義弟は厭悪し、
「…まぁ、そうだな。」
アーサーの言葉を軽く肯定したステイルは視線を遠ざけながら静かに眼鏡の縁に触れた。
「正直許せなかったし、途中…大分危うい時もあった。」
そう言いながら、静かにジルベールと国王である父上との会話を思い出す。
プライドがジルベールのところへ瞬間移動したいと言った時は戸惑ったが、それ以上にある意味、良い機会かとも思った。
プライドがその目で、ジルベールの正体を知るための良い機会に。
ジルベールが元々プライドへの悪評を広めていることは五年前のあの日から知っていた。
だが、二年前…丁度プライドが初めて罪人を裁いた日からだろうか。急に、プライドへの世辞が多くなった。プライドの機嫌を取ろうとするような、下手に出る話し方が無性に鼻についた。
もともとプライドは、ジルベールへの警戒心はあまり無かった。プライドは俺と違ってそういう人を疑ったり計ったりするような事はしなくて良いと思っていたし、知らなくて良いと思っていた。
だが、法案協議会後でジルベールがプライドを取り入ろうとした姿を見て、不安を覚えた。この男は他の大人達のようにプライドのことも丸め込もうとしているのではないかと。
だから、良いと思った。
ここでいっそ、ジルベールの正体を知ってしまえば。そうすれば、もう俺が万が一傍に居なくてもジルベールに丸め込まれる心配もないから。
…なのに。
『何故、執拗なまでにプライドに当たる⁈昔から…ステイルと従属の契約をした時からそうだっただろう!』
聞いてしまった内容は、俺の予想を遥かに上回っていた。
『あの時点で二年…私の望みは叶わないままだったというのに、愛娘のプライド様に王位継承権が…予知能力が宿ったと分かった途端にほんの数日で、ステイル様という立派な特殊能力者を見つけ出されていたもので、つい。』
ジルベールは、敢えて人前でもプライドに強く当たっていたことを認めた。
そして、その時の口振りでは自分の望む特殊能力者が見つからない単なる腹いせだった。
それだけでも俺は胸底の怒りが煮え滾り始めていた。
そして何よりもあの時許せなかったのは…
『プライド様に数日間何度も何度も頼み込まれたというだけで極秘に王族のしきたりを覆し、実の母親との連絡を許した貴方方は実にお優しい方々だ‼︎』
視界が怒りで真っ赤に染まった。
驚きのあまり思わず、ジルベールではなく隣にいたプライドを凝視してしまった。
五年前、プライドは俺と母さんを手紙で繋いでくれた。その時のプライドと父上とのやり取りを俺は直接は知らないし、父上やプライドも話そうとはしなかった。
だから、五年前のあの日聞いてしまったジルベールの言葉…全てが嘘だとわかっていた筈なのに。それなのに俺はあの言葉をずっと疑いもせずに受け入れていた。プライドの悪評を嘯き続けたジルベールの言葉は全て、一字一句残さず覚えている。
あの時の怒りと共に。
『国王様もやはりプライド様には甘く…今回の特殊処置も二つ返事でお受けになられてました。私の力及ばないことが歯痒いですが。』
あの男は、言っていた。父上がプライドからの提案を二つ返事で受けていたと‼︎
なのに実際はどうだ?
〝数日間何度も何度も頼み込まれた〟⁈
怒りが再熱するどころか憎悪が増した。根も葉もない噂話どころか、彼女の優しさすら捻じ曲げ広めていたあの男に対する憎悪が。
その後のジルベールの訴えなど、心からどうでも良かった。その間にも俺は例えあの男がどれほど辛い想いをしていようとこの罪だけは必ず償わせると決めたから。
何が精一杯宰相としてやってきた、だ。プライドの悪評を広めておきながらふざけるな。いくら宰相として優秀であろうとも、お前がやってきたことは王族に対する不敬罪と侮辱罪に他ならない。
そうだ、今の俺にならできるんじゃないか?この五年間、城内の信頼も勝ち得て来た。ジルベールによる悪評を広まる前に押し留め、訂正し、プライドの良い噂だって広めてきた。城内に俺を悪く言う連中など一人も居ない。プライドが女王になるまで待つ必要なんて無い。今日からでもこの事実を広めて提言し、ジルベールを宰相の椅子から引きずり降ろし、法の元に罰することも…‼︎
そこまで考えていた時だった。
『ッ七年だ…‼︎あれから七年も経っているんだぞアルバート‼︎』
ジルベールの怒鳴り声で意識が戻った。
ジルベールは俺が聞いたこともないような声色で、時に震わせながら嘆いていた。
マリアンヌという人物が擦り切れる寸前だと。
そして病を癒す特殊能力者を探していると。
それだけ聞けば誰でもわかる。
この男はマリアンヌという人物の病を治す為に特殊能力者を探し、その為に国の法すら変えようとしていたのだと。
正直、いつも理路整然としていたジルベールの発言とは思えなかった。病を癒す特殊能力者など噂話の域を超えたことがない。そんな妄想に父上や母上を付き合わせたのかと。いや、それ以前にもし特殊能力申請義務令を成立させる為の同意者、協力者を増やす為にプライドの悪評を広め、自分の味方を集めていたとしたら。つまりはその妄想にプライドも巻き込まれたということになる。
何故、父上はこのような頭のおかしな男を宰相の椅子に座らせるのか理解すらできなくなってきていた。
そして、同時に。
やはりプライドをここに連れてくるべきではなかったと思った。
ジルベールの悲痛そうな嘆き声を聞きながら、俺はその事だけをひたすら後悔した。
横目だけで彼女を見れば目を見開き、辛そうに顔を歪めながらジルベールの言葉を聞き入っていた。
彼女は、きっとジルベールを救いたいと思ってしまった。
昔から、彼女は自分への悪評に関しては無関心な人だった。
時には噂に動揺する時もあったが、怒りや悲しみをそこに感じたり、噂の犯人を罰しようとはしなかった。
まるで、自分がそう噂されることが当然のことであるかのように。
だからきっと、彼女はいま嘆くジルベールとそのマリアンヌという人物のことしか頭にないだろう。
そして力になりたいときっと心の底から思ってしまっている。
よりによって、ジルベールなどの力に。
わかっている、彼女はそういう人だと。
そんな純白の心を持った彼女だから俺は己が心が黒く染まっても守り続けると誓ったのだから。
だから、彼女が救いたいと思うのならば俺はそれを肯定し、協力する。例え相手がどんな人間であろうとも。
彼女は決して愚かではない。ジルベールが可哀想だから法案に協力をしようなどということは決してないのはわかっている。ならばきっとそれ以外の形で奴の力になろうとする筈だ。
ジルベールが行方不明になったと聞いた時、正直誘拐などではなく自らの意志で姿を消したのだと俺は思っていた。そして今にもまた余計な…良からぬことをやろうとしているのではないかと。
プライドが俺とティアラを同じ部屋にと言ってくれた時は良かったと心から思った。
きっと彼女は一人でも飛び出してしまうと思ったから。
そして様子見から一転、俺にジルベールの様子を確認して欲しいと言ってくれた時も安堵した。正直今にもジルベールが何をやらかしているか、気が気でなかったから。
そして予想通りあの男は誘拐などではなく、身を隠して裏通りに居た。取引をしようとしているのは明白だった。
プライドが俺と共にジルベールを呼び戻しに行くと言った時は本当に反対だった。出来ることならばプライドをあの男に近づけたくはなかった。だが、彼女の強い意志を確認したらもう駄目だ。その目をした彼女が折れないことは二年前に嫌という程わかっている。
ならばせめて今回は俺も共に行けるだけ良い。あの時のようにただ待つだけではなく、共にプライドと在れるのだから。
この時はまだ、心にもそれなりに整理がついていた。
だが、着替えと支度を済ませプライドとジルベールの監視を始めた途端に、また俺の心は酷くかき乱されることとなった。
奴は、城の上層部の人間だと己の身分を明らかにしていた。
奴は、既に何度か裏稼業の人間と繋がり、金で取引を行っていた。
奴は、望む特殊能力者を連れてこいと、方法手段は選ばないと宣った。
奴は、我が国で禁じられている筈の人身売買が行われていることを知っていた。
奴は、病を癒す特殊能力者を見つけてきた者に望むだけの褒賞をと言った。
奴が裏稼業の人間達に嘲笑われていい気味だとは思ったが、それでも俺の怒りは収まらなかった。
ジルベールが襲われた時も、足を掴まれた時もいっそこのまま亡き者になってしまえば良いと本気で思った程に。
だが、
『ステイル‼︎』
プライドの願いには抗えれない。
俺の手を握ってきたプライドが、どうして欲しいかは嫌でもわかって、結局俺はジルベールを助けてしまった。
驚くジルベールと言葉を交わしながらも、胸の底ではひたすらに沸き立つ憤りがぐつぐつと煮え滾っていた。
マリアンヌという人物の死。そしてどう足掻いても病を癒す特殊能力者は見つからないという事実をプライドの予知能力によって示されたジルベールは酷く狼狽し、情けない姿でプライドに縋りつこうと手を伸ばしてきた。そして俺はその喉元へ剣を突きつけながら、このまま喉を切り裂きたい欲求に耐えた。
なのに、ジルベールはプライドからの言葉を途中で遮るどころか、選りに選ってこの俺に今度は縋り付いてきたのだ。今すぐにでも剣をその喉の奥へと振ってしまいたかった。
俺は己が殺意を必死に抑えながら、言葉を紡いだ。
『貴方は、自分本位の理由で国の法を変えようとし、更には無断で父上の補佐を放棄し、城を出て良からぬ輩と通じ、手段方法問わず…それどころか我が国で禁じられている筈の人身売買まで手を出そうとしていましたね。』
許せなかった。
父上を、国を、そしてプライドを裏切って尚、平然とプライドや俺に縋り付くこの男が。
『それに、先程の男達への口振り。もし病を癒す特殊能力者と引き換えに我が国の機密情報や母上や父上、俺やティアラ…何より姉君の命を望まれても貴方は躊躇なく支払うつもりではなかったのか、ジルベール。』
憎しみと、軽蔑を込めて奴に言い放つ。
そうだ、この男はプライドだって引き換えにできるような男だ。
それを俺はよくわかっている。
何故なら俺も同じだから。
もしプライドが病に犯され、引き換えを求められたら俺も惜しげなくそれを支払うだろう。
この男と俺はよく似ている。
それが俺には、腹立たしくて仕方がない。
ー こんな、こんな男に…
憎らしくて仕方がない。
こんな男を、五年間敵対し続けていた自分が恥ずかしい。
ずっと、五年前のあの日からプライドを守らないとと思っていた。
薄汚い大人や、そして何よりこの男から。
この男のように、そして上回るほど狡猾に、計算高く、信頼を、外面を。
昔、プライドに言われた。笑い方がジルベールに似てきたと。嫌で嫌で仕方がなかったが、それでもあの男に匹敵する為、プライドの為だと変わらず務めてきた。
それからというものの、日に日に自覚はしていた。誰よりも狡猾にあろうと、計算高くあろうと、多くの信頼を得ようと、外面を良くしようとすればするほど、あの時に俺が憎み嫌った筈のジルベールに近づいていることに。そして自分自身、どこかあの男を目標のようにしていることに。
それでもいつか奴を排する為に、上回る為に変わらずやってきた。
なのに、宿敵とも言うべきこの男は今、情け無くこの俺に縋り付いている。
ふざけるな
ふざけるなふざけるな‼︎
俺は、お前を排する為に、お前からプライドを守る為に、俺は、俺は俺は俺は
『他にもお前には言いたいことはある。だが…今はこれだけを尋ねよう。城に戻りたいと言ったな?それは罪を全て認めて罪人としてか。ならば今すぐ俺が特殊能力で地下牢へ瞬間移動してやる。それとも罪は認めず父上からのお咎め程度で許されるか?罪人でないならば俺が連れ去る必要は無い。このまま歩いて帰れば良い。どちらにせよ、婚約者にはお前の諸悪の根源としてこの俺が』
最後は冷静に考えればわかる筈の単なる虚言だ。病に掛かった婚約者がどうであれ、諸悪の根源も何も、行動したのは全てジルベール本人だ。彼女が仄めかしてもいない限り、妻ですらない単なる婚約者にまで責任が掛かるわけがない。なのに俺が言えば言うほど無様にジルベールの顔色が変わっていった。
ああ、今すぐこのままこの男を殺してやりたい。
思わず剣を握る手が本気で動きそうになる。
こんな男の為に俺は五年間もずっと
『ステイル‼︎』
プライドの言葉で、一瞬思考が真っ白になった。お陰で剣を振ろうとした手が止まった。
そして直後に頭をよぎったのはアーサーの言葉だ。
〝…どっこが、似てンだよ。〟
騎士団の叙任式で、俺とジルベールが似ているかと話した時の言葉だ。
〝…ぶわああか。…アレとはちげぇだろ。〟
違うと、アイツは言ってくれた。
その言葉が素直に嬉しかった。
〝あの宰相と違って、テメェは…今も昔もそこまで悪いツラはしてねぇよ。〟
ああ、違うのだと。そう思えた。
なのに。
アーサーがくれた眼鏡を反射的に押さえる。俺とジルベールは違うと、気になるのならいっそこれでも掛けていろと。そう言って、俺に贈ってくれた品だ。
…なのに、今の俺はどうだ?
ジルベールのように狡猾に計算高く信頼と外面を極め、こんな外道の心情まで理解し、更には憎しみに任せて立場が逆転した途端に追い詰め、陥れ、立場が弱くなったこの男を嬲るように詰問し続ける俺は。
俺が憎み続けたジルベールと今の俺と、何が違う?
プライドの方へ振り返れば酷く驚いた表情をしていた。
この人を、守りたかった。
薄汚い大人から、ジルベールから。
俺は心の底からジルベールが憎い。
プライドを陥れ、利用しようとしてきたジルベールが許せない。
今この場で殺してしまいたい。
だが、プライドは良しとしないのだろう。
こんな男にも慈悲を与え、そして許そうとするのだろう。
こんな男にそんな価値など無いのに。
『何故です…?プライド…こんな、こんな男にっ…何故慈悲を‼︎』
殺したい。
このまま、この男の息の根を止めてしまいたい。
俺自身に躊躇などない。
プライドを踏み躙ろうとしたこの男がただただ許せない。
『何故っ…‼︎この男はプライドでも…誰であろうと犠牲にしようとした‼︎民や…国を傾けることだって平気でしたでしょう‼︎』
ジルベールの事が、憎くて、怨めしくて、腹立たしくて、何より
恐い
この男がいつか、プライドを傷つけるかもしれないことが。
ジルベールみたいな人間が。薄汚い大人が。
…俺みたいな、人間が。
もう頭の中に思考が入り混じり、殺したいほど憎いのが、プライドから排除したいのが、ジルベールなのか俺自身なのかもわからなくなってきていた。
プライドは何故か俺に謝りながらそれでもジルベールを庇おうとする。立場も忘れ、今度は俺がプライドの言葉を遮り叫んだ。
『この男は‼︎プライドの信じるような男ではありません‼︎今日まで貴方を蹴落とすか利用することしか考えてこなかった大人です‼︎今までだって…今まで、…っ…』
そこまで言うと、もう感情が込み上げてしまい堪らなくなった。
プライドは知らない。この男がどれ程プライドの陰口を、悪評を振り撒いてきたのかを。
今まで、どれほどプライドが女王に相応しくなるために努力し、民の事を思ってきただろう。
俺は、ずっとそれを多くの民に知って欲しかった。
なのに、ジルベールが流す悪評のせいで、プライドを知らない人間がジルベールの思い通りに噂を信じ、また他の人間が陰口を叩いていく。
今まで、どれ程プライドはこの男にその名や存在を弄ばれてきたのだろう。
一番この男に傷つけられてきたのは他ならぬプライドの筈なのに。
『ごめんなさい、ステイル。それでもまだ彼は私の愛する国民だから。』
それでも彼女は、この男を許すのだ。
そう言ってプライドに抱き締められ、頭を撫でて諭され、沸騰していた頭の熱が静かに引いてきた。あんなにも震えるほど握り締めていた筈の手から力が抜け、剣が滑り落ちた。堪らず俺は代わりにプライドの身体を力の限り握り返した。
…何故、この人はこんなにも清廉でいられるのだろう。
『っ…あの男は…傷つけたんです…‼︎昔からっ…貴方の名を、…貴方はっ…何度も、何度も何度も知らないところで…ずっと…』
憎くて仕方がなかった。
こんな男のせいで、プライドは常に傷つけられてきたのだから。
その清く美しい名を、何度も。
悔しい、悔しい、悔しい。
五年前からこの男の本性を俺は知っていたのに。
今日この日まで、俺はこの男を上回ることができなかった。
こんなに無様で惨めな男相手に。
プライドの悪評を耳にする度、許せなかった。
プライドの価値を勝手に見切り、利用し、使い捨てようとしたことが許せなかった。
プライドの愛したこの国すら犠牲にできることが許せなかった。
何故、こんなにも俺は無力なのか。
五年間あれだけ努力してきて、こんな男からすらプライドを守り切れなかった。
ただただ底意地だけが悪くなり、心が汚れ、あの憎き男に近づいてしまった俺はプライドの傍に相応しくないのではと
『ありがとう、ステイル。私の知らないところできっとずっと守ってくれたのね。』
たった、その一言だけだった。
その一言だけで、全てを許された気がした。
俺の弱さも、醜さも、汚さも全て。
プライドの温もりでさっきまで自分の中の澱んだものが浄化され、頭を撫でてくれる度に心が癒され、満たされていった。
あの時、プライドがああしてくれなかったら俺はどうなっていただろう。
もしかしたら本当にあのまま憎しみのままに一線を越え、堕ちていたかもしれない。
そしたらきっと俺はもう、…プライドの傍にいられなかっただろう。
プライドのお陰で踏み止まれた。
何より、アーサーに救われたマリアンヌさんとジルベールを見た時…心の底から思えたのだから。
ジルベールを殺さずに済んで、本当に良かったと。




