お前は他の騎士達を置いて独断で奴を追った?深追いはするなと昔から散々先輩にも注意されただろう。実際、本来ならばあそこでお前は命を落」
「あーーーー‼︎‼︎カラム!カラム‼︎わかった!わかったからその辺にしておけ!なっ⁈」
カラムの発言に途中で思わずアランが声を上げる。
エリックの前で自分が死にかけたことをバラされそうになり、流石にアランも焦った。アランはエリックはおろか、カラムとジェイル以外に自分が重傷を負ったことは話していない。ここでエリックに知られては、カラムに続きエリックにまで怒られると堪らずカラムの発言を遮った。カラムの両肩を正面からグワシッと掴み押さえる。突然声を上げて慌てだしたアランにエリックは驚いたが、それよりも更に衝撃だったのは
「ッ話を聞、け‼︎‼︎」
凄まじい轟音と共に、一瞬でアランが床に叩きつけられた瞬間だった。
下の階まで穴が開かなかったことが唯一の幸いだった。
カラムの正面に居た筈のアランが文字通り消え、バキバキと床板が砕ける音と共にアランが突っ伏した。「ぐあっ‼︎」と叫びを最後に、カラムに頭を鷲掴みにされたアランがそのまま怪力の特殊能力に為すすべもなく床に叩きつけられた後だった。
一瞬、本気でアランが死んだかとエリックは思った。呆然としてから数拍し、やっと正気に戻ったエリックが「アラン隊長⁈」と叫べば、アランは床に全身をめり込めせたまま手だけをヒラヒラ上げた。取り敢えずの生存確認にほっと息を吐く。
「お前は!そうやって人の話を聞かないから大事な時に想定外の場面まで引き起こす!実力は認めているが、だからといって今は隊長格としてもっと自覚を……」
床に減り込んだアランを相手にカラムは全く気にせず説教を続ける。
その様子にエリックは完全に背筋が凍りついた。アランが危惧していたのはこの事だったのだろうと確信する。頑丈で身体も鍛えられていたアランだからこそ、床に減り込む程度で済んでいるがもしあれを自分が受けていたら軽い怪我では済まなかった。
アランがカラムからの説教を浴びながら、ゆっくりと床から顔を起こす。額が擦り切れ、身体の節々は痛いがそれ以上の怪我はなかった。自分の大きさに凹んだ床を眺めながら、今回は貫通しなかっただけマシだろうかと思う。昔、カラムが酔った時は床に大穴が空き、ベッドが壁をぶち破り、部屋に人が住める状態ではなくなったのだから。
やはり酔っていても、人間相手に最低限の手加減はしてくれているのだなとアランは頭の隅で思う。そうでなければ今の一撃で自分は死んでいる。
床にそのまま足を組んで座り直しながら、わかった、わかった、ごめんって、おう、そうだなとひたすら隣で膝をつくカラムに相槌を打ち、聞き流す。こうなったカラムを大人しくさせる方法は説教を全て聞くか、倒しにかかるかしかない。後者を選んだ場合、間違いなく騎士館丸ごとを犠牲にすることもわかっている。
顔を青くして固まるエリックと、カラムの説教をひたすら聞き続けるアランの戦いは、翌日まで続いた。
長い長いアランへの説教が終わった直後、気を失うようにしてカラムは倒れた。それを受け止めたアランもカラムを床に転がした直後、精神的にも体力的にも限界になり、エリックも緊張が途切れ、三人でそのまま床に倒れ伏した。
三時間後。
早朝演習へとアランの部屋を通り過ぎた騎士により、開いた扉からその姿を発見された三人は、〝隊長格三人が夜襲を受けた〟と騒がれることになる。
扉も窓も開け放たれ、床が大きく凹み、テーブルが砕け、酒と割れた破片が散乱し、アランが額に傷を負い、カラムとエリックまでもが声を掛けても大爆睡中でなかなか目を覚まさない状態は誰がどう見ても事件現場でしかなかった。
酔ってからの記憶がないカラムが、アランとエリックにはぐらかされながら早朝演習に向かうのは、その騒ぎから間もなくのことだった。
「ま、鬱憤晴らせたんなら良いんじゃねぇ?」
ニカッと笑って見せるアランも同調するエリックも、カラムの悩みの元については最後まで尋ねなかった。
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