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フリージア王国備忘録<第一部>  作者: 天壱
怨恨王女と祝勝会

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〈コミカライズ前日‼︎感謝話〉侍女は怯え、

明日、ゼロサムオンライン様(http://online.ichijinsha.co.jp/zerosum)よりコミカライズ連載スタート致します。

感謝を込めて特別エピソードを書き下ろさせて頂きました。

時間軸は「我儘姫様と城の人」の前後です。

本編に繋がっております。


「いっ……嫌です……そんな、お願いします、私ここを辞めることになったら本当にもう行き場がっ……。」


か細く抑えた悲痛な声が漏らされる。

ふるふると首を振り、必死に胸を両手で抑えながら両肩を強ばらせる女性は既に涙目だった。自分に命じた上司へ必死に追い縋るが、まだ城で働いて経験も短い彼女にこの決定事項を覆せるわけがなかった。

もう決まったことよ、と彼女を不憫に思いながらも伝えた本人も上から命じられた以上、彼女を説得することしかできない。周囲で話を聞いていた同僚達も心配や同情の眼差しは向けるが、助けることはできない。よりによってあの子が、可哀想、折角仕事に慣れてきたのに、と思うが、彼女達もまた生活がかかっている中で身代わりを名乗り出れる者はいなかった。

そんなと、とうとう小刻みに足を震わせた彼女は、何とか回避できないかと思考を巡らせ、小さな唇でもう一度訴えた。


「まだこちらでお世話になって一年ばかりの私が第一王女殿下のお世話なんてっ……!!」


ロッテ。

同じ城内で働く侍女達にそう呼ばれ、親しまれていた彼女は蒼白な顔で嘆いた。

無理です、できません、とその後にも何度も訴えるが、やはり叶わない。

城内で侍女達の仕事は多い。その時々によって担当する区域がいくらか変わることもあるが、大まかには変わらない。何より侍女の仕事はどこでも給仕や身の回りの世話、そして掃除が殆どだ。

経験こそ城内で最も浅い彼女だが、よく気の回る性格からそれまでは順調に侍女達の中にも溶け込んでいた。

まだ一年程度しか経っていない彼女が城内で最も誉れ高い王居の、しかも宮殿を任じられたことは大抜擢に等しい。平民では決して直接お目にかかることのできない王族をその目に映すことができ、そこからの玉の輿に夢を見る侍女も少なくはない。

城内の王居、そして王居の中でも自国の王族が住むその宮殿は王宮の次に憧れられる未開の地でもある。そこに一年しか経験のない侍女が働くことになるなど本来であればあり得ない。飛び上がり、顔を上気させて大出世だと喜んでもいい状況だ。


配属先が、悪評名高い八歳の我が儘姫の元でなければ。


正確には配属先は宮殿そのもの。第一王女と毎回相対するわけではない。しかし、今その宮殿に住む人間はたった一人の姫のみ。遭遇率は限りなく高い。

しかも、ロッテに異動先を伝えた先輩侍女の話では彼女が担当させられるのは間違いなくその姫の身の回りの世話も含まれていた。何故、もっと優秀な侍女がいる筈なのに、私よりも相応しい侍女が担当するのが普通なのにと思うが、同時にその理由も彼女はある程度想像がついていた。

城内で知らない者はいない我が儘姫の噂を聞けば、選択肢を持たない若年の自分がその区域を〝押しつけられた〟ことも。

最後には膝から崩れて立てなくなったロッテを同僚の侍女達が支え、慰め、励ましながら彼女は明日からの行く先を受け入れるしかなかった。既に自分が近々行き場を無くすだろうとまで考えた彼女の頭には、どうやって侍女としてやり過ごすかよりも、侍女を辞めた後の人生を考えることで忙しかった。


……


「マリーと申します。現時点で一番長くこちらで働かせて頂いております。どうぞ宜しくお願い致します。」

「よ……宜しくお願いします……っ」


翌早朝。今にも消え入りそうな声でロッテは教育係に頭を下げた。

一晩考えて少しは心の整理も付いたが、それでも緊張で呼吸を意識する度に喉が微弱に震えたままだった。新しい配属先である王居の宮殿で、彼女の教育担当を担ったのは宮殿内では年配に数えられる侍女だった。

まるで衛兵のように背筋をピンと伸ばした彼女は、こうして怯える若年侍女の反応も珍しくは無かった。既に何人もの侍女がこうして怯えた後に自分の目の前から消えているのを眺め続けてきたのだから。

新入りの教育も怯えた姿も何度も繰り返す内になれきってしまったマリーは、今日もまた同じように彼女へ説明を並べた。


「先ず、その反応ではご存じでしょうがこの宮殿には一人の王族がお住まいです。殿下から不興を買われないように。この仕事を続けたければそれを第一に考えて下さい」

はい……!と自分の不安を早々に理解してくれているマリーにロッテは希望を見る。

先輩であるマリーの言葉を一字一句刻みこもうと、丸くなった背を負けないくらい伸ばして見せた。

やる気を見せたロッテに、心の底で少し安堵しながらマリーは宮殿内を案内しながら順々と業務について説明を始める。その殆どが、今までロッテが携わってきた仕事と変わらない。ただでさえ神格化されるような場所での配属に胸が絞られそうだったロッテは、また拳一個分の息を吐いて落ち着いた。

少なくとも、冷静に動けば自分が間違うような仕事はなさそうだと思う。特別なことは何もなさそうな業務内容に、少しだけ勇気も湧いてきた。

わかりました!と元気よく可愛らしい声で返事をする余裕も生まれたところで、今度はマリーが「何か質問はありますか」と尋ねてみる。最近の若い侍女はここに配属にされると、説明が終わってもビクビクと震えている娘が多かった分、前向きな態度を見せるロッテにマリーも協力的な気持ちだった。

できることならば、身の回りの世話を任じられる立場の侍女は経験を長く積んで欲しいというのが理想だ。その為にも先ずは今の未来ある侍女が〝辞めない〟ことが教育係を任された彼女の第一任務だった。


「あのっ……姫様の元で長く働く秘訣などはありますでしょうか……?」

「あります。決して殿下の印象に残らないことです。」

控えめに言うロッテにマリーは間髪入れずに答えた。

印象に……?と予想と違ったマリーからの返答に目を丸くさせるロッテに、スラスラとやはり今まで何度も説明をしてきたマリーは言葉を続ける。


「実際、たとえ殿下の身の回りのお世話が続こうとも、逆に直接関わらず宮殿内の掃除に収まろうとも、宮殿内に居る限り危険性は変わりません。もともと殿下は私達のことなど、その辺の小石程度にしか認識されておられませんから」

逆に目をつけられればそこで終わる。そうとも捉えられる言葉にロッテの背筋がぞくりと冷えた。取り敢えず無駄なお喋りと仕事のミスはしないようにと初歩中の初歩を伝えるマリーは、とうとうこの宮殿に唯一住む王女の寝室の前で足を止めた。

チ、チ、チと服の中から取りだした時計を確認したマリーは「今日は取り敢えず控えて私達の仕事を見ているだけで良いです」と断った。下手に手伝ってミスをされるよりも、先ずは自分や他の侍女達が王女とどうやって関わってやり過ごしているかを観察させることの方が第一だった。

はい、と取り敢えず今日は関わらなくて済むことにほっと胸をなで下ろしたロッテは、口の中を飲み込んだ後に姿勢を正す。

定刻となり、衛兵により扉が開かれる。先ずはカーテンとそして着替えの準備に当たるべく手慣れた様子で侍女達が四方に散っていく。ロッテもこそこそと助言通り目立たないようにと隅の方を意識しながらもマリーを中心とした侍女の一挙手一投足を逃さないように集中力を研ぎ澄ませた。

おはようございます、プライド様。とカーテンを開ける侍女達が挨拶をする。すると、ベッドの中で寝息も立てず人形のように眠っていた王女の顔が眩しさで歪んだ。

ぐぐっと力の入る顔に、それだけでロッテの心臓は跳ねる。ぱちり、ぱちりと瞬きを繰り返した王女は、太陽の光に抗うように目を強く閉じ、そしてベッドの中に再び顔を僅かに潜らせながら口を開いた。




「ッ眩しいわよ‼︎‼︎貴方達もうちょっと何とかできないの?!!」




キィィッ!!と、金切りのような鋭さで怒鳴り声が放たれる。

開口一番のそれにロッテはビクリッと肩を上下した。今まで、貴族やその子ども達の身の回りの世話も城内の侍女として携わってきた彼女だが、目覚めにそんな怒鳴り方をされるのは初めてだった。

カーテンを開けるのも毎日のことに決まっている。更には眩しさなどその日の天気によって違うのにそれを侍女に求めることがおかしい。

しかし怒鳴られたマリー達は「申し訳ございません」と落ち着いた様子で謝ると、急ぎ開けたカーテンを一度閉じた。また薄暗い部屋に戻るが、それでももう姫の機嫌は治らない。もう!最悪‼︎と悪態つきながら、なかなかベッドから出て来ようとすらしなかった。

ベッドの中に蹲り、何度もゴロゴロと寝返りを打ちながら、文句ばかりを言うその姿は寝起きが悪いようにも見えるが、ロッテはそれを眺めながらどうしても茫然としてしまう。何故ならば


……本当にこの方が、八歳の王女なの……?


ええっ、とロッテは頭の中だけで叫んだ。

先ず、誰がどう見ても目の前の王女は目が覚めている。滑舌もしっかりしていながら怒鳴り、ごろごろ激しく転がりベッドの中で暴れる姿は寝ぼけている人間の反応ではなかった。

しかしそのあからさまな動きに、まるでマリー達は誰一人気付いていないように声掛けだけで起こそうとし、カーテンを直接プライドの視界に当たらないように狭く開き直し、その間に着替えのドレスをどう致しましょうかと問い掛ける。完全に甘えきって我儘が言いたいだけの子どもに周りが合わせている。

その後も乱暴にベッドから降りた彼女は、元気に「早くしなさいよ」「喉渇いたわ」「もっと大人っぽいドレスにして」「それ捨てて」と我儘を吐きながら自分は何もせず侍女達のされるがままとなる。

ただ朝の身支度だけでこんな状態なのかと、ロッテは今日一日も覚悟して掛からなければと息を潜めることを徹底すると改めて心に決めた。平民でも貴族でも彼女より聞き分けの良い子どもは大勢いる。それを一国の王女がと、驚きを隠せない彼女は次の瞬間には思考する余裕も掃滅された。再び響かせる、幼い王女の怒鳴り声に。




「死刑よ‼︎‼︎」




王族が、最も安易に口にしてはならない言葉が目覚めて一時間もしないうちに放たれたことに、ロッテは今すぐにでもここから逃げ出したい衝動に駆られた。





……






「……いかがでしたか。今日一日通してみて、ここでの仕事は。」

「…………驚きました……。」


予想通り、いや〝酷い〟という意味では予想以上の我儘姫に、侍女専用の部屋に戻った後もロッテは茫然としたままだった。

新しい部屋の使い方や荷解きをマリーに手伝われながら、まだ手が上手く動かない。今日一日で十年は歳を取った気にもなった。頭の中ではプライドの暴言集がぐるぐると回り、まるで自分が今もプライドに怒鳴られているかのようだった。

ロッテの言葉に「そうでしょうね」とわかっていたように相槌を打つマリーは、衣服を順調に畳み直し棚へとしまっていく。


「ですが、貴方も上手くできていました。初日であそこまで控えていられれば上出来です。」

掃除も教えなおすことは殆どありませんでした、と冷静に彼女を褒めるマリーだが、それでもロッテの気持ちは浮かばない。

忍のようにひたすら息を潜め続けたロッテは、今日は直接プライドに触れてもいない。着替えから身嗜みも声掛けも殆どはマリーを主として他の侍女達が進ませてくれていた。自分ができたことは部屋や身の回りの掃除や給仕くらいだ。マリーの言った通り、プライドは何もしない侍女が居ても全く気にも止めなかった。

その間も気配を消しては観察に没頭し続けたロッテは改めて今日あったことを思い出す。


「あの、……姫様の仰るとおり死刑になった使用人は……?」

「居りません。ですが、城から追いやられた侍女は何人も。……今日の、あの子も時間の問題でしょう」

あの子、と含められた言葉にロッテは運悪くプライドに目をつけられた侍女を思い出す。

自分と二、三歳しか変わらない侍女だ。たまたまプライドの言動に気を配り過ぎた結果、彼女と目が合ってしまっていた。「何よ?」と釣り上がった紫色の目に睨まれ、その瞬間に震え上がり首を振りながら血の気を引かせていた姿はロッテにとっても悪夢だった。

マリーの言った通り、直接関わるかどうかは関係ない。一度目をつけられて印象に残ってしまえば、そこで終わりだ。使用人の存在など気にも止めない彼女が、その内の一人でも記憶に留めてしまえば忘れない。その他大勢と、気に食わない侍女。後者を目の敵にするのは当然だった。


『今すぐ平伏なさい』

ただ目が合っただけの侍女に、そう詰め寄った。

『貴方なんて死刑よ‼︎誰かこの子を連れて行って‼︎』

衛兵は流石に動かなかった。既に父親であるアルバートから、彼女がそう言っても無視するように許可は与えられている。しかし代わりに他の侍女達が連行というより避難させるように平伏する彼女を立たせようと手を引いた。

衛兵のくせに言うことを聞かないの⁈と怒鳴り散らす彼女は、またいつものように決めていた台詞をその侍女に浴びせ掛けた。



『クビよクビ‼︎‼︎私の前に二度と現れないで‼︎じゃないといつか絶対死刑にしてやるんだから‼︎私が女王になったら最初に死刑にしてやるわ‼︎』



「プライド第一王女殿下はああ見えて記憶力はとても宜しいので。……きっと、明日からあの子を目の敵にするでしょう。今まで一度もそれが絶えたことはありません」

「で、でも本当に罰せられたりはしないのですよね…?」

「明日からの扱いこそが罰です」

ぞっ、とマリーの言葉に再び震え上がる。

確かにそうだとロッテも思う。使用人として圧倒的に立場の低い自分達がこれから毎日あの目で睨まれるのだ。その度に死刑だクビだと言われ、他の侍女より明らかに酷く当たられる。彼女の言葉自体に今は力が無くても、彼女を咎める力もまた自分達はない。少なくとも会う度に何度平伏を余儀なくされ、怒鳴り、当たり散らされるか。


「明日からはあの子も王居から配属を変えるつもりです。……だからといって、本人が城から立ち去るのを止められません」

城で働きながら一時的にプライドから距離を取れても、必ず会わない保証はない。何より、次代の女王に「死刑」と言われてしまったのだ。このまま城で働き続けてどんな希望があるか。

将来的にたった一人しかいない王女である彼女が女王になり、それからまた偶然にでも城内で会えば、今度は「死刑」を止められる人物はいない。一度目をつけられてしまったら、教師からも頭は優秀と評される彼女が忘れてくれる保証はない。いくら給金が高くても、毎日死と隣り合わせの恐怖に苛まれながら働ける使用人などごく僅かだった。

だからこそ経験のある立場を獲得した侍女ではなく、その侍女達に押しつけられる形で若い侍女が配属されることが続いていた。断れる立場にあればロッテだけでなく誰もが避けたいと思うのは当然だ。

その中で最初からここで働いていて尚城に残れているのは、自分も含めてもたった三人だけ。今もプライドの宮殿で働いているのは自分だけだと語るマリーに、ロッテは心の底から尊敬した。

プライド本人こそ侍女の誰が昔から居ようが新しくなろうが全く気付きもしないが、このような侍女にとって戦場とも思える場所で生き残れているマリーの手腕は今日一日でも明らかだった。プライドに全く存在を気にされることもなく彼女に衣服を着せ、靴を用意し、問いへの返事を貰う。言われる前に紅茶を淹れ、菓子を前に出す。まるでプライドの思考が読めているかのように、言われる1秒前に全てを行うそれは特殊能力のようだった。


「プライド様がご機嫌が良く振る舞うのは王配殿下か、もしくはヴェスト摂政殿下がいらっしゃる時くらいのものです。陛下は多忙でなかなかこちらの宮殿にはいらっしゃりませんから。」

なるほど、とロッテはそこで今日唯一プライドが年相応の姿を見せた時を思い出した。

父親である王配のアルバートが様子を見に来た時だけ、彼女はにっこりと嬉しそうに笑い、「今日もいい天気ですね」「母上はお元気ですか?」「私も早く母上や父上のお手伝いがしたいです」と語る姿はまるで別人だった。お淑やかな振る舞いに、目をつけた侍女が近くを通っても気にも留めない。父親だけを見上げ、年相応の女らしく甘える姿はこのまま覚めないで欲しい夢に等しかった。

マリー曰く「勿論王配殿下方には本性も筒抜けですが」と続けられるのを聞き、ロッテも頷く。そもそも自分達侍女や衛兵など彼女の身の回りで働く城の人間に、プライドが罰やクビを命じても従う必要はないと事前に許可を下ろしてくれていたのがアルバートなのだから。娘の本性をわかっていなければ、間違っても親がそんな対策をするわけがない。


「その分、それ以外の時間帯はああしてご機嫌を傾けておられます。まだ八歳ですし、甘えたいのもあるのでしょう」

「あの、姫様には乳母は……?」

もしかしたらマリーがそうではないかとも考えたが、それにしては彼女は若すぎる。

若年の侍女が多い中で、彼女は比較的に年配に入るがそれでも八年前のプライドの乳母を務められるほどの年齢ではない。

通常、多忙な王侯貴族の代わりに子どもに乳をやったり、母親の代わりに世話をする人物がいる。侍女から選別されることも、もしくは外部から子育てのプロが雇われ、そのまま子どもの侍女として働くこともある。

そうして子どもが成長した後も第二の母親として相手が王族であろうがそれなりに強く出れる立場になる者も珍しくない。今のあの我儘姫をそれなりに窘め、そして甘えさせてあげられる立場の侍女さえいれば……とロッテは今さらながら思ったが、マリーの答えはシンプルだった。


「居りません。プライド様は王族で唯一乳母無しで二歳まで育てられた王女殿下と聞いております。」

何故そうなったのか。

ぽかんと口が開いたままロッテは言葉が出てこない。まさか王女なのに誰にも世話をされずに育てられたというのかとも思ったが、そんなわけがない。乳母が途中で辞めたり亡くなったのなら納得がいくが、最初からいないなど前代未聞だった。

マリーもそれ以上は言えないと、そこで一度話を切った。まさか、二歳まで育てていたのが他でもないこの国の女王とは言えるわけもない。彼女自身も、当時プライドを恐れて辞めてしまった先輩侍女から聞いただけの話だが、今のプライドの我儘な性格が現女王であり実の母親の責任など広まるべきではないと考えた。

せめて、まともな性格にでもなっていれば笑い話で済むかもしれないが、今の状況ではスキャンダルにも等しい。どう言葉を選んでも、遠まわしに女王が育て方を間違えたとしか言えなくなる。


「……貴方は、何故こちらで侍女を?」

話を変える為、月並みな話題を彼女は投げかける。

城の同僚として働く以上、ここまで至った経緯を話すのは侍女同士よくあることだった。ロッテもここに来て初めてかもしれないマリーとの王女関連以外の話題に明るく言葉を返した。「あまり楽しいお話じゃないんですけれど」と謙遜ともとれる言葉で切り、苦笑気味に自分の経緯を語る。以前働いていた城内での配属先でも移動する度に同僚となる侍女達へ答えていたそれは、今日一番ロッテが詰まりなく話せた話題だった。


「……私も、出来る限りは教育役として力になります。王居の宮殿で二、三年実績さえ積めばきっと配属先に希望を言える程度の立場にもなれます。その時は私も力添えしましょう」

力強い先輩侍女からの言葉に、ほっと少しロッテの肩から力が抜ける。

良かった、この生活も永遠じゃないと思えば微かに希望も持てた。二年でも長いが、それでもこんな頼れる先輩がいるなら頑張ろうと前向きになる。

ありがとうございます、と言葉を返した時。今度は自分からマリーの経緯を尋ねようと思ったロッテはその前にふと気になった疑問を先に投げかけた。


「マリーさんは、どうしてこちらでずっと働いておられるのですか?」

「誰かがやらなければならない仕事だからです。」


格好良い、と。

本来ならば、彼女も配属先に希望を言えるほどの立場でありながらそう断言するマリーに、ロッテはこの二、三年間はこの人にはついて行こうと決めた。


二週間後。

我儘姫が突如として卒倒し、自分達の運命を大きく畝らせるとも思わずに。


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