650.怨恨王女は引き摺り出される。
「待っ……待ってティアラ……⁈私、これは聞いてないのだけれど……⁈」
貴族来賓との祝勝会後、部屋に一度戻った私は目の前の物体に硬直する。
何故か予定通り自室に戻らず私に付いてきたティアラは、扉の前で茫然とする私の背中を容赦なく押した。ぐいぐいと小さな手のひらで背中を押され、近衛兵として業務に戻ったジャックまで手伝うし専属侍女のロッテとマリーには部屋の中から腕を引っ張られる。強制的に部屋の中へ引きずり込まれて扉が閉められると同時に私はティアラに訴えた。
「予定と違うし、そのっ……ほら、だってこれは……!」
「大丈夫ですっ!ロッテとマリーに確認はできていますから間違いありませんっ!」
取りつく島もないとはこのことだ。
ノーを言いたい私にティアラは許さないとばかりに百億ドルの笑顔を向けてくる。この笑顔のティアラに私が勝てるわけがない。攻略された所為か、今回たくさん迷惑をかけた引け目からか可愛い妹のおねだりだからか。…………うん、確実に最後だ。
今も必死に逃げの口上を述べる私にきらきらとした眼差しで「私、すっっっごく楽しみだったんですっ」と声を弾ませる。このティアラを相手に断れる人がいるなら会ってみたい。セドリックだったら瞬殺だ。
「さぁっ早くしないと時間がありませんよ!」
始めちゃって下さいっ!と容赦なくティアラがマリーとロッテに許可を下ろした。
その途端、私の専属侍女二人はティアラの命令を優先して私に襲いかかった。きゃああっ!と思わず悲鳴を上げそうになると、途中でマリーに「今叫んだら間違いなくステイル様や衛兵が飛び込んで来ますよ」と止められる。……流石にそれだけは困る。
むぐぐぅ……と口を意識して閉じれば、もう大人しくするしかない。まな板の鯉になった心境で私は覚悟を決める。
ティアラもそれに満足したのか「では、また後でお迎えに来ますねっ!」と笑顔で部屋を出て行った。彼女は彼女でこれからの支度だろう。
侍女と私だけになった部屋で、最後の最後に藁へと縋る心境で目の前の二人に泣きついてみる。
「ロッテ、……マリー……あの、私やっぱり」
「気合いを入れますね!ティアラ様もずっと前から楽しみにしておられましたから。」
「プライド様、泣くと化粧が落ちます。叫ばず涙せずに耐えて下さい。」
ロッテの笑顔に対し、マリーはまるでこれから拷問をするかのようなコメントだ。
完全にティアラ側に引き込まれた二人に、私は肩を落とした。
四面楚歌、それとも袋の鼠か。どちらにせよもう辿るべき道は一つしかないのだと思い知る。
無心になるように目を瞑り、その場に佇む私へ侍女達が一斉に手を伸ばした。
……
「そろそろ始まるぞ……‼︎」
三日前のとは比べ物にならないほどに豪勢な装飾をされた宴会会場である大広間。先ほどの貴族が招かれたのとは別のその大広間に、今はいくつものテーブル設置され、上等な酒と料理が所狭しと並べられていた。
それを前に、彼らは喉を鳴らす。
芳醇な香りでも、鼻腔を擽る香りでもできたての湯気でも無い。ただひたすらに〝始まるのだ〟という事実が、彼らの心臓を大きく収縮させた。
大広間の周りにはまるで彼らを監視しているのかと思うほどに多くの衛兵が立ち並んでいた。その殆どが先ほどの祝勝会に招かれた衛兵達だ。
喜ばしい場でもある式典に〝彼ら〟を差し置いて招かれた衛兵達は、むしろ祝勝会に参列していた時よりも姿勢が伸び、胸も堂々と張られていた。衛兵にとっては煌びやかな場で讃え合うよりも、その様子を眺め、緊張感を研ぎ澄ませる方がずっと楽だった。
侍女などの給仕係が多く往き交い、更に式典の為に呼ばれるほど優秀な演奏家達は緩やかな音楽を先んじて奏でていた。その音楽を聴くだけでも充分に金を払う価値のある場に彼らは招かれた。
今晩の祝勝会。
ティアラの王妹継承が発表されたそこに呼ばれたのは、ごく一部の者だけだった。単なる任務ではなく、国や王族を守り抜いた大任を果たした彼らは、本来であれば祝勝会にも六人とは言わず多くが招かれても良いほどだった。
しかし、その分招かれたのは彼らではなく衛兵。そして今はその衛兵が本来の業務へと戻り、彼らの演習場の警備にまで手を伸ばしていた。お陰で彼らは公的で大それた場ではないにしろ、間違いなく上から下までその全員が城内の警備に割かれることもなくこの祝いの場に参加を許されていた。
勝利も酒も宴もこよなく愛する彼らだが、公的な祝勝会に興味がないわけではない。単なる豪勢な酒と料理と大広間を提供されるのと、王族貴族も加わる祝勝会に参列するのとどちらが良いかと尋ねられれば全員が後者を選ぶ。公的な場に招かれるのは彼らにとって誉れだ。
何より単なる酒や食事では賄いきれないほど大きな存在が祝勝会にはいる。その為ならば後者を選ぶどころか彼らはその座をかけて仲間同士で本気の殴り合いすらも辞さない。しかし、今この場で、祝勝会に招かれなかったことを不満に思う者は一人もいなかった。
一時の誉れよりも遙かに魅力的な褒美があると、誰もが期待をしたのだから。
タン、タン、タンッ。
よく響く足音に、談笑していた彼らは誰もが口を閉ざす。
広間の奥から聞こえてくるその音に誰もが期待した。息を飲み、階段を上る先を見上げ待つ。来るか?やはり、どうだ、と囁きあいたい衝動をぐっと堪え、固唾を飲んだ。
彼らが望むのは酒や料理へ手を伸ばして良い許可でも、宴の合図でも、ましてや労いの言葉でもない。
最初に姿を現したのは、黒髪の青年だった。祝勝会とはまた異なる上等な王子としての礼服に身を包み、黒縁眼鏡を光らせる青年の姿に彼らは早速声をあげた。
おおおぉぉ!!と歓声も入り交じり、中には彼を慕う者が「ステイル様!」「ステイル第一王子殿下だぞ」と興奮したように声を上げた。奪還戦前に見事な演説で彼らの士気を上げ、その後もジルベールと共に見事な采配と活躍を見せた彼を慕う者は今や少なくない。
ステイルは彼らの声援に笑顔で腕を上げて応えると、更に奥にいる人物へ手を伸ばした。ステイルが呼ぶ人物は、と何人かの騎士は早くもゴクリと大きく喉を鳴らす。
先ほどの軽やかな靴の音の主と思われる人物が、続くように前にでた。タンタンッと靴を鳴らして日の光のような笑顔で現れた彼女は、ウェーブがかった長い髪を揺らし、その金色の瞳を輝かせた。
白を基調としたドレスはスカートの裾部分のみ幾重も重ねられたレースと、至る所に真珠の粉を振ったような煌めきで一瞬ウェディングドレスのようにも見える。しかし、見かけの煌びやかさよりとシックな印象が強い。ティアラの女の子らしさにも合い、愛らしいの一言が誰の頭にも浮かんだ。
祝勝会とも異なる可愛らしい格好で現れるティアラの姿に、ざわざわと響めきと歓声が強まる。王族が二人、しかも第二王女である彼女もまた今や彼らに人気の高い存在の一人でもあった。
単純に彼女の人望というだけではない。一年前の防衛戦では統率者として彼らを率い、戦場ではナイフ投げで凄まじい腕前と活躍を見せ、更に奪還戦でもアネモネ王国の援軍を率いてステイルに対当した。特に離れの塔に集った騎士の内には彼女が第一王女の為に説得する姿すら目にし、凄まじい特殊能力をその身に受けた者もいる。数時間前に彼女の特殊能力と王妹としても立場が確立したことは知らせが入っていたが、それがなくとも十分に彼らにとって彼女もまた支持し、慕うべき王女だった。
ティアラもまた、自分の名を呼ぶ彼らの声に笑顔と手を振って応え、ステイルに並ぶ。王族二人の登場で大広間の熱は急激に上がっていく。彼らの為だけにわざわざ王族が二名も足を運んでくれたのだから。
ステイルとティアラが姿を現し、そこから次なる影が見えないことには少なからず落胆したが、今は自分達の為に足を運んでくれた王族二人を心から歓迎しようと興奮を冷まさないままにティアラ達を彼らは拍手で迎え
「お姉様っ!皆さんが待ちわびてますよ!」
ピタッ、と。
王族二人へと手を叩こうとしていた彼らはその台詞に寸前で動きを止めた。
広々とした大広間でひときわ高い位置から放たれたティアラの高い声は、はっきりと彼らの耳にも降り注いだ。
お姉様、という言葉にたった一人しか思い浮かばない。まさか、やはり、来た!とそれぞれが心の中で叫び、心臓の音を脈拍と連動するように激しく鳴り立たせる中で二度目の沈黙が空間に水を打った。
彼らの声援に応え終えたティアラとステイルは、しきりなしに自分達が現れた向こうへと振り返り、手を伸ばす。
いるのか?居るんだな??と心の中で彼らが叫ぶ中、耳を澄ませればティアラとはまた違う、女性らしい声が漏れ聞こえてきた。
「待っ……やっぱりその、ま、まだ心の準備がっ……!」
恥じらうような言葉と、柔らかな声にそれだけで心臓が強く高鳴った。その声だけで姿を見せる前に「おおおっ!」と溜まらず声を上げた者もいた。来た、彼女だ、あの御方だ、やはり、と。彼らの中でその声が確信へと変わっていく最中、今度は上塗りするように再び王族二人の声が続けられた。
「ここまで来て何を仰るのですか姉君。これではいつまで経っても始められませんよ。」
「兄様の言うとおりですっ!大丈夫です!絶対絶対私が保証しますから!」
ステイルがまるで諭すように言葉を掛け、ティアラが両手で白い腕を引っ張り引き寄せていた。
それでも白い腕の主は抵抗するようにそれ以上前に出ようとしない。やはり、今回の奪還戦での一件に尾を引いているのか。その所為で自分達に顔向けができないと責任を感じておられるのかと、彼女の性格を知る者は思う。
それならば余計に姿を現してもらい、全力で歓迎を受けてもらわねばと歓迎する心づもりもできた。彼女が姿を現したらすぐに声援と喝采で迎える準備を誰もが整える。しかしその間もやはり彼女は抵抗し、前に出ない。
「でもっ……でも、すっ……ステイルだって最初見た時にあんな」
「今は見せびらかしたいくらいなので大丈夫です。ご自身で出てこられないのならば、僕が今すぐ大広間の真ん中に姉君を」
「わかっ……わかりました‼︎わかったからそれだけは!!!!」
ステイルの言葉に慌てるように彼女が声をあげる。
その返事を知らせに、ティアラも両手を離し、ステイルも伸ばしていた手を眼鏡の黒縁へ添えた。
今度こそ間違いなく覚悟を決めた彼女を王女らしく迎えるべく、二人は真ん中を開けて左右に広がった。そしてとうとうその間に収まるようにし、天岩戸から深紅の髪を波立てた第一王女が姿を現した。
待ちに待ったプライドの登場に彼らは興奮を隠すこともなく割れんばかりの喝采と歓声が
……止まった。
おおッ……!!?!と、歓声を上げようとした喉が呼吸ごと途中で止まった。喝采を送ろうとした手が身体ごと動けなくなる。
見上げた先で、顔を真っ赤に染め上げるプライドの姿に。
クラシック調のレースをひらつかせ、この上なく愛らしいデザインの深紅のドレスを身に纏った、今まで見たことのないプライドの姿に。騎士団の多くが息を止め、顔を火照らせる。
「プライド……ッ……様……⁈」
そして目も、鼓動も奪われた。




