647.怨恨王女は礼をする。
祝勝会、最後のダンス。
観客席へ戻っていくジャックに手を振った私は、早足でフロアへと戻った。
最初はあんなに緊張していたのが嘘のように今は落ち着いている。一人で注目を浴びると思って心臓が煩かったダンスもあっという間だった。一人一人とのダンスがとても楽しくて、幸せで。もう最後の一人なのが今は惜しいくらいだった。
フロアの中央に立ち、前奏が始まる。とうとう最後の一人だと観客が騒めきを見せる中、ゆっくりと最後の彼が前に出る。
それに気付いた来賓が、既に歓迎の拍手を打ち鳴らした。待っていましたと言わんばかりの激しい拍手と、期待に輝く眼差しを受けた彼を私は重ねた手を前に姿勢を正して迎えた。たくさんの人に囲まれ、煌めく視線と笑顔を向けられ、歓迎の拍手を受ける彼の姿を目に焼き付ける。
フロアに上がり、深々と礼をしてくれる彼に私も返し、差し出されたその手を取った。
「〝聖騎士〟アーサー・ベレスフォード」
その紹介に、あれが噂の聖騎士だと感嘆の声が上がった。
割れんばかりの拍手が前奏が終わる前から鳴り響く。たくさんの視線を浴びて、緊張するように顔を真っ赤にするアーサーに私は笑い掛けた。緊張が和らげばと思ったけれど、逆にガチンッと金属のように彼の腕は固まった。これではダンスで組めないと私から片方の手を組み、背中に手を回せてみせれば彼からも硝子に触れるようにそっと、ぎこちない動きで私の腰に手を回してくれた。
アーサー、と彼にだけ聞こえる声で私は囁きかける。
「大丈夫よ、任せて。」
以前一緒に踊った時のようにそう言えば、びくっと彼の肩が上下した。
まん丸に開かれた目の蒼がきらりと光る。唇を一文字に結んで、僅かに喉を反らす。全く安心しない様子の彼に、もしかして前回のダンスも彼にとってはなかなかトラウマだったのだろうかと思う。そうだとしたら少し落ち込む。私のリードが下手だったのかと思えば余計に。……まぁ、基本的にリードは男性側の役割だし女性がやることの方に無理があったと言われれば仕方ないのだけれど。でも私の方がダンスの経験は上だし、それなりに自信はあったのに。
口を閉ざしたまま前奏が終わるのを待つアーサーは、その間も肩がぴくぴく震えていた。今朝も聖騎士を知ってから重荷を感じていた様子だし、その日の内に皆の前でダンスをなんて緊張するなという方が無理な話だろう。
ずっとこのままアーサーがダンスに集中できるように話しかけない方が良いだろうか。前奏が終わりに向かうと同時にステップを踏み出すべく私は足を
「いえッ……‼︎」
突然、ずっと黙していたアーサーがはっきりと言葉を放った。
え?と聞き返そうと口をぽかりと開けたまま見返せば、アーサーの目の奥が蒼色に燃えていた。ぎゅっ、と握られた手も腰に添えられた手も強まって私の方が思わず肩に力が入る。そして前奏が終わりメインが流れ出した途端、アーサーが曲に流れ出した。
「今回はっ……俺の番です……‼︎」
抑える声で言い切ったアーサーが踏み込んだ。
彼に誘われるままに合わせれば、タンッタンッとリズミカルにフロアを横切った。端まで進み、ターンをする瞬間にドレスの裾が広がるほどに大きく二人で弧を描いた。風を切るほどの勢いだったけれど、力強い腕で支えてくれたお陰で全く軸がぶれなかった。息を呑み、アーサーへと顔を向けて見返せば凛々しい横顔がそこにあった。
以前は基本ステップが多かったアーサーが、足取りよく私をリードしてくれている。元々運動神経が良いからか、前回も足運びや音楽に流れるのも私に合わせてくれるのも上手だった。でも、今回は更に技術的なステップをいれてくれるし、更には驚いている間にも私をくるりと腕を軸に一回転させてくれた。
開始から早速の披露に観客も響めいた直後、拍手で空気を割った。自分でも見返した目が開かれていくのがわかる。
緊張がまだ解けないように赤い顔を強張らせているアーサーと目が合った。彼の台詞の意味を理解した途端、嬉しくて言葉で尋ねる前に力一杯笑ってしまった。すると深い蒼色の瞳が丸く見開かれて相反するように赤い顔が更に色を強めた。ジュワワ……と湯気のようなものが溢れて熱風が私まで届く。もしかして馬鹿にしたと思われたのだろうか。それだけは絶対違うと示すためにも私は今度こそちゃんと言葉にする。
「アーサーすごい上達じゃない!一体いつ練習したの⁇」
「そのっ……二日、前から。付け焼き刃ですけど、…………喜んで頂けて良かったです。」
わなわなと震える唇で返してくれるアーサーが、やっと俄かに笑ってくれた。
二人でくるり、くるりと回りながら手を取り合う。アーサーの長い銀髪が流れてきらきら輝いている。
すごい、本当に素敵、と興奮のままに続けてしまえば、アーサーの顔が照れたように口元が緩み、また引き結ばれた。さっきもどうやらダンスの振り付けのことで緊張していたらしい。本当に頑張って練習してきてくれたんだなと思うと、それだけで嬉しくて堪らなくなる。
誰かに教えて貰ったの?と聞くと、緩んでいた唇が更にきつく引き締まった。ンン、と閉ざすアーサーに、誰かに教わったとかは恥ずかしいのかなと思う。話を変えるべく考えながら、そこで大事なことをもう一度伝えることにする。
「表彰おめでとう、アーサー。もう何度もで聞き飽きちゃってるかもしれないけれど、……本当に本当に嬉しいわ。」
「あ、……ありがとう、ございます……。」
私以外にも何度も聴き慣れている筈のアーサーが、それでもそこで嬉しそうに顔を綻ばせてくれた。
表彰の後も、この祝勝会中に騎士団で挨拶に来てくれた時も伝えたことだけど、何度言っても言い足りない。私の為に大変な目にあって、しかも一度は騎士の称号を停止までされていたアーサーが今こうして騎士として讃えられているのが嬉しくて仕方がない。それに……
「本当にごめんなさい……。……謝りきれるとは思わないけれど、私の所為で騎士の称号も失いかけていたのでしょう?それに、アダムに私が命じた所為で怪我まで」
「!いえ、そのっ、怪我の話は本当に大丈夫なンで……!大した怪我じゃないですし、……なので、本当に……。」
……また断られてしまった。
私がアダムに命じた所為でアーサーは間違いなく怪我を負わされた。どんな怪我を負わされたのかについて、アーサーも誰も教えてくれなかった。
アダムが当時始末したと言い切ったほどの怪我だ。決して軽い傷じゃなかった筈なのに。アーサーだけでなく、アラン隊長達もアーサーやステイルから口止めを受けているのか、聞いても「もう過ぎたことなので」「大した怪我じゃありませんよ」としか答えてくれない。
確かに私の元へ駆けつけてくれた時には無傷といって良いくらいだったけれど、治ったからといって怪我したことがなかったことにはならない。その時に酷い目にあったことも、下手すれば傷痕が残った可能性もある。それでも皆アーサーの傷のことについては頑なだった。アーサーからは寧ろ詮索しないで欲しいという意思すら感じられた。……そこまで隠されると逆にそれだけ酷い目に遭ったという証拠にも思えてしまう。
緩やかにアーサーが背後向きにステップを踏む。それに引き寄せられながらフロアをリズミカルに蹴った。
足取りはしっかりしているのに目が思い切り泳いでいる。話を変えたいのか、私からの言葉を切りたくないと思ってくれているのか。まるで剣を握っている時とは別人だなと思ってしまう。うっかり笑いを零しながら「わかったわ」と私から再び話題を降りる。それにほっとしたように息を吐くアーサーに私から「だけど」と言葉を続けた。
「アーサーが生きていてくれて良かった。……それだけは、喜ばせて。」
「貴方を取り戻せるって知れたンで。だから生きたいと思えました。」
回る。
くるり、くるりとアーサーを軸に弧を描いて、観客の近くに寄ると自然と拍手が上がった。感嘆の声まで洩れ聞こえて、息の音が耳まで届いた。「聖騎士」とその単語がどこからともなく聞こえた途端、またアーサーの肩が心臓のように揺れた。
それに私が小さく笑うと、気付いたアーサーが唇を絞った後微笑むように緩めてくれた。照明に銀髪が反射してキラキラ煌めく。星屑を浴びたような輝きと海のような深い蒼の瞳が合わさって、まるで絵本の中の王子様のようだった。
「貴方の指示で俺がどんな目に遭っていたとしても、その俺を引き止めてくれたのも間違いなく貴方です。……貴方が待っていてくれるなら、俺は何度でも」
「帰ってきます。」
「帰ってきてね。」
言葉が重なった。
アーサーと私の声が綺麗に被さった。
きっと重なると思った私と違い、アーサーが驚いたように目を丸くした。口を閉ざし、僅かに喉を反らすアーサーが身体を反転させてターンする。止めかかった足を踵で返したことに気付いた人はきっといないだろう。それくらい綺麗な切り替えしだった。
上手くフォローを入れた後も丸い目を私に向けてくるアーサーに私から言葉を続ける。
「わかるわよ。だってアーサーは私の英雄だもの。」
一年前だってそう言ってくれた。
そして、一年前に手紙に書いたお願いをアーサーが忘れるわけがない。
そう思いながら、頬を緩めて返すと一瞬だけアーサーの眉の間が狭まった。険しくも見えたその表情は騎士団長にも似ていて、その後すぐにまたいつものアーサーの柔らかな笑顔が返された。
少し誇らしげにも見えた笑みは、やっぱり彼が王子様ではなく騎士なんだなと思い出される。白の団服を着こなして、白刃のように真っ直ぐ背筋を伸ばした彼は誰もが認める騎士だ。
「騎士団長も喜んでいたわよ。アーサーの表彰も全部!……きっと自慢に思っているわ。」
いえそんな……と、言葉を濁すアーサーが照れたように目を逸らす。
本当は自慢どころか、我が家の誇りと言ってたのだけれど騎士団長が知られたくないようだったし私の口から安易には言えない。だけど、逸らした目から最後にちらっ、とまた私に視線を戻すと遠慮がちに口を開いた。
「本当に……喜んでくれてましたか……?」
プライド様の前でも、と。そう続けるアーサーに笑みが抑えきれない。本当よ、と返せばはにかむような笑顔を浮かべてくれた。
やっぱり、父親である騎士団長が喜んでくれるのは嬉しいんだなと思う。だって相手は憧れの騎士だもの。
返した後も照れ笑いが滲むアーサーの腕をリードされるままに潜る。拍手がさざ波のように緩やかで、再びアーサーと手を組み直せば身体が自然と近付いた。
背の高いアーサーを上目で覗き上げながら見つめ合う。二人で音楽に流れながら足並みを揃えれば、アーサーの肩越しに観客席の笑顔が視界に入った。ただそれだけですごくすごく幸せで。ステイルやティアラ、そしてセドリックが視界から流れて消えて、背後に位置した時に私はこっそりまた口を開く。
「実はね。……この祝勝会。一番ダンスを踊るのが楽しみだったのがアーサーなの。」
「……へ⁈」
思わずといった様子でアーサーの声が上がる。途中でそこから焦ったように息を止めた。
声を一瞬でも漏らしてしまったことに焦るように押し黙ったアーサーは、顔がみるみる内に真っ赤になった。音楽で聞こえていないわと私から言いながら、周りに念の為目を向ける。
大丈夫、やっぱり気にしてる様子の人はいない。今度こそ声を最小限まで抑えるアーサーが「それ、どういぅ……」と焦るように尋ねてきた。どういうも何もそのままの意味なのだけれど。
「今日の決まっていた六人で、アーサーと踊るのが一番楽しみだったという意味よ。…………だって、今回は特別だもの。」
特別……⁈と聞き返すアーサーは、添えてくれる手も握り返してくれる手も僅かに震えていた。
これ以上特別なんて言ってしまったから余計に圧がかかってしまっただろうか。震えるアーサーの手を私から強めに重ねた指で握り返し、応える。大分動揺させてしまったのか、再び基本のステップに戻るアーサーに私も合わせて速度を落とす。
「今日の私のダンス相手は奪還戦で指揮を執ったステイル。援軍を率いてくれたレオン。第二王女を守ってくれたセドリック。騎士団の総指揮と母上達を守り抜いた騎士団長。衛兵の代表として近衛兵のジャック。」
全員が今回の奪還戦で活躍した功労者、その代表格だ。
だからこそ国王を置いてレオンやセドリックが選ばれた。今回の奪還戦で直接関与している張本人。ジャックは衛兵の中でも一番私に近い大事な人。ステイルと騎士団長は言うまでもない。……そして。
「〝第一王女を奪還した〟アーサー。」
そう呼べば、もともと真っ直ぐだったアーサーの背が反るほど伸びる。
私も合わせて背を反らしながらステップを踏む。歩幅を互いに合わせれば充分に伸びのあるダンスだ。アーサーの肩が強張って、また立場を思い出させてしまったかなと私は一人で苦笑いする。
アーサーが、私を助けたのが自分一人の功績になることを複雑に思っているのは知っている。それでも、間違いなく民にとってはそれが事実だし私にとっても彼が私を救ってくれた人の一人であることは変わらない。
そんなに身構えないで、と言いながら私は彼に言葉を続ける。
「貴方が止めてくれた。貴方が手を伸ばしてくれた、貴方が引き止めてくれた。たった一人でではなくてもそれは間違いなく事実よ。……そして、それが母上達やこうして皆に認められた。」
元はと言えば私の大罪が原因なのだから安易に喜んではいけないのかもしれない。
私が暴走しなければ、アーサーは大変な目にも怪我を負うことも騎士の座を追われることもなかった。本当は喜ぶ権利すら私にはないかもしれない。だけど、どういう理由があってもアーサーの努力が、功績が認められて報われたことが
「だから私は嬉しいの。」
背中を、反らす。
真っ赤なアーサーに身体を委ねて仰け反れば、軽々と支えてくれた。来賓の声と拍手が響き、背後にいる彼らにも私は笑いかけながらそっとアーサーに向けて口を動かす。
今の彼と、こうしていられることが嬉しくて仕方がない。以前のダンスでは私の意思で皆の前で踊ることになったアーサーだけど、今回は違う。公式に彼自身が〝第一王女〟と踊る権利を得てくれた。
「アーサーが、認められた。私だけが踊りたいからじゃなくて、皆にアーサーがそれを認められた。アーサー〝だから〟公式に踊ることを許された今日が、ずっとずっと楽しみだったの。」
「……俺が、認められたのが嬉しいってことっすか……?」
恐る恐る口にしてくれた言葉に比例するように、足取りが少し遅れてる。
のんびりと揺れるようにステップを踏みながら、私は笑って返す。顔がまだ赤いままのアーサーは皆に認められたという事実を噛み締めているのかもしれない。一度もう踊ったから忘れているのかもしれないけれど、私の意思関係なく第一王女と踊る権利を得るというのは凄いことだ。民にも王族にも認められないとできることではない。
「私にとっての〝特別〟な騎士が皆にも〝特別〟って思って貰えたら嬉しいじゃない?」
我ながら子どもみたいな言い分だと思いながらも言ってしまう。
でもそれくらい、アーサーとのダンスは特別だった。
私の言葉にアーサーが喉を鳴らす音が聞こえた。青い目が見開かれて、赤い顔色と輝く銀髪で一つひとつが際立っている。彼としっかり組み合ったまま重心を外へと流せば、合わせてリードするようにくるりと回ってくれる。やっぱり反射神経は流石だ。
胸が軽いのに、心臓の音だけが速まって何度も回った身体すら弾むような心地になる。笑い声が混じりそうなのだけ堪えて、それでもアーサーへ返した顔が笑い皺ができてしまうくらいに幸福が隠せない。気が付けばとうとう抑えるのもやめて弾んだ声を上げてしまう。
「だってアーサーは、私の自慢の騎士だものっ!」
世界中に自慢したい。
こんなに強くて優しい素敵な人が私の騎士だって。
落ちるところまで落ちようとしていた私を何度も何度も繋ぎ止めてくれたこの人のことを。
凄い人なのよ、格好良いの、勇敢なの、優しい騎士なの、強いんだからって。きっと自慢しようとすれば、いくらでもできてしまう。それくらいにずっと素敵な騎士だから。
真っ赤な色を更に強めるアーサーに、少し声が大き過ぎたかしらと反省する。響くまではいかなくても、何人かの観客の耳には届いてしまったかもしれない。私は全然構わないくらいだけれど、アーサーは恥ずかしかったみたい。
曲が緩やかに終わりへと向けて下っていく。その感覚に私がステップを変えれば、アーサーも付いてきてくれる。風を切るようにフロアを回りながら進めば、風圧がアーサーの顔を冷やしてくれた。
曲調が穏やかになるにつれてアーサーの気持ちも落ち着いたのか最後は再び彼がリードをしてくれた。「俺は……」と声を潜めてぼそり、と呟く彼の言葉に耳を澄ませる。ずっと暫く無言だった彼は、赤みが収まった顔を私に近づけるとそのまま身体ごと密着するように引き寄せた。共にステップを踏みながら、耳元に囁くようにアーサーが唱え出す。
「俺は、世界中に認められなくてもプライド様に認めて貰えただけで充分幸せです。…………七年前から、ずっと。」
語るアーサーの息が耳を擽って、それ以上に嬉しい言葉が胸を擽り温めた。
耳に近づけられた顔へ思わず振り返れば、まだうっすらと赤みを帯びた顔が視界に入りきらないくらいに近くて。言い終えてから無理に結んだアーサーの口と吸い込まれそうな深い蒼だけを捉える。
沢山の賞賛よりも、一人に認められるだけで充分だと言ってくれたアーサーはやっぱり出会った頃から変わらない真っ直ぐな人だ。嬉しくて、誇らしくて、気が付けば彼に添える手に力が入る。〝ありがとう〟とか〝嬉しいわ〟とか、その言葉を言いたくても喉がつっかえて。少し泣きそうなのだとそこで自覚する。
今でも尚こんなにも優しい言葉ばかり掛けて貰えることが信じられない。だけどアーサーだから、全てがきっと彼の本心なのだとわかるから。
音楽が静かに止む。
それに合わせてアーサーが足を止め、リードのままにピタリと停止した。最後のダンスを見事に締め括った彼に、惜しみない拍手が送られる。腕の力を互いに緩め、向かい合ったままの今は手のひら一個分くらいの距離だ。そのままゆっくり距離を開けようとするアーサーへ私は捕まえるように手を伸ばす。
突然予定外に伸ばされた手に、アーサーが一瞬だけ肩を上下した。反射的に避けようとしたのかもしれない。拍手を鳴らしてくれる観客からも僅かに響めきが聞こえて、割るような音が弱まった。
アーサーの頬を挟むように捉えれば、力を強く加えるより前に私が引き寄せようとする方向に自分から寄せてくれた。少しカクカクと細かにぎこちない動きで、お辞儀をするように頭を傾け、そのまま私の背に合わせて膝から腰を落としてくれる。
既に予想ができているように緊張で彼の頬が火照り出し、熱くなった。また注目を浴びさせてしまうとわかりながら、あと一度だけ我慢してねと心の中で謝る。そして
額に〝祝福〟の口付けを。
「おかえりなさい、アーサー。」
おおぉおぉぉぉ……‼︎と中心から広がるような歓声に包まれる。唇を離してすぐに掛けた言葉も隠されて、アーサーにだけ届いた。
一年前の奪還戦と同じ証に、更に今回は注目を浴びてる所為で真っ赤だった。観客が盛り上がるのも当然だ。以前の奪還戦とは違って、今回な公式の場での〝賞賛〟なのだから。
私が大声で「アーサーは素晴らしいんです!」と叫ぶより強い意味を持つ。それを聖騎士になったばかりのアーサーにすれば、過熱もする。見ていたのが貴族ではなかったらきっと大声で熱狂しただろう。
ダンス中ほとんど茹で蛸色で過ごさせてしまったことに少し申し訳なくなり苦笑いをした後、私は彼の頬から手を緩めた。合わせて丸めた背中を起こし、段々と彼の顔が放心した表情のまま離れていく。
「また、何度でも待ってるわ。」
爆発的に膨らむ喝采に負けないように、アーサーには届けるべく少しだけ喉を張る。
声が届いた証拠に、一度だけ大きく瞬きを返してくれたアーサーが大きく口を動かして頷いてくれた。聞こえなかったけれど、その動きが「はい」と答えてくれたのが一目でわかった。
見返してくれた強いその笑みに、そっと彼の束ねた銀髪を撫でて手を降ろす。私からも力一杯笑顔を返した後に、二人一緒に観客へと向き直った。手が壊れんばかりの凄まじい喝采を惜しげもなく送ってくれる彼らに礼をする。騎士団長達の方に目を向ければ、皆アーサーに笑顔を向けて拍手をしてくれていた。カラム隊長とエリック副隊長だけでなく、騎士団長も微笑んでくれていた。クラーク副団長とアラン隊長が何やらもの凄く楽しそうな良い笑顔だった。……若干ニヤニヤに近く見えるのは気の所為だろうか。
「以上でプライド第一王女殿下のダンスパーティーを閉幕致します。」
その号令で、最後にまた喝采が強まった。
最後にもう一度だけ礼をして、アーサーに手を取られながらフロアの奥へと引く。なんだか手の温度までさっきより熱い気がして、見れば唇をきつく絞ったアーサーがそこにいた。来賓に見えない位置まで下がりきり、互いに手を離す。
次はいよいよ母上の話だ。このまま所定の位置へ向かわないとと踵を返す。アーサーはこのまま来賓の元へ戻るのよね、と確認しようと振り返ると…………蹲っていた。
「あ……アーサー⁈」
えっ、うそ、大丈夫⁈と、騒ぎにならないように声を抑えながら駆け寄る。
しゃがみ込んだまま交差させた両腕に顔をめり込ませるアーサーの肩を揺するけど、反応がない。近くにいた警備の騎士まで心配して駆け寄ろうとしてくると、アーサーがその音には反応して腕を上げて大丈夫だと合図を出した。
良かった、立ち眩みとかではないらしい。だけどその後にも顔を上げないアーサーは、何やら蹲る腕の中でぼそぼそと呟いていた。耳を傾けてみてもくぐもって上手く聞き取れなかったけれど「見られた……クラーク……」「またからかわれる……」「死ぬ死ぬ死ぬ……」と何やら呪いの言葉のような低さだった。やはり注目を浴びせ過ぎただろうか。彼の背中を摩りながら慌てて謝罪する。
「ごっ、ごめんなさいアーサー。少し余計なことし過ぎ」
「いえそれはすっっっっっげぇ嬉しかったので大丈夫です。…………ありがとうございます……。」
やっと反応を返してくれたアーサーからはっきりとした声が放たれる。
相変わらず顔を埋めたままだったけれど、その返答を後に顔を上げてくれた。熱がこもった所為か相変わらず赤いままだったけれど「戻ります」と言って立ち上がったアーサーは頭を下げてくれた。
そのまま私を気を遣わないようにか、足早に去っていくアーサーの背中を見送ってから私も今度こそ踵を返した。母上達が座している王座の傍へと歩み寄れば、既にステイルもティアラも配置についていた。
私も足早に所定の位置につけば、見計らった布告役からの号令が放たれた。
「ローザ・ロイヤル・アイビー女王陛下の御言葉です。」
興奮冷めない大広間が、再び水を打ったように静け出す。
多くの注目を浴びて、ゆっくりと母上が威厳を放って玉座から立ち上がった。
今日の祝勝会を彩る、最後の最後の大波を打ち鳴らすその為に。
497-4
315
37-2
245




