そして後にする。
「……ところでセドリック王弟殿下。」
ステイルが早々に自ら話を切り上げるべく、一歩分前のめりになったセドリックから更にまた一歩引いた。
彼を改めて呼び、ポンッと軽く肩に手を置く。話を変えようとするステイルの意図に気付き、セドリックも「失礼致しました」と姿勢を正した。それに安心したようにステイルも小さく首を傾けて笑い返した。
「〝例の件〟は考えておいて下さりましたか?」
その途端、ピクッとセドリックが肩を震わせた。
例の件?と私が尋ねれば、ステイルからにっこりとした笑顔だけで返された。ティアラへ尋ねるように目を向けてみたけれど、ティアラもわからないように私へ首を傾けた。何かセドリックにお願い事でもしていたのだろうか。
すると数秒の躊躇いの後、セドリックは一度口を硬く閉じ、それから開いた。
「……はい。ですが、その……大変、畏れ多いことなのですが。」
「構いません。僕にできることであれば何なりと。これは〝御礼〟ですから。」
躊躇いがちに口にするセドリックへステイルはさらりと肯定した。
ランス国王達は知っているらしく、むしろセドリックが再び意識を取り戻したことに安心したかのように眺めている。
御礼……ということはセドリックの方からステイルにお願いをするということだろうか。一体何を、と思いながら見守っているとセドリックは少しの沈黙の後、ぐっと両拳を握り締めた。まるで戦場へ行く覚悟を決めたかのように顔に力を入れると、肩が上がるほどに大きく息を吸い上げた。緊張がここまで伝わってくるかのようだ。固唾を飲み、気づけば背後に居たティアラまでじっと二人を見つめている中、セドリックは
「わ……私に、敬語無しでお話し頂けないでしょうか……⁈」
凄く覚悟を決めたような声で、予想外の願いが放った。
自分の胸を示すように押さえ、力強く言い放つ彼の目は真剣そのものだった。寧ろ本人としてはかなり吹っ掛けたくらいの意思があるのか、額に汗が湿り頬まで滴っていた。
セドリックの謎の要望にステイルはきょとんとした顔で「は……?」と聞き返した。眼鏡の黒縁を指で押さえつけ、丸くした漆黒の瞳を彼に向ける。ぱちりぱちりと瞬きをして確かめているけれど、セドリックの真剣な表情は変わらない。
「あの……セドリック?それはどういう意味かしら……?」
ステイルに代わって第三者の私が尋ねる。
ステイルにそうしたいというならわかるけれど、何故逆なのか。
私の問い掛けにセドリックは「言葉の通りだ」と返した後、再びステイルに補足するように言葉を続けた。
「もし私の要望を叶えて下さるというのならば是非!プライドと同様にステイル王子殿下にも多くの御迷惑をお掛けした身として、礼を尽くされるのは心苦しく、どうか、その、言葉だけでもっ……‼︎」
……つまりはステイルに敬語付きで話されるのが畏れ多いということだろうか。
国の力関係を抜けば、立場的には第一王子のステイルより王弟のセドリックの方が立場は高いのに。……けど、未だに気を抜くと私やティアラにも敬語を使いそうになる彼からの要望と思えば彼らしい。
その後も「私などに砕けた話し方をして下さるなど分不相応とはわかっておりますが……!」と訴えるセドリックに、途中でステイルが片手で口を押さえた。
不意にそのまま背後に身体を捻らせたと思えば「ぶふっ……‼︎」と吹き出すような音が聞こえた。更には肩がぴくぴくと痙攣して、完全に笑ってる。
ステイルの反応に「やはり図々しかっただろうか……⁈」と焦り出すセドリックがステイルに向けて腕を伸ばし、行き場もなく宙に泳がせた。気安くステイルにも触れられないのか、固まる彼は不安げに眉を寄せる。いや、完全にステイルはツボに入ってるだけなのだけれど。
何故セドリックにお願いを聞くという話になったのかはわからないけれど、そのお願いがステイルにはかなり予想外だったのだろうなと思う。私だって今聞いた時点でなかなか予想外だ。
ピクピクと肩を震わせながら「申し訳……ありませんっ……‼︎」と耐えられないように笑うステイルに、セドリックから困惑の色が濃くなる。仕方なく、私が「大丈夫よ」と声を掛けながらセドリックに歩み寄った。
その途端、背後に控えていたティアラがトタタタッと早足で今度はランス国王達の方に逃げてしまった。いつの間にか国王二人とも仲良くなったんだなと頭の隅で思う。……セドリックには未だに距離すらなかなか詰めてくれないのに。
「ステイルは怒っていないから。ちょっと驚いてるだけ。」
子どもを宥めるようにセドリックの背を摩る。
そうなのか……⁈と返事をしてくれるセドリックは未だに困惑が強い。それでも背を摩りながら「大丈夫だから」と重ねれば力の入った肩が降りていった。
そうしている間にステイルもプルプルした肩が動きを止めていった。一度大きく深呼吸をするように肩を上下させた後、「失礼致しました」と眼鏡を押さえつけながら振り返った。笑い過ぎたのか若干顔まで紅潮している。
「本当にその程度で宜しければ、お安い御用です。セドリック王弟はこの先も我が国と深い関係になられる御方ですから。」
そう言って、にこやかな笑顔でセドリックに手を差し伸べた。
握手を求めるその手にセドリックの目が輝く。嬉しそうに口を開きながら、片手で握り返した後に反対の手でも包むようにステイルの手を握
「それに。」
ッぐいっ、と。
ステイルが乱暴にセドリックの腕を引き寄せた。
突然のことに輝かせた目を大きく開いたままセドリックの上半身が前のめりになる。
するとステイルは近づいた彼に顔を近づけ、その耳に向けて端の上がった口を動かした。
「将来はお前の〝義兄〟になっているかもしれないな?セドリック王弟。」
黒い笑みを浮かべながら放たれたステイルの声が、傍にいた私にも届いた。
その瞬間、セドリックの瞼が完全になくなる。言葉の意味を考えるように口を閉ざし、そして次の瞬間にはボンッ‼︎‼︎と爆発するように顔まで真っ赤に燃え上げた。
前のめりの体勢のまま火事を起こすセドリックに、ステイルは今度は声は上げずニンマリと満足げな笑みだけで返した。力の緩んだセドリックから手を離し、代わりに向き合ったまま両手でセドリックの肩をポンと叩いた。
「まぁお前の努力次第といったところだな、頑張ってくれ。俺は手伝わないが。」
ステイルやることえッげつない‼︎‼︎
完全にセドリックが赤面することわかっててティアラのことで弄ってる‼︎しかも最終的には努力次第でぶん投げちゃったし‼︎
上機嫌な顔で大火事セドリックに笑い掛けるステイルは、心から楽しそうだった。まるで新しい玩具を見つけたかのような良い笑顔だ。……ティアラともし婚姻したら、お姑より怖い義兄ができるんだなと少しだけセドリックに同情する。
プスプスとショートを起こしている様子のセドリックに、ランス国王達やティアラが首を傾げている。ステイルに何か言われたのはわかるだろうけれど、まさか遊ばれたとは思わないだろう。
苦笑いで三人に返しながら私は労わりを込めてセドリックの背中を再び摩った。完全にステイルの義兄圧力エピソードもセドリックの頭に永久記録されてしまっていることだろう。その間にも楽しそうにステイルが口角を上げながら「何なら俺を〝兄上〟とでも呼んでみるか?」と囁きかけている。
セドリックの肩に腕を回す姿は、外から見たら親しげにも写っただろう。実際は完全に愉快犯と被害者だ。
「す……ステイル?もうセドリック、息が止まっちゃうから……。」
「大丈夫です。ティアラが呼べばすぐに吹き返しますよ。」
まずい!完全にステイルの腹黒心に火がついてる‼︎‼︎
アーサーや私達の前以外でここまで生き生きとした笑顔のステイルは珍しい。このままだと本当にセドリックが二度と再起動できなくなるまで煽りそうだ。
仕方なくセドリックから私はステイルの背後へと回り込む。楽しそうなステイルには悪いけれど、背後からその口を手で塞いで回収することにする。
「ムぐ⁈」と突然の封印に一瞬声を漏らしたステイルだけど、私がそのまま引っ張ると後ろ歩きに後退してくれた。口を塞ぐとは反対の手をステイルの身体に回してこっちよと引き寄せる。塞いだ手の下から姉君、と抗議であろう声が聞こえたけれど今は強制的にセドリックから引き離す。
ぐいぐいとティアラの元へと引っ張り、ランス国王達が入れ替わりにセドリックへと歩み寄った。顔が真っ赤のまま黙りこくっている彼にどうしたのかと尋ねるけれど、セドリックは僅かに開いた唇を震わせるだけだった。
ティアラが「兄様、セドリック王弟に何言ったの?」と尋ねたけれど、取り敢えず今は質疑応答よりステイルの確保をお願いする。
口と身体から手を放した後も、ステイルに反応はなかった。話し途中で止めたのを怒ってるのかなと背後からステイルを覗き込めば、何故かステイルまで顔が赤かった。……口を塞ぎ過ぎたのかもしれない。
「す、ステイル⁈ごめんなさい、そんなに苦しかった⁈」
酸欠状態かもしれないステイルに呼び掛け、今度は彼の背を摩る。
カラついた声で「いえ……」と返してくれたステイルは、慌てるように眼鏡の位置を直すと私から顔を逸らした。やっぱり怒ってる。
ごめんなさい、でもあまりセドリックをいじるのは……と訴えると無言のまま三回頷いてくれてから口を開いた。
「すみません、つい……。」
……つい、で心拍数急上昇させられたセドリックが不敏だけれど。
あまりセドリックをいじめないでね、と伝えた私は酸欠気味のステイルをティアラに任せる。
セドリックを挟んでいるランス国王とヨアン国王に私からステイルがからかい過ぎたことを謝ると、二人とも笑いながら許してくれた。
「セドリックは僕ら以外に年の近い者との関わりには慣れていないもので。民と親しくはしても、からかってくる者はいませんでしたから。」
「過剰な反応はセドリックの問題です。お気になさらず。」
全く。とセドリックの頭を撫でたヨアン国王に続いて、ランス国王が拳を落とした。
ゴンッと鈍い音がしたと思えば、フリーズ状態のセドリックが「ぐあっ!」と呻いて頭を両手で押さえた。ステイルに片想いをいじられて、ランス国王に殴られて何だか可哀想になってくる。
何をする⁈と抗議をランス国王に訴えるセドリックへ、私から改めてステイルの意地悪を代わりに謝罪した。悪気は多分なかったと思うのと、あれはあれで心を開いた方だと思う旨を話そうとすると、途中でセドリックが「ッいや‼︎」と遮った。
「今のは俺がっ……〜〜〜っっ……舞い上がった俺が、悪い…………。」
私の謝罪を途中で遮った彼は、片手で顔全体を覆うように鷲掴んだ後には真っ赤な顔で俯いた。……舞い上がった、ということはどうやら恋心を指摘されて恥ずかしかっただけではなく、ちょっぴりステイルに認められたことが嬉しかったらしい。まぁお前に妹はやらんぞ発言より百倍良いだろうけれど。
その後も俯いたまま掠れた声で「あ……兄……‼︎」「いや……単なる冗談に決まっ……!」とか呟いていたけれど、落ち込んだ様子はなかった。その様子にほっと息を吐きながら、私からセドリックに言葉を掛ける。
「ステイルもまた意地悪を言っちゃうかもしれないけど、悪い子じゃないの。何かあったら私に相談してくれて良いから。」
……一年前のクッキーについて未だに怒ってる意趣返しの可能性もあるけれど。
そう思いながらセドリックにフォローをすると、何度も頷いてくれた。
「ステイル王子には一生勝てん……。」
プシュゥゥウ……と湯気を放つセドリックに思わず苦笑してしまう。別に勝つ必要は全く無いと思うのだけれどと思いながら、彼の気を紛らわせるべく別の話題を彼へと投げる。
「ほら、まだお楽しみは残っているのだから。この後も宜しくね。」
ぴくっ!と私の言葉にセドリックが肩を揺らした後に勢いよく顔を上げた。
赤い顔色にも負けない真っ赤なルビーのような瞳が眩しく光っている。「ああ!」と元気よく返してくれたセドリックに、思わずヨアン国王達みたいに頭を撫でてしまう。
何故か私が撫でた途端、唇を結んで急に大人しくなったセドリックからは赤みも引いてきた。目だけが少し遠いものをみるような眼差しになったけれど、落ち着いたようで安心する。
「……これ以上泣かせるようなことはやめてくれ……。」
目を逸らしたセドリックが、急にぼそりとしおらしい声を溢した。
何故意地悪をしたステイルではなく私に言うのか。それとも遠回しにステイルへそう頼んで欲しいという意味なのか。首を捻ってしまうとセドリックは「なんでもない」と言って背筋を伸ばした。
「……姉君。俺達もそろそろ行きましょう。」
母上達も退室されるそうです。と少し覇気の薄れて落ち着いたステイルが声を掛けてくれた。
ティアラのセラピーあってのお陰か、いつもの調子に戻ってくれたステイルは近付いてきてすぐセドリックに「すまない」と謝ってくれる。セドリックがとんでもない、とまた赤くなりかけた顔で返した。
そのまま国王二人にも私と一緒に挨拶をし、ティアラと三人で退室をするところでステイルは最後に一度だけ立ち止まってセドリックに振り返った。
「…………だが、一つも嘘ではない。協力はしないが認めてはいる。」
独り言のような声は少し離れたセドリックに届いたかも微妙だったけれど、少なくとも口の動きだけで充分伝わったのだろう。再び顔がぽわわっと赤に染まっていくセドリックに、ステイルは今度こそ小さくだけど素直な笑顔を向けた。何だかんだステイルも少しだけセドリックを好きになってくれたのかなと思うと私まで少し嬉しくなる。
最高の締め括りを終えた祝勝会。その会場でもあった大広間をとうとう私達は後にした。
これから本番を迎える彼らに、胸を弾ませながら。
634