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フリージア王国備忘録<第一部>  作者: 天壱
怨恨王女と祝勝会
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660.配達人は顔を顰める。


「……うざってぇ。」


誰もが中央のフロアに集まる中、ヴァルは最後列から数メートル離れたテーブルに座っていた。

華やかな音楽と頻繁に聞こえる歓声や喝采を聞きながら、テーブルの上で片足に胡座をかいた。舌打ちを繰り返しながらジョッキではなく酒瓶ばかりを空にしていく。グビッと喉を鳴らしながら、それでも今は騎士達が周りに居ない分は過ごし易いと思う。

テーブルの上に座って少し背筋を伸ばせば、騎士達の頭を抜けて遠目から深紅の髪とドレスが舞っているのがちらちら見えた。ダンスの相手に向けて満面の笑みを浮かべているプライドの顔を見れば、逃亡する気も失せた。

招集が掛かった時にレオンから「行かないのかい?」と誘われたが断った。セフェクとケメトが見たいと騒ぐ為、二人をレオンに押し付けて一人酒を楽しむことにした。騎士の群れに仲良く肩を並べてダンス観賞など自分で想像しただけで反吐が出る。見るだけなら遠目でも充分だとヴァルは思う。

プライドがダンスを始めてから既に五本の酒瓶を空にしていたが、とうとう今座っているテーブルにもう予備の酒瓶が無いことに気づいた。動くのも面倒だとは思いながら、重い腰を上げる。軽く見回した中で一番酒瓶が多く並んでいるテーブルへと移動する。そこに居た騎士達が全く手を付けていなかったのか、それとも給仕係が新しいものに変えた後なのか酒も料理も殆ど手付かずだった。

少し考えれば、ちょうどダンス前にプライドが立っていた辺りの位置だと思い出す。プライドを前に騎士達も酒や料理に全く目がいかなかった為、一番目立つ中央のテーブルにも関わらず誰の手も伸ばされなかった。

酒を取ろうとしたが、それよりも先に今度は料理に目がいく。ずっと酒とジョッキの並んだテーブルばかりを移動していた所為で食事にはまだ手を付けていない。丁度良い、と彼は大ぶりな肉を前にその手を伸ば


「ヴァル!」


……す、直前に突然声が掛けられた。

折角食事にありつこうとしていた所で手が止まる。あまりに聞き覚えのあり過ぎる声と名指しに振り返った。

何故いまここにいやがると見返せば、騎士達の壁を真っ二つに割いたプライドが自分の方に駆け寄ってきていた。更には続くようにレオンとセフェク、ケメトまでいる。

目の前まで来るプライドに、もうダンスは終わったのかと思ったがまだ前奏は続いている。二メートルほど先からセフェクに「主に手出して!」叫ばれ、意味もわからずプライドへ軽く片手を差し出した。荷物持ちでもしろということかと面倒そうに顔を顰めれば、間髪入れずパシッ!と勢いよくプライドにその手を掴まれた。


「アァ?」

「ヴァル 、踊りましょう。」


ハァッ⁈と次の瞬間には猛獣のように牙を剥くヴァルだが、プライドに「私に付いてきて下さい!」と引っ張られれば、意思とは関係なく命令通りに歩いてしまう。

踵を返して自分達の前を早足で歩くセフェク達に「なに主に協力してやがる⁈」と怒鳴ったが無視された。

ハリソンと別れてからすぐにヴァルを探したプライドだったが、ダンス中に一度も観客の中で彼の姿は見かけなかった。そしてレオンと並んでいたセフェク達にヴァルはと聞けば、目を輝かせた二人が即答でヴァルの居場所を教えてしまった。向こうのテーブルで飲んでますと言われ、あくまで男性から誘って貰わないといけないプライドは自ら彼の元まで足を運ぶことになった。


「ッざけんな主!俺がンなもんできると思うか⁈‼︎」

「大丈夫です。私に合わせて下さい。」

文句を言いながらも無抵抗にプライドとフロアの中央にまで上がれば、ヴァルは全身から拒絶を示した。

自分の手を引くプライドから喉を反らし背中も反らし、顔の筋肉をこれ以上なく引攣らせた。隷属の契約のことを知らない者でも、彼の不満は手に取るようにわかった。

何とか前奏中に間に合い、プライドが口頭で「こっちの手は私と合わせて、こっちは私の腰に。背筋を伸ばして下さい」と指示されればギギギッ……と拒絶に身体を軋ませながらもその通りに動く。どうせ命じられれば抗えないのはわかっているが、それでも今の状況は抵抗せずにはいられなかった。

「クソが」と悪態を付きながらら、見かけだけはしっかりと組み合うことになる。ケメト達に見られる程度なら未だしも、よりにもよって自分の嫌いな王族と騎士の前でダンスなどヴァルにとっては見世物でしかない。今までの人生でダンスなどしたこともないのだから。

しかも自分はずっと後方で酒を飲んでいた為、さっきまでの近衛騎士達のダンスすらまともに見ていない。経験どころか見本の覚えすらない自分が公衆の面前で踊らされるなど恥曝しの姿しか想像がつかない。まさかプライドが自分を笑い者にする為にとは思わないが、それでも今すぐ大広間を建物ごと崩壊させても良いくらいには彼女への憤りも増していた。

隷属の契約で命じられるのはあくまで本人の力量内。ダンスを踊れと言っても本人ができないものは命じても不可能。そんな中でどう転んでも自分が恥をかくだけだった。

すると、途中で妙な違和感に気づく。ダンス経験もなければ、遠目でしかダンスを見ていなかったヴァルにはその正体までは掴めない。更には、自分がフロアに出て来た以上に周囲が騒つき始めているのも妙だった。

二人が構えを終えてから、ジロリと顔ごと動かしてプライドを睨む。その眼差しに「合わせてくれれば大丈夫だから」と真っ直ぐな眼差しで言い聞かせるプライドにそれでもヴァルの不満は消えない。何が大丈夫だ、と言おうとすればそれより先に前奏が終わった。ゆったりとした音楽が流れ始め、プライドに引き寄せられる形で彼も足を動かした。

ステップなど踏んだこともない為、こんなに至近距離じゃプライドの足を踏むのが目に見えているとヴァルは忌々しそうに足元を睨む。だが予想とは違い、その場からほとんどプライドは動こうとしなかった。


「…………?」

「ね、平気でしょう?」


文句を言わなくなったヴァルに、プライドが首を傾けながら笑いかける。

囁くような声でも至近距離にいる彼の耳には充分届いた。

プライドに言われた通りに組み合えば、後は本当に曲に揺れるだけだ。ステップも殆ど必要とせず、その場から殆ど移動しないまま身体だけを音楽に乗せて揺らす流れにヴァルは返事の代わりに片眉を上げた。

確かに全く問題はない。ただ、これがダンスなのかという点においては疑問だった。さっきまでチラチラと見えたプライドのダンスのどれとも違う。手を重ね合い、身長差さえなければ頬が擦り合うほどに身体を密着させてはいるがこれではまるで



「ただ抱き合ってるだけじゃねぇか。」



「……これはこういうものなんです。音楽に揺れて楽しむものなんだから。」

阿呆らしいと言わんばかりのヴァルの言葉にプライドが少し唇を尖らせる。

身も蓋もないことを言われ、改めてヴァルがダンスを全く知らないのだと思う。どちらかというと社交ダンスよりはこちらの方が一般人向けのものだが、それも当然ヴァルには縁ないものだった。一緒に音楽に揺れながら、リズム感も悪くない彼にプライドはほっとする。これなら自分がこれ以上リードする必要はなさそうだと思いながら肩の力を抜いた。

普通のものよりも更に身体を密着させるそのダンスは、外から見ればただ男女が仲睦まじく抱き合っているようにしか見えない。プライドに合わせて身体を揺らして足を運びながら、ヴァルが視線を巡らせば自分が現れた時とはまた別の妙な雰囲気になっている。男性と完全に抱き合っている様子のプライドに顔を赤めたり、未だにヴァルと彼女を見比べて開いた口が塞がらない騎士もいる。レオンが向けてくる生暖かい視線よりはいっそそっちの方が気分も良いと、適当に彼は騎士達を鼻で笑った。

命令でプライドのダンスを拒めない以上、ここはいっそプライドの慕う彼らに見せつけてやる方が楽しそうだと思い直す。


「でぇ?どういうつもりだ主。俺じゃねぇなら騎士共への嫌がらせか?」

違います。と、ヴァルの言葉を一言切る。

一体何故そうなるのかと思いながら軽く睨めば、もうヴァルはいつもの調子だった。騎士に向かって敢えて挑発するように笑いを向ける姿を窘めようかとも思ったが、機嫌が良い分はマシかとも考え直す。ハァ……と自分も緊張を解くように溜息を吐いてから言葉を続けた。


「……ただ、貴方とも踊ってみたかっただけです。」

アァ?と、訳のわからないプライドの返答にヴァルは聞き返す。

なんだそりゃあと眉を寄せてプライドを見返せば紫色の瞳とぶつかった。嘘ではないことを示すように真っ直ぐ自分に目を向けるプライドの顔は、文字通り息がかかそうなほど近かった。身長差さえなければ完全に鼻先が触れていただろう距離に、知らないところで騎士達に緊張が走る。隷属の契約を知っているアーサー達すら心臓に悪かった。


「このダンスなら貴方とも踊れるから。」

「…………。」

そう声を潜めたプライドに、ヴァルは無言で返した。

返答がされないことを気にしないプライドは、視線をヴァルの肩越しに観客の方へと向ける。

殆どその場から動かない為、遠目でしか見えないがレオンが気付いたように手を振ったのが見えた。もともとヴァル達が出席することも知らなかったプライドだが、彼らが参列するならばと小さな欲が出た。それでも最初はダンスを踊ったことがないであろうヴァルを引っ張り込むのは難があるかとも考えた。が、……そこで思い出したのは。



『こういうのプライドも知ってるかなと思って』



祝勝会での、レオンとのダンスだった。

レオンと踊ったあのダンスならヴァルとも無理なく踊れると思えた。まさかレオンがそれを既に予想した上でヴァルを踊らせる為に祝勝会で敢えてそのダンスを踊ったのだということにプライドは気づいていない。

今も心から楽しげな笑顔で二人を眺めるレオンは、自分の思惑通りになった二人の姿に上機嫌だった。傍でセフェクとケメトが「もっと近くで見たいのに!」「ヴァルすっごく格好良いです!」と二人だけで盛り上がっている。二人の目からもロマンチックな雰囲気だけはしっかりと感じ取れた。


「それに、……貴方にもちゃんと」

「詫びなら腐る程聞いた。あれ以上は要らねぇぞ。」

うぐっ……、とヴァルの断りが今のプライドには深く刺さった。

先手を取られ、プライドは改めてハリソンに言われた言葉を思い出す。騎士だけでなくヴァルにも重荷だったのだなと反省すれば視線が落ちた。

予想以上にプライドに大打撃を与えたことにヴァルの方が驚く。どうした、と尋ねれば「いえ……」と絞り出したような声が返ってくる。ハリソンに諭された上でまた同じ過ちをしかけたなど言える訳がない。少し様子のおかしいプライドに片眉を上げると、次には彼の舌打ちが先行する。


「…………レオンの趣味は合わねぇ。」


ぼそっ、と吐き出すように呟くヴァルの言葉にプライドは顔を上げる。

そうかしら……?と尋ねながらプライドは小首を傾げた。疑問を示すようにヴァルの格好を改めて上から下まで見る。殆ど自分が密着している所為で改めては見えなかったが、それどころかヴァルに似合ってたとさえ思う。


「格好良いと思うけれど。」

自分の服装を目で差し示しながら平然と言うプライドにヴァルは二度目の舌打ちをした。彼女から目を逸らし、悪態をつくように一息で吐き出すと機嫌の悪そうな顔で「そっちじゃねぇ」とだけ答えた。何も自分の格好のことを聞いていないのに、自分の腕の中で平然と宣うプライドに怒りを通り越して呆れてくる。

ヴァルの返答に、ならセフェクとケメトのことかとも思いプライドは二人の方にも目を向けたがやはり二人ともよく似合っている。あの格好の何が悪いの、と聞こうとすれば今度は口を開く前に「セフェク達でもレオンでもねぇぞ」と言われる。

自分の目線は見えていない筈なのにバレていると、プライドは思わず唇を小さく絞った。すると今度はヴァルの方から目を合わせるように鋭い眼光がプライドへと至近距離で合わせられた。顔と顔の距離が身長差分しかない状態で覗かれ、少しだけ顎を反らす。ヴァルに圧を掛けられること自体はプライドも慣れている。だが、



「テメェの格好のことだ。」



…………!!

ボンッ、と。ヴァルの言葉にプライドは羞恥で一気に真っ赤になった。

さっきまでやっと意識しなくなってきた自分の格好を指摘され、プライドの両肩が酷く上がった。ボボボッと赤くなる顔で改めて自分の格好を見て、顔を伏せる。

観客から見れば突然赤面し出したプライドに何かあったのかと案じ始める騎士まで出た。相手が相手なだけで妙なことを言われたのでは無いかと穿ってしまう。


「にっ……似合ってないのはわかってますから!!」

「そういう問題じゃねぇ。」

必死に声を潜めながら、それでも上擦って言い返すプライドにヴァルはうんざりと息を吐く。

そういう意味じゃないなら何なのかと、プライドは唇をぷるぷるさせながらヴァルを睨む。この場で足を踏んでやろうかしらと思いながら上目で見返せば、余計にヴァルは嫌気が差すように顔ごと逸らした。

ヴァル自身、プライドの格好が似合っていないとは思っていない。寧ろ逆だ。だが、せっかく自分とダンスを踊るこの時に何故そういう格好をしてくるのかと不満はあった。

手を重ね合い、抱き合い、音楽に揺れるという状況だというのに、愛くるしい今の格好相手では何とも気が削げる。もともとガキだガキだと呼んでいたプライドにそんな格好をされては余計に幼く見えてしまう。せっかくならもっと色気のある格好なら良いものをと思う。

不満がグツグツと煮えたぎり、プライドを睨んだままボソリと「色気がねぇ」と言えば、今度は怒りでプライドの顔が赤く燃え上がった。寧ろ本来着る予定だったドレスはそちらの系統だったことを思えば、言い返したくもなった。だがここで「本当はもっと色気のあるドレスでした!」と発言できるほど恥を失ってもいない。


「まぁ出るトコは出るようになったか。」

「余計なお世話です!!」

今度こそ踏もうと思ったが、騎士達の面前であることを思い出し踏みとどまる。

代わりにヴァルの腰に回す手で爪を立てたが全くダメージを与えられなかった。むしろ「悪くねぇ」と馬鹿にするようにニヤリと笑われ、プライドは鼻の穴を膨らませる。だが、自分がいくら怒っても至近距離で笑みを広げるだけのヴァルにプライドは必死に気持ちを落ち着ける。せっかくのダンスで喧嘩をしたくはない。

フーーッと熱を発散させるように息を長く吐いた後、今度は本当に溜息がでた。この人は……と思いながら、低い声でヴァルに言葉を放つ。


「ほんっっとに、変わらないのですね貴方は。」

「中身はお互い様だ。」

〝中身〟という言い方にまた若干のセクハラ発言を感じたが、そこは我慢する。「まぁそうですね」とプライドにしては投げやりに言葉を返しながら眉間に皺を寄せた。怒りを露わにしてもやはりヴァルのニヤ笑いは消えない。もう何を言っても無駄だろうかとさえ思えば、完全に最初に言おうとしていた事をはぐらかされたことに気付いた。気を遣ってくれたのだろうかとも思うが、どうにもはぐらかし方が酷すぎる。

何とも複雑な気持ちで顔の筋肉を中央に集めていると、不意に「ハッ」と短い笑いが放たれた。驚き、肩を上下させればヴァルが再び笑みのままに口を開く。


「罪人の俺様と踊りたがるような王女は過去にも未来にも主ぐらいのもんだ。」


そういった声は全く嫌みが無く、寧ろ心なしが誇らしげにすら聞こえた。

プライドが目を丸くすると、ヴァルが自分の腰に回す手に力を込めてきた。ぐっと引き寄せられ、彼の顔を覗き込めないほどに身体がぴったりくっつく。腰から彼の腕の感触と圧を感じるプライドは、まるで本当に抱きしめられているようだと思う。

音楽に変わらず揺れながら、自分をしっかりと押さえつけるヴァルにプライドも言葉を探した。




「…………変わるんじゃねぇぞ。」




「……え?」

突然、小さなくぐもった声が耳元で囁かれた。

自分の背後に顔を出し、唱えるように呟く声をプライドは聞き返す。聞き取れはした。だが、どういう意味かとすぐには判断がつかなかった。すると言い直す代わりにヴァルがまた声を低めた。

プライドの背中越しに俯き、口だけを小さく動かす彼の表情はプライドからは見えない。そして観客の目から見てもうつむいている彼の表情は読めなかった。


「テメェのことでぐだぐだ悩んで、要らねぇ責負って、……ガキでめんどくせぇテメェで良い。」

低めた声が小さく唸るようで聞き取りづらい。それでもプライドの芯まで振るわすような声が彼女の耳に這い上がる。

脅しているようで覇気もないその声がどことなく優しく聞こえる気がし、プライドの方が身を固くした。それで良い、と言われたことに今は不思議と救われた。


「……テメェが良い。」

地の底まで届くような低い声を耳元で唱えられ、溜まらずぞくりと背中が震えた。

不快ではない。ただ、また顔も見えないヴァルの声から大人の色気のようなものが感じられ耳の奥から身体を揺らされた。密着した身体でプライドの震えも文字通り手に取るようにわかったヴァルは、その反応に一人笑った。

告げた後、暫く何も言わないヴァルは大人しくする代わりに腕の力も緩めなかった。音楽に揺れながら、ぼんやりとドレス越しに彼の温もりを感じる。音楽とその暖かさに、微睡みそうになりながらプライドも口を開いた。彼にだけ囁くように抑えた声で言葉を告げる。


「ありがとう、ヴァル。……貴方も。今の貴方が一番素敵よ。」


言いながら、自然とプライドの口に笑みが零れた。

腹立たしいとは思いながら、やはりこんな彼だからこそ救われる部分も、魅力的な部分も多くあると心からそう思う。

プライドの言葉に擦れるように息を引くヴァルは、俯いたまま目を見開いた。肩がにわかに上がれば、それごと包むように今度はプライドからを自分の腰に回す腕の力を強められた。

ぎゅっ、と締め付けられ、爪を立てられた時とは違う感触に奥歯を食い縛る。俯いたままこれ以上自分の腕に力を込めないようにと抑えた。

沈黙が続き、お互いに何も言わないまま音楽に揺れていると、次第に音楽が終わりへと近づいた。耳でそれをすぐに悟ったプライドは再び囁く声で「ヴァル、そろそろ終わるわ」と起こすように呼びかける。

プライドのその声にまるで本当に今目を覚ましたかのようにヴァルがうつむけていた顔を上げる。思い出したように重ね合わせた手だけを静かにほどく。プライドの手から離れ、自由になった片手がそのままゆっくりと彼女の深紅の髪へと伸びていく。

這うようにその手が背中から肩、肩から首、そして髪をかき分けていく感覚にプライドは思わず身震いした。それでも突き放す気にはなれず、逆に彼を抱く腕に力を更に込めれば、耳元でまた息だけで笑う音がした。そのまま彼の腕がプライドの深紅を丁寧に払い、そしてうなじを指の腹でなぞった。


「……消えちまったか。」


ボソリ、とつまらなそうに呟く声にプライドは何を指しているかすぐに気づいた。

驚きのあまり裏返りそうな声で「ええ」と返せば、今度は大きな手のひらがプライドの細い首も丸ごと摩り、確かめる。首筋を念入りに確認する彼に、やはりあの誓いの痕を探しているのだと理解する。

もう、も何もヴァルが残した痕は十日以上前に消えていた。傷に直接ではないにしろ、特殊能力者の治療も受けたプライドは身体全体の治癒力も高まっていたため、消えるのにもそこまで時間は掛からなかった。

今はどこに痕があるのかもわからないほど綺麗に消えている。首を摩ってくるヴァルにプライドがじっとしていると、彼は小さく舌打ちをしてからその手を引っ込めた。そのまま再び空いたままのプライドの手に重ね



─ た、瞬間。



ぐらり、とプライドの身体が仰け反った。

ヴァルが突然前のめりになり、腰を支えたまま重心を倒した為にプライドの身体が大きく仰け反ることになる。片手をヴァルの腰から後ろ首へとずらして掴まり、握られた反対の手の指に力を入れて倒れまいとフロアを噛む足に力を込める。ヴァルの腕でしっかりと腰を支えられた為に体勢自体にそこまで負担はなかったが、足以外は殆ど仰向けに倒れ込んだような体勢になった。

ざわり、と今度こそ観客が騒つく。歓声ではなく「ちょっと待て⁈」の意味の方が強い。まるで倒れ込んだプライドをヴァルが掴まえて支えているようにも、プライドをヴァルが押し倒しているようにも見える。恋人同士であれば確実に口付けの流れだが、第一王女にそれは事件でしかない。騎士の数人が本気で武器を構え出す。

だが、向けられた殺気を気にせずにヴァルはプライドを真正面から覗く。数センチしか顔と顔の間が無い状態で、どこまでも不敵にヴァルは笑っていた。


「もう一度、付け直してやろうか?」


えっ?!とプライドが思わず声を短く上げる。

突然仰け反らされ、照明から逆光で黒く光るヴァルに囁かれ、顔が見えなくてもどんな表情をしているかは愉快そうな声だけで容易に想像付いた。

まさか観客の前でアレをするつもりかとプライドの血の気が引く。流石に誓いの中でも色々と刺激的な意味と箇所であるそれを騎士団長達の面前でされるのは困る。そう思い巡らしている内に、もともと近いヴァルの顔が近づいた。え、ちょっと、待っ……と言おうとしたが、あまりに焦りすぎて上手く言葉にできない。そして





























「……いつかな。」

























唱えるような声を放たれた途端、フッと短い息が首筋に吹きつけられた。

あまりの不意打ちに思わず「ひゃああッ?!」と悲鳴を上げる。混乱中の頭で首筋を息でくすぐられ、大きく背を自分から反らしたプライドはまな板の魚のようだった。次の瞬間には大声を上げてしまった事に慌ててヴァルから両手を離して自分の口を押さえるが、既に木霊した後だった。

目を白黒させて見回せば、騎士達が驚き全員が身構えている。変な声を上げてしまったことに顔が赤や蒼白に変わるプライドをヴァルは片腕で支えたまま吹き出した。

ヒャハハハハハハッと高笑いを上げながら、手だけは丁寧に倒れ込んだままのプライドを元の位置まで立たせる。いつの間にか曲が終わっていたことも、自分の足で立てるようになるまでプライドは気づかなかった。

馬鹿な声を上げてしまった自分を恥じるべきか、構えた騎士達に謝るべきか、変な悪戯とからかってきたヴァルを怒るべきかわからなくなる。

ドレスの皺がついていないことを確認するふりをして視線を落としながら、プライドは若干涙目だった。今のぐちゃぐちゃの感情を総括し一番前に出るのは「恥ずかしい」一択だったのだから。

口を絞ったまま顔を赤くして俯いているプライドの頭を、ヴァルは笑いながらポンと撫でた。どこまでも子どものような扱いに完全に馬鹿にされていると判断し、つり上がった目で睨み上げれば、……怒る気も失せた。



「……ずっと居てやる。」



今まで見たことが無いほど柔らかく笑むヴァルの表情に。

本当に捉えられたのは一瞬で、目を丸くした時にはもういつもの悪い顔で笑っていた。

わしわしと小さなプライドの頭を掴むように撫でる手を離せば、また顔を近づけた。また火照りが抜けない彼女の小さな耳に「何ならベッドの中までな」と囁けば、あまりの発言と低い声に擽られプライドは肩を上下した。

思わず囁かれた耳を押さえれば、ケラケラ笑いながらヴァルが最後にプライドの肩を叩いた。そのまま彼女の手を取ることもなく、観客に会釈すらせず一人でフロアを降りていく。

セフェク達の方向へ向かう彼の背中を眺めながら、プライド一人がフロア中央にぽつんと残った。何とも彼らしい退場だと彼女は思う。マナーを放り投げて置いていかれたことよりも、取り敢えずヴァルが不敬罪で騎士達に取り抑えられなかったことに安堵した。

彼の真意はわからないが、ただ言ってくれた言葉の一つひとつから〝執着〟の誓いが、彼にとって自分への憎しみや恨みの象徴ではなかったのかなとだけ理解する。隷属の契約で彼はプライドに嘘はつけない。そして何よりも「いつかな」も「ずっといてやる」の言葉もこの上なく優しかったのだから。

何だかんだ最後までダンスに付き合ってくれたヴァルに感謝しながら、プライドはその背中に小さく笑った。吹き付けられた首筋を撫でながら、きっとあの〝誓い〟も彼の優しさだったのだろうと思う。

前奏を耳で聞きながら、プライドは再び次のダンス相手をと急ぎ足で観客の元へと向かった。第一王女が何事もなかったかのように再びダンスパーティーを継続させる様子に、騎士達も慌てて武器を仕舞う。ヴァルへ構えようとした武器を握った手で、再び一縷の望みを託して第一王女へと手を伸ばした。


「やぁ、楽しめたかい?」

滑らかな笑みで小さく手を振るレオンに、ヴァルは正面から顔を顰めた。その傍ではセフェクとケメトが「最後のどうやったの?」「格好良かったです!」と声を上げている。

アネモネ王国の第一王子と子ども二人が迎える様子に周囲にいた騎士達も構えは解いた。しかしマナー違反の数々に軽く睨みつける。

レオンやセフェク達に生返事を返しながら、先ほどの生温かい視線よりは良いとヴァルは欠伸を零した。だが、次の瞬間に再び別方向から響めきが起きれば、騎士達の注意もそちらへ向く。プライドがとうとう近衛騎士でも関係者でもない騎士の手を取ったことに歓声と喝采が響いた。

ヴァルも釣られるように目を向ければ、自分が見たことのあるようなないような騎士だった。顔を真っ赤にしてプライドに手を取られたことが信じられないように瞼をなくす騎士がフロアの中央へと上がっていた。


「やっぱり正装してきて正解だったろう?」

こそっ、とヴァルに耳打ちするレオンにヴァルが眉を上げる。

何処まで計算してやがった、と唸りながら聞いたが、レオンは滑らかな笑みで返すだけだった。まさか自分とプライドをダンスさせる為に暗躍していたとまでは思いもしない。それを知られたら確実に一週間は一緒に酒を飲んで貰えなくなるだろうと思いながら、レオンは黙した。

再び後方に下がることもできたヴァルだが、何と無くその場を離れる気にはならなかった。騎士達に囲まれている状態だというのに、今はその場に引き止まる。セフェクとケメトに付き合うような形でその場に佇みながらグラグラと怠そうに上体を揺らした。

ぼんやりと退屈そうにプライドのダンスを眺めながら、まだプライドの熱も感触も全身に残っていることに気がつく。更にはずっと密着していた所為で彼女の香水まで身体に移っていた。レオンの香水よりも遥かに甘たるい花の香りに舌打ちを零しながら、それでも悪い匂いとは思わない。プライドをこの手に抱いていた痕跡に、ダンスも悪くなかったと思えてしまう。

後方に戻ればテーブルには手のつけられていない料理も、そして酒もある。それを頭ではわかっていながら退がる気には全くなれない。


料理を手掴み齧り付くよりも、今は手の中の彼女の温もりを残しておきたい。

酒を浴びるように仰ぐよりも、今はこの甘たるい香りに酔っていたい。

そう思ってしまったことを隠すように腕を組み、彼は顔を顰めた。



首筋に痕を付け直してやろうと思ったところを、契約の所為で止めざるを得なかったことが少しだけ惜しかった。


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