と
口元から顎まで滴らせ、すぐに袖で拭ったヴァルだが、セフェクとケメトを驚かせるには充分だった。
大丈夫⁈大丈夫ですか⁈と二人から同時に背を摩られ、噎せ続ける。
ゴフッゴホッ、と細かく咳き込みながら俯いた顔でレオンを睨む。人を睨み殺せそうな鋭い眼光の先にはいつもの滑らかな笑みがあった。やっと話せるようになってからヴァルは不快そうに低めた声をレオンに這わせる。
「……トチ狂ったことほざいてんじゃねぇ。」
「照れることないじゃないか。だって実際に言ってただろう?プライドが。」
『死ぬどころかヴァル達と一緒に身分落ちでもと思ったくらいだもの』
「…………。」
レオンか指摘した言葉で、思い出しながらヴァルは一度目を逸らす。
アレのことか、と少しだけ思考を巡らせた。あの時の事にヴァル自身、思う事はいろいろある。だが、それ以上ここで考え込めばレオンの笑みが広がっていくだけだと感じ、すぐに打ち消した。再び酒に口をつけ、汚れた裾をそのままに喉を潤してからレオンに視線を投げる。未だ滑らかな笑みをそのままに楽しそうなレオンを見て、この場でテーブルをひっくり返してやりたいと本気で思う。
「良いなぁ、そんなこと言ってもらえるなんて。式を挙げたかったら、アネモネでなら内密に取り行ってあげるよ?」
完全に楽しまれている。
くすくすと笑い声まで交じえるレオンにヴァルの苛立ちが増す。クソガキと思いながら、ここで荒ぶればレオンの思う壺だという確信がそこにある。グビリ、と喉を鳴らして黙すれば気にしないようにレオンが言葉を続けた。珍しく言われたままのヴァルに、セフェクとケメトも両脇から彼を覗き込む。二人の気配にヴァルも酒を傾けながら目を向けた。
「あの時はもしもの話に興味はない、なんて言っていたけど。……つまりは〝もしも〟じゃなくなったら興味はあるってことなのかい?」
聞きたいな。と続ければ、不快にヴァルの眉間に皺が刻まれる。
うざってぇ、と飲み切った瓶から口を離すと同時に言い放つ。それから溜息のように大きく息を吐き、吸い上げた。新たな酒瓶の栓を抜きながら適当に口を動かす。
「……ガキ三人のお守りなんざ御免だ。」
吐き捨てるように言えば、そうかなとレオンがにこやかに身を引いた。
もともとヴァルが断れば深く追求はしてこない。レオンはそこで諦めたようにグラスの中身を傾けた。喉は鳴らさず、静かに味わいながらグラスの中身を減らして行く。レオンが話を終わらせたことに胸の中だけで少し安堵したヴァルは新しい酒瓶に口をつけた。
するとセフェクが「え、でも」と声を漏らした。その途端、ぎくりと右肩を揺らして目を向ければ
「前にヴァル、主に言っ」
パシンッ、と。
目を見開いたヴァルが片手でセフェクの口を覆うように塞ぐ。ンッ⁈と小さく声を漏らしたセフェクへ、今度は続くようにケメトが席から彼女の背後へ回り込み、両手でヴァルの手に重ねるようにして彼女の口を封じた。
ヴァルの不意打ちとケメトからの応戦にセフェクは目を皿のように丸くする。だが、背後からケメトが「セフェク!そのことは秘密ですよ!」と声を潜めながら囁けば、彼女は自分から口を噤んだ。
こくん、と小さく頷けばヴァルが大きく息を吐いて手を離す。ケメトが変わらず彼女の口を押さえ続けたが、セフェクも背後にいるのがケメトと分かればそのまま大人しく、されるがままになった。
「…………なんだか、すごく気になるんだけど。聞いちゃ駄目かい?」
明らかに何かあったかのようなセフェクの口振りとヴァルの慌てようにレオンが僅かに口角を上げながら問い掛ける。
流石に都合よくわからなかったでは済まされない。今の話の文脈から、ヴァルとプライドとの間に何かがあったのかなと思えば余計に気になった。
しかしヴァルは「聞くんじゃねぇ」の言葉でレオンを睨んだ後はすぐに顔を背けた。
自分を落ち着かせるように酒瓶を傾けるヴァルは、顰めているようで動揺の色が濃いとレオンは思う。上手く誘導して聞き出せる気も、そして聞き出してみたくもなったが、それをすれば本気で彼に嫌われるなと予想する。
だが、どうしても気になる。話の流れやプライドとの間に何があったのかもそうだが、何よりも無心に酒を仰ぎ続ける彼の褐色肌の耳が心なしが赤くなっている気がした。
肌の白い自分達と違ってわかりにくい肌の色の変化に、まじまじと正直に視線を注いでしまえばすぐにヴァルにも気取られた。レオンを横目で見返し、空いてる方の手で反射的に訳もわからず耳を押さえた。触れた耳が若干熱を持っていることを自覚し、嫌に心臓が波打った。
無自覚にヴァルは爆弾を放ったセフェクをやつ当たるように目を向け、…………ふと。良い事を思い出した。
話題を逸らすには丁度良いと、ヴァルは口をケメトに塞がれたままのセフェクにニヤリと笑った。さっきまでと顔色の変わるヴァルにレオンが瞬きを繰り返せば、次の瞬間にはヴァルは正面からレオンを見据えて笑いをそのままに反撃を投げかける。
「そういうテメェこそ主との復縁なんざ良い話じゃねぇか。それこそ直々の御指名だ。」
ーー‼︎‼︎と。
声も出ずにレオンは唇を固く絞った。
自分でも思い出した途端、一気に顔の熱が上がるのを自覚する。ヴァルとは比べ物にならないほどに赤くなっているだろう顔色に焦燥も感じながらも、頭がひとつのことに埋め尽くされていく。
『それこそレオンと復縁もあったかもね』
「残念だったなぁ?隣国じゃなけりゃあテメェと復縁だ。……テメェもそん時ゃあ「頑張っちゃう」んだったか?」
「い……いや、あれはたとえの話で……。」
顔が熱い。そう思いながらレオンは言い訳を考える。
あの時のことはプライドも単なる冗談とたとえ話だったのだろうと理解している。
だが、本当にそんなことがあったら。
条件さえ整えばプライドは未だに自分との復縁も良いと思ってくれていたという事実が、思い出せば出すほどに嬉しくて恥ずかしい。彼女がさらりと言えてしまっていたことが信じられないほどに。
「そん時はアネモネで挙式かぁ?それともフリージアか⁇俺達も当然呼んでくれるんだろうなあ?レオン。」
完全に自分の言った言葉をやり返されている。
仮にそんなことがあれば、ヴァル達を呼ぶことに関しては勿論さと言いたいが、まるでプライドとの挙式すら肯定するようで恥ずかしい。
更にはここで「いや、王族同士の式典だと規模は大きくなるし貴族王族しか呼べないと思うよ」と真面目に返せば、それはそれで本気にしたように思われそうだった。むにゅむにゅと唇を震わせ、話を逸らしたくても思考が及ばない。そしてその間もヴァルに容赦はなかった。
「そういやぁその時のセフェクの問いにもまだ答えてなかったなぁレオン。テメェ自身は主と復縁してぇかどうか。……どうせなら主の耳元で囁いてやりゃあどうだ?」
カァァァァ……とヴァルが最後に低めた言葉に、レオンは顔の火照りが止まらない。
耐え切れずグラスを置いて両手で顔を覆えば、じゅわりと熱さが手のひらにまで広がった。プライドにはアネモネ王国も自分も歓迎だとは伝えた。だが、むしろ前のめりに欲しいくらいだなどと言える訳もない。
自分から言うならばまだしも、他者からそこを突かれればどうしようもなく
「プライド・アドニス・コロナリアか?悪くねぇ響きじゃねぇか。」
恥ずかしい。
更にはプライドの名前を自分の名にくっつけて音読されれば、気恥ずかしさが頂点に立った。しかも、他でもないヴァルにそれを言われた事が余計に羞恥を煽られた。顔を覆ったままでもヴァルがニヤニヤと笑っていることが容易に想像できる。小学生のようなからかいだが、初恋がプライドであるレオンには充分過ぎる煽りだった。
その響きが、凄まじく良い響きに聞こえてしまったなどと口が裂けても言える訳がない。しかもヴァルに「悪くない」と言われた事も言葉の綾だとはわかっていても嬉しくなってしまう。
「どうしたレオン?〝もしもの話〟だ。照れる必要なんざねぇだろ。」
「……〜っ、君は〝もしも〟に興味はないんじゃ」
「テメェはあるんだったな?何ならガキ共が寝た後はもっと先のことまで〝もしも〟で主との話を広げてやろうか?」
「いやッ……、ごめっ……。僕、……の負けだから……君の、……勝ちで……〜〜っ。」
ヒャハハッ!と、完全に撃沈したレオンをヴァルは嘲笑う。
顔を覆ったまま俯き過ぎて机に突っ伏したレオンを腹を抱えて指差し、高笑いを上げた。ざまぁみろと言わんばかりに笑い続けるヴァルに、暫くレオンは言葉が出なかった。
普通の討論や口論ならばレオンは絶対にヴァルに負けないが、そういう話題をプライドを使って言われれば全く歯が立たない。恥ずかしさと共に敗北感に打ちのめされながら、身体の熱を冷ますようにレオンはグラスを傾けた。
先程と違い、ゴクンッと喉を鳴らしながら足りずに再びグラスへ注ぎ、また飲み込む。レオンにとって酒はヴァルと同様に味のついた水でしかない。
ゴクンッ、ゴクッッと鳴らしたレオンは、酒瓶を空にしてからやっと息を吐いた。はぁ〜〜〜〜……と息を吐き、呼吸を整えた。その間、ニタニタとヴァルはレオンの情けない姿を肴に美味く酒を飲む。
次の酒瓶の栓を開け、それもグラスに注いでは飲み干すのを瓶の中身が半分以下になるまで続けた。外から見れば、レオンが酒に酔ったとしか見えない姿だ。酒を飲むごとに逆に赤面が静まり肌の色が治っていったレオンは、俯き気味だった顔をやっと上げた。呼吸を整え、肩で息をしなくても良い状態まで持ち直してからレオンは僅かに低めた声でヴァルに返す。
「…………。……とり、あえず、……君達三人は祝勝会に参加するんだよね。」
そうだったな、とレオンからの話を逸らした話題の変更に、軽くヴァルも乗る。このまま話題が変わるならそれに越したことはない。もしレオンがまたさっきの話題を振ってくれば同じことをしてやろうと考える。
レオン自身もヴァルにこれ以上は振っても余計だと、今までの会話を全て無かったことにする。「良かったよ」と返しながらレオンは気を取り直すようにグラスに酒を多めに注ぐ。零さないように小さく回し、香りを前に深呼吸を重ねてから言葉を使って続けた。
「用意の方は任せてよ。ちゃんともう衣装も帰ってから手配済みだし、僕は公式の祝勝会の方にも出るけれど……」
「…………おい待て。」
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