〈コミカライズ二話更新・感謝話〉王配は遺す。
本日、コミカライズ第二話更新致しました。
感謝を込めて特別エピソードを書き下ろさせて頂きました。
時間軸は「我儘姫様と城の人」から「極悪王女と義弟」です。
一部本編に繋がっております。
「……バート、アルバートっ……お願い、目を閉じないでっ………アルバート様っ……!!」
悲痛な声が差し込むように頭に細く響く。
先ほどまで聞こえていた喧噪も、慌ただしい医者の声も、全て私の声を拾う為だけに抑えられていた。
たった今やっと、私は愛しい女性に告げるべき幸いを全て告げたところだった。
肺が息を吸い上げるだけで刺すように痛む。あれほど当然のように繰り返していた息が、ザラリと内側から血だまりに擦れる。荒れた呼吸が、何度吸い上げ吐き出してもただただ苦しくなるばかりだ。こんな喉で、息で、それでも彼女に私の口から告げられたことだけが唯一の幸いだった。できることならば、共にもっと喜びを分かち合いたかった。
擦れた声で紡ぎ終えた途端。糸が切れたように眠気が押し寄せた。これが、単なる微睡みでないことは私自身がよくわかっている。医者がローザ達へ首を横に振った瞬間を見てしまった時よりも前から。……わかっている。
目を開いている筈が、明滅した視界が次第に黒が多くなった。
ほんの少し前までは、あんなにも幸福だったというのに。私の、……私と、愛しい彼女との娘が王位継承の証を得た瞬間から。
横転した馬車も、城に運ばれた間も、傷に呻いた苦痛も、今は途切れ途切れで殆ど記憶もない。それよりもただひたすらに、愛しい娘が予知能力を覚醒させたことを知れた瞬間ばかりが蘇る。
……プライド。
私とローザの所為で誰よりも寂しい想いをさせてしまった。
予知能力の覚醒に、妹のティアラの存在に戸惑いながらも……次なる王の証を得たことを喜んでくれたあの子にももう会えなくなる。
紫色の目が溢れそうなど見開き、「母上も喜んで下さりますよね」と、「妹はいても私が一番なのは変わりませんよね」「私を王位継承者としてっ…皆が認めるのですよね…⁈」と、希望を抱いていたあの子がこのことを知ってしまえばどんな顔をするだろう。今はまだ、あの子には親が必要だというのに。
やっと、これでローザもあのようなことは口ずさまなくなる。正面から今度こそプライドとやり直してくれる。プライドも、ティアラも、ローザも、……全てがこれからだったというのに。
プライドの予知能力開花を告げても、今のローザは「そんなことよりも貴方が」と、涙を溢しながら嘆くだけだった。〝そんなこと〟と、……プライドにとって、最も幸いな瞬間の知らせすら私の死で打ち消してしまった。
本来ならば喜び、やはり私達の娘だと、まだ未来は決まっていなかったのだと考えを改められる機会だった筈だというのに。どうして天はこんなにも彼女にプライドを愛させる機会を奪うのか。
ローザ。……私達の愛した娘だろう?
少しひねたところも、強がりなところも、寂しがりやなところもお前にそっくりだ。……私への甘え方も、よく似ている。お前のそういう弱いところも含めて私は全て愛しかった。
大丈夫だ、お前に似たプライドはきっとお前のように良い女王になれる。まだきっとやり直せる。お前が家族の愛に誰より飢え、憧れ、理想と現実の狭間に苦しんだのも知っている。
理想と異なろうとも、家族にはなれる。
これから、もう一度やり直せば良い。お前なら、きっと娘達に尊敬される母になれる。
ティアラは。
あの子は、まだ外の世界を知らない。
健康に生まれたプライドと違って、あの子はまだずっと城の中に押し留められたままだ。民の暮らしどころか、王居の外すら出たことのないあの子はこれから一つずつ知るところだ。姉であるプライドと会えるのをあんなにも楽しみにしていた。家族が揃う日が来るのを、……私と同じくらい楽しみにしてくれている。
優しい、本当に心の優しい子だ。傷ついたプライドやローザの心を私より先に癒やしてくれるかもしれない。きっとティアラならプライドが予知能力を得たことも純粋に喜び祝ってくれる。あの二人が出逢えば、互いの寂しさを埋め合えることもできるかもしれない。
「姉君!姉君!!どうかお気を確かにっ……ッローザ!!気を確かに持つんだ!!」
私の手を両手で握り、泣き続けるローザの肩を背後から掴む声に、一度だけ己が息がまともに零れた。
ローザに、私だけではなくて良かったと心から思う。彼がいればきっと、私が居なくともローザを支えてくれる。昔から彼は優秀で、信頼できる男だ。プライドを、ティアラを、そしてローザを叱ってやれるのは……もう彼しかいない。
もっとあの子達を愛せれば良かった、もっと叱ってやれば良かった。どうか彼には私のような間違いを犯さないでくれと願う。
「ッル、バート…!っ……何故……なぜ、君まで……っ……!!」
ジルベール。
ローザから一歩引いた位置に、彼がいる。
王族ではなく宰相という立場から、彼はそれ以上私に近づけない。たとえ私の補佐であろうとも、……一番の友であろうとも。
擦れた声と嗚咽に、彼まで嘆かせてしまったのだと思い知る。マリアンヌと法案のことで諍い合うことも増えてしまった。折角友人となれた彼とこんな関係のまま別れるのかと思えば後悔しかない。今もっとも辛い立場にいる彼を、これ以上追い詰めることなどしたくはなかった。
マリアンヌのことで苦しみ続ける彼にもっと寄り添ってやれれば、もう少し優しい言葉を掛けてやれれば良かった。
マリアンヌを救う治療の手立てだけでも掴んでやりたかった。
せめてここで私が死ぬのならば、マリアンヌだけでも彼から奪わないで欲しい。
ローザ、ヴェスト、ジルベール。
本当にすまない。…お前達を、置いて行く。
お前達と同じフリージア王国の民に一時でもなれたことを誇りに思う。できることならばもっと長く、他ならぬお前達と共にこの国の繁栄を見続けたかった。
視界が霞む。黒以外の世界になったと思えば、もう輪郭さえ掴めない。
甲高い愛しい妻の声も今は途切れ途切れにしか聞こえない。まだ私はこの国の民として、まだ為し得ていないことばかりだというのに。
心残りしかない。こんな情けない王配に、頼める義理などないかもしれない。だがどうか、叶うならばどうか、どうか国の行方と共にあとたった一つだけお前達に、頼みたい。どうか、どうか……
愛して、やってくれ。
私の娘を、プライドを、ティアラを。
そしていずれ選ばれ城に訪れるであろう、新たな息子を。
〝三人とも〟私達の大事な子どもだ。
プライドはまだ幼い。人の気持ちはわかっても顧みることは理解できていない。
愛されるには誰かを愛さなければ始まらないと気付かせてやって欲しい。優秀で、心を許した相手には自分から愛情を求めることもできる子だ。あとは他者を思いやることさえ知れればきっと良い王女にもなる。愛し、愛される喜びをあの子に教えてやって欲しい。
ティアラはまだ六歳だ。いくら周囲に愛されようとあの子が欲しているのは〝家族〟だ。
自分が愛されるだけでは満たされない。どうか、あの子の夢を叶えてくれ。あの子が欲しているのは自分を愛する存在ではなく、絵本のような〝互いに愛し合う〟家族なのだから。…私が欠けてもどうか、補い合ってくれ。
ヴェスト。お前と同じ〝義弟〟も選ばれる。プライドの弟だ、ティアラの兄だ。私とローザの息子だ。どうか優秀で、……強く、優しい子を選んでくれ。
お前とローザのように良い関係を築けるように支えてやってくれ。
義弟となる子の寂しさも辛さも不安も、全て誰よりもお前がわかってやれる筈だ。
願おうと、枯れた喉に最後の力を振り絞る。
プライドの予知能力のことを伝えきってから、息をするのがせいぜいだった。伝えきれたという安堵で意識が持って行かれそうになるばかりだが、せめてこれだけでもと。
あの子達のことだけでも願わなければとまた命を奮い立たせる。私が口を動かそうと藻掻きだしたからか、気付いたヴェストが医者達に何かを命じてくれた。特殊能力が喉にかけられ、ほんの僅かに余裕が出る。息を溜め、あともう一言彼女達に伝え遺さなければと
「……父上?」
…………この、声は。
「!!プライド!!駄目だ、見るんじゃない!!何故、ここにっ……」
「申しわけありませんヴェスト摂政殿下!!その、王配殿下が運ばれてからプライド王女殿下がどうしてもとっ……」
扉の隙間から顔を覗かせた深紅が、早足で近付いてこようとしヴェストに阻まれる。
どのような表情をしているのかもわからない。構わないから傍まで来させてくれと言いたかったが、……つまりはそれだけ今の私が無残な姿をしているのだろうと理解する。
まだ幼いプライドにこれ以上心の傷を作らない為にも必要な判断だ。……もう一度、愛する妻と並んでいる姿を見たかったと思うのは私の我が儘でしかない。
「ヴェスト叔父様!父上はどうしたのですか!?そこに父上がいるんでしょ⁈」
プライド。
今、ここで呼んでやりたい。「おいで」と一声かけて最後にもう一度だけ感覚のないこの手で頭を撫でてやりたい。
しかし、もう喉も声も、命ももたない。あと一言で最期だと。私にはまだ彼らに伝えるべき、ことが……、……………。……?………。
………………、……何、だったか。
駄目だ、もう頭までもが機能しない。せっかく、これだけはと思ったはずが、もう、私には時間がないというのに。
何だ。私が、私がいま、愛する彼女達に、一番に、一番に伝えたかったことはー……、…………。………………嗚呼、そうだ。
〝プライド〟
震える口を僅かに動かせたが、声にはならなかった。
振り絞らなければ擦れてすら出ない。
それが最期の合図だと知っている。
あと一秒でもこの世に留まりたいならば黙るべきだと知っている。だが、それでも今一つ、たった一つこの世に言い残せる言葉がまだあるならば
「……愛しているよ」
産まれてきてくれて、ありがとう。
……
「王配殿下。今、馬車が到着したとのことです」
書類を片付ける中、自身の執務室へ出ていたジルベールが扉を開けると同時にそう告げた。
まだ扉を閉めていない中、いつもの優雅な動作と笑みで恭しく頭を下げた彼に私も一言で返す。
仕事に集中し過ぎてしまった。時計を見ればもう予定の時間だ。
部屋に入ってきたまま扉の前で佇み続ける彼に私は一言返しながら、机の書類を纏める。以前はよく語らいながら私の部屋で作業を進めていたジルベールだったが、最近は会話も減り、自分の執務室でできる作業を持ち込むことも増えていた。……まぁ、マリアンヌと法案のことで最近は諍いが多くなってしまっているから仕方ない。仕事のペースだけは変わらず早いのは流石といったところか。彼の為にも早くマリアンヌの治療法を見つけられれば良いのだが。
プライドのことがあって暫くしてからだろうか。彼が私への口調を裏も表も〝王配〟として呼ぶようになったのは。
「……その書類は、急ぎでしょうか」
「この前の馬車不良についての報告書だ。未だに〝王配暗殺〟の噂をする者もいる。早々に正確な状況を纏める必要がある」
冷ややかなジルベールの言葉にも今は慣れた。
ニ週間ほど前、私が乗ろうとした馬車に不良が判明した。プライドの予知によって幸いにも救われた、その原因についてもジルベールの調査で判明こそしたがまだ紙に纏め切れていない。
運が悪く、……いや良くと言うべきか。その馬車不良とプライドの予知能力開花が重なった所為もある。
更にはその後には義弟となる適合者の捜索とその少年からの養子拒絶。そして猶予期間を与え、今日やっと彼を城に迎えることになった。
それまでの間慌ただしい日が続き、自分の事故についての報告書が疎かになってしまった。ヴェストからも「一歩間違えたら凄惨な事件にもなり得た報告書だぞ」と後回しにしていたことを久々に叱責をされてしまった。
「ならば、こちらの調査と報告書は私が引き継ぎましょう。当事者である殿下からの証言さえ記載が終えていれば、残りは私が受け継いでも問題ないかと」
タン、タンと落ち着いた歩みでジルベールが私の机に歩み寄る。
上から腰を曲げるようにして書類を眺め、私の記載が終えていることを確認すれば「失礼致します」と書類を手に取った。
「良いのか?ジルベール、お前に任せた仕事の方は」
「ええ、もう殆ど終えておりますとも。……どうぞ王配殿下は迎えに向かわれて下さい。これから新しい〝御子息〟の御相手と紹介でお忙しいでしょうから」
トントン、と書類を揃え、不足部分から見直していく。
にっこりと人前用の薄い笑みを敢えて私に向けたその言葉は若干の棘が刺さる。しかし、それでも私の補佐に抜かりはない彼には本当に助けられる。
説明せずとも報告書に目を通しただけで問題箇所に気付いたらしい彼はそこで切れ長な目を僅かに釣り上げた。一枚一枚単調に捲っていた指を止め、食い入るように資料を見やった。
……本当に。今でこそこうして冷静に当時を振り返られているが、プライドの予知がなければどうなっていたことか。
そう思うと、嫌な結果しか想像がつかない。
少なくとも調査した馬車の不良から考えても、確実に怪我ではすまなかっただろう。最悪の場合死んでいた可能性もある。娘の喜ばしい予知能力開花の日に死ぬなど、それこそ死んでも死にきれない。
「ジルベール。お前もどうだ?ステイルをプライドに紹介するのに立ち会ってみるのは」
「いえ、結構です。次期摂政と次期女王の邂逅など畏れ多くてとてもとても。それよりも時間が空くならば休息時間を早めに頂けますでしょうか。……彼女の元へ行きたいので」
皮肉も込めながら平静を取り繕うように口にした声が、最後だけ弱く低められた。
彼女、……婚約者であるマリアンヌのことだ。休息時間になると必ず城の隠し部屋に身を預けている彼女の元にジルベールは足繁く通っている。わかった、と言葉こそ返したもののそれ以外の言葉が見つからない。いつかは見つかる、見つけてみせる、私達もついている、とその言葉を既に一年にも渡って繰り返した後だ。今、彼が最も求めているのは慰めでも友でもなく、彼女を救う手がかりだけなのだから。
頼んだぞ、とそれだけを告げて最後に彼の肩を叩く。そのまま私一人、ステイルを迎えるべく一足先に部屋を
「……アルバート」
ぼそり、と小さく唱えるような声が私を引き留めた。
一人言か、それとも書類を読み上げただけかとも思ったが、振り返れば紙面に視線を注いだままのジルベールが再びその口を開いた。彼が私の名を呼ぶのは久々だ。
「…………君が、無事で本当に良かった。もうこのような整備不良がないよう、責任を持って対処しよう。」
淡々とさせた声だが、以前のような口調で語るそれは間違いなく彼からの心からの言葉だった。
書類を掴む指が僅かに震えるのが目に入り、当時の彼を思い出す。私の乗る馬車に整備不良が見つかったと聞いた彼は、マリアンヌの元から青い顔で駆けつけてくれた。ここ暫くであそこまで血相を変える彼を見るのは久々だった。ただでさえマリアンヌのことで不安定な彼に、私の事故などそれこそ余計に心労をかけたことだろう。
「…ああ、頼りにしている。」
そう一言告げ、私は部屋を去った。
新しい家族を迎える為に。
ステイル・ロイヤル・アイビー。
今日からそう名乗ることになる彼は、私達の家族になる。
ティアラも聖誕祭を迎えれば、プライドやステイルと同じ宮殿に住まいも移る。最近では使用人達への態度が大きく改善されたというプライドだが、そうでなくてもこれからあの子の生活はガラリと変わる。ただの我儘王女から正式な王位継承者と認められる。ローザと同じ次なる王の啓示を持つ王女なのだから。
環境が変わればきっと、あの子の心境も変わる。何よりずっと共にいる家族というのはそれだけで大きな支えになる筈だ。そして
もうすぐあの子は〝一人〟ではなくなる。
新しい弟と、そして血の繋がった妹だ。
私がいなくとも、毎日当然のように会える正真正銘の家族だ。ティアラもプライドも、あの二人ならば互いの寂しさを埋め合えることもできるかもしれない。
そしてステイル。彼もまた私達の家族になる。そうなるように、……また少しずつ愛していこう。一度に全てではなく、少しずつ。三人全員分け隔て無く愛していこう。
「この子が今日からお前の義弟、ステイルだ。」
折角三人の父親に〝なれた〟のだから。
18-幕
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……
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是非お楽しみ下さい。




