658.副隊長は、望む。
「どうか緊張されないで下さい、エリック副隊長。」
…………いや、無理だろう。
優しく俺の手を取り、向き合いながら小声で囁いて下さるプライド様に声も出ない。
どう考えてもこの状態で緊張するなは無理な話だ。何せ相手はプライド様なのだから。
しかも、今までになく可愛らしい御召し物でいらっしゃった。煌びやかなドレスとはまた違い、深紅を前面に出して華のような鮮やかさをデザインで表している。その上、花の髪飾りに深紅の髪に白い肌。この世のものとは思えない姿は、まるで薔薇の精だった。
……覚悟は、していた。
アラン隊長からアーサー、カラム隊長と続けば俺の番も来るだろうという予想と、……淡い期待だ。今既に死にそうな俺だが、これで俺だけ手を取られなかったら多分それはそれで地の底に沈む程度には落ち込んだ気がする。そして当然のようにプライド様に手を取られれば、指先一本すら熱源そのものだった。手のひら丸ごと掴まれ、引き寄せられれば導火線のように一瞬で全身に熱が回った。
「凄く楽しみです。エリック副隊長とのダンスは初めてですから。」
そう言って、前奏中に向き合った俺と手を重ねて組んで下さる。
片手どころか、腕が、背中が。しかも俺からもその背に腕を回さないといけない。緊張で震えかける手で、そっと背中に手を添えれば思った以上に細かった。自分の身に起こっていることが現実かどうかもわからなくなる。
「こっ、光栄です……!」
声が少し裏返る。
言いたい言葉は沢山ある。でもその中で、今絞り出せるのはそれだけだ。
俺の言葉に「私もです」と可憐に笑うプライド様は、本当に本当に可愛くてお綺麗で。そんな存在が自分の腕の中にいることが信じられない。
背後や周りから「エリック副隊長!」「エリック!」と呼ぶ声がする。そうだ彼らも見ているんだと思えば余計に緊張が跳ね上がる。プライド様から目を逸らすように彼らへ顔ごと向ければ、あまりにも温かな視線やニヤニヤ顔に余計顔が熱くなる。きっと祝勝会が終わった後は騎士達に俺も囃し立てられるのだろう。……けど、今はもうそれでも良い。プライド様に手を取って貰えたのだから。
前奏が終わり、覚悟をしてプライド様と目を合わす。口の動きも必要なく、リードをすれば自然にステップを踏んで下さる。ティアラ様もお上手だったけど、やっぱりプライド様もお上手だ。むしろさっきのアラン隊長のステップに軽々と付いて合わせて来られたのを考えると、更に。
プライド様と回り、曲調に合わせて揺れれば段々と緊張が和らいできた。するとまるで俺の心情を察したかのようにプライド様が笑い掛けてくる。
「流石エリック副隊長、お上手ですね。」
「ありがとうございます。アラン隊長やカラム隊長には足元にも及びませんが……。」
そう返せば、自然と苦笑いで肩の力も抜けた。
騎士の嗜みとして、必要なものは全て身に付け、平均以上を心掛けた。今は必要なくても、必要となった時に後悔しないで済むように。だけど、……まさか王族とダンスを踊ることになるなんて思いもしなかった。
ティアラ様と踊らせて頂いただけでも光栄だった。しかもプライド様と同じフロアで踊れて、妥協なしに騎士の全てを努めてきて良かったと本気で思った。
「……アラン隊長のことも、自分の望みを聞き届けて下さりありがとうございました。お二人のダンス、とても素敵でした。」
「!いえ。それより、……本当にエリック副隊長自身は何も?」
ええ。とプライド様からの問いに笑って返す。
もともと、プライドから褒美のお話を頂いた時から……いや、そのずっと前から。俺にプライド様へ願えるような願いは一つもなかった。
アラン隊長達がどんな願いを望んだのかはわからない。ただ、きっと俺自身に使うことよりもずっと有意義な願いだろうと思う。
「自分が、アラン隊長とプライド様とのダンスを一番に見たかったので。それにアラン隊長が第一王女殿下に一番に手を取って頂ければ、それは自分達一番隊にとっても誉れです。」
緊張を押してでも自然と今話せたのは、これが心からの本音だからだ。
願いといえる願いが思い付かなかった。
だけど、折角プライド様から頂けた褒美を……どうしてもお返ししたくなかった。プライド様から直々に貰えた、という事実だけはこの上なく手放せない宝だ。
『俺はプライド様をダンスに誘うっ‼︎な?エリックお前もだよな⁈』
入隊してから、アラン隊長の欲しいものを間違えないところは尊敬するし、正直少し羨ましい。
その上で俺達部下の事も民のことも考えてくれて、鍛錬も欠かさないで、それを鼻にかけないアラン隊長だからこそ一番隊は皆があの人を隊長だと認めている。
騎士団長達のように優秀な特殊能力……どころか、特殊能力自体ない。カラム隊長のように多方面に優れているわけでもなく苦手なものもある。それでも、誰もがアラン隊長の実力も器も認めている。特殊能力を持たない騎士の多くがアラン隊長に憧れている。……俺も、同じだ。
そんな人が、努力も惜しまない人がプライド様に憧れて、いつのまにか憧れから変わったその好意も隠さなかった。騎士団で誰よりも、……多分口に出してるという意味ではアーサーよりもプライド様への好意を明らかにしている。だけどアラン隊長はプライド様と今の関係以上になろうとは思っていない。……だからこそ、思う。
報われて、欲しい。
少しくらい。
俺達の隊長が報われたって良いじゃないかと欲が出た。
プライド様が豹変して、近衛騎士を外されて。……アラン隊長達と三人で飲んだあの日のことは今も傷痕のように残ってる。
プライド様を守り続けると。何十年でも待つと迷いなく言い放ったアラン隊長の言葉は焼きついた。
奪還戦では騎士達への鼓舞すら殆どがプライド様のことばかりだった。プライド様をダンスに誘うと、それだけで目に強い光を宿したアラン隊長の言葉は絶対に冗談ではなかった。
「……エリック副隊長は、お優しいですね。」
柔らかな笑みと、声が掛けられる。
目を向けた瞬間に視界に入ったその表情に天使か何かかと本気で思った。慈愛に満ちた眼差しに、うっかり喉をはっきり鳴らしてしまう。
自分の目が見開かれていくのを自覚しながら、音楽に揺れる。気を抜いたらプライド様の足を踏んでしまう気がして、ぎりぎりで精神を踏み止める。
いえっ、自分は……と口籠もり、それ以上が出てこない。
「エリック副隊長みたいな素敵な部下に慕われて、本当にアラン隊長は幸せですね。優秀で、強くて、騎士達からの支持も信頼も厚くて……」
アラン隊長の褒め話に、また呼吸を思い出す。
はい、はい、ええ、と返しながら次は何とか話せそうだと思う。
少し余裕も出てきて、プライド様を腕へ潜らせる。翻る拍子に深紅の髪に乗って花の香りがした。最初に思った薔薇の精という言葉がまた顔を出す。その途端、心臓の音が自分の鼓膜まで響いた。
再び手を取り合い、観客の前を横切ってもまだプライド様の褒め言葉は尽きない。アラン隊長の良いところもそんなに知って下さっているのだなと思えば、それこそが俺達の追い求めたプライド様だと思う。
今回のアラン隊長と一番にダンスをという願いだって、俺が特別優しいわけじゃない。きっと一番隊の騎士なら誰もが一度は考えることだと思う。俺はただ、自分に費やすような願いが思いつかなかっただけで
「……その上、礼儀正しくって。そんなエリック副隊長が、私も大好きです。」
っっっっっ⁈お、れ……⁈
今の今までいくつも褒め言葉を羅列されていた人物が、アラン隊長ではなく自分自身だったことをたった今知る。
思わず「自分ですか⁈」と声にまで出てしまった。その途端、プライド様にきょとんとした顔で「?最初からエリック副隊長の話ですが……」と返されてしまった。
ッ確かに、確かに文脈は俺でもおかしくなかったけれど‼︎‼︎てっきり完全にアラン隊長の話としてしか聞いていなかった!
恐縮ですと、吃りながら返して全身が熱くなる。プライド様と回りながらフラついているのかダンスをしているのか自分でもわからなくなる。
視界もぼやけだす中で、プライド様は軽々とステップを踏みながら言葉を続ける。もう、俺の話だと思うと聞くのも怖い。プライド様と密着した身体と柔らかな肌の温度を意識してしまえば、もうどうにかなってしまいそうだ。
「アーサーや、アラン隊長、カラム隊長も以前より自慢していました。エリック副隊長は優秀な騎士だと。しかも新兵になってから実力を引き上げたとても努力家な……」
貴方の、お陰です。
プライド様の言葉にどうしようもなく心臓が絞られ、波立つ。
唇を固く絞り、口の中を噛む。共に音楽に流れながらプライド様の賛辞を聞けば、閉ざした口の舌先まで訴えたい言葉が今にも溢れそうになる。
耐えて、耐えて耐えても自分の顔が険しくなりかけるのに気付く。ダンスに集中するふりをして、プライド様から顔を背けて足を踏み出す。穏やかな声で語りながら、俺のリードに軽々と付いてきてくださるプライド様と共に回りながら音の海まで下っていく。
……昔は、新兵になれただけで満足しかけていた。
騎士に憧れ、何度かの挫折を繰り返してから新兵としての入団を許された。その後も訓練に手は抜かなったけれど、……半分は既に〝騎士〟になれたのだと満足していた。
本隊騎士と待遇の差は大きいし、最低限の衣食住は辛くもあったけれど、騎士見習いの新兵でも騎士には変わらない。本隊騎士の補助や、城下に降りれば現行犯を捕らえる程度の権利はある。国や民の為に力になりたいのなら、本隊騎士でなくても新兵の自分にもできることはある。
本隊騎士の絶対的な力を見れば諦めもついた。才能もない、特殊能力もない俺は〝ここで良い〟のだと。別に悲観することはない、自分に出来ることをやって本隊騎士の力になれれば良い。新兵だって騎士団の一員に違いはないのだと。そう思って満足しかけていた。
プライド様に救われた、あの日まで。
自分を殺したいほど、絶望した。
自分に力があれば、もっと出来ることがあれば、と。……その想いだけは騎士団長が救われた後も消えることはなかった。あの時の後悔と奇跡がなければ、崖崩落から助かったところで自分は今もまだ新兵のままだ。
いつかあの御方のように、と。そう思えばもう満足なんて出来なかった。
二度と、たった一つの妥協も許さない。そう決めてそれまでの三倍以上の努力を重ね続けた。
騎士の嗜みとして、必要なものは全て身に付けた。剣や銃、騎馬や素手での格闘術。戦闘に関係なくても救護や雑学、地理。ダンスすらをも平均以上を目指し続けた。
エリートでもサラブレッドでも特殊能力者でもないに関わらず、騎士団でも戦闘で五本の指に数えられたアラン隊長に憧れて一番隊に志願した。本隊騎士になっても満足しない。一番隊に入っても満足しない。副隊長になれても満足しない。昇進に興味はない、ただあの御方のような戦士になりたいと願い続けた。
プライド様のようになりたい。プライド様のお力になりたい。……七年前からずっとプライド様への尊敬も憧れも感謝も留まることはなかった。
そして、今。
「……あの時はごめんなさい。あんなことを犯してもまだ私を助けようとしてくれたエリック副隊長達には心から感謝しています。」
憧れ続けたプライド様の近衛騎士となり、ダンスを踊っている自分がいる。
たった今このひと時だけ、世界中の誰よりもプライド様の近くにいる自分がいる。
「本当に、本当にありがとうございました。……何度言っても足りません。」
プライド様に、自分が感謝してもらえている。
理解すれば、思えば、それだけで胸の奥から何かが込み上げた。駄目だ、ダンス中にそれだけは駄目だと歯を食い縛る。
夢のような現実が、今は信じられない。凛とした声に導かれるように目を再び向ければ、哀しげに眉を垂らしながらそれでも俺に笑んでくれていた。その憂いを帯びた笑みだけでも今の俺を刺すには充分だった。
「……とんでもありませんっ……。」
くるり、と二人で弧を描き、歓声と喝采に紛れるように俺は何とか言葉を絞り出す。
既に涙声になりそうなのに気付き、口の中を何度も飲み込んだ。掠れてしまい、満足な続きも言えなかった言葉だけれど、プライド様は柔らかく笑んで下さった。まるでまた「優しいですね」と言われているかのような微笑みに頭が沸騰して、涙が滲む。
こんな近くで、こんな可愛い姿で、こんな人前で。……いっそ何の拷問かと思う。このままだと最後まで涙を我慢できる自信がない。
「自分は、本当に本当に……プライド様が御無事に戻って来られたことを嬉しく思います。自分が、プライド様に御礼を申し上げたいくらいです……!」
あの日も、泣いた。
奪還戦後に、近衛騎士で一番最初に休息時間を勧められたのは俺だった。アラン隊長が「先に休んで来い」と命じてくれた。……理由は、痛いほど自覚していた。
苦笑いしながら部屋を出て、演習場に戻るまですら保つ気がしなかった。それでも奪還戦後の城内はどこもかしこも騎士がいて、途中で逃げ込む場所も殆ど無かった。せっかくの休息時間だというのに気持ちを紛らわせるように走ってしまった。
自分でもわかっていた。あの時、アーサーの次に耐えきれなかったのは絶対俺だ。
正気に戻られたプライド様が視界に入るだけで、声が聞こえるだけで込み上げた。もう笑い方もわからなくなるくらいに何度も何度も込み上げて、それでもまだ任務中だと必死に自分へ言い聞かせた。きっとアラン隊長達どころかプライド様にも違和感を気づかれていただろうと思う。
プライド様が戻られて、またいつものように笑って下さった。それだけであの場で泣き崩れたいほどに嬉しかった。
自室に飛び込んで、扉を閉めたら本当に崩れた。顎も息も震えて、拭うのをやめた。誰にも見られていないと思えば、もう歯止めが利かずに頭の中には奪還してからのプライド様の笑みが何度も繰り返し浮かんだ。焼き付いたように離れず、その姿と声を思い出すだけで涙が止まらなかった。
取り戻せた取り戻せた取り戻せた取り戻せたと、腹の奥から込み上げる言葉はそればかりで。ボロボロに泣きながら気づけば笑っていた。
自分ができたことは、アーサー達と比べれば本当にたいした事じゃない。直接俺がプライド様を救えたとは思えない。ただ、手柄や功績なんてどうでも良くて、ただただプライド様を取り戻せた事実だけでもう息すらできなかった。
「自分ができたのは、些細なことだけですから。本当なら自分はプライド様から褒美を頂くような功績もありません。」
「そんなことはありません。奪還戦の後、エリック副隊長は言って下さったではありませんか。笑えばそれだけで伝わると思うって。」
─ ……違います。
俺の言葉に首を振って返してくれたプライド様をステップと共に左右に揺らす。
返された言葉に思わず俺は笑みを作りながら口をまた噤んだ。奪還後、レオン王子の病室へ向かうプライド様に確かに俺はそういった。涙を堪えて不出来な表情で、それでも俯き沈むプライド様にそう言わずにはいられなかった。
「あの時、とても嬉しかったです。少なくともあの時の私はエリック副隊長の言葉に救われました。」
─ 違います。あの時、俺は貴方を救いたくてそう言えたのではありません。
「それに、私が最初の時に侍女達へ酷いことをした時も……」
掘り返すように皇太子に操られた時のことをプライド様が語り始める。
その表情から笑みが消え、深刻な表情と苦しそうに眉が寄せられた。懺悔するような低い声で潜められ、きっとまだプライド様はあの時の行いを自分が許せていないのだろうと思う。
気持ちだけが先走り、言葉は出ない。ただ、プライド様は自身の罪もそして俺の事も誤解しているのだと理解する。
─ 俺があの時、貴方にそう言ったのは。
「プライド様。」
罪の懺悔を始めようとするプライド様を止める。
顔を上げて口を止めたプライド様へ「お話中申しわけありません」と断れば、一言で許してくれた。まさかアラン隊長達にも皆にプライド様はこんな謝罪をしたのだろうかと思いながら、俺はもう開いてしまった口を止めることができなくなる。
口が、動く。舌が回る。ピクピクと身体の部分部分が震え、瞬きが勝手に増えた。熱を宿した肌が火傷のようにヒリつく。それではやっぱり止められない。何故なら俺はずっと、ずっと最初から
「笑って下さい。」
─ 他の誰でも無くこの俺が、貴方の笑顔を見たかっただけなんです。
震えた俺の声に、プライド様の目が丸くなる。
わずかにぽかりと口まで開いたプライド様は、真っ直ぐに俺を見上げたまま動かなかった。
沈黙のまま、周囲からの歓声と拍手を聞き流す。身体だけはステップと音楽に流しながら、二人で暫くは首から上がまったく動かなかった。あまりの沈黙にまるで告白でもしてしまったかのような感覚になる。緊張で両指やつま先までうずき出す。
だけど最初からずっと、この俺の願いは変えれないから。
『なら、お前はないのかよ?いつものプライド様だぞ⁇またあの人に会えんだぞ⁇何かねぇの?』
『じ……自分はっ、……そのっ、ただ………‼︎』
どうか、笑ってほしい。
幾度も俺達に向けてくれた、あの笑顔を捨てないで欲しい。
貴方に笑みを向けられる度、今まで努力してきて良かったと心から思えるから。
辛くても苦しくても努力を続けてきたことを、貴方の声と笑顔が報いさせてくれるから。
貴方に笑いかけられる度、労わられる度、感謝される度、褒められる度にこれまで歩んできた道が間違っていなかったと思える。
貴方の笑顔を見るだけで、自分の人生がこの上なく幸せなものだと思えるから。
「笑って……頂くと。それだけで、伝わりますからっ……。」
少なくとも、自分にはと。
あの時と同じ言葉にしてもう一度伝える。
すぐに同じだとわかったらしく、プライド様の大きな目が瞬きを思い出し始めた。
ちょうど曲が終わりに向かい、落ち着いていく中で最後の華にとプライド様を手の中で回す。
大輪のように大きく優雅な舞いを見せるプライド様は四回ほど回ってから緩やかに足を止めた。曲に合わせた停止に、俺も同時に礼をし動きを止めた。
騎士達からの拍手と喝采、口笛と呼び声を聞きながら今度はプライド様と共に礼をする。観客側にも挨拶を返してから、そっと再びプライド様の手をとった。
躊躇いなく重ねてくれた手を指で掴み、包めば隣に並んで下さった。今までと同じく俺のいた場所まで歩いて付き添われてくれるプライド様から、まだ答えは無い。
何か考えているのか、それとも俺が図々しく言いすぎたのかと少し胃が重くなる。そのまま視線の向こうで手を振り拍手で迎えてくれるアラン隊長達の元へと戻った。ありがとうございましたと伝え、プライド様の手を離
きゅっ。
……突然、プライド様が重ねた手を握り返してきた。
あまりに突然で反応もできずに固まり、見返せばプライド様が俺の顔へと静かに手を伸ばしてきた。顎を引き、喉まで動きを止めればその白魚のような指先が俺の髪を耳へと掻き上げた。
その感覚に全身が痺れるような感覚がして、心臓だけが激しく踊り出す。ぴたり、と掻き上げた手が指先から今度は頬をなぞった。「プラ……イド様……?!」と訳も分からず息だけで問いかけて見つめ返せば
満面の笑みが、俺に向けられていた。
本当に、今日見た中で一番素敵な笑顔で。
こんなに可愛らしい装いをしているにも関わらず、その瞬間だけはプライド様が美女に戻った。
息を忘れるどころか魂まで抜きそうな笑顔を正面に向けられて、視界も頭も白くなる。何故、突然……⁈と軸ごと揺れそうな頭で思えば目の前の薔薇の精が凜とした声を囁くように唱え出す。
「ありがとうございます。……私も。お優しいエリック副隊長の笑顔が大好きです。」
そういって最後に親指の腹で口角を撫でられた。
触れられた一つ一つが熱を宿してくすぐったい。そこから全身に熱が灯され、広がった。そのまま手を今度こそ俺の顔から離していくと思ったら、今度は握っていた俺の手をプライド様自身の頬へと導かれた。
気の遠くなるような笑顔のまま、その頬から顎の輪郭を俺の手が辿り、包む。心地よさそうに一度瞼を閉じたプライド様が俺の手をさらに重ねるようにして頬に押さえつけた。
「……怪我。しないで下さってありがとうございました。エリック副隊長が御無事で本当に良かった。」
『無理はなさらないで下さいね。エリック副隊長に何かあれば、私が泣きますから』
『これからも怪我には気をつけて下さい』
それも全部、貴方がくれたものです。
貴方が心を痛めてくれたから。
貴方が願ってくれたから。……だから、今回の奪還戦では怪我をしないと決めていた。
プライド様を取り戻すのだから、あの時のプライド様の願いも守り抜きたかった。
取り戻すと決めたからこそ、願掛けのように拘り続けた。
『大丈夫大丈夫。それに俺は怪我できないから』
プライド様の笑顔はいつだって朝日のように眩しい。そして花のように柔らかだ。
いま目の前で俺にだけ向けられた笑顔は、息を忘れるくらいに綺麗だった。あまりの緊張に感覚が鋭くなったのか、プライド様の息遣いから触れる肌の微弱な震えや温度まで、周囲の眼差しすら見なくても気配だけで怖いほどにわかってしまう。唇が乾いて首筋に汗が伝った。
ダンスが終わったのに、何故こんな近くにプライド様がいるのかと考える。……だけど。
─ これだ。
俺がずっと見たかった。欲しくて欲しくて堪らなかったものだった。
本当に、この笑みの為だけに生きてきた。その為だけに無傷に拘った。これさえ見られれば、取り戻せればもう何もいらなかった。富も地位も褒賞も、この人の笑顔には代えられない。
豹変して、失って、…………それからもずっと。もう一度見たかった。
陰りなく笑う、プライド様のこの笑みを。
「……っ。……ーー…………。」
ああ、駄目だ。
とうとう堪えられなくなった。
プライド様が目を丸くする。周囲から息を引く音がいくつも聞こえる。視界がぼやけて塞がれる。
込み上げたものが目から頬、顎まで伝う。手足に力が入らない。肩や背中まで丸くなろうとするのだけ必死に堪えて力を込める。
プライド様の頬に触れる手まで震え出す。自分でも顔に力が入るのがわかる。顰めたような表情をプライド様に向けたくなくて、すみませんと掠れた声で断り伏せた。それでもこの人の頬に触れた手だけは離せない。
目の前の笑顔も存在も、全てが現実だという証が手放せない。瞑り、瞼を絞れば目に溜まっている涙が溢れ出た。乾いた喉から音だけを漏らさないように歯を食い縛
─ふわり、と。
俺の口角に伸ばされていた手が首から頭に回され、引き寄せられた。
視界もぼやける中で前のめりになると、つるりとした布地が顔に当たった。プライド様のドレスだとわかるのはすぐで、頭ごと抱き締められているのだと思えば頭が燃えた。
「ありがとう。……これからもどうか宜しくお願いします。」
柔らかな声でそう言われ、髪を撫でられた。
その言葉に、涙が止まるどころか余計に溢れ出た。プライド様の折角のドレスを汚してしまうことと、ダンスの前奏だけが気掛かりで。
声を殺し、食い縛り、堪える為にプライド様と繋がった手に震わせながら力を込めた。躊躇いなくプライド様からも握り返されて、堪らず空いてる方の手で拳を握る。自分の息を引く音だけが少し漏れる中、その間も何度も髪を撫でられる。その優しさと言葉に答えたくて、ガラついた喉と濁った声でたったひと息をプライド様の肩越しのまま返した。
「……はいッ……‼︎」
これからもどうか。
貴方のその笑顔を、守り続けられますように。
522
442
76-幕
164-1
574
582-3
577-1
331.367-2.538
127-番外




