644.怨恨王女はステップを踏み、
「宜しくね、セドリック〝王弟〟殿下?」
既に緊張で顔が真っ赤なセドリックに私は笑い掛ける。
名前を呼ばれ、互いにダンスの為に組み合った後も彼の顔色は変わらなかった。迎える拍手に紛れるように掛けた私の声にも彼は喉仏をはっきりわかるくらい上下させる。
そんな緊張しなくても……と思ったけれど、ついさっきステイルに助けてもらうまで同じくらいガチガチだった私には笑う資格もないと思い出す。
「そんなに緊張しないで良いのよ。相手は私なのだから。」
「ッ貴方だから、です。…………!すまない。……お前、だからだ。」
ティアラ相手でもないのだからと励まそうとしたら、逆に反論されてしまった。
思わずといった様子で私に言い返したセドリックは滑舌も少し悪かった。うっかり久々の敬語を口にした彼は、真っ直ぐに私を見た後に言い直しながら目を逸らした。どうやら大好きなティアラじゃなくて、私は私でも圧迫感があるらしい。
前奏が終わり、ダンスへと音楽が動き出すと彼も緩やかに足を運びだした。組んだ手と腰に添えられた彼の手が誘うままに私もステップを踏み出す。見かけの緊張した様子とは裏腹にダンスはとても丁寧で基本に忠実な動きだ。その上、平然と男性側だけが難しいようなステップや技術を当然のように組み込んでくれている。
「……貴方と踊るのは初めてね。流石はお上手だわ。」
「ダンスだけはお前に出逢う前から習得していた。…………くだらん理由からだが。」
その途端、自分で言ったセドリックがそのまま顔を俯けた。
ぷすぷすと顔の熱気が私の顔まで届く。また何か黒歴史でも思い出してしまったらしい。そういえば奪還戦の祝勝会でも本当は彼とも踊る筈だった。彼のやらかしが直前にバレて急遽中止になってしまったけれど。やはり国の催しはちゃんとできるように身に付けていたのだろうか。……いやでも教養やマナーは、…………。
「……まさか、モテる為とか。」
「!違う‼︎モテようなどと思ったことはない‼︎単に踊れた方が女性達が喜ぶからっ……。」
そういうのを一般的にはモテる為というのだけれど。
まぁセドリックの場合はどちらかというと芸能人がファンを増やす為と同じ感覚だったのかもしれない。どうせ彼なら覚えようとしなくても、式典でダンスを見てれば自動で習得していただろう。
顔を上げ、思わずといった様子で声が上がってしまったらしいセドリックは声量こそ抑えていたけれど、塗ったように顔が真っ赤だった。血流が良くなり過ぎた彼にとどめを刺してしまったようで申し訳なくなる。ダンスだけは恙無く進みながら、真っ赤なセドリックは子どものように唇を結んでしまう。目が私に向けられているけれど焦点が合っていない。確実に頭の中の記憶に意識殆ど持っていかれている。
セドリックと握り合った手にぎゅっと力を込めて「わかったわ」と呼び掛ける。
「セドリック、こうして貴方と踊れて嬉しいわ。本当に色々ありがとう。……貴方がティアラを連れて来てくれたお陰よ。」
「いや、俺は大したことなどしていない。それに……っ、……正直いまもお前とダンスなど畏れ多い。」
そう言いながら肩を強張らせたセドリックは意識を取り戻したのを自分でも確かめるように手を握り返してくれた。
ゆっくり力を加えられた指が僅かに震えている。
眉を寄せた険しい表情すら、彼の男性的に整った顔を際立たせている。二人で弧を描く度に下ろした金色の髪が靡いて来賓の女性達から押し殺すような短い悲鳴まで聞こえてきた。
「お前とダンスどころか触れる事すら躊躇うというのに。……未だに、女王から礼を言われた理由も理解できん。」
……え、まだわかってないの?
予想外のセドリックの言葉に思わず笑顔のまま顔が引き攣る。だけどセドリックの表情は真剣を通り越して深刻にも見えて。やっぱり知識をたくさん得たところでそういう鈍いのは相変わらずなんだなと思ってしまう。
私の表情の硬さに気が付いたようにセドリックが瞬きを繰り返す。なんだ?と返して優雅に私をくるりと腕の下へ潜らせた。再び彼の胸へと戻り、手を組み合ってから私は彼へ語り掛ける。
「セドリック。我が国の法は全て網羅したと以前に言っていたわよね……?」
「ああ、一字一句全て。……それがどうかしたか?」
話をしてる間は気が紛れるのか、次第にセドリックの顔色が正常な肌の色へ戻っていく。
その様子にほっと息を吐きながら、私は一緒に曲に流れる。セドリックはリードも上手だけど、女性に合わせるのもすごく上手い。私が少しでもダンスの動きで意図を示したら、迷い無く寸分違わないものへと合わせてくれる。
「我が国の王位継承に関しての記述と法に於ける王族の権威と権限については?」
「無論だ。」
そう言ってセドリックはスラスラとそれに関しての法律関連を読み上げるように語ってくれる。
法律書の何巻何頁の何章何節かまで含めて溜めなく音読できる彼はやはり天才だ。流石ね、と返しながら私は彼を諭すべく言葉を選ぶ。
念の為、観客から離れた位置へ移動しようと少し身体を捻らせればすぐにセドリックも合わせて移るようにリードしてくれる。本当に驚くほど踊りやすい。
「ティアラの、あの特殊能力を示すことは我が国にとっては冠と同じなの。貴方はあの時、国で唯一あの子の〝冠〟を守ってくれた。だから母上も騎士も皆がそれを知って貴方に頭を下げたの。」
予知能力のことは触れずに念には念を入れて例えてみる。けれどまだセドリックには伝わらないらしい。
燃える瞳を丸くして口を閉ざす彼はまだ納得がいかないと顔に書いてあった。「何故ローザ女王まで……?」とまた同じような疑問が彼の口から零される。もっとわかりやすい例えはないものか。ジルベール宰相ならもっとわかりやすく説明してくれただろうにと私まで思考を巡らせ眉を寄せかける。
「つまりは、……ティアラが〝冠〟を宿していた時点で、あの子はその冠の名の下でなら母上にも並ぶほどの権利を持てるの。そしてその権利の下で……貴方はティアラの〝指示下〟で動いた。」
予知能力の絶対的な我が国での権利。
予知能力の名の下にこうすべきですと宣言すれば、大概のことは罷り通る。王なる者が悪しき未来を変える為に動くことを国は総力を挙げて従うのが我が国の絶対的法でもある。
この説明にはセドリックもわかったらしく「実際その通りだ」と頷いた。私の話に集中しながら、ダンスの運びだけは抜かりない。
もっとレオンみたいに気楽に踊ってくれても良いのだけれど、まるでダンスの世界大会のような振る舞いだ。本人は難しい技術でダンスをしている自覚もないのだろう。才能の塊恐ろしい。
「だけど、あの時にはあの子は冠を宿していることを隠していた。そのせいで、奪還戦であの子に最も正しい扱いをしてくれていたのは貴方だけだったの。…………もっとすごく単純にたとえればー……。」
一応八割近くは納得をしてくれた様子のセドリックへ最後に簡単に話を纏めることにする。
色々状況は違うし、そう単純なことでもないけれど本当にわかるように言うならば。
「身分を隠し続けた王女を城下から人知れず守り抜いてくれたようなものよ。……城に無断で入り込んだのが泥棒ではなく行方不明の王女だったら、守り抜いて送り届けてくれた人に敬意を表するのは当然でしょう?」
ああ……、と。
やっとセドリックが腑に落ちたように声を漏らしてくれた。良かった、今度は百パーセント納得できたらしい。
「だから騎士達まで俺に詫びなど……」と呟く彼は、今日までの記憶の中で不可解だった我が国とのやり取りを一つ一つ照合しているのだろう。
目の奥の炎をゆらゆらと揺らすセドリックを見上げながら、私まで何だか物思いに耽ってしまう。
本当に彼はたった一人でティアラを守り抜いてくれた。我が国の騎士すら押し退けて塔まで登り詰めてくれたこともだけど、母上や国中の人を敵に回してもティアラの味方であり続けるなんてそう簡単に出来ることじゃない。ゲームのセドリックルートと同じくらいかそれ以上に頼れる王子様だっただろう。……………………残すは、ティアラに好意さえ向けて貰えていれば。
最初の頃ほどは嫌われていない、……と思う。
ティアラもセドリックが助けて塔の上まで連れてきてくれたことには感謝しているようだし、母上にセドリックが罰せられないように庇ってもいた。何より以前みたいにセドリックを危険人物として扱うことはなくなった。
今回のセドリックとのダンスだって、決まっていた時からティアラから心配の声は上がらなかった。ただ、……今回セドリック達が我が国にやって来た時もティアラと彼はあまり会話していない。
今日の祝勝会の為にティアラが忙しかったこともある。でも、今日こうして祝勝会の時すらセドリックはランス国王達と殆ど一緒で、ティアラへの挨拶も一言で終わっている様子だった。むしろ以前よりまたギクシャクしてるような気さえする。
ひと月近く前の話し合いで、ティアラの為に必死に母上へ訴えと打開策の提示をしてくれた彼には正直私もティアラも救われた。もう一生ティアラに会えない上に、辛い重荷を背負わせかけた中で彼は全てを変えてくれた。
泣いてるティアラとセドリックを二人にした時は少し温かな雰囲気にも見えたけれど、……終わってみるとティアラは一人怒って戻ってくるしセドリックは石像だったし。一体何があったのかは私もステイルも二人には聞けないままだった。
せめて友人として仲良くなれればとも思うけれど、セドリックの熱烈な恋心と片想いを知るとどうにもやるせない。
「…………?俺の顔に何かついているか⁇」
ぼんやりとセドリックの顔を見つめたまま耽っていたら、先にセドリックが現実に戻ってきた。
私の視線に気付いた彼は両手がダンスで塞がっている分、目だけをぐるりと動かして訝しんだ。いいえ、とすぐに返しながら私は苦笑で返す。
「貴方の片想いを応援したくなっちゃっただけ。」
ボンッッ‼︎と、セドリックの顔が発火した。