友人
「用意の方は任せてよ。ちゃんともう衣装も帰ってから手配済みだし、僕は公式の祝勝会の方にも出るけれど……」
「…………おい待て。」
話途中のレオンを低い声でヴァルが遮る。
何かな、と予想できていたレオンは今度こそ滑らかな笑みを浮かべてみせ、ヴァルのその反応に調子を取り戻したように向き直った。上目で覗くように鋭い眼光で自分を睨むヴァルへ優雅にグラスを傾け、酒を味わう。
聞き捨てならない、とヴァルは嫌な予感が的中したようにレオンへ地の底を這う声で確認した。
「衣装ってのは何のことだ?」
「正装に決まっているだろう?言ったじゃないか、皆が正装だと。」
ね?と全く悪びれもなく言うレオンにヴァルは顔を不快に歪める。
アァ?と軽く凄みながら、本気で言ってるんじゃねぇだろうなと尋ねたが返答は一言だけだった。本気さ、と答えられればもうヴァルの中で結論も決まる。
「セフェク、ケメト。やっぱりテメェらだけで行って来い。」
ええ⁈嫌ですヴァルも!と二人から殆ど同時に抗議の声が上がった。
再びヴァルの腕を掴もうとするが、本人は今度は固く力を込めて二人に引かれることなく酒瓶を力付くで無理やり仰いだ。先程より遥かに強固な行かないという意思だ。
二人もそれを理解し、不満の声を上げるがヴァルは揺らがない。
それを見てレオンは「えー?」と声を漏らすと、一度グラスを置き頬杖をついて彼を覗き込んだ。
「良いじゃないか正装くらい。きっと君にも似合うよ?」
「頭湧いたこと言ってんじゃねぇ。お高く止まった連中と同じチャラついた服なんざ袖を通したくもねぇ。」
ケッ、と吐き捨てるヴァルは心からの嫌悪を露わにした。
目の前で彼の言う〝チャラついた服〟を着ているレオンは「そうかな」と軽く言葉を返しながらじーっと睨めっこのようにヴァルを見る。だが、彼はレオンからも顔ごと逸らし、譲らないとばかりに酒を仰ぐばかりだった。
ヴァルが正装を嫌がることはレオンも予想はついていた。今までお洒落という概念のなかった彼が嫌がるのは当然だと考える。だが、同時にレオンの目から見てもヴァルに正装は似合うとも思った。人相こそ悪いが、顔もそれなりに整っている。高い身長と体格から考えても大概の服は着こなせるだろうと。
そこまで考えてからレオンは二人からのおねだり攻撃にも頑ななヴァルに息を吐く。ハァ……と、敢えて届くようにしてみせれば、なんだと言わんばかりにヴァルは目をギロリとレオンへ向けてきた。
「この手は使いたくなかったけれど……。」
ぼそりとそう呟くレオンは、言葉に反して全く躊躇いがなかった。
むしろこれはこれで良いかと思うくらいの気軽さで、テーブルに置いたグラスを一息で味わいながら飲みきる。空にしたグラスを置き、それから両肘をテーブルに付いて指を組んだ。その上に顎を乗せれば、普段民や従者にも見せないような脱力したような姿勢だった。
頬杖をつく動作すら滅多にヴァル達の前以外では見せないが、更に背中を丸めたその動作は人前だという肩の力すら完全に抜けていた。
若干先ほどよりも目の座ったレオンに笑みはない。何処と無く真剣とも、そしてむくれているようにも見えるレオンの眼差しにヴァルが不吉を感じて顔が引きつった。レオンから笑みのない表情はそれほどまでに珍しい。
なんだ、と聞きたかったが、それすら藪の中の蛇を突くような感覚にヴァルは酒の手だけを止めた。彼がまともに聞く態勢を取ったことを確認してからレオンはその口をゆっくり開く。
「ヴァル。……言ったよね?僕は招待状を〝ステイル王子から〟預かったんだ。」
「…………だからどうした。」
関係ねぇ、と切り捨てれば喉の妙な渇きを誤魔化すように再び酒瓶を握り直した。
レオンから背けるようにグビリと喉を鳴らして飲むが、全くそれでも妙な胸騒ぎで気は落ち着かない。
「ステイル王子だよ?彼は今回の祝勝会に君達を招いたのはきっと君達だけでなくプライドの為もある。今回の奪還戦のことで、彼女が気に病んでいるから君達にもちゃんとした形で労いたいと思ってる。」
「治療も褒美も金も受け取った。他に要るかよ。」
「プライドがそれだけで満足すると思うかい?」
「………………。」
間髪入れず返してくるレオンにヴァルが黙る。
レオンの言う事は尤もだ。ヴァル自身も、自分の満足とは関係なくプライドがどうせ未だ気に掛けていることも、自分達への労いと懺悔の為にステイルに招かれたことも予想は出来ている。正直な感想を言えば要らぬ世話だが、そうしなければプライドが自分達に無駄な引け目を感じ続けることも想像つく。だが、何故プライドの懺悔の為に自分が恥をかかなければならないのかと捻たことを考えてみれば、勝手に腹の中がグダグダと不快に渦巻いた。
酒瓶を傾け続け、酒に埋めて誤魔化すがどうにも〝プライドの引け目〟という不快が拭えない。しかし恥だけは掻きたくない、と。
そんな葛藤に沈黙を続けるヴァルにレオンが更に続ける。セフェクとケメトも二人を見比べて成り行きを待った。レオンがヴァルを説得できるのかと興味深そうに眺め、首を捻る。
「…………ヴァル、もう一度言うよ?君達を招いたのはプライドじゃない。プライドの為に招いた〝あの〟ステイル王子だ。彼はやろうとすれば強制的に君達を瞬間移動させて参加させることもできる。」
レオンの言葉にヴァルの顔が更に不快に歪む。
確かにその通りだ。別にレオンに頼む必要もない。彼がその口でヴァルに参加を命じれば彼が抗えないのだから。
そしてステイルなら、自分が断ったところで当日強制的に瞬間移動で連れ込むだろうとも思う。実際一年前のアーサーの昇進祝いではそうだった。
「そして。僕は招待状を受けた時、ステイル王子に君達を招くように説得とそして祝勝会の仕立てもできたら面倒を見て欲しいと頼まれた。」
もちろん快諾したよ、と言いながらレオンはおもむろに立ち上がる。
実際、レオンが任されたのはヴァル達への説得と仕立て。できればどういう理由であれ、自分の意思でヴァル 達に出席して欲しいというステイルの少しの譲歩でもあった。
両肘をついていたテーブルに手をつき、椅子を下げた彼はそのままヴァル達に背中を向けた。そして衣装部屋から侍女達に前もって移動させておいた品を自室のクローゼットから取り出す。
片手に一つずつ、合計二着の上等な礼服を見えるように掲げ、ヴァルへと向き直った。レオンの意味不明な行動に眉を寄せていた彼も次の瞬間には思わず椅子の上から背を反らす。
歯を食いしばったまま不快に開き、淡々と歩み寄ってくるレオンから顎を反らす。肩を強張らせながら、その目はレオンの手にある二着の服から反らせない。
一着は、何の変哲もないシンプルなデザインの礼服だった。
飾り気も最低限まで抑えられ、色合いも赤や茶色のどちらとも言えない暗色の赤錆色で統一されている。布地の質の良さから上質感こそ拭えないが、視界にいれても全く不快ではないとヴァル自身も思う。
レオンが着るには暗過ぎる上に重厚的な色とデザインだが、ヴァルが着る分には申し分ない。見事に彼の服の趣味を本人以上に理解したレオンの完璧な選択だった。そして反対の手に掲げられた二着目は
ヒラッヒラッなレースの散りばめられた礼服だった。
貴族や王族の礼服で男性にもレースが誂えられたものは珍しくない。
そしてレオンの掲げたそれは、襟からボタン部分、袖という袖全てに至るまで付けられる部分には全て豪奢なレースが散りばめられていた。ボタンのデザインまで自己主張が激しいそれは、上着から下衣まで快晴の空のように明るい水色で統一されていた。素材が光沢のあるものを使っている為に光に反射してテカテカと更に己を主張し、肩周りには鳥になりたいのかと言わんばかりに羽の装飾まで縫い付けられている。
刺繍や帯などで、ギリギリに正装感を保てていなくもなかったが、ヴァルの目から見れば鳥肌が立つ領域を優に超えていた。視界に入るだけで目がチカチカして虫酸が走る。
「こっちは今日僕が城下に降りた時に君の為に買い付けた服。そしてこれが……以前、君から不評だった〝あの店〟から最近献上された服だ。」
ぐえっ……、と予想通りだと思いながらヴァルはそれ以上は口を噤む。
アネモネ王国王都で人気の服屋。以前、繁盛したお礼にと試作品が城に献上された際、レオンはヴァル達にいくつかを提供していた。そしてどの服もヴァルには見事に不評だった。「チャラチャラし過ぎだ」と一蹴され、手にすら取られなかった。
そしていま目の前に出された礼服は、その時の試作品を優に超えて酷かった。貴族同士の社交場で、誰よりも目立ち煌びやかに輝く事が勝利とも考えられるその勝負服は容赦無いほどの装飾が詰め込まれていた。〝王侯貴族特有の自己顕示欲〟を形にしたような服だ。
「ちょうど献上された礼服の中で君の身体に合うのがこれだったけれど。……これは、君の趣味じゃないよね?」
当たり前だ、と。その言葉をヴァルは飲み込んだ。
返事をしなくてもレオンが分かって言っていることは理解している。その上で自分にそれを突きつけているのだという事も。険しい表情のまま口を固く結び、レオンが何をこれから言おうとしているのかと足りない頭で考える。
ヴァルの表情を返事と受け取ったレオンは、彼にしては珍しいジトリとした眼差しのまま言葉を続けた。
「ステイル王子は絶対に君達を招待する。彼はプライドの為のパーティーに、正装しないなんて許さない。そして君達の仕立ては僕が一任されている。」
ぞわぞわとヴァルの背中に嫌なものがなぞり抜ける。
言いようも無く、寒気と怖気に両肩が上がり酒瓶を傾ける余裕もなくなった。口端が不快感で引き攣り、黙したまま喉を鳴らす。完全に嫌な予感しかしない。
「君が自分の意思で正装してくれるなら、僕はこっちの礼服を提供したいと思っているよ。」
君にも似合うと思うから、と。そう言いながら、まともな方の礼服を更に少し高く掲げて見せる。
そしてレオンの表情が真剣な表情から段々と滑らかな笑みへと緩み出す。にっこりとした笑みに妖しさが増し、ステイルの黒い笑みにも少し似ているとヴァルは思う。
そして、確信する。レオンが次に何を吹っかけるつもりなのか。
「だけど」とその言葉をレオンが放った瞬間、息を止めた。座ったまま椅子を傾けるようにして大きく背を反らす。
「もし君が誘いを無碍にしてステイル王子に連れてこられた場合。僕は迷い無くこっちの礼服を君に提供するけれど、それで良いかな……?」
脅迫じゃねぇか。
ヴァルはそう思いながら、自分の方に突き付けるように示されるチャラチャラ服を絞った視界で睨みつけた。
良いわけねぇだろとガラついた喉で返したが、レオンの笑みは崩れない。レオン自身、もしヴァルがセフェク達に説得されて正装にも渋々頷いてくれたらこの究極の選択を突き付けるつもりはなかった。
王族であるステイルに命令権がある以上、ヴァルは自分がその時にどれだけ嫌がっても祝勝会に参加どころか命令されれば提供された服を着るしか無くなる。そしてヴァルは突きつけられたチャラチャラのそれを着るくらいなら死んだ方がマシだった。
「…………覚えとけ。」
「それは承諾と受け止めて良いのかな?」
レオンの笑顔に「クソが」と吐き捨てながらヴァルは酒瓶を勢いよく仰いだ。
喉を大きく鳴らし、勢い良く瓶から出る酒を口から零しながらも一気に飲み干していく。最後の一滴まで飲み切った後、空き瓶を床に乱暴に転がすとまた新たな酒瓶を乱暴にテーブルから掴み取った。そして片手で栓を開けながら低い声をレオンに漏らす。
「……ガキ共の正装〝も〟テメェ持ちだ。〝三着〟とも無事に返ってこねぇと思え。」
「勿論だよ。後は売るなり捨てるなり好きにしてくれて構わないさ。」
ヴァルの言葉とレオンの返事にセフェクとケメトは再び嬉しそうに声を上げた。
ヴァルが同行に頷いてくれたと理解し、楽しみ!楽しみですね!と声も身体も弾ませる。ケメトがヴァルが着ていくであろう礼服を指差して「あっちは凄く似合うと思います!格好良いです!」と今から楽しみと言わんばかりに目を輝かせた。二人と目も合わせないままヴァルは栓を抜いた瓶に口を付け、八つ当たるように再び仰ぎ出す。
「ねぇ!私とケメトの服は⁈」
セフェクが自分のドレスがどんなものなのか今から待ちきれないと席から立ち上がった。
無事に突きつけた二着を元のクローゼットへ戻すレオンへ訪ねれば、彼は戸を閉じながら二人へ顔を向けた。
「君達のは数着用意したから明日にでも好きなのを選ぶと良いよ。どれも絶対似合うと思うな。」
「!僕、ヴァルとお揃いが良いです‼︎」
「あっずるい私も‼︎」
レオンの言葉に手を上げるケメトへ、セフェクも声を上げる。
テメェはドレスだろとヴァルがすぐに横槍をいれたが、セフェクは「似たような色とかはあるでしょ⁈」と怒鳴り返した。
直後には二人の要望を予想していたレオンから既に似たようなデザインや色のものも用意してあると聞き、二人は声を合わせて喜んだ。
「……チッ。」
舌打ちを鳴らし、結局レオンとステイルの思い通りにされた事にヴァルは腑が煮えくり返る。
ヴァル自身、レオンに突きつけられたまともな方の礼服を見れば妥協できなくもなかった。更にはプライドの不要な罪悪感を抹消できるのならとも考える。だが、それでも癪には触る。
グラグラと椅子の上から身体を揺らし、貧乏揺すりまで続ければそれを見たレオンが苦笑いをした。ごめん、と軽く返しながら新しいワインの栓を抜き、まだ飲んでいる途中の彼のテーブル前に置
ドンッ、と。
おもむろにヴァルは、レオンが手離そうとする酒瓶をその腕ごと掴み押さえつけた。
突然のことに目を丸くするレオンをヴァルは低い位置から睨んだ。プライドから不敬は許されていても、レオンへは暴力行為を許されていない彼にはそれ以上はできない。
ヴァルに強く押さえられ、強制的に酒瓶を掴んだままにさせられたレオンが丸い目で見つめ返す。すると、ヴァルはゆっくりと手放しながら口を開いた。
「…………テメェの分だ。今日こそ潰してやる。」
殺意にも似た覇気を放ちながら、声を地の底まで轟くほどに低めた。
手を固めたまま数度瞬きだけをしたレオンは、理解した瞬間に頬を緩めた。滑らかに微笑みながら、無言で開けた酒瓶を掴んだまま引き取った。グラスに注ぎ、示すようにヴァルへと掲げて見せる。
ヴァルは若干重そうにしながら掴んだ酒瓶を持ち上げ、レオンのグラスへと当てた。いっそのことグラスの中身が溢れて服にひっ被れば良いとも思ったが、契約で物すら下手に壊せない彼は、結局普通の力で乾杯を打ち鳴らした。
カラァンッと軽やかな音を聞いた後、ヴァルは酒瓶を再び傾けた。その様子に嬉しそうに笑うレオンも一口味わった後に残りを一息で飲み干した。それから再び酒瓶をグラスへ傾けながら、レオンは上目でヴァルを見る。
「じゃあ僕も君を潰す気で頑張ろうかな。」
「やってみろ坊ちゃんが。」
ケッ、と吐き捨て、再び酒に喉を鳴らしながらヴァルは思う。
王族がいるようなパーティーに出席することも、そこに参加しないと未だに自分に引け目なんかを感じるプライドにも腹が立つ。
更にはレオンなら自分を上手く扱えるとステイルに判断されたことも、そしてその通りになったことも腹が立つ。
セフェクとケメトが未だに自分を引き摺り回すことも、二人までレオンに良いようにされたことも腹が立つ。
レオンの話を聞いて、途中からタダ酒と飯を食いに行く為ぐらいなら顔を出しても良いかと思ってしまった自分にも腹が立つ。だが今はそのどれよりも
自分を手玉に取ったレオンに対し、不快に思わないことにどうしようもなく腑が煮え繰り返る。
「クソガキ共が。」
これ以上、厄介な相手を増やしたくないと思いながら酒瓶をまた空にしたヴァルは新しい瓶に手を伸ばす。
すると合わせるようにレオンが別の酒瓶を手に取った。音を揃えるように栓を抜き、彼が瓶に口をつけると同時にグラスへなみなみと注いだ。
「楽しみだね。」
滑らかな笑みでヴァルの悪態に応えたレオンは、彼とその背後のソファーにかけるセフェクとケメトにも投げ掛けた。
ヴァルとレオンの酒盛りに、そろそろ眠くなった二人はいつものようにソファーに転がり始める。自分達にも向けられたその言葉に手だけを振って目を瞑る二人の様子に、少しまたヴァルに似てきたなとレオンは小さく笑った。
一ヶ月ぶりの酒を朝まで飲み明かした二人の勝敗は、結局最後までつくことはなかった。
……ヴァルと念願の〝恋の話〟ができたことに、レオン自身最後まで気付きはしなかった。
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