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フリージア王国備忘録<第一部>  作者: 天壱
無認可王女と混迷
845/877

〈二周年記念・特殊話〉騎士たり得る者は不適格者と、もし。

二年間連載存続達成記念。本編と一応関係はありません。


IFストーリー。

〝もし、アーサーが事件より前にハリソンと出逢っていたら〟



7years ago


「クッソ親父……ンで俺がわざわざ……」


チッ、チッ、と紛らわすように舌打ちを繰り返しながら、銀髪の青年が歩く。

畑仕事直後の彼は、まだ午前が過ぎた程度の時間にも関わらず上から下まで汗と土汚れに塗れていた。ボサボサと長い髪も乱れて湿った額にへばりつく。暑苦しそうに一度前髪を掻き上げた彼は、それでもすぐにまた顔を長い髪で隠した。

今から向かう先に何か理由を付けて後回しにしたい欲求に駆られながらそれでも母親に託された手前、仕方なく足を前へと動かし続けた。本来では最も近付きたくない筈である、父親の職場へ。

母親が小料理屋を営んでいる青年は、畑仕事とそして時折母親の手伝いをするのも日課だった。ただしあまり客前に出たくないその青年は今は殆どが裏方である。料理の下処理や仕込み、皿洗いなどが主な仕事だ。

しかし今日、慌ただしいとは言わずとも客足が途絶えない中で父親宛の書状が届いてしまった。その差出人を確認した母親は急ぎ夫へ届けたかったが、客の相手と料理で手も離せない。しかし、明日から任務で遠征予定の夫へ書状を届けられるのは今日しかない。その為、忙しい母親に変わって仕方なく息子である彼が父親の職場へ急ぎの書状を届けなければならなくなってしまった。

封筒だけでも上等だとわかるそれを皺一つつけないようにと慎重に持つ彼は、どうにも父親と顔を合わせたくない。それどころか、できることなら最低限父親と顔見知りであろう騎士とも顔を合わせたくなかった。

しかし、無責任に城の門番に託すのも躊躇われた為、結局は城内に通された後も自分の足で騎士団演習場へ向かうことになる。

下を向き、長い前髪を垂らしながらクソ、クソと悪態を吐く青年は手紙を届けたら速効で城から走り去ろうと決める。父親とも自分とも顔見知りでもあるクラークに会えれば良いがと思うが、そんなに運良くいかないこともわかっている。騎士団長である父親と同じく、クラークもまた副団長という忙しい身なのだから。


……どっか、本隊騎士の誰かに渡せりゃァ良いよな……?


騎士のことを敬遠している彼だが、騎士に対しての信頼は厚い。

直接父親に渡さなくても、本隊騎士の誰かであれば間違いなく騎士団長である父親に届けてくれるだろうと思う。母親からも父親が不在だったら騎士に託しても良いと許可は得ている。少なくとも宛名を見られる程度は問題のない書状だ。

騎士団演習場へ辿り着いた青年は、門前で一度足を緩めた。子どもの頃にも一度訪れたことのある懐かしい感覚が胸を撫で、それ以上に爪を立てて引っ掻く感覚に奥歯を食い縛る。門は開かれてこそいるが、左右には門兵となる騎士が二人控えていた。背筋を伸ばし、白の団服を風で翻す騎士の姿にそれだけで青年は目を背けたくなる。


「あの、……すみません。」

ぼそぼそと、歯切れ悪く青年は口を開く。

顔を俯け、顔を見せようとしないまま土汚れでボロボロの格好で歩み寄ってくる青年に、門兵は眉を潜めた。年齢のわりに身体の出来上がっている青年に、一瞬時期を間違えた新兵希望者かと思ったが、それならここに来るまでもなく城門で拒まれる。新兵かとも思ったが、こんな印象の強い青年に見覚えがないとは思えない。更にどう見ても城内に住む貴族やその使用人とすら思えない見かけの青年は、不審者と思われて仕方の無い佇まいだった。

自分を見る目に真っ直ぐと警戒が強まっていることを銀髪の奥から確認した青年は、一度口の中を飲み込んだ。要件を言えば良いだけにも関わらず、ここで自分の父親の名前を出すことも恐縮しきった彼には躊躇われ




「何者だ。」




突然。青年の思考を両断するような低い声が真横から放たれた。

一瞬だけ短い風が遅れて吹く。戦闘が未経験の青年にもわかるような殺気が喉を鋭く撫で、先ほどまで誰もいなかった筈の真隣から声を掛けられたことに背筋が凍り付いた。更には二拍遅れ、チャキッと金属の音が聞こえると思えば自分の喉元に剣が突きつけられていたことに気付く。

あまりに突然のことに喉を反らした青年は、それ以上は暫く身動ぎ一つできなかった。動くどころか声のした方へ振り向くだけでも剣で首を撥ねられるかもしれないと、浴び慣れない殺気の所為で思ってしまう。目の前では門兵の二人が突然剣を突きつけられた青年とその横にいる男を見比べ青い顔をしていた。先ほどまでの自分を不審がる表情から今は間違いなく自分の身を案じた表情と若干の怯えに変わっていく。


「答えろ。何者だ。何用でここに来た」


淡々と短く問う男の声に、本気でこのまま殺されるんじゃないかと青年は思う。

その証拠に僅かではあるが自分の首に突きつける刃がひんやりとまた近付いた。切れ味の良いその剣に撫でられただけで長い前髪が数本だけ切れて風に流される。

馬鹿、止めろ、剣を引け!!と慌てて目の前の門兵が声を上げるが、男は一向に剣を降ろさない。慌てる門兵の一人がその場を任せて演習場内へと引き、通りかかる新兵に「副団長に御報告を!!」と伝言を託し出す。

しかし、騎士達がいくら慌てようとも全く男の行動は変わらない。「答えられないのか」と殺気を更に鋭くする男に青年の喉が干上がっていく。

顔が見えてしまうんじゃないかと思うくらいに顎を高く反らし、恐怖で歪んだ口を無理矢理動かした。頭の中では自分が思い描いていた騎士像がガタリと一部崩れていくのを感じる。厳しい父親が騎士団長の為ある程度は想像していたが、これではただの兵士どころか裏家業のゴロツキと変わらないと本気で思う。


「アーサー・ベレスフォード、……です。親父、……父に。手紙を届け、来……ました。父は、ロデリック・ベレスフォード、です。」


辿々しく何とかまともに敬語を紡ぎながら、アーサーは潔白を主張した。

その途端、目の前の門兵の顔色が一瞬で変わる。男のいつもの暴走に頭を痛くした騎士は、それよりも今は目の前の青年の方が気になった。にわかには信じられないが、騎士団長と同じ銀色の髪を見れば納得も手伝う。

男の方は未だ疑うように剣こそ突きつけるが、息を引く音ははっきりとアーサーの耳にも聞き取れた。更には「騎士団長本人か、副団長のクラークに確認して貰えばわかります」と続けられれば、首に近付いていた刃がまた僅かに首から距離を置かれた。


「証拠は。」

本来であれば、身内の騎士の名を名乗ればそれだけである程度の証拠になる。場合によっては門を通すことも、少なくとも騎士本人を門前まで呼び出すか、要件を聞く程度のことはできる筈だったが穏便に済ませようとする門兵と違い未だ首に剣を突きつける男は納得しない。

騎士団長や身内の名を語っての侵入者や暗殺者の場合も当然ある。姿を似せる方法ならば特殊能力者の生まれるこの国にはいくらでもある。しかも騎士団長子息など今まで彼は見たこともない。口でだけならいくらでもいえる。

普通の青年であれば男もすぐに頷けたが、見るからに見窄らしく土汚れに塗れた青年はどう見ても騎士団長子息とは思えなかった。下級層の子どもが悪しき者に雇われて不審物を届けに来させられたという方がまだ納得がいく。

しかし、証拠を尋ねられたアーサーも流石にこれには困る。ンなのどォでも良いから手紙だけ受け取ってくれと言いたかったが、一言でも口答えをしたら殺されると思う。


「手紙。……この、書状を父に届けにきたン、ました。これじゃ駄目っすか……?!」

慎重に持っていた書状が今は冷や汗で汚れてしまいそうだった。

しかし、振り向けないままにも手に持つその書状を男の方に見えるように掲げて見せる。男は青年の掲げる手紙の薄さから危険物ではなさそうだと考えながらその差出人を確認した。みれば差出人こそ自分には縁のない上層部の名だったが、上等な封筒と刻印に一目で偽物ではないことがわかった。更には宛先には〝ロデリック・ベレスフォード〟と王国騎士団の最高位である騎士の名が刻まれている。

その瞬間、理解した男はこれ以上なく目を見開き、一瞬で突きつけていた剣を鞘へと閉まった。カチンッと勢い付けて収められた音が小さく響くと同時に、男の態度が一転してその場に跪く。


「大変失礼を致しました!!騎士団長御子息とは知らず、この御無礼を心よりお詫び申し上げます……!!」


片膝を立て、深々と自分に頭を下げる男にアーサーはやっと見下ろす形で顔を向けた。

あまりの態度の一変についていけなくなる。突きつけられていた首を自分で摩りながら男の姿を確認すれば、思った通り団服を身に纏った騎士だった。

今は自分に旋毛を見せている状態の為、乱雑に切られた短髪しか見えないが、心から謝罪するように強く声を張る騎士に思わず半歩退いてしまう。騎士団長である父親の威光はある程度わかってはいたが、本隊騎士に庶民である自分が膝を付かせてしまうなどと戸惑ってしまう。

「あ、いや、別に」としどろもどろに言葉を返す。顔すらまともに見せず、ズタボロな格好をした自分が父親の息子と思われないのも無理はないと誰よりも自分がよくわかっている。城に行くなら着替えなさいと行った母親の助言も断って汚れた身なりのまま訪れた自分にも責任があることも。

手紙を持っていない方の手を左右に振り、額を地に付けんばかりに謝罪の言葉を繰り返す騎士にどうすればいいかわからなくなる。最終的には「そォいうの良いっす!!」と声を荒げてしまった。

その言葉を受け、やっと顔を上げた男は先ほどとは全く違う丁寧な動作で立ち上がった。まだ礼儀や言葉遣いも副団長からの教育が始まって日が浅い彼だが、それでも誠心誠意を込めてまた深々と頭を下げ、演習場内を示した。


「どうぞ、お通り下さい。騎士団長の元までご案内させて頂きます。」


言葉遣いどころか態度も全く違う男にアーサーは、顔を僅かに引き攣らせる。

紫色の眼光を光らすその男は、どう考えても先ほどの殺気を露わにした姿が本性だと思う。しかし、こうして自分へと頭を下げて畏まる男の顔は全くの取り繕いのない顔だともわかった。

本来ならば態度を改めても子汚い自分への不信感や、騎士団長に不敬を告げ口されるんじゃないかという不安や、もしくは媚びへつらいの為にと取り繕う理由はいくらでもある。なのに目の前の男は、全く微塵もそういう顔ではない。本気で今はただ騎士団長子息である自分へ敬意を示しているだけだった。逆にここまで素直に態度が変わってしまうと、いっそ取り繕われた顔をしてくれた方が安心できたと思う。一体自分の父親は騎士団で部下にどういう教育をしているんだと、本気で疑った。

男のあまりの変わり身の早さに自分が怖じけている間にも、当の本人はさぁどうぞと演習場内へと促してくる。自分が一歩も動かないことに小首を傾げる男に、やっとアーサーは舌が動いた。


「いや、良いっす……、その、俺……お袋に言われてこれ届けに来ただけで……、これ、親父に渡すのだけ頼めれば……」

お願いしますと、そう言ってどもりながらもアーサーはやっと手の中の書状を託した。

ついさっき自分に剣をつきつけてきた男に渡すのも気が引け、目の前に居た門兵に渡す。ぐっ、と拳を空いた両手それぞれで握った彼はそのままペコリと頭を下げる。


「?お会いにならなくて宜しいのですか。騎士団長は明日から遠征に……」

「良いっす。……あんなクソ親父、いつくたばろォとしったこっちゃねぇンし会いたくもねぇ」

無事手紙を渡せた安堵から、今度は男の問いにいつもの口調で断る。

最後にはぼそりと吐き捨てるように言い放ち、ケッと悪態をついた。乱れた長い銀髪をガシガシと掻き、背中を向ける。突然剣を突きつけられたことは予想外だったが、無事手紙を届けられたことと、髪の下の顔を確認されなかったことにほっと胸を撫でおろ





















「なんと言った?」



















グワッッ!!と先ほどとは比べものにならない殺気が再びアーサーを襲った。

声よりもその覇気に身体が震え、振り返ろうとした瞬間それよりも先にまた自分の真横に刃が突きつけられる。先ほどのように剣だけを突きつけるのではなく、自分の目を髪越しに覗こうとするように息が掛かるほど顔を近づけてくる。男の紫色の眼光が最初に見た時とは比べようもなく鋭くなり、真っ直ぐに自分へと突き刺さった。

刃よりもその眼光にアーサーが息を引く。喉が変な音を立てたと思えば、自分の血の気が怖いくらい引いていくのがわかる。何故こんな状況に立たされているのかを考えるよりも、今度こそ殺されるという考えが頭を真っ直ぐに貫いた。


「貴様、我らが騎士団長に向けてなんと言った?今すぐ撤回しろ」

完全に脅迫の形で訂正を求める男にアーサーは口を強く歪めた。

歯を食いしばり、今度は喉を反らすよりも目の前の騎士を銀髪越しに睨み付ける。恐怖も強かったが、それ以上に要求への拒絶の方が遥かに強かった。先ほどまでは騎士団長の名前を出した途端に恥も気にせずただの庶民に跪いた男に、また騎士団長の話題で今度は殺されかけていることにふつふつと胸焼けのようなものまで感じてくる。

結局はこの騎士は自分を通して父親である騎士団長のことしか見ていない。母親の小料理屋で彼が接客に出たがらない理由と同じだ。自分を通して父親の面影ばかりを見てくる客と目の前の騎士が思考の中で重なれば、吐き気すら覚えた。顔を見せない今でさえ、やはり騎士には父親の威光ばかりで自分は見られるのだと確信する。

斬れるものなら斬ってみろ、とどうせ父親のこと程度で態度を変えるような男にできるわけないと思う。握った拳に力を込め、食い縛った口から訂正以外の言葉を放つ。


「あんな()()()()ンことどォ言おうが俺の勝手だろォが。俺の上司でもねぇしアンタらの上だろォが俺には関係」

ねぇ、……と。そこまで言い切ることはできなかった。

その前に騎士の拳が躊躇いなくアーサーの腹へとめり込む方が早かった。

防ぐどころか、防具すら着けていないアーサーは一気に身体中の酸素を吐き出した。膝をつく余裕すら与えられずそのまま二メートル近く飛ばされ、五度六度と地面に何度も身体中を擦らせぶつけながら、丸太のように転がった。

腹を両手で抱えるように押さえ、背中を丸める。ガハッゴハッと何度も咳き込んだが、余計に苦しくなるだけだった。全く躊躇いなく暴力を振るってきた男に、本当にあれが騎士なのかと酸欠と闘う頭に過ぎる。更には自分を吹っ飛ばした本人である筈の男が、またすぐ目の前に現れる。駆け寄ってくる足音すら聞こえず、風が短く吹くだけだった。その事実にやっとその騎士が特殊能力者なのだとアーサーは理解する。


「撤回しろ。騎士団長を侮辱する者を許しはしない」

何者であろうとも。その言葉すら加えずに短く言葉を重ねた男に、アーサーはギリッと響くほどに食い縛る。

自分の思い描いていた騎士の姿が完全に砕け散り、目の前の男に恐怖よりも憎しみしか生まれない。なんで自分がこんな目にあわなきゃなんねぇンだ、と思いながらも乱れた髪の隙間から男を睨む。


「貴様のような者に騎士団長を侮辱する権利などありはしない」

己が愚行を理解できないのかと言わんばかりに男がまた言葉を重ねる。

剣やナイフを震わず、拳で骨も折らなかった彼はこれでも一般人相手に手加減した方だった。しかし、拳を振るわないという選択肢はない。たとえ身内であろうとも何者であろうとも、目の前の青年が自分の大恩ある騎士団長を貶したことに変わりは無いのだから。

ゲホッゲホッと本物の吐き気と戦いながら背中を丸めて咳き込み続けるアーサーは、暫くは何も言えなかった。酸素を必死に吸い上げ、内蔵が潰れたんじゃないかと思いながら蹲る度に頬が地面に擦り着いた。咳き込み続け過ぎて生理的な涙が滲み、頬の汚れが泥になる。


「何も守れぬ弱者が、護りし騎士の頂に立たれる騎士団長を愚弄するな」

淡々と語る男の口が次第に興奮で饒舌となる。

騎士団長の威光を傘に来てふんぞり返り、その本人を侮辱した青年がただただ醜く愚かに映る。自分と違い、羨むほどに素晴らしい父を持っておきながらの体たらく。しかも拳一つで自分に言い返す根性もない脆弱さ。身体が出来上がってはいるにも関わらずの弱さに、この場で腕の一本は折って自身の弱さを思い知らせてやろうかとも考える。

一体どうしてあのような素晴らしい騎士の息子に産まれながら、ここまで腐り果てられるのかと疑問しか浮かばない。やはり本当は偽物ではないかと再び疑う色すら浮かべながら、地を這いつくばる青年を見下ろした。

男の言葉に、奥歯が砕けるほど噛み締めた青年だが、次の瞬間にはまた咳が込み上げ全身が酸素を欲し弾けた。やっと呼吸が正常に戻ってくれば、咳き込むだけの青年からゼェゼェと擦れた音が繰り返された。それを見下ろし、男はまた言葉を投げる。

「騎士団長を父に持てた幸運に甘えるな。いくら騎士団長が素晴らしくとも貴様自身に価値など微塵も」




「ッッテ!メェみてぇに‼︎恵まれた奴にッ何がわかンだよ‼︎‼︎!!!」




血を吐くような声が、掻き消した。

門どころか、騎士団演習場までも響きそうなその声で叫んだ途端、またアーサーは酷く咳き込んだ。まだ呼吸も落ち着いていない内から無理に叫んだ為、腹が胃ごと釣るように痛んだ。それでも、無理矢理息を吸い上げ、咳を混じらせながら吐き出し、また吸い上げながら男へ返す余裕を必死に手繰る。

その姿を変わらず見下ろしながら、男の目だけがみるみる内に見開かれていった。尋常ではなかった殺気が更にじわじわと膨れあがっていく。


「なんだと……?」

甘えきったとしか見えない青年の言葉に、今度は手より先に言葉が漏れた。

怒りのあまり拳を微弱に振るわせた男は、更に目の前に転がる青年に訂正させるべき言葉が追加された。よりにもよって自分を恵まれてるなどと宣うなど。

自分のようなただ奪うだけだった父親と違い、常に正しく、強く、守る者の頂点に立つ騎士団長を父に持つ青年の方が〝恵まれていない〟と吼えることにこの場で首をひねり潰したくなる。まるで男の環境の方が上だとほざく青年の言葉がそのまま、自分の父親よりも騎士団長を下と見る、今までで最も最悪な侮辱の言葉に捉えられた。

見下ろすだけでは足りず、今度は腹も狙わず無作為にアーサーを蹴り飛ばした男は彼がまた地面を転がる間すら待たず高速の足で肩を掴まえ、地面へ押しつけた。蹴られた反動を無理矢理地面に押しつけやれ、地面に擦れたアーサーの背中が焼けるように痛む。だが今はそれよりも、仰向けに転がされた自分へ正面から乗りかかってくる男への怒りの方が強かった。ギラリッと長い髪の隙間から鋭く光る蒼に、男はそれすら構わず瞬き一つしない目を彼へ刺し込んだ。


「訂正しろ。私如きが貴様より恵まれているだと?それは貴様の父親である騎士団長への愚弄だ。貴様のように全てに」

「テメェみてぇに!!強くてすげぇ特殊能力にも全部恵まれて!!‼︎騎士団長の父親を()()()()()()()野郎にわかっかよ!!」

最後まで言わせはしないと、アーサーが再び声を張り上げる。

歯を剥き、今度は腹を狙われなかった分息を長く吐き出せた彼は、ギリリッと奥歯を鳴らした。子どもの頃は憧れていた筈の騎士に、今は真っ直ぐと憎しみと嫉妬の感情だけを突きつける。騎士の団服を当然のように羽織り、自分が憧れた戦闘に向く特殊能力を惜しみなく使い、そして気持ちのままに騎士団長への尊敬を〝口にできる〟男が羨ましく、そしてそんな全てを持っている上で誰よりも自分がよくわかっている事実を上から突きつけてくる男に憎悪を滾らせる。

アーサーからの予想をしない言い分に、数拍だけ男の動きが止まった。騎士団長の父親という幸運を「持たねぇで〟済む」と醜く吐いた青年へ、怒りよりも衝撃が先だった。

怒りが更なる殺意へと変換されようとする間にアーサーは、掴まれた肩の代わりに自由な足で男の腹を蹴り上げた。鎧越しの衝撃は息を詰まらせるほどではなかったが、それでもあまりの脚力に打ち上げられ、背中を仰け反らせられた男は怒りと反射のままにナイフを放った。指からそれが離れた瞬間、しまったと思ったがあまりの近距離に高速の自分の手でも間に合う暇はなかった。

ナイフが放たれたまま真っ直ぐとアーサーへと向かい、次の瞬間には首を捻る動作で避けられた。ストッとナイフがアーサーの顔があった場所に深く突き刺さり、それには流石の男も息を止めた。危うく本気で騎士団長の息子に大怪我を負わせてしまうところだったという焦りと、そして

「ッッテメェなんざに知った口利かれたくねぇンだよ!!!!」

ドカッ!!と放心する男にアーサーは転がったまま再び足を横に振るう。

今度は肘で防いだが、男はアーサーからの反撃よりも


目の前で当然のように至近距離からナイフを避けた彼への衝撃の方が強かった。


しかも、それに驚いている隙に地面に転がっているという圧倒的に不利な体勢でありながら二撃目まで繰り出してくる。

それだけではない、ナイフなど向けられたことも無いはずの青年が自分の頭にナイフが刺さりかけたことにも構わず一瞬の隙を突くことを優先させた。その全てに男はやはり彼は騎士団長の血を受け継いだ人間だと確信する。近距離のナイフなど本隊騎士すら避けるのは難しい。


「……貴様は、その才を何故騎士の為に磨かない?」


その事実を全て飲み込みきれた時、今までで最も低い地の底に響くような声が男から放たれた。

意味不明の言葉にアァッ?!と声を荒げるアーサーだが、それも構わず男は蹴りを防いだ肘で彼の足を弾く。邪魔な足が退いた瞬間、両手で胸ぐらを掴み、アーサーの後頭部を地へと叩きつける。


「答えろ……!!何故貴様はそこまで脆弱で居られる?!脆弱を許せる!?騎士団長という師を幼き時から持てながら何故そこまでの屑でいられる!?何故そこまで堕落を享受できる!?何が貴様に流れる高潔な血を濁らせた?!」

目の前の才能の塊がただ地面に転がっていることが許せない。

自分と違い、いくらでも機会に恵まれている青年がそこにあぐらを掻いていることが許せない。才能も機会も師の存在すら溝に捨て、虫螻のような存在であることが理解できない。その身体に間違いなく半分は自分を拾いクラークと共に掬い上げてくれた騎士団長と同じ血が流れているのに、堕落し続けられる理由がわからない。

男の目から見れば、目の前の全てに間違いなく恵まれている青年が何故ここまで腐り果てているのかが理解したくても不可能だった。ただの貧弱な人間なら諦めもついた筈の青年の可能性に、ただただ腸が煮えくりかえる。

いっそ本気で殺してやりたいと何度も掴んだままに地面へ彼を叩きつける。ガン、ガン、と痛々しい音が響く中、アーサは今度は呻き一つ漏らさずに食い縛った歯で男を睨み続けた。黒の短髪を揺らして取り乱し、自分が心の中で何度も思った疑問をそのまま言葉にして自分にぶつけてくる男にできる抵抗はそれだけだった。

彼の言葉がそのまま、全て自分にとって事実であり、一番他者に突きつけられたくなかった言葉だからこそ何もできない。暴れ出したい手足に力を込めることも、うるせぇと暴言を吐くこともできないくらいに胸に突き刺さり、何度も裂いた。いっそこのまま男に殺されて楽になりたいと思う。


それ以外、目に込み上げるものを抑える方法が見つからない。


答えろ!!と衝動のままに声を荒げた男が一際高い位置に引き寄せたアーサーの頭をまた地へ叩きつけた。

次の瞬間、再びアーサーへ振るおうとした手が突如としてピタリと止まった。無抵抗に何度も叩きつけられたことでアーサーの長い銀髪の奥の顔がはっきりと左右に分かれて露わになっていた。

髪の隙間から見えていた眼光だけではない。男を睨みつける眉間に皺を刻んだ険しい表情と、目に涙を滲ませた蒼色の眼差しは全てが全て自分が忠誠を誓った騎士団長に瓜二つだった。

熱が入りきってまともに機能しなくなった頭と、あまりにも似すぎているその顔に一瞬騎士団長へ自分が暴力を振るっているような錯覚さえ覚えた。

男の言葉に何も言えず、涙をこれ以上はと堪えることしかできないアーサーは自分の顔を隠す余裕もなかった。



「ッやめろハリソン!!今度こそ除名されるぞ!!」



とうとう堪らず駆けつけた門兵の騎士が背後から男を押さえつける。

アーサーが襲われてからすぐにでも止めようとした彼らだが、今の任務は門兵。万が一にもアーサーが偽物で門を守る騎士から目を反らせる囮の可能性も捨てきれない今、持ち場を離れることは許されなかった。

何度も男に制止の声を掛けたが、全く聞く耳も持たれず、演習場内に助けを呼んだが騎士団が演習中の為最初に伝言を受けた新兵以外掴まらなかった。もうこれ以上はと伝令に動くか、非常事態の合図を出すかと判断に迫られ、とうとう門兵の一人が止めにかかる。戦闘力だけでいえば、本隊騎士経験の長い門兵よりも男の方が遥かに上回っている。しかし、茫然とした頭が幸いにもまだ男に抵抗をさせなかった。


「君!!怪我の治療をしよう!もう一人が救護棟に送るから‼︎」

お父さんにもすぐに報告をする、と続けながら、男を押さえつける門兵の言葉にアーサーは上体だけを起こした。

あんなクソ親父の顔なんざ見たくねぇ、と思いながら泥のついた頬を手の甲で擦る。まだ言葉が何もでないまま、それでも第三者の介入に少しだけ頭が冷えたアーサーは踵で蹴るようにして男から距離を取った。

怪我といっても地面の擦れた以外は目に見える怪我はしていない。殴られた腹が痛むが、痣になっていてもアーサーにはどうでも良いことだった。

それよりも遥かに男の言葉に切り刻まれた胸の方が重傷だった。このまま父親を呼ばれる前に去ろうとふらつき立ち上がれば、門兵が止めれなかった謝罪を重ねながら演習場へと言葉で促してきた。父親に会うのが嫌ならば隣接された救護棟にだけでもと繰り返す中、そこでとうとう放心していた男が刃の言葉を彼へと放つ。


「二度と現れるな……‼︎!!」


ギリッ、と歯を食いしばる音を鳴らしたのは男の方だった。

門兵と全く違う言葉を放つ男は、紫色に燃える瞳でアーサーを焼きながら険しく顔を歪ませる。敵意と殺意を隠すことなく煮え立たせながら、騎士団長に似たその顔にもう何も振るえない。

門兵に押さえつけられずとももう目の前の脆弱な青年に拳を振るう価値もないと判断し、最後になるであろう言葉をアーサーへ鋭く放った。


「貴様にこの聖域を踏む資格など生涯有りはしない……!!二度と私にその顔を見せるな、あの方の家名を紡ぐことすら罪だと思え!!」

「ッ……っ!!」

瞬間、アーサーは険しく歪めた顔のまま背中を向けて演習場と反対方向へ駆けだした。

鼻を啜り、目を赤くなるまで拳で擦り、振り返ることなく走り去るその背中に男はまだ言い足りないとばかりに二度と戻ってくるなと声を荒げ続けた。男がこれほど声を荒げ、言葉を重ね、感情を露わにするのは門兵は勿論騎士団の誰もが見たことのない光景だった。

それから僅か五分後、「やめるんだハリソン!!」と新兵から伝言を受けた副団長のクラークが演習場から飛び出してきてやっと彼の慟哭は収まった。

事情を説明する門兵とクラークからの問い、その上での厳しい叱咤に男は一度も口答えはしなかった。

騎士団長であるロデリックにも深々とこれ以上なく謝罪をし、一般人への行き過ぎた暴行を行った罰を受けたが、自分の発した言葉に関しては後悔も反省もなかった。



才能に恵まれ、騎士団長子息として高潔な血を受け継いだ彼が、二度と騎士団演習場の敷居を跨がないことを心の底から望んだ。



……


1month later



「クソ親父ッ‼︎なに勝手な話してやがる⁉︎」

銀髪の青年が声を荒げて怒鳴る。

そして男の尊敬する、騎士団の誇りでもある騎士団長へ向けて剣まで投げた。


「では、アーサー殿はこの後姉君の用事が済み次第、僕らと一緒に我が家の方へ。」

二度と現れるなと言って、まだたったひと月しか立っていないにも関わらずその境界線を越えた青年は、丸一日騎士団に隣接された救護棟に滞在し、更にはまた現れた。

しかも今回は、誇り高き第一王女とそして騎士団長救出に助力をした第一王子とまで懇意になろうとする。自分があそこまで何度も心臓へ杭を打ち付けたにも関わらず。しかし男は



今は、それを不快だとは思わない。



「……アーサー・ベレスフォード。」

集まり並ぶ騎士達の最後列に佇んでいたその男は、低く響く声で青年の名を呼んだ。

二日前まではその名を一度たりとも口にすらしたくなかった名を、今は躊躇いなく。

その声に、呼ばれたアーサーは勿論、たったひと月前の大事件を知っている騎士達の誰もが肩を揺らして振り向いた。未だ処罰中にも関わらずまた彼が何か犯すのではないかと、今すぐ取り押さえることができるように身構えながら彼の出方を待つ。

騎士達からの警戒も気にすることなく彼らを押しのけ、真っ直ぐと最前列へと出る彼にクラークからも「わかっているな?」と先に窘めが入った。ひと月前の事件で二度と騎士の身内であろうとも一般人に拳を振るわないこと、そして罪人でもない一般人相手に行き過ぎた発言はしないようにときつく教育された彼はもうアーサーに振るおうとは思わない。そして〝クラークの命令がなくとも〟今はそうしない。


「騎士に、……なるつもりらしいな。」

「絶ッ対にな。」

ひと月前に自分を心身共に痛めつけた相手の登場にアーサーも肩が強張った。

プライドの前ということも忘れて今は、目の前の男にだけ意識が集中する。ピリピリと皮膚を逆撫でするような覇気に、ひと月前と似たものを感じ取る。しかし、低く放たれた男の問いにアーサーも今は迷いがなかった。


「あの忠告から二度も踏み入れたこの聖域に、……貴様は再び足を踏み入れるということだな?」

「ああ。次は入団試験を受けに戻ってくる」

今も、あの時の傷は残っている。腹の痣も服を捲ればくっきりと鮮やかなまま残り、傷つけられた心は瘡蓋すらできず一ヶ月間生々しくアーサーを痛めつけた。男から逃げ帰ってから夢にも出てきては繰り返し自分を責め立て、思い出す度に胸を締め付け、何度も一人で泣いた。一生この傷が癒えることはないと思ったほどに傷ついた。しかし今はもう、その傷に灯るのは痛みでは無く燃えるような灼熱だけだった。


「また私に叩き伏せられる覚悟はあるか?」

「ある。ンでいつか絶対……」

悪夢にまで見た男に、今は怖じけない。

むしろ明確な目標がここに在ると言わんばかりにアーサーは彼に正面を向け、真っ直ぐと伸ばした指を差し向けた。



「アンタをぶっ倒せるぐれぇ強くなってやる」



胸を張り、顎を引き、自分より遥か高みにいる本隊騎士へ向けて言い放つ。

たったひと月前に、これまで出逢ってきた誰よりも自分を否定した男に向かい、恐れが無かった。たとえここでどう脅されようともそれを曲げない覚悟が彼にはあった。

そして男もそれをよく分かっている。

つい数日前、彼はその目で確かに見たのだから。弱く脆弱で、父親の大きな影に怯えるだけの愚かな彼がその意思で間違いなく全てを与えてくれた王女へ全てを捧げる覚悟を示した瞬間を。

あの時の理解不能の青年はもうどこにもいない。長い髪を束ねて父親似の顔を見せ、叩き伏せた自分へ臆さず向き直る彼は男の知る青年とは全くの別物だった。


「良いだろう。ならば、もし()()が新兵としてこの地に足を踏み入れられたその時は、いつでも私を殺しに来い。」


騎士団長と同じ蒼色の眼光を真っ直ぐ映す男は、ゆっくりと腰の剣をその場で抜いた。

振るうつもりのないその刃を真っ直ぐと正面に立つアーサーへと突きつける。以前のように横からではなく正面から、挑戦を叩きつけられた者としてアーサーを迎える意思をその場で示す。そして最後、初めて笑んだ。

口箸をこれ以上なく引き上げたその笑みはアーサーには会った日の怒り狂ったどの表情よりも恐ろしく、背筋から足先までを凍らせた。握った拳の中を初めて湿らせる。しかし、それでも


「何度でもお前を叩き伏せ、何度でも蹂躙し、何度でも地を舐めさせてやる。」

今、目の前で最も自分が最初に倒すべき目標をその目に見定め、身の毛のよだつその笑みすら彼は険しい表情で受け止めた。

その態度が更に男の笑みを引き上げることなど思いもせず。








「ハリソン・ディルク。この名を決して忘れるな」







新兵になったアーサーが、八番隊騎士隊長に就任したハリソンに毎日のように挑み続けるようになるのは、これからたった一年後のことだった。


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昨日で連載を始めて二年となりました。本当に本当にありがとうございます。

まさか二年も更新が続けられたのは皆様のお陰です。

心からの感謝を。

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