そして引き寄せる。
ロッテが宮殿で働き始め、二週間。
少しずつではあるが、生活にも慣れてきた。
変わらずプライドの元に割り振られることもあるが、それでもマリーの助言通りに動けば怒鳴られる以外の被害はない。時折プライドが他の侍女に目をつける姿や我儘な振る舞いをすれば心臓が波立ったが、もともと気が利く女性だった彼女は大きなミスもなければプライドをそれ以上苛立たせることもなかった。
そうして彼女は思う。プライド・ロイヤル・アイビーという少女を客観的に。
彼女はあまりに一人過ぎると。
平民であれば年の近い子どもや近所の大人に囲まれてもおかしくない年齢で、彼女には何もない。言うことを聞く侍女や従者はいるが、命じるばかり。衛兵に至っては王女である彼女の我儘は、王配の許可の元殆ど聞き流す。兄弟姉妹もいない彼女はこの大きな宮殿で一人でいる時間が長過ぎる。
乳母も居らず、母親とも会わず、父親だけが頻繁に〝会い〟に来る。決して帰ってくるなどというほどの頻度ではない。そんな中、自身の振る舞い故に周囲の誰の目もあまりに冷ややかだ。更には王侯貴族は親同士の友人間の関わりがなければ、社交界デビューまで年の近い人間と会う機会などそうそうない。
当然、彼女の我儘な振る舞いから招いた結果なのだから、同情の余地はない。しかし、ただただ〝一人〟と〝大勢〟でいるプライドという姫が一人で怒り、一人で叫び、一人で当たり散らし、一人で誰かを嘲笑い、一人で我儘な振る舞いをする姿が、一歩引いた立場で見たロッテには赤ん坊の癇癪か赤い布にぶつかる牛のようにも見えた。取り巻きでもいれば別だが、彼女に従う者はいても、同調してくれる者はいないのだから。
一人で全て決め、一人で忙しく感情の塊になっている彼女がもしこのまま戴冠にまで至れば、政治も全部一人でやりたがるのではないかと。そしてそう考えたことがあるのは自分だけじゃないだろうとロッテは思った。
頼みの綱は唯一彼女に逆らえる両親と叔父のみ。他の誰も第一王女である彼女を変えることなどできはしない。
「父上は何処⁈」
その、筈だった。
始まりは、突如起きた第一王女の卒倒。
ベッドに運ばれ、王配に予知能力を示した後の王女が堰を切ったかのように騒ぎ出す。
頭を抱え倒れた王女は、目が覚めた時にはまるで別人のように鎮まりきっていた。最愛の父親が部屋を去っても尚、侍女に当たり散らさない。それどころか蹴り倒したテーブルを素早く立て直すロッテに謝罪までした時は誰もが耳を疑った。今まで彼女が謝罪など嫌味以外でしたことは一度もなかったのだから。
そして今、その彼女はこれまでにない騒ぎ方で周囲を更に困惑させていた。
「王配殿下ならば、先程女王陛下に御報告に向かわれましたが…」
「今すぐ止めて‼︎馬車に乗せちゃダメ‼︎」
突然父親を引き止めろと言い出す娘。
今まで王配が去る度に名残惜しそうにすることや、去った後に苛立ちを露わにすることこそあった彼女だが、彼らを使ってまで引き留めようとしたことなど一度もなかった。
父親への迷惑、よりも父親にしつこくして嫌われたくなかった方が強い。多忙の母親がいる彼女に残されたのは父親と叔父だけだったのだから。そして甘えさせてくれるのはアルバート一人だけだ。
今までの死刑や罰とは異なる命令と、彼女の必死な形相にどうすべきか侍女や衛兵は悩み出す。しかも、ついさっき王の証である予知能力を覚醒させたばかりの王女だ。ここは従って王配を追うべきかと部屋を飛び出す衛兵や侍女も居た。
彼女の部屋どころか宮殿中がプライド一人のことで右往左往し始め、掻き乱されて騒ぎ立つ中、彼女は構わず窓から身を乗り出した。
「父上ーー‼︎」と叫び出す姿に、彼女の発言通り本当に王配が馬車を停められる位置にいるのかと誰もが振り返った。本来ならば王室へ向かう予定だったアルバートの行き先は馬車ではなく王宮。プライドの宮殿と隣接したその建物へ移るのには馬車ではなく回廊を使えばいいだけの話だ。
もし嘘ではなく本当に彼女の見下ろす先に王配がいるのならば、と。突然の事態に目を回す者もいた。そしてとうとう王女が窓枠に足を掛け出す。大風が吹いただけでも落ちかねない彼女の立ち位置に、気付いた侍女も衛兵も息を飲む。安易に腕を掴もうとしただけでも抵抗されれば逆に第一王女を窓から落としかねない。そう考えれば手を伸ばすことすら躊躇われた。何が拍子で彼女が落ちるかなどわからない。身を乗り出しているだけならば良いが、二本の足がどちらとも窓枠に乗りあげてしまっている。掴んだ腕を振り解かれただけでもバランスを崩せば真っ逆さまだ。そして何よりもここで彼女を引き止めてしまえば
「姫様⁈おやめ下さい姫さ」
「来ないで!止めたら許さないから‼︎」
〝許さない〟
その言葉は、当然のように第一王女の口から放たれた。
あまりに危険な状況から思わず声を上げてしまった侍女、ロッテはプライドからのその言葉に一瞬で頭が真っ白になる。口を開けたままビクッ‼︎と震わせた背中を反らす。
それから気付く。何故、自分以外の誰も悲鳴一つ上げなかったのか。第一王女が窓から飛び出すという事態にも関わらず、誰もが引き留めようと動くどころか何も言わなかった。それは、どうしてか。
『決して殿下の印象に残らないことです』
見回し、誰もが青い顔で今は第一王女のプライドよりも使用人の一人である自分を心配そうに見つめている。そしてその中で最後にマリーの姿が目に入る。
ああ、そうか。と納得すれば膝の力が抜けてロッテはその場に崩れ落ちた。自分だけが今、プライドを〝優先してしまった〟のだと理解する。
誰の目にも正しい行動はわかった。第一王女ではなくても、大きな窓に子どもが乗り出せば止めるに決まっている。しかし、今この状況が彼女の意思で作り出されている以上、止めれば彼女からの罰が必ず待っていることをロッテよりも経験の長い彼女達は嫌というほどわかっていた。
更には衛兵ですら、力づくで引き止めるだけでも後から「腕が痛い」「乱暴された」と彼女が騒ぎ立てれば、彼らであろうとも立場を追われる。王族に怪我や暴力を犯せば、どんな理由であろうとも正式に処罰対象になるのが使用人達の立場だ。
そして、自分の身を引き換えにしてでも我儘姫様を助けたいと思える者はここにいなかった。
どちらにせよ、王女が落ちれば自分達も責任は問われる。
しかし、彼女を助けても動いた者は確実に追いやられる。ならばそこでわざわざ王女の為に止めようとする人間などいるわけもなかった。もし自分達の関係無いところであれば、いっそこのまま落ちてしまえば良いと考えてしまう者が居たほどだった。
ロッテもそれを今やっと理解する。茫然と崩れたまま指先まで震え、「やってしまった」とそのことだけを思い知る。
窓からプライドが再び父親に叫ぶ声が聞こえたが、ロッテの頭には殆ど届かなかった。自分はもう完全に王女に顔を、存在を覚えられてしまった。この後に自分がどういう扱いを受けるかも容易に想像できた。少なくとももう自分は彼女が戴冠する頃には城に居られない。そうわかった瞬間に今まで自分に前を向かせていた最後の蜘蛛の糸が切れ、動けなくなった。
まだ警告だけだ。「止めたら」と条件をつけられただけ。震え、喉も干上がる中でぽつりと爪の先程度の希望でロッテは思う。せめて、せめてここで彼女が自ら窓枠から無事降りるまで誰も彼女を止めなければまだ希望も、もしかしてと
── ふざけるな。
窓枠に立つプライドを刺激しないようにと誰もが立ち竦む中、一人の衛兵が突如として大股で彼女に歩み寄る。
迷いなくズンズンと早足で近付く彼に、目を剥きこそすれ声が出る者はいなかった。やめとけ、どうなるか、ロッテが罰せられてしまう、といくつもの思考が交差する中でその衛兵一人だけが別のことを考えていた。
─ いい加減にしろ。
若き衛兵ジャックは胸の底だけでそう唸る。
若年のロッテと同じく、城内の各所で見回りや護衛を行っていた彼はこの場で唯一、自らこの宮殿への配属を志願した衛兵だった。
侍女が侍女同士で関係を持っているのと同じく、衛兵も衛兵同士で噂や情報を共有することはよくあることだった。
そして最も身近な異性である侍女の情報もまた衛兵の間には流れている。ただでさえ彼らは職務こそ違えど働く場所が同じなのだから。中には侍女同士の雑談が普通に守衛中の衛兵の前で気にせず行われることも普通にある。城内のあちこちに配備されている衛兵に聞かれず噂話をすることの方が難しい。
『私、行くところがないんです。母が末の妹を産んですぐ亡くなって、父が男手一つで私と妹達を育ててくれていたんですけれど』
そしてロッテも、他愛もない話の中で侍女達に尋ねられれば衛兵が傍に居ても別段気にしなかった。
マリーに語ったのと同じように、一年程前もそうだった。もう話し慣れたその話題を、彼女は洗濯をしながら同僚の侍女達に語り聞かせた。周囲が暗くなりすぎないように明るく語ることにも慣れた彼女は、大したことがないことのように己が身の上をそう語った。
そして、当時まだ侍女として働き始めたばかりのロッテは知らない。そこで警備を任されていた衛兵の中に偶然ジャックがいた事を。寡黙な彼は、侍女達の会話にも興味はなかったが、それでもただ佇むだけの彼の耳にはまっすぐと彼女達の会話が届いていた。
『その父も一年前に他界して。病気になったのに無理して働いて、長女の私にすら教えてくれなかったんです。私達の食事なんかより、薬を買ってくれれば良かったのに』
仕方ない人ですよねっ、とでも言うように明るく笑う彼女だが、その横顔がジャックの目から見ても陰りを帯びてないことが逆に物悲しく見えた。
どうしてそんなことをこんなところで躊躇いなく話すのか。同情を誘っているのかとすらジャックは一瞬思った。
そしてあの時聞いた話だけではない。
一時期は衛兵間の噂にもなっていた。新しく入ってきた年端も行かない若い侍女が、まだ使用人としての経験もないにも関わらずどうして城で働くことができたのかと。
『父と母は駆け落ちだったので、どちらの親戚からも嫌われちゃって。近しい親類は誰も助けてはくれませんでした。……なので、本当の本当にこの仕事を紹介して下さった御方には感謝しています』
ジャックは知っている。
〝愛人〟〝側室の子〟〝隠し子〟〝上層部の娘〟〝没落貴族〟……彼女は当時噂されたそのどれでもないことを。
『私を引き取ることはできない代わりに、こちらを紹介して下さりました。父が母に出会う前、とあるお屋敷に使用人として働いていた時代に友人になった御方らしいです。……私も、本人ではなく使者伝てでこうしているので、結局その御方が何者だったかは知らないんです』
正体どころか、会ったこともない。
自分に何かあったらこの人を頼りなさいと、昔から父に託されていた手紙だけを頼りに辿り着いたが、もう友人はそこに住んでいなかった。助けて欲しいと願ったが、その屋敷の人間は見ず知らずの彼女は助けてはくれなかった。
その友人が屋敷の使用人伝てに聞き、数日掛けて自分を見つけ出してくれたのだと語るロッテの経歴は誰の耳にも激動だった。せめてそこで引き取られれば、城への仕事を斡旋できる程度の権力を持つ家の令嬢になれたのに、と聞いた誰もが思ってしまう。
しかしロッテ曰く、ここを紹介するのと引き換えに父との手紙もその使者に没収されてしまった。そしてもう自分自身、その屋敷の場所どころか名前すら思い出せない。彼女の話を聞けば、そんなことを覚えていられる余裕などなくて当然だと誰もが思う。何故ならば
『妹達、ですか?……それが……、…………』
最初に語られた存在である妹を侍女達が尋ねれば初めて彼女は口を噤んだ。
妹さん達のために頑張りましょう、妹さん達は今どうしているの、妹さんも引き取ってもらえなかったの?と尋ねられた時だけ、まだ唯一傷は癒きっていない彼女は少しだけ噤んでしまう。しかしそれでも最後にはやはり何でもないことのように彼女は言葉に気をつけ、あっさりと打ち明けた。
『三人とも今は父と母の元にいます。私がその御方を探しに家を空けた所為で、その日に強盗に家財も〝全て〟奪われちゃいました』
─ 何もかもに恵まれた子供が彼女をこれ以上苦しめるな。
ジャックは知っている。
彼女に、本当に行き場がないことを。頼りのその人物の情報も、その人物と父親との関係の証拠も奪われ、家を亡くし妹達を亡くし、父を亡くし母を亡くし、それでもこうして笑って前を見て生きようとしていることを。
『ごめんなさい、あまり楽しいお話じゃなくて。ですが、なので私がここに斡旋された事実は本当です。経験を得て難関を突破してこの仕事を得た皆さんには本当に失礼だと思います。だけど、こういうことなので大目に見て頂けると助かります』
宜しくお願いします。と、最後には深々と頭を下げる彼女を笑う人間はいなかった。
自分がどういう理由であれ城で働くという栄誉を得ていること自体を申し訳なく思う彼女は、だからこそ隠さない。自分の立場も経緯も全て告白した上で、それでも斡旋の事実を責められるならば仕方がないと思う。ただ、自分を隠して恥じる生き方だけはしたくなかった。
だからこそジャックは、遠巻きで見つめるだけだった彼女がささやかで普通の生活を過ごせるようにと願った。
彼女がその語りを他の侍女に話す度、どうか腫れ物のように扱われないようにと陰ながら願い、そして受け入れられるようにと望んだ。
激動の人生を背負いながら、それでも心から笑い、過去を受けいれ、ひたすら前を見ようとする彼女を愛しく思った。
話を直接聞きたいと思ったが、口下手で寡黙な彼はどうしてもそれができない。ただただ遠目から彼女を探し、見守り祈ることしかできなかった。そして、それだけでもしたいと望んだからこそ彼はロッテが配属変更が決まったという噂を聞いたその日に誰もが忌み嫌う第一王女の警備を自ら望んで志願した。
配属後も、自分から話しかけることなくただただ彼女を見守っていた彼は、この二週間落ち着かない日々を過ごしていた。
そして今、一人の我が儘な王女がとうとう彼女からまた居場所を奪おうとしている。
─ 甘ったれが調子に乗るな。彼女より遥かに恵まれている分際で。
たかが母親に相手にされず父親がずっとは居てくれないだけで周囲に当たり散らし我が儘を貫き通す第一王女は、ジャックの目にはただただ愚かだった。
自分が見守り続けていた女性は、一生その誰にも会えないのだから。
だからこそ今、ロッテを守る為だけに足を動かす。
このまま窓から無理やり引き剥がす、とどこか冷静な頭がそう決める。
第一王女がどうなっても構わない。落ちようとも怪我をしようともどうでも良い。
ただ、ここで自分が無理やり王女を引き剥がして顔さえ覚えられれば、きっと矛先は自分に行く。誰よりも印象に自分が残れば良い。ロッテのことなどどうでもよくなるくらいに自分が不敬を犯せば、プライドは声を掛けた程度の侍女のことなどきっと忘れるに決まっている。
乱暴に無理やり引き剥がし、腕できつく捕らえ、暴れられても決して離しはしない。彼女の怒りが、意識が全て自分一人に集中しきるまでは決してと、心にそう決めた。
そして彼はその通り、腕を伸ばして無理やりプライドを窓から引き剥がし捕まえた。これで自分が罰せられればロッテは城に残れる、とその一念だけだった。
捕まえればきっと暴れ、怒鳴り、手足をジタバタさせるだろうと思っていたその王女は
……何もしなかった。
「……?、…⁈」
暴れるどころか、一声も上げずポカンと口を開けたままの彼女にジャックは目を疑った。
自分の方に振り返らず、ただただ引き離された窓の外を見つめる彼女に自分の方が驚かされた。怒るどころかほっと息を吐き出す少女に、戸惑いすら覚えてしまう。押さえつけようとしていた腕も毒気の欠片もない少女相手に自然と緩み、そして今度こそもう一度彼女の意識が自分へと向けるべく口を開く。
「お怪我はございませんか」と。
彼女を気遣うのではなく、ただただ標的をロッテから自分へと向ける為に寡黙な彼が初めてプライドに掛けた言葉だった。
……その後、今度は怒るどころかごめんなさいと泣き出してしまうプライドに、ジャックは怒りの矛自体を完全に失った。
……
「あの。……じゃ、ジャックさん……。」
とある深夜。
おやすみなさいませ、と扉を閉めた後、そのまま部屋前から去ろうとした背中をロッテが呼び止める。
彼女の言葉にピタリと足を止めたジャックは、振り向くこともできず最初はその体勢のままだった。彼女に名前を呼ばれたのは今が初めてかもしれないと頭の中だけで思う彼は、名前で呼ばれたことに僅かに胸が灯る。
プライドが彼に名前を尋ねてから「ジャック」と呼ぶようになった名残でロッテにもまた呼び名をジャックで覚えられていた。
振り返ってくれないことに、呼び止めてごめんなさいと謝罪するロッテは、自分を見ない背中に向けて深々と頭を下げながら言葉を続けた。
「先日は、……余計なことをして申し訳ありませんでした。」
「?……。」
覚えのない謝罪にジャックは目を丸くしてやっと振り返る。
それから初めてロッテが自分に頭を下げていることに気が付いた。慌てて全身で向き直り、侍女に頭を下げさせているところを他の衛兵にも見られていることに目を泳がせる。そのジャックの動揺も知らず、ロッテはゆっくりと沈黙の主へと口を動かした。
「あの時、窓から身を乗り出すプライド様に私が余計なことをした所為で、ジャックさんのお手を煩わせることになってしまいました。」
そう語りながらロッテは静かに半月前の事件を思い出す。
プライドが父親であるアルバートを救う為に窓から身を乗り出した。自分が何も考えずに声を上げてしまった所為でプライドの怒りを買いかけた。その所為で余計に誰もプライドを止められず、あそこでジャックがプライドを引き剥がしてくれなけば最悪の事態もあり得ただろうと思う。
もっと自分が慌てず的確にプライドへ声を掛けられていれば、彼女の怒りも買わず窓から降りてもらうこともできたのではないかと〝今なら〟思う。……今の、プライドならば。
あれから十六日。義弟となったステイルの部屋で寝てしまったプライドを寝室に送り届けた彼女達は、今この時にやっと互いに話す時間を得られたところだった。
「お詫びするのに半月も遅れてしまい、申し訳ありませんでした。」
あの時はプライドに怒鳴られてからのロッテはただただ言いようのない恐怖に襲われていた。
唯一繋がった生命線が今度こそ絶たれ、もう頼る場所も頼れる人も全て失うのだと確信した。
ジャックがプライドを引き剥がした時も、プライドを止めれば自分への罰が確定してしまうことを恐れて「やめて」と思い、プライドが助かっても自分の絶望的な行先のことばかりを考えてでいっぱいいっぱいだった。
捉え方によっては、プライドからの報復を受けるロッテのことも考えず無慈悲に止めたとも見られる行為だっだが、冷静になった後では間違いなくあれは衛兵としてジャックは正しい行動だったとロッテは思う。寧ろ自分が余計なことを言ってしまったせいで、警備担当の衛兵であるジャックまで出なければならない事態を招いてしまった。下手をすればあのままプライドに彼まで罰せられることもあり得たと思えば、後からロッテは申し訳なさでいっぱいになった。しかしジャックからすれば
「⁈いえ……!じ、自分はっ……。」
誤解でしかない。
自分はあの時、任務でも王配でも王女の為でもなくロッテの身代わりになる為だけにプライドへ腕を伸ばしたのだから。
しかし、元々寡黙な彼はそこで言えるわけがない。まさか「貴方の身代わりになろうとしただけです」などと。
「ずっと見ていました」「貴方の話を聞いた日からずっと見つめ続けていました」「貴方を守りたいと思いました」「話しかけたくても言葉が見つかりませんでした」「貴方が心配で王居まで追いかけてきました」……などと。
そんな歯が浮くような台詞を彼が言えるわけもない。自分にとってはずっと見つめ続けてきた女性でも、ロッテにとってはこの数日で知り合った衛兵でしかない。
断る途中で口を黙み、沈黙で返してしまった彼はロッテが顔を上げてからできた事は、首を左右に振ることだけだった。
まさか自分がロッテからそんな誤解を受けていたなど夢にも思わなかった。むしろ、後から考えれば自分がロッテの進退を気にせず動いたと思われ、嫌われてしまったのではないかと胸を痛めた時すらあった。
謝る必要はないと首の動きで示してくる彼に、キョトンとロッテは頭を傾ける。自分に対して怒ってもいない様子の青年は、それどころか本人すら気付かぬ内に口元が緩んでいた。
ロッテに誤解されていたことも、謝らせてしまったことも驚きだったが、今こうして彼女が自分を悪く見ていなかったことがジャックは自分でも驚くほど嬉しかった。
ぱちぱちと、無言のジャックにわからないように瞬きを繰り返す彼女は細い肩を更に狭めた。嬉しそうにすら見えるジャックにどう返せば良いかわからない。しかし無理に話を終わらせようとも、続きを促そうとも思わないロッテはそのままひたすらに待ち続けた。寡黙な彼が語ってくれるのを、何分も。
十五分以上の沈黙戦が続き、負けたのはジャックの方だった。
低めた声で一音を漏らした後、彼は周囲からの衛兵の視線に言葉を選びながらゆっくりと彼女へ口を開く。
「………………あの時。唯一プライド第一王女殿下の御身を心配された貴方を、自分は心より尊敬致します。」
今言える、最良の言葉がそれだった。
経験が短い故にプライドの逆鱗を予想できなかっただけとも取れるが、唯一プライドの身を声を上げるほどロッテが心配したとも言える。まだ情を抱くには短すぎる期間な上、プライドとの良い思い出など皆無。それでも唯一、心からプライドを心配して声を上げた彼女は、やはり誰よりも心の綺麗な女性だとジャックは思う。
予想外の賛辞に目を見開くロッテは、暫く表情が動かなかった。しかし、言い終えた後には自分に向けて優しく微笑んでくれる青年にロッテも気持ちを返すべく柔らかく口を開く。
「……一番上の妹が、とてもやんちゃだったんです。父が怒鳴っても鳥を追いかけて屋根に登ろうとするような仕方のない子で。」
ふふっ、とそう言って結んだ両手を背中に回して可笑しそうに笑う彼女はやはり陰りのないいつもの笑みだった。
初めて自分に向けて個人的なことを話してくれたロッテにジャックの鼓動が急激に大きくなった。
今でこそ人が変わったように大人しくなった第一王女だが、そこからすぐ何事もなかったかのように打ち解けてしまえたのは、他でもないロッテだからこそだろうと彼は思う。
「……もっと、話を聞かせて頂けますか。……今夜は星が綺麗です。」
そんな彼女を前に、自然と今度は言葉が出た。
自分でも信じられない誘い文句に、後から追うように血流が速くなる。言ってしまったと、頭の中で十回以上繰り返したところでロッテから小さな頷きが返された。
「……あまり楽しいお話じゃなくても構いませんか?」
勿論です。
その言葉を最後に、それぞれ部屋に帰る筈だった二人は全く別の方向の庭園へと並んで足を動かした。
五年後。
まさか自分達が第一王女の専属侍女と近衛兵として毎日顔を合わせる間柄になるとは思いもせずに。
……それ以上の関係になっていることも、まだ。
54〝あの時は無礼を働き〟
2018.12.01活動報告
……
本日ゼロサムオンライン様(http://online.ichijinsha.co.jp/zerosum)よりコミカライズ連載スタート致しました!
無料でスマホからもご覧頂けますので、是非ともご覧下さい!
今回のエピソードに登場したロッテ、マリー、ジャック、そして王配アルバートの初御披露目もございます。
今回のジャックとロッテの関係と、プライドの窓事件の真相は、連載スタート時から考えていた物語でした。やっとお話できてとても嬉しく思います。
活動報告更新致しました。
本当にありがとうございます。
皆様に心からの感謝を。




